ベッドの上でずっと眠ったままのちゃんを、僕はずっと見つめていました。病院は静かなようでとても騒がしくて、あちこちの人たちが立てる音が耳をくすぐりました。ちゃんはとても静かな寝息を立てて眠り続けてます。
ちゃんが倒れたのは鈴屋班の会議中でのことでした。「質問です」と言って右手を挙げて立ち上がった時、そのままぐらりと体が傾いで床へバッタリ倒れちゃったです。思えば顔色がすごく悪くて、ずっと大丈夫かどうか不安でした。不安の予感的中だったわけです。体調管理も仕事のうちだと半井もよく言ってます。今回、それをちゃんはしくじったわけで、上司としてガツンと言っておこうと思ってもう何時間も経ちました。
長い睫毛。薄く口紅のついた唇。青白いからようやく白いに回復した肌。手を触るとひんやり冷たい。
「ちゃんの冷え症は治らないんですかね」
見つめていました。ずっと。じっと。ちゃんがあまりにも起きないから生きているのか不安になって、口元に手を当てました。ちゃんと吐息を感じました。そっと胸に耳を当ててみました。ちゃんと鼓動を感じました。
それでも、それでも。
起きてくれないのはとても、怖い。体がぞわっとして、気持ち悪くて、嫌な気分。僕はそれでも、病院では静かにという常識に従ってました。
ちょっと前までいた半兵衛が置いて行ったゼリーをひとつ食べました。みかん味。ちゃんには桃味のほうが良いと思って、そっちを残したんです。
「早く起きないと、桃のも食べちゃいますよ」
目の前にゼリーをちらつかせてみても、閉じたちゃんの目には見えません。そういえば倒れた時からずっと眼鏡をかけっぱなしのちゃんから、眼鏡をとりました。多分眼鏡をしたままだと寝にくいですから。これでちょっとでも心地よくなって早く起きてくれることを願うばかりです。
仕事の終わった水郎たちもお見舞いで顔を出しに来ました。相変わらずちゃんは起きません。
「面会時間そろそろ終わっちゃいますよ、鈴屋さん」
「また明日来ましょう」
「……わかりました」
どれだけ疲れ切っていたのかわかりません。
けど、ちゃんは本当に、死んだように眠っていました。
ちゃんが倒れて病院に運ばれて、僕は、一体どんな恐ろしいものが彼女の体を蝕んでいるのか心配でたまらなかった。僕に出来ることは? 見ているだけですか? ざわざわする心を抑えて、ちゃんは過労で倒れたとわかったとき、安心できませんでした。だって、それはつまり、結局僕にはなんにも出来ることがないってことです。疲れすぎたちゃんがしっかり休んで起きるまで、何も出来ない。なんにも。
次の日、仕事が終わってすぐ篠原さんのお見舞いに行きました。篠原さんは、もうずっと、起きないです。でも、僕は不安で篠原さんに相談しました。
「昨日ちゃんが倒れたんです。過労だって言われました。結局ずっと起きなくて、今から改めてお見舞いしに行くんです。まだちゃんが寝てたらどうしましょう? 僕、こんなに落ち着かなくてかっこ悪いです」
篠原さんはずっと、聞いてくれます。応えてくれるわけじゃありません。いつかそうなったらとても嬉しいけれど、今はまだできない、わかっています。それでも、何だか篠原さんに話したら気持ちが楽になりました。ほんの少しだけ勇気が出ました。
「ありがとうございます篠原さん、また来ます。いってきます」
ちゃんの入院している病院は、篠原さんの入院している病院と近いから、すぐに着きました。
起きてますかね、ちゃん。きっと起きてますよね? 駆け足になりそうなのを我慢して、ちゃんの病室に向かいます。不安よりも今は期待の方が大きい。篠原さんのお陰で。
「ちゃんっ」
病室をのぞくと、ベッドの上で体を起こしているちゃんと目が合いました。
「什造さん、こんにちは」
「こんにちはどころじゃないです~、心配したんですよ?」
「ごめんなさい……でも、もうすっかり回復しましたから」
ベッドに駆け寄ると、ちゃんはにっこり笑いました。眼鏡をかけると、ちゃんは改めて僕を見つめてきます。
「その、看護師さんから聞きました。昨日ずっと付き添ってくださってたって。お陰でゆっくり休めたんですね。心配かけてすみませんでした、そして、付き添ってくれてありがとうございました」
「いーんですよ! お嫁さんが心配なのは当然です~」
両腕をめいっぱい伸ばして、真っ赤になるちゃんをぎゅうっと抱きしめる。冷え症なちゃんも、さすがにこうするとあったかくなります。病院のにおいが染みついたみたいに、ちゃんのにおいが少し遠くて。こうしてくっついてもやっぱり病院のにおいが強いです。
ちゃんは僕を大事そうに抱きしめ返してくれる。小さな頃から可愛がっているお人形のように、誰にも見られたくない宝物を隠すように、優しく、柔らかく、あたたかく。細い指が僕の髪をとかしていく感覚が心地いい。
「ちゃん、ちゃんと休まなきゃよくないですよ。これからは気を付けてくださいねぇ」
何度目の忠告かわかりません。ちゃんは無理したがりなんです。
ちゃんは悪い子です。こうやって僕を何度も不安にさせて、気持ちをぐちゃぐちゃにするんだから。
でも同時にとっても良い子です。だって僕の大好きな、僕が大好きな、たいせつな人ですから。
またやっちゃった、みたいな子どもっぽい笑い方をして、ちゃんは「はい」と頷く。
信用ならない笑顔、信頼に満ちた笑顔。
目覚めてくれるうちはいい。けれど、いつか、この螺旋がぷっつりと切れてしまったら、もし切れてしまうようなことがあったら、どうしたらいいんでしょう。
僕がいればそれでいいちゃん。
それだけでいいとは言えない僕。
僕は僕も大事だけど、あなたもいなくてはいけないんですよ。
「ほんとの本当に、気を付けてください」
「はい、気を付けます。什造さん」
ちゅっと口づけた頬は、色づいていた割に冷たかった。
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