シュークリームを作った。最初の頃は何回焼いても生地がぺしゃんこになったり、何故かカスタードクリームが苦くなったりしたけれど、何年も練習しているうちにだいぶ上手く出来るようになった。
他のお菓子や料理も少しずつ練習して、どれも人に食べさせられる形と味になった。自分でやらざるを得ない状況になると、自然にそうなるものらしい。
きっと今回のシュークリームも大丈夫なはず。出来上がったばかりのそれをひとつ味見してみる。
うん、ちゃんと美味しい。
早速シュークリームを箱に詰め、身嗜みを今一度確認したら準備完了。
「行ってきます」
両親の遺影にそう告げて、家を出た。
――目指したのは、私が住む20区の〔CCG〕支部。此方に勤める喰種捜査官・鈴屋什造さんに会うことが目的だった。
支部に着くと、私は什造さんの携帯電話にメールを送った。
『今支部に着きましたよ』
それから五分もせずに、ぺたぺたとスリッパを鳴らしながら什造さんはロビーにやって来た。
「チャーン!」
両手をバンザイのように広げながら駆け寄ってくるその姿が可愛らしくて、ついつい私は笑ってしまう。
什造さんの後ろには、彼の上司でありパートナーでもある篠原さんのも姿も見えた。
「どうも、こんにちは」
私がお辞儀すると「こんにちは」と篠原さんも返してくれた。勿論、什造さんも。
「こんにちはです~! チャン、またお菓子持ってきてくれたですか?」
「はい。この間お話したシュークリームです」
「わぁいです!」
私がシュークリームの箱を差し出すと、什造さんはすぐさま受け取り、頭上に掲げた。
「篠原サン! またチャンがお菓子をくれましたあ!」
「良かったな、什造。ちゃんもいつも有難うね」
「いえいえ、私が勝手にやってるだけですから」
多分、篠原さんにとって什造さんは、息子みたいなものなんだろう。優しくて暖かい眼差しをしている。
什造さんも、ちょっと判りにくいけど、篠原さんを慕っている。
私はそんな二人の関係が素敵だと思った。本当に親子みたいで、見ている方の気持ちが安らいでいく。
「一人じゃ余しちゃいますし、食べてくれる人がいると思うと作りがいがあります」
「そっか……一人暮らしだったっけ。什造に振り回されてるんじゃなく、ちゃんも楽しんでるなら良いんだ」
篠原さんは、早速椅子に座ってシュークリームを頬張る什造さんを見つめながら笑っている。ふとその穏やかな眼差しが、私に向けられた。
「私もつまませて貰ってるけど、ちゃんはお菓子作り上手だね。クタクタの体に沁みるよ、本当に」
「わあ……それは良かったです!」
「ちょうど甘い物好きなやつも多いからさ、助かってるよ」
「やっぱり疲れた体には甘いものが一番ですからねぇ」
笑いながら私たちが話していると、什造さんは「二人で何話してるです?」とシュークリームを一つくわえたままで此方に歩み寄ってきた。
「とっても楽しそうです、僕にもお話聞かせてください」
「聞かせるも何も、お前のこと話してたんだよ。什造」
「そうですよ。私と篠原さんが話すといったら、だいたい什造さんのことかお菓子のことしかないですから、ね」
「そうだね」
私と篠原さんが顔を見合わせて笑うと、什造さんは不思議そうに何度も瞬きしていた。
「まあ、良いです」呟く什造さんの口許に、カスタードクリームがくっついている。そのまま、什造さんは私を見た。
「そう言えば前から気になってたですけど、チャンのが年上ですよね? さん付けしなくていいですよ」
クリームを指で拭いながら、什造さんが言う。
私は即答した。
「いえいえ、そうはいきません。什造さんは命の恩人ですし」
「そんなの気にしなくていいです」
「気にしますよ。それに……これからは、什造さんは私の先輩になるんですから」
「はい?」
什造さんが首を傾げる。
私はハンカチを取り出して、まだ什造さんの口許に残るクリームを全部拭き取った。
「ありがとです。チャン」
「どういたしまして」
「それで、今のお話はどういう意味ですか?」
ハンカチをしまってから、真っ直ぐに此方を見つめる什造さんの視線と問いに答える。
「この支部での局員補佐の公募を見て、私、応募したんですよ。そしたら無事合格致しまして……来週から、20区支部の局員補佐になります。だから什造さんは、私にとって先輩で上司になるんですよ」
「なるほど~!」
什造さんはすぐに納得してくれたけれど、話を聞いていた篠原さんは大層驚いたらしかった。「そうだったんだ」と目を丸めている。
「一言ぐらい相談してくれれば良かったのに……」
「お二人をビックリさせたかったので」
「そっか……。まあ、決まったことや本人が決めたことに、私がとやかく言えないな」
頭を掻きながら、篠原さんが苦笑する。それから篠原さんは、什造さんに聞こえないように声を潜めながら言った。
「――ちゃんは本当に什造のことが好きだね」
反射的に肩が跳ねる。幸いにも什造さんの興味はテーブル上のシュークリームに戻っていた。
私も声を潜め、おずおずと返す。
「……わ、判りやすいですか?」
「什造は気付いてるか判らんが、私にはバレバレだよ。いつもお菓子を持ってくるのも什造のためだろうなあって」
腕を組み、にんまりと笑う篠原さん。少しお節介な父親のようだった。早くに両親と死に別れた私にとっては、そのお節介が恥ずかしいというより、嬉しくて。上手く言葉にならない。
赤くなる私の頭を、篠原さんがぽんぽんと撫でてくれる。
「まあ、什造もちゃんが来るなら嬉しいだろうし。私も安心だよ。大変かもしれないけど頑張って」
「はい!」
私は力強く頷き返した。
篠原さんの笑みが深くなる。
そして、私たちが見たのは……什造さん。
存分にシュークリームを堪能したのか、ふやけた笑顔で椅子に体を預けている。
「僕とっても幸せです~今なら気持ちよく眠れます~」
「こらこら午後にもお仕事がたんまりあるんだぞ」
「ダメです、寝そう……」
「起きれ」
篠原さんに肩を叩かれて、仕方なさげに什造さんは腰をあげた。シュークリームの箱をしっかり抱えながら。
「チャン」
そのまま局内へ戻るのかと思いきや、什造さんは私へ近付いてきた。
「なんでしょうか?」
「ちょっとだけ屈んでください」
ふわっとした笑顔に、私はなんの疑問も抱くことなく従った。什造さんは私より背がほんの少し低い。そして細い。でも、すごく強い。だって什造さんは、私を“喰種”から助けてくれた恩人なのだ。
間近にその什造さんがいる。お人形のように端整な顔に見惚れてしまう。
自分の顔が赤くなっていくのが判った。
そして什造さんは――、
「いつも有難うです、チャン」
私の頬に、軽くキスをした。
……キス?
…………き、キス!?
頭の中が真っ白になる。
私は勘違いしてるんじゃないか? でも間違いなく、什造さんの唇が私の左頬にくっついた……!!
什造さんの後ろで、篠原さんも目を剥いて固まっている。
というかロビーには私たち以外にも色んな沢山の人がいて、決して少なくはない人数の人たちが、私たちを見ていた。
すぐに什造さんの顔は離れていった、けれど。
「来週から此処に来るなら、もっといっぱい会えますね」
「は、はい……多分……」
「嬉しいですー」
什造さんは笑い続ける。
「ちっぽけなことかもですが、ここに来る楽しみが増えました~。幸せです」
それじゃあまたです、と什造さんは今度こそ局内へ戻って行った……。
呆然とその方向を見たまま、中腰で固まったまま、私はぼんやりと口を開く。
「篠原さん……」
「うん?」
「什造さんの“ちっぽけな幸せ”が私にはハードル高過ぎてまだ理解が追い付かないのですが……?」
頬を押さえたまま羞恥と歓喜に震える私を見て、篠原さんは困ったように頬を掻いた。
「まあ、什造だからね……」
納得の一言だ。
しかし。
私には什造さん基準の“それ”に耐えうるメンタルが有るだろうか。いや、今のキスは気まぐれかもしれない。けれど私は間違いなく、什造さんを見るたびに思い返してしまう……!
考えただけで、膝からがっくりと頽れてしまった。「ちゃん!?」慌てた篠原さんの声に、私は震えながら返す。
「なんだか、色々零れそうです……」
「な、泣いてる!? ちゃん、大丈夫か? 什造には私から厳しく言っておくから……」
「いえ、篠原さん、什造さんには“は至極至福でした”とお伝えください……!!」
「良いのか、それで!?」
「良いんです……!!」
什造さんの言う“ちっぽけ”な幸せや楽しみとやら、こうなったら望むところです! それが私にとっては如何に大きなものか、思い知って頂かなくては!
泣きながら私は、篠原さんに励まされ、早速次回持参するお菓子についての構想を巡らせた。
このままふにゃふにゃになって終わりはしない。
また、あの人の幸せそうな笑顔を見るために。
私の小さな望みを、これからも叶え続けるために。
普通の年頃の女子にとってはちっぽけな悩みや幸せすら、私にとっては尊いものだから。
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