ぽて、ぽて、ぽて、と、緊張感の無い足音がする。
確かめなくたって判る。こんな呑気な寄り方をするのはひとりしかいない。
「宇井さん、宇井さん、郡さん」
「何ですか、さん」
顔も向けずに答える。すると横にまで迫ってきていたらしいが、周りをちょこまかと往復し始めた。お伽噺か何かで人を惑わして悪戯をしてやろうと企むちっちゃい妖精みたいな感じだ。
「今日はお暇ですか、あとハイルちゃんは何処ですか、それからハイルちゃんはいずこに?」
「私じゃなくハイルを探しているなら最初からそう言ってくれると助かるんだけど」
「いえいえ。宇井さんがお暇なのも大事なのです。ハイルちゃんとお仕事じゃないということは、今日こそ約束していたあの場所にハイルちゃんとランチに行けるということなのです、です」
といいハイルといい、何なんだろう。接していると、雲でも掴まされているような感覚がする。
特にの場合、そのどうしようもないふわふわぶりが顕著だ。空腹というのもいけないのだろう。彼女はしきりにランチ、ランチ、と呟いている。
「ハイルちゃんと組んでるのに居場所を知らないということは、ハイルちゃんは宇井さんに何も言わないでランチに? 私のメールにも“読んだーまたねー”しか返ってこない……。これって逃げられた?」
「逃げられてるよ。がしつこいから」
「しつこいも何も、ハイルちゃんは私の姉で、私はハイルちゃんの姉なんです。そのぐらい熱いんですよ」
「意味が判らない……。理解しようとも思わないけれど」
「宇井さんは無駄なことにエネルギーを使わないですもんね。でも人間、適度なエネルギー補給は必要ですよ、いくら節約していても常にエネルギーは消費されている! のです!」
ぐぎゅるるる、と酷い音がの腹から響いた。叫びで掻き消されて私以外の人たちは気付いていないだろうけれど、酷い下痢と誤解されそうな音だった。腹の中に化け物でも飼っているんじゃないかと思ってしまった。
「そんなこと知ってるよ、それで?」
「上司や先輩と飲んで夜な夜な愚痴るのも素敵ですが、お昼にちょっと羽を伸ばすのもいいことだと思いませんか」
「遠回しに私に一緒に来いって言ってる訳か」
「そうなんです。一人でご飯食べたってちっとも美味しくないので」
そういえばは実家暮らしだったか。何度か招かれたことがあるけれど、絵に描いたような平々凡々としたのどかさの家庭だった。出来る限り彼女は家族と食事を共にすると話していた。私には“一人で食事をしても美味しくない”という感覚がよく判らない。まずこんなが喰種捜査官として働いていることが未だに理解できない。
「それに宇井さんがいたら店員のネーチャンがサービスしてくれるかもしれない……」
「何て邪なことを……」
「冗談です、安心してください。ちゃんと食った分払いますよ」
もうこの流れは私が行くことを決定しているじゃないか。
ハイルの代わりに私について来い、って。何だろう。のぶらぶらして安定しない態度のせいか、妙に腑に落ちない。ちょっとデコピンぐらいしても許されるんじゃないだろうか。
ランチに向かうと言いながら何故かワイシャツの袖をまくって張り切るの熱気にあてられて、既に私は疲れ始めていた。まだ午後の業務があるのに。
「今日は諭吉を連れて来てます、だからたんまり食べることが出来るのです」
「大人なら普通でしょう」
「宇井さん、私は宇井さんより下っ端なので、稼ぎもぼちぼち、ほどほどですよ。ランチはいつもワンコイン弁当か食堂で、が基本なのにランチに行けるのは……」
「ああもう判ったから、行くなら早く行こう。時間がなくなる」
せめてには、話す内容を纏めてから話してほしいものだ。僅かばかりでも合理性を身につけてほしい。どこに着地するのか判らない話に振り回される側の身にもなってほしい。だらだらと語った挙句、話が最初に戻ったりされて何度目が点になったことか。そんな無駄話に限界まで付き合う私も私なのだろうけれど。
――こうやって無駄なことに時間を使えるうちは幸せなんだろう。
の目指していた店に来た。雰囲気は悪くない。こじんまりとした個人経営の店のようだ。しかし……。
「ラーメン屋がランチ……?」
「ここの塩ラーメンが良いらしいんです! ハイルちゃんが麺類食べたいって言ってたから!」
多分ハイルが言ってた麺って、パスタとかじゃないかなと思う。
指摘する前にが爛々と輝く目で「塩でいいですよね!?」とこっちを振り向いたから、頷くことに気を取られてしまった。あまりラーメンは食べないけれど、今までの経験上、が見つけた店にハズレは無い。
5分もしないうちに二人分のラーメンがテーブルに届く。はよだれを垂らしてしまうんじゃないかというぐらい嬉々としていた。
「うはぁ、たまりませんなあ、この香り! いただきます!」
「餃子も食べるの? 匂うよ」
「コレはニラとか入ってないから大丈夫!」
大丈夫、のあたりでチャーハンも来た。、どれだけ食べるんだ。
「宇井さんやハイルちゃんみたいにハイブリットエンジンじゃないんですよ。私は燃費悪いんです」
「ハイブリットじゃなくてハイブリッド……」
「んもう、細かいですなあ宇井さんは」
「細かくないですよ。それで言ったらバックとバッグとか大変なことになるでしょ。あとハイブリッドで喩えられる意味もよく判らない」
「じゃあ……、生ラーメンとカップ麺……?」
「何で私に聞くんですか……。ますます判らなくなってるし」
「細かいこと気にしてたら麺がのびちゃいますよ」
「誰のせいで話がこじれたと……ああ、もう」
ラーメンもだけど、昼休みもどんどん削られている。これ以上話すのは止して、に倣って食事を摂る。どうしてラーメンなんだろう。別に嫌いじゃないけれど、何というか、こういう味の濃いものを食べると今から晩酌が待ち遠しくなってしまう。「あっさり塩が良い感じですね~」とはご機嫌だけれど、十分濃い。私にしてみれば。
「宇井さんとラーメンて絵面なんか不可思議ですねぇ。宇井さんはお蕎麦かパスタの顔してる」
「ラーメン屋に引っ張って来たのはだろ」
「ふて腐れることは無いですよ。そういうギャップに萌える人が沢山世の中にはおります、私も含めて」
萌えるって何だ……。褒められている気がしない。の言葉はハイル以上に唯我独尊で面倒くさい。嫌いではないけれど、そう、嫌いではないのだけれど、面倒くさい。しんどい時がある。これでも一応人並みに捜査官をしているのだから、奇跡と言ってもいいかもしれない。
今度の作戦でも一緒に戦うし――私とは別行動で、ハイルのチームにつくはずだが作戦自体は一貫したものだ――、本人にあまり自覚は無いだけで、実力自体はそれなりに持っているという人間。
普段は食事のことしか気にしない。食事に対して異常なぐらい執着している。後はよく知らない。気が付けば「ランチ」「夕ご飯」「二度目の朝ごはん」だとか何だとか、食べることしか話さないせいだ。それは同時に此方が踏み込む隙を生まぬ言葉の壁になっていて、何年も一緒に働いて来たのに判ることは“平凡な家庭に生まれた食欲旺盛な女性”ということだけ。給料が入るたびに頬をゆるませ……いや、たるませて、ファミリーレストランで家族と食事をするのが好きな。後日に一人でちょっとばかり値の張る店でくつろぐ。サイクルは至って単純だ。だが、そこに本質が見えてこない。本来の彼女の意志が――食事の向こうにあるのは察することが出来るのに、この手で触れるまでには至らない。
何とか私がラーメンの麺を啜り切った時には、は汁まで飲み干して、サイドメニューも食べつくしていた。ここで蓄えたエネルギーをは一日もかからずに使い果たす。そして、また食べる。
……食べて、消化して、食べる。それだけだったら良い。
穏やかな家庭を守る、呑気な女性なだけなら良い。
たまにの“食事”は、その体を追い詰めているように見える。
「どうしたんですか、宇井さん」
「いや、別に」
会計を済ませて局まで戻る際、ついを見つめてしまっていた。此方が話を切ると、も言及してくることは無かった。
「月山さんちの作戦、もうすぐだね」
局内に入ると、不意にが呟いた。神妙な面持ち。いつもならまだまだ食後の余韻で頬をゆるませているのに、真顔だ。
何だか違和感を覚えて、私はゆっくり顔を前方へ向けつつ返した。
「ああ。のことだから一応それなりに準備はしていると思ってるけど、どうなの」
「ハイルちゃんと色々話して、やってる。ハイルちゃんのとこに入りますから。宇井さんは思い切り敵陣本拠地ですよね、無理しないでくださいね」
「そっちこそ。どちらも敵地なのは変わりない」
「それもそっか」
もう少し話をしたかったけれど、向こうから「よーっすー」とハイルが歩み寄って来た。は顔を輝かせてハイルに抱き着きに行く。あんなに走って、さっき食べたものを戻したりしなけりゃいいけど。「勿体ないから出さない!」となら思っていそうだ。何より食事第一のだから。
「、なんか脂っこいニオイしてる」
「ラーメンとか食べて来たから」
「やっぱっすかぁ。あのね、私が言ってた麺類はこう洋風のつるつるしたのとかなんだよなー」
あ、やっぱりハイルはパスタが食べたかったんだ。
予想が的中して、ひっそりと私は笑った。
的が外れて妙に落ち込んだの顔がまた、笑いを大いに煽ってくれたから。
――ハイルとは、手を繋いで歩いていく。
取り残された私は、その後姿が見えなくなるまで見つめていた。
仲睦まじい彼女たちは、やっぱり二人で並んでいるのが良い。
「今度こそ二人でランチにいけるといいな、」
もういないに、小さな声でエールを送ってみる。
何だか私は、自分がとても滑稽だなあと思った。
Top