いち、に、さん。――はい、上手くいった。
 の視界の隅を血のしぶきが過ぎていく。陽が沈みかけ影は色濃くなっていた。アスファルトに血が落ちる音がする。まだ相手は諦めていない。風を切る音に反応して、は柔軟にのけぞって回避を行った。体に被害は無し。やや遅れて自分の髪の毛が何本か散ったのが見える。
 落ち着いて動きをよく探り、タイミングを合わせれば、何とかなるものだ。
 のけぞった体を起こすよりそのまま後方へ倒れる方が早いと考え、勢いに身を任せる。地面に両手をついてくるりと体勢を立て直す。衝撃を請け負った両手首の痛みがなかなかだったが、大丈夫。まだ動けた。

「これで――……」
「おーわり、です」

 が突進するより早く、相対する“喰種”へ什造が急接近し、その首を刎ねた。勢いよく宙を舞った首がのもとまで飛んでくる。慌てて屈んだ彼女は、クインケを放り出して首を両手で受け止めた。何が起きたのかよく判っていない首と目が合う。大丈夫です、よく判ってないのは私も同じです。そうが視線を返している間に、首の目は永遠の虚ろへ落ちていた。
 今しがた死んだばかりの“喰種”の首を抱えたへ、「何してるんですか」と什造が歩み寄って来る。くるくると両手でクインケ・サソリを曲芸のように回しながら。
 はおずおずと正直に答えた。

「つい、キャッチしちゃいました」
「服が汚れちゃいますよ。ポイしてください」
「あ、はい……」

 什造の指示を受け、がそっと首を道路に下ろし、投げ出してしまったクインケを回収する。支給された羽赫タイプのクインケだ。使いやすいが持久力に欠ける。もっとも、持久どうこうの前に什造が片付けてしまうので、現状あまり関係ない。

「首をトバしたからって、安心して武器捨てちゃダメです。悪い子ですね」
「す、すみません。確かに什造さんといることで安堵している節があります……。申し訳ないです」
「気付けるなら悪い子じゃなくなれます。次はちゃんがちゃんとトドメやるんですよ?」

 無言で頷くから固さを感じ取ったのか、ふと什造は頬を緩めた。

「あのかわし方はバッチリでしたよぉ。訓練の賜物です」
「……あ、有難うございます! これも什造さんがコーチしてくださってるからです!」

 什造の一言で、の体から疲れや痛みが全て吹き飛んでしまう。「処理班の方が運びやすいように部位ごとに分けたほう良いですよね!」と見当はずれな気概と共に、彼女は“喰種”の骸を手際よくバラしていった。
 その様子を眺め、通報によって駆けつけた〔CCG〕局員がの行動に目を剥いているのを見つめ、什造はずっと笑っていた。
 ……一通り後始末を終えた二人が帰路についた頃には、空はすっかり深い藍色に染まっていた。

「むちゃくちゃ怒られてしまいました……。赫包のある胴体部分にはほとんど手を付けないでおいたのに」
「僕もよく怒られましたよぉ。気にしないでいーんです」

 什造の柔和な笑みに反して、の表情は暗く陰っている。

「あそこまで青白い顔で迫られると、自分の行動が“失敗”だったって思わざるを得なくて」
ちゃんは気にしすぎなんです。自分でいいと思ったら、それでいいんですよ」

 それが一般的にはおかしいのだとしても、自分にとってベストであれば、それでいい。什造の言葉に、はまだ納得がいかないように眉を寄せて悩んでいた。

「周りにある程度合わせることも、特に新人の私には必要なことだと思うんです……」
「そんなのツマんなくないですか? 僕は、流れてダラダラなちゃんは見たくないです~」

 唇を尖らせ、拗ねた子供のように什造は反論する。

「それに僕も、昔はよく怒られましたよ。ちゃんよりずっと細かくコマカクやって、んで怒られました。上には上がいるんです、気にしてちゃキリないです」
「な、何か言葉の使い方が違う気がしますけど……。そっか、什造さんも怒られたんですか」

 ようやっとの表情が幾らか解れてきた。
 苦笑しながら、彼女は小さな声で呟いた。

「意外な共通点が生まれて嬉しいなんて、不謹慎な私……」

 什造の耳にしっかりとこの呟きは届いていた。どうしてか、什造は自然と笑っていた。
 周囲の人間には散々“ズレている”だとか“変わっている”と言われるといるのが、不思議と楽しい。さっきまでの命懸けの“喰種”討伐だって、彼女と一緒にいる時間には変わりなく、楽しいひとときに含まれていた。いびつながらも什造の動きを真似て、真似しきれずに独自の解釈を遂げた戦い方は、子犬や子猫が危なっかしく走り回っている姿に似ていた。他の捜査官と組まされた時に“協調性が無い”と怒られが落ち込んでいたこともあるが、什造には彼女こそ協調性の塊のように思えてならなかった。
 ――みんな見る目が足らないです。足りてる僕は、得です。
 什造の言葉を真正面から受け取って、何倍もの反応にして返してくれるは、本当に面白い。

「あ、そうだ、明日のおやつはお休みで良いですか……」
「えっ」
「ちょっと手首をやっちゃったみたいで」

 痛めたらしい両方の手首を交互に擦りながら、は笑う。

「でも大丈夫です。この間駄菓子屋で買い占めてきたのを持っていきますから」

 落ち込みかけた什造の心はふわっと急上昇した。とりあえずおやつ抜きの悲劇は免れた。となると後は、の怪我の具合のみが気掛かりだ。
 心なしか腫れているように見えるの手首をじいっと見つめて、什造は決心した。

「よし、救急で病院行きましょう。何かあっちゃタイヘンです」
「大袈裟ですよ。湿布貼っておけば治ります」
「そういってしばら~く“胸が痛い”って言っててアバラ折ってた子の言葉は信用しません」
「あ、あれは時期も時期でしたから致し方なくて……」
「問答無用です」

 什造はの腰に抱き着くと、ぐいっと彼女を引っ張った。そうやって少しずつ覚束ない足取りで進みながら、病院を目指す。奇妙かつ恥ずかしい状況に、「什造さん、什造さん!」と訴えるようなの声が響く。しかし「名前呼ばれてるだけじゃわかりません」とシラを切る什造。ぐい、ぐい、と一歩ずつ体を引っ張られて、周囲の視線にも耐えかねて、遂には根を上げる。

「判りました、行きます! だから普通に歩いでくださいっ」
「りょーかいでーす」

 呆気ないほど素早く什造は離れた。満面の笑みでを見上げる。
 真っ赤になった困り顔の女の子。さっきまで生首を抱えていたなんて思えないほど、彼女の顔は、間抜けそうな顔だった。
 ……最初のうちは、の“什造さん”という言葉にどんな意味が含まれているかなんて考えもしなかった。ただ名前を呼ばれているだけで、声のトーンや声量が状況によって変わるだけ。意味を掴む必要なんてなかった。
 それが今では、彼女の呼び声にどれほどの想いが込められており、どんな訴えが含まれているのかを探るのが楽しくてたまらない。大抵什造の予測は当たっているから尚の事笑いが止まらなかった。
 こんな風にくだらないやりとりが出来ることが面白い。

「でも逃げ出さないように、こっちの手は掴んでおきますね」

 の左手を握って、什造は微笑んだ。痛みでぎこちない動きになっていたが、彼女はしっかりと什造の手を握り返してくれた。
 ぎゅっと強く握りたいけれど、きっとそうしたらちゃんは痛がる。ちゃんは痛いのがわかるし嫌いだから、痛くないようにしないと。

「什造さん……」
「さー、行きましょう」

 何か言いたげなを、什造は優しく急かす。
 手を繋いで引きずられて行くばかりだった頃とは違う。
 今は自分が誰かの手を引いている。
 自ら望んでこの手を選び、繋いで歩いている。
 ――手を繋ぐことは昔からキライじゃなかったけれど、これとあれは何かがとても変わってます。
 什造の胸は躍っていた。病院もとい診察が苦手なが次第に青褪めて行くのも知らぬまま、るんるんと歩く。

「注射とかしてもらって早く治すんですよ、ちゃん」
「注射は……嫌ですぅぅ……」
「良い歳したオトナが注射で泣かない」

 そうして診察を受けたところ、なんとがしばらくまともな食事を摂っていなかったことが判った。手首の調子がどうという問題ではない。何もかもなあなあにして逃げようとする彼女を捕まえながら、什造は“ついて来てよかった”と心から思った。
 結果、注射どころか点滴を打つことになったが静かにベッドの上で泣いているのを、什造は涙を拭ってやりつつ見守る羽目となった。

「……これで懲りましたよね、ご飯はちゃんと食べなきゃダメですよ」
「はい……」

 上司の静かな忠告に、部下は掠れた声で応じた。
 そのしょぼくれた顔がおかしくて、たまらず什造は吹き出してしまう。
 そしてやはりは、酷く落ち込んだままだった。

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