12月31日。引っ越して間もないマンション、以前より広くなった自分の住処。
 キッチンで年越しそばの用意をしつつ、はリビングを振り返った。
 そこには什造を中心とした鈴屋班のメンバーが集結している。テレビを見ながらジュースやお菓子を飲んだり食べたり、やいのやいのと賑やかに騒いでいる。
 は静かに思った。
 ――どうしてこうなったんだっけ。
 自問する以前から彼女はその答えを持っていた。どうしても何も、全ては什造の“班長命令”であった。
 ちょうど昼食が済んでいよいよ午後の仕事を始めるかどうかという頃、

「僕、ちゃんと年を越すんですー」

 菓子を頬張りながら、机の上でだらけながら、什造がニコニコ笑いながら溢した、ほんの一言。それがきっかけだった。
 思わぬ誘いにはつい頬を緩めたが照れくさくて何も言えず黙り込む。
 代わりのように、班長を慕う班員が、興味津々で乗って来た。

「へー、やっぱりそうなんですかー熱いっス!」
ちゃんにいつものお礼のキモチも込めて、一番最初に“あけましておめでとう”って言ってあげます」
「先輩、それはまさに恋仲……!」
「班結成時から恋仲だったのを今更のように驚くか」

 聞けば聞くほどますます顔が赤くなるような彼らの会話を聞きながら、は恐らく今年最後であろう仕事の処理を進めていた。気を紛らわすため、そして什造の希望通り共に年を越すために。
 微笑ましくも恥ずかしい会話を小耳に挟みつつの事務仕事。それはほぼ習慣になっていた。とても穏やかで、この時間がにとっては大きな幸せだった。“喰種”討伐の為に誰か、或いは自分以外全員が出払っているのが普通なのだ。だから皆が一緒にいる時間というのは貴重で、幸せで、嬉しいこと。まだ捜査官未満である彼女にとってはこれが精いっぱい。
 ……しかし、今回はここで終わらなかった。

「じゃあ、皆でちゃんの家で年を越すのに決定でーす」
「ええっ!? いつの間にそんな話になってたんですか!」

 慌てふためくが反射的に立ち上がった途端、什造が彼女に耳打ちする。

「僕と二人きりでヒメハジメのが良かったですか?」
「判りました皆さんで私のお家に来てください激しくウェルカムです」

 ……そういう訳で、の家に鈴屋班が集合していた。
 別には、什造と二人きりで過ごすのが嫌だという訳ではない。ただあの時の什造の目があまりにも恋人らしいというか、どきりとするものだったというか、そういう意味や関係についての様々を秘めたものすぎて、恥ずかしさで絶叫しそうになった。そして絶叫の代わりに、全員集合に同意するという手段を取った。それだけだ。

(什造さん、本当は冗談のつもりだったんだろうけれど……冗談が冗談に聞こえないし見えないんだよなあ……)

 まず姫はじめにだって意味が少なくとも二種類あるし――が知る限りなのでもっと他にも意味や由来がある可能性が高い――、自分が片方の意味にだけ取りつかれて過剰な反応をしてしまっただけかもしれない。そう思うと、自分という人間がとても浅ましくて恥ずかしいものに感じられた。
 邪念を振り切るように、は年越しそばの準備を進める。
 そこに、黙々と作業を進める彼女を心配した半兵衛がやって来た。

「本当に手伝わなくて大丈夫ですか?」
「うん、半兵衛くんは什造さんたちを……。あんまりはしゃぎすぎてジュースとか引っくり返しかねないから」
「かしこまり……。精一杯先輩たちのフォローを務めます」

 気の優しい半兵衛に今一度什造たちのことを託し、は料理を続けた。料理と仕事は良い。そのことだけに注意して、集中して、気を乱されることがない。何よりどちらも上手にこなせば什造がとびきりの笑顔で褒めてくれるのだから。

「おそばには天ぷらだよね……って揚げたはいいものの年越しそばに天ぷらって乗せていい……のかな?」

 しかし彼女は、自分が準備しているのは年越しそばではなくただのそばなのではないかと思い至った。しかし今更調べるにもやり直すにも、もう天ぷらを揚げてしまった後だ。残す工程も薬味のネギを切るぐらい。どうしようもなかった。

「ネギは必須なのは覚えてるんだけど……まあ、いっか!」

 はこれ以上考えるのを止めた。作ってしまったものは仕方ない。皆で美味しくそばを食べられたらそれでいいではないか、と。
 集中して調理に励んだ甲斐もあり、滞りなく年越しそばのスタンバイが完了した。
 リビングで騒ぐ什造たちも、漂う香りとひと段落したの姿を見て察したようだ。
 きらきらと目を輝かせながら、什造がに近づく。

「いーニオイがしますねぇ。完成ですか?」
「完成ですよー。今持ってきますからテーブルちょっと片付けますね」

 空き缶や菓子の空き袋をてきぱき片付けながら、まるで母親のような調子では答える。
 すると他の面子も口を開き始めた。

「え? 年越しそばって夜中に食べるんじゃないんスか?」
「我が家では除夜の鐘を聞きながらでした」
「地方によっては1月1日の朝に食べることもあるらしい」
「色々あるねー。人によって月の引力の影響はまちまちなのと一緒かな。いやむしろコスモと磁気による干渉の具合に喩えるべきだろうか……」
「コスモパワー云々というか、単純に什造さんが“出来たらすぐ食べる!”って思ってるだろうなって」
「さすがちゃん! 僕たち以心伝心ですねぇ」

 が反射的に紅潮する頬を手で覆い隠すと、什造たちは何とも言えない笑顔を浮かべてみせた。
 その生温かい視線に耐えかねた彼女が、

「は、運ぶの誰か手伝ってください!」

 と叫ぶまで、その空気は続いたのだった……。
 ――賑やかな鈴屋班は、いざ年越しそばを食べるとなっても、やはり賑やかだった。
 おかわりを願う者。喉につまらせる者。それを笑う者。気付かれないようにそっと具を追加する者……、まるで家族団欒の風景だ。
 は、亡き両親のことを思い出し、ひっそりと切なくなった。
 ……騒ぎ、腹も膨れた什造たちは、程なくして仮眠に入った。喰種捜査官にとって貴重な休みの時だ。今こうして集合していられること自体、奇跡である。何時“喰種”が現れ、出動を命じられても可笑しくない。
 皆の寝顔を見つめてから、は静かに食器の片づけを始めた。テレビをつけっぱなしで眠る彼らを起こさないよう、慎重に運んでいく。音を出さないように動くのは大得意だ。難なく食器を回収しキッチンに戻ったは、素早くかつ極力音を立てずに洗い物を済ませた。
 ――任務完了。
 ほう、と一息吐いて、ようやくがエプロンを取った時、

ちゃん」

 ハッとが振り返ったのと同時に、小柄な影が彼女にくっ付いてくる。什造だ。
 起こしてしまっただろうか。謝ろうと口を開きかけたを見上げ、什造は背伸びをした。
 ……僅かに唇が重なって、すぐに離れる。
 は真っ赤になった。「じゅ、什造さん」掠れた呼び声に、什造は顔を綻ばせた。

「あけましておめでとう、です」

 言いながら什造が携帯電話――什造ではなくのものだ。テーブルに置きっぱなしだったのを持ってきたらしい――を見せた。待ち受け画面の数字は、確かに午前0時、1月1日と表示されている。
 しかしは、不意打ちの接触にすっかり動転していた。

「み、皆さんがいるのに、そ、そういうことは……」
ちゃんが大きな声出さなかったから大丈夫ですよ」
「ひ、必死に堪えたんです!」

 どれだけびっくりしたと思ったんですか、と真っ赤になりながら訴えるに、また什造はキスをした。今度は右頬。やはりすぐ離れたものの、ますます彼女は赤くなる。

「さ、叫ぶとこだったじゃないですか……!」
「よく我慢できましたぁ。エライエライです」

 頭を撫でられ、は、うう、と小さく唸る。自分よりも若く、しかし強い想い人の温もりに反論しようにもできなくなってしまった。行き場の無い感情を必死に抑え込み、それでも抑え切れなかった感情の欠片がその唸りに込められていた。

「僕にも言ってください、ちゃん」
「い、言うって……あ、ああ!」

 ぴったりと抱き着いて離れない什造に、は合点が行ったように頷く。

「あけましておめでとうございます、什造さん」

 気を取り直したが優しく告げると、什造は嬉しそうに笑いながら返した。

「今年もよろしくお願いしますねぇちゃん」
「此方こそ、不束者ですがよろしくお願いいたします」
「お願いされます~」

 そうしても、什造の背中へとそっと腕を回した。
 無言の抱擁だったが、それが至福で。ずっと、いつまでもこうしていたいとは思った。
 互いに何の躊躇いも無く、こうして身を寄せ合える。そうして、一年、乗り切った。
 また一年後も、こうやって生き抜いて、共に新しい年を迎えることが出来るように。心から祈る。
 ――什造さんたちと、皆と、一緒に。
 はそうして、何となしにリビングへと視線を向けた。

「あ……」

 ……――目が合った。
 半兵衛と。
 半井と。
 水郎と。
 御影と。
 ……つまりは、鈴屋班メンバー全員と。
 寝ていた筈の皆が、キッチンを覗くように身を乗り出しつつ立っているではないか。

「えーと……」

 水郎が苦笑しつつ、頬を掻いた。

「すみません! 起きちゃって見てました!」

 そして、白状した。

「……え、え、ええええっ!?」
「うわーエッチです」

 仰天の叫びを上げるに反して、什造は笑みを崩さない。部下たちを咎めているような台詞にも聞こえるが、全くそんな響きは感じられなかった。寧ろにきつく抱き着き直すあたり、わざとなのだろう。
 ――まさか什造さん、これも計算していたの!?
 問おうにも、の喉からはろくに言葉が出てこない。「え、え!?」とまだ現状を飲み込めずに混乱しており、言葉にならない声が途切れ途切れに漏れるばかりだ。

「ちなみにどこから見られてたですか」
「ほっぺにチュー辺りからです」
「な、半井! 言っちゃうのかよ!」
「なんだぁ、そこからですか~。ザンネンです」

 こうなるとはもう置いてけぼりである。
 色々と詳しく什造に伺いたいところがあるが、とても出来ない。確かめる作業自体が恥ずかしいし、自分の憶測が違っていても当たっていても更に恥ずかしい思いをする羽目になる。
 ――体が火照り切って、死んじゃいそう!
 は強引に什造から離れた。引き離された什造が「あら」と瞬きするのを横目に、は衝動のまま部屋を飛び出してしまった。

「……寒い」

 上着も着ずに外へ出たのだから当然だ。おまけに足元はただのサンダル。何処か凍っていても可笑しくない冬の夜、よくサンダルで走ってきて転ばなかったものだ。
 自分でもどうしてこんなことをしてしまったのか、判らない。勢いとはいえ、什造から無理に逃れたことは、少なからず彼女の良心を痛める羽目になった。恥ずかしさと照れと、気が動転したのと、色々と。何より一番心を靄つかせたのは、自分の情けなさ。

「私、ものすごいヘタレだなあ……」

 嬉しいけれど、誰かに見られるのは恥ずかしい。嬉しい気持ちがもっと勝ってくれればいいのだが。
 自己嫌悪に襲われ、はその場にうずくまった。膝を抱えて、ひたすら後悔する。

「どうせならもう自慢しちゃえばいいのに……。あの什造さんの恋人なのよ私! って。いやいやそんなおこがましいこと出来ない……。什造さんはみんなの什造さん……私の頭、おかしい……」

 ぐるぐると巡るばかりで纏まらないの思考回路をリセットさせたのは、不意に体を包んだ温もりであった。
 驚きにが顔を上げると、見覚えあるボティステッチの入った手があった。

ちゃん、ごめんなさい」

 背中から覆いかぶさるようにして、什造が抱き着いていた。この寒空のなか、彼もまた上着もなしにを追ってきてくれたらしかった。
 先の元気はどこへやら、その声音はすっかりしょぼくれている。

ちゃんが恥ずかしがりやさんなのわかってるのに、ごめんなさい」
「什造さん……」
「でも、僕、たまに不安になるです」

 ぎゅっとにしがみついたまま、彼女の肩へ顎を乗せて、什造は呟いた。

「優しいちゃんが大好きです。でもちゃんが優しいのは皆にです。だからちゃんと、皆にちゃんが僕の好きな人だって教えたくなる時があるんです。それに……ちゃん、ふわふわしてて、怖いです」
「怖い?」
「雪みたいにふわふわって、それで、すっと消えちゃいそうなんですよ。だから、怖くなるです」

 ごめんなさい。
 もう一度、什造は謝った。そして黙って、に抱き着いていた。何処かに行ってしまわないようにと必死に伸ばした両手で彼女を二度と離すまいと訴える。
 ……は、小さく笑った。

「雪みたいって、嬉しいです。雪って綺麗じゃないですか。あんまりいっぱい積もったら困りますけど……ふわふわっていうのも、悪い意味じゃないと思うので、勝手に嬉しがっちゃいます」

 什造の手を握り、彼との繋がりと伝わる温もりをしっかりと感じ取りながら、は語る。

「でも大丈夫です。溶けたり消えたりしません。什造さんが“好き”って想ってくれる間は、ずっとずっと傍にいさせてもらうつもりだから」
「ホントですか?」

 耳元で響く什造の声が、活気を取り戻す。

「じゃあ、ずっと一緒ですちゃん。僕、ちゃんとずっといるって決めてるんですよ」
「嬉しいです。プロポーズですか?」
「今までも何回もプロポーズしてるのに、ちゃんが流してるじゃないですか~!」
「いやその、普段は恥ずかしさが上回ってしまって……。今は嬉しさだけで什造さんの言葉を受け止められるんです」
「よくわかんないですけど、良かったです」

 ようやく什造がから離れ、二人は向かい合い、手を取り合いながら立ち上がった。
 寒さに赤らんだ頬や鼻を気にすることなく、什造は笑っている。
 も、寒さを忘れて微笑み返した。

「恥ずかしいのって、繰り返すと慣れるんですかね」
「なら恥ずかしいこともっとしましょう。コイビト的な恥ずかしいことバンバンするですよ~」
「例えば何ですか?」

 すっかり余裕綽々なに、屈託ない笑みのまま什造が言う。

「……ヒメハジメですかねぇ」
「すみません前言撤回します、恥ずかしいものは恥ずかしくてたまらないです!」

 恋人が意味ありげに笑みを深めたことに、謝罪に気を取られている彼女が気付く術は無かった。

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