「美郷ちゃんって、呼んで良いですか?」

 子供のようにあどけない声と、ふんわりした微笑みが美郷を呆然とさせた。無言で立ち尽くす美郷に、もう一度は訊ねる。

「美郷ちゃんって、お呼びしても構いませんか」

 穏やかな雰囲気は崩すことなく、少しばかり丁寧な言葉に変わった。
 ――私が答えないのは、そういう意味ではないんだ! 
 胸中で美郷は叫ぶ。
 しかしは笑みを絶やさない。

「じゃあ、そうだなあ……。みぃさん、とか、みぃちゃん? 駄目でしょうか?」

 ――だから、呼び方の問題とかではないんだ! というか何故徐々に可愛らしい方向にシフトしていった!?
 周囲の視線に耐えかねた美郷は、無言での手を掴んだ。「はれ?」首を傾げるを引っ張って、美郷は物陰に隠れた。周りに誰もいないことを何度も確認してから、美郷はようやくの手を離した。
 不思議そうに瞬きしながら、は美郷を見上げている。緊張感と警戒心に欠けた、とぼけ顔。
 ――鈴屋什造に似ているな。
 傍目にも什造とは親しい。時には姉弟のような、またある時には恋仲のような、何とも言えない曖昧さで、見ている方がむずむずする間柄である。“喰種”に襲われたを什造が助けたことにより、が深く彼を慕っているのだと言う。その際“喰種”に襲われたことへのショックより什造への感謝が上回っていたと言うのだから、彼女は恐怖というものも常人に比べて足りないようだ。
 美郷は口を開いた。

。何故、私に声をかけた?」

 以前からが此方を気にしていることに気付かぬほど、美郷は鈍くない。ただ何故かの視線は、不思議な暖かみを孕んでいた。くすぐったくなるぐらい明らかな好意に、美郷は何とも言えないもどかしさを覚えた。
 そんな日々を過ごしてきたのちの「美郷ちゃん」宣言である。美郷は大いに動揺していた。
 凄味のある美郷の表情と語気に、は「ええと」相変わらずの、のんびりした調子で微笑んでいる。

「私、実は同年代のお友達がいなくて。美郷さんは年の近い女子とのことで、補佐官の私が、捜査官の美郷さんにお願いなんて図々しいかもしれませんが……出来たらお友達になりたいなぁと思ったんです」

 同年代のお友達。
 年の近い女子。
 お友達になりたい。
 美郷は三度、衝撃を受けた。
 美郷も職業柄、なかなか同年代の友人と過ごすことが少なかった。喰種捜査官として日夜“喰種”と戦う彼女にとって、年頃の女子としては当然な筈の日常は遠いものに思え、そちらの方が逆に“非日常”と化しつつあった。そんな美郷に、は朗らかに「友達になりたい」と告白した。
 今までの好意に満ちた視線。突然の呼び掛け。全ての点と点が繋がり、美郷はようやく納得した。何もかもが、美郷と友情を育みたいが故のものだったのである。
 美郷は感動に震えた。唇をきゅっと引き結び、じっとを見つめる。
 は心配そうに首を傾げた。

「あのぅ……美郷さん?」
「……美郷ちゃんで、構わない!」
「えっ?」

 が瞬きする。
 美郷は宣言した。

「美郷ちゃんと呼んで構わないと言っている! そして私も、私も……と呼ぼう! 友人として、たまにはちゃん、とも、呼ぶことにしよう!」

 美郷の言葉に、は目を見開いた。みるみるうちに歓喜の光で双眸は輝き、深い笑みを浮かべて何度も頷いてみせる。

「うん、うん! ありがとう、美郷ちゃん!」
「気にするな、……ちゃん!」
「本当にありがとう! たまにみぃちゃんでもいいですか?」
「構わない! だが“みぃちゃん”は、なるべく他の誰かがいないときにして欲しい」
「了解です!」

 美郷の両手を握り、元気に返事をする。思わず美郷も、顔を綻ばせていた。
 以来、度々時間を共にするようになった二人は、互いに多くの共通点があることに気付いた。
 中でも二人の話題に上る回数の多い共通点は、趣味の菓子作りであった。が片想いをしている什造、美郷が密かに慕う亜門。この二人は菓子が大好物なのだ。特に亜門は甘党とのことで、美郷は日々、菓子作りの腕を磨かんと励んでいる。それを聞いたは嬉しそうに手を合わせた。

「じゃ、じゃあ、今度一緒にお菓子作ろう! 良いでしょ、美郷ちゃん?」
「も、もちろん! ただ予定が……」
「美郷ちゃんの都合のいい日を教えてくれたら、私、用意しておくから。捜査官は大変だもんね。無理しちゃだめだよ?」

 緩く柳眉を下げながら、は美郷を労る。

「幾ら腕の立つ喰種捜査官とはいえ、美郷ちゃん、女の子なんだから。無茶しないでね」
「ああ。……ちゃんこそ、補佐官の事務にまだ不慣れなはずだ。無理は禁物というのは、お互い様、だと私は思う」
「うん。ありがとう!」

 年端のいかない少女のようにニコニコと屈託ないの笑みに、美郷は懐かしさが込み上げてくる。まるで自分まで幼い頃に還ったかのような、不思議な錯覚がした。形容しがたいの神秘性――一歩間違うと空気の読めない間抜け、ともとれるが――が、心地よかった。
 何より、なかなか打ち明けられない恋の悩みやガールズトークを楽しめる喜びといったら、言葉にならない。
 美郷とは、最後に互いの恋を応援した後、各々職場へと戻った。もちろん、しっかりと連絡先を交換して。

 しかし後々、美郷の壊滅的な菓子作りの腕前とセンスを目にしたは、茫然自失となるのであった。
 その茫然ぶりたるや、基本的に悩みを抱えないが深刻そうに頭を抱えているのを見かねた什造が「元気出すです」とお気に入りの駄菓子をプレゼントしてしまったほどである。
 美郷の作る菓子は本当に凄まじかった。友人として、全力で美郷のサポートに励もうと、は密かに固く誓った。
 これも友達のため。
 女の子同士の約束なのだから。
 そう思うと、自然との顔には笑みが咲いていた――。

(Title by まばたき)

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