渇きは、飢えは、満たされない。
私の目の前に白い死神が現れた、あの時から。
有馬貴将。
無敗の喰種捜査官。
私は一瞬でその男に捕縛され、彼の『所有物』となった。
何故私を殺さないのか、私は有馬に幾度となく訊ねた。しかし有馬は答えなかった。
コクリアに入ってから、私は出来る限り速やかに処分されることを願っていた。中途半端な食事と、ほぼ内容のない聴取と、細やかな運動。まるでペットのような、そんな気分になる。
私が望んでいたのは、捕まるのではなく殺されることだった。人を食べるときの、人の悲鳴が、怯えが、慣れなくて。でも食べなくちゃいけなくて。悲しくて辛くて、でも、とっても嬉しくて美味しい――。
同じカタチをしているのに、中身は私たちと全然違う、人間たち。
どう生きたら良いのか判らなくて、疲れていた。この世界は私たちに都合の悪いように出来ている。私たちというイレギュラーを存在させることで、誰か、私には計り知れないような大きな力の主が、笑っているのだと思う。
喰種捜査官と鉢合わせた時、怖さよりも嬉しさが勝るぐらい、私は「死」を欲していた。相手はあの有馬。当然のように私は始末されるのだと思っていたのに……。
有馬は、私にそれをくれなかった。
「いつ私は処分してもらえるの?」
「まずは聴取だ。此方の質問に答えてくれるか」
「もう役に立つ情報なんて……」
「君に対して、他の喰種についての情報は期待していない」
言い捨てられた側の私は、じゃあ何で、と食って掛かりたかったところだけれど、有馬はそれを許さなかった。鋭い眼光が突き刺さり、私を恐怖させる。接触を阻む透明な壁に隔てられているというのに、私は生きることを止めたがっているというのに、情けなく震えた。
「今の俺は“喰種”の思考や感情に興味を抱いている。そして君は、俺の知的好奇心を満たすのに丁度良さそうだった。だから処分しない」
「じゃあそれが終わったら処分か。先が長そう」
「さあ、どうだろう」
有馬は楽しげに笑っている。でも相変わらずその目は鋭く冷たい。気味が悪かった。
「その時に君が本当に処分を望むなら、そうしよう」
有馬は勝手に話を切り上げ、帰ってしまった。止めるなど、やはり許されない。
私は、自分がどう処分されるのか聞きそびれてしまったことを独りで悔いた。仕方ないから、寝る前に何度も自分が死ぬ瞬間を想像した。クインケで一思いに殺されるのかな、食事を奪われ飢えて苦しみのたうちながら衰弱死するのかな。それとも毒でも飲まされるのかな……。
有馬は、私たち“喰種”にどんな恨みを持って捜査官になったのだろう。どうやって、あんな人外じみた強さを身に付けたのだろう。
少し、興味がないわけではなかった。けれどそれは一番要らない気持ち。
――あの男の手にかかれば、私は本当にただのゴミクズだ。
こう結論づけて、私は全ての気持ちをシャットアウトした。無駄な死への妄想も止めて、眠った。
有馬はしばらく来なかった。
私はずっとコクリアにいた。
どうせならさっさと処分して欲しい。体が酷く重たい。注射は嫌い。ご飯が足りない……。つまらない。暇。さみしい。もう、よくわからない。
何でこんなことになったのかな。何で人間みたいに生きていけないのかな。たまたま人しか食べれなかっただけで、何でかな。人間はいっぱい動物を食べるために育てて殺して食べるのに誰も怒らないのにな。いいなあ、何も気にしないでお腹いっぱいご飯を食べてみたいなあ。
考えることもなくなって気が狂いそう。
たまにすぐそばで歌が聞こえるような気がする。近くで誰かが私に呼びかけている気がする。気がするだけ、なんだけど、どうしたのかな、私。
「」
久々に聞く声だった。反射的に私は顔を上げて、透明な壁の向こうに目をやった。
笑う有馬がいた。「久しぶり」なんて片手をあげながら。
「……有馬」
「何を歌ってたんだ?」
「私が歌ってたのか、そっかどうりで」
「どういうことかな」
「こっちの話」
私は聴取のときの定位置である椅子に座った。有馬は再び私の歌について聞いてきたけれど、答えられなかったから黙る。そうしたら、有馬もそれ以上聞いてこなかった。正直助かった。
「なかなか来れなくて悪かった」
「何で謝られなきゃ……」
「寂しそうな顔をしているから」
頭を抱えたくなるぐらいに恥ずかしい。図星だ。よりにもよって私は、有馬が来ないことに不満や不安を蓄積させ、寂しがってしまっていた。有馬は、私に唯一新鮮な刺激をくれる存在になっていた。
喋れなくなった私を見ながら、有馬は話し出す。
「、死にたいか?」
私が答える間を与えず、彼は続ける。
「そこそこのクインケが作れるかもな、俺は要らないけれど。君自身が赫子を使いこなせなくても、クインケにしてしまえば別だ。今よりある意味強くなれる」
果たしてそれは、私と呼べるのだろうか。死と呼べるのだろうか。クインケという物言わぬ人形にされるだけで、私の魂は死ねずに閉じ込められるのかもしれない。
あの箱の中に。
それじゃあ、私は生きなくてはいけないの?
コクリアで終わるんじゃないの?
処分は、終わりじゃないの……?
疑問は溢れてくるけど、言葉にするのがとてつもなく怖い。
「もし赫子が使えなさそうなら、言葉の通り本当に処分される。塵のように。それが、の望みか? 何もなくなる。君がいたこと、生きたこと、何もかも無駄ということだ。それで良いのか?」
「……私たち“喰種”がいない方があなたたちは幸せでしょ」
「仕事が無くなるが、確かに一般的に考えたらその方が幸せなんだろう」
有馬は終始真面目だった。
「でも今は俺じゃなく、の話をしているんだ。真面目に答えて」
こっちが泣きたくなるほどに。
――私は叫んだ。
「死にたくない」「なくなりたくない」「幸せになれなくても生きたい」「さみしい」「消えたくない」「恐い」「クインケにされるのも塵になるのも嫌」「怖い」「こわい」「嫌」「もう苦しいのはいや」
そんなことを何回も繰り返した。壊れた機械みたいに、発狂したみたいに、叫んだ。
私の叫びを聞き終えた有馬は、ぽつりと溢した。
「とある“喰種”は、人間を拐い『飼う』のだと聞いた」
「……飼う?」
「ああ。飼うんだ」
有馬が笑って頷く。
「だから、人間が“喰種”を飼ってみたらどうなるんだろうと思った」
背筋がざわつく。
怯む私に、有馬は問う。
「色々と俺に協力してもらうことになるが、どうかな」
「そんなこと……そんな、軽く言う?」
「俺は真剣だ。前に言ったろう、君が丁度良さそうだって」
幾ら有馬が偉くて強い捜査官であろうと、そんなことを周りが許す筈がない。質の悪い冗談だと切り捨てたかったのに、有馬の目は確かに真剣だった。
なんて男だろう。
「何かあったらすぐに俺が君を殺そう。最初の君が願っていたように」
悪い話じゃないはず、と、有馬が呟いた。
此処にいるよりマシだという保証は何処にもない。ないのに。
有馬は、私に“否定”を許さない。
「私はあなたの所有物なんだから、好きにしたらいい。どうなっても知らないけど」
私が応じると、「決まりだ」と有馬は微笑んだ。有馬の笑みが怖くないのは初めてだった。
「じゃあ手続きを済ませる。詳細は後日伝えに来るよ」
席を立ち、部屋を出る直前で彼は私を振り返った。
「それじゃあ、また」
まるで友人同士のように気さくな挨拶をして、有馬は本当に部屋を出ていった。
しばらく私は落ち着かなかった。突拍子のない提案が私に与えた衝撃は、まるで鎖のように胸に絡み付いて離れない。
……本当にペットみたい、私。
見えない首輪が、私の首をきつくきつく締め上げていた。
Top