紆余曲折・一悶着・様々・色々なことがあり、が晴れて『三等捜査官』となった後の、初出勤日のことであった。
 今までは什造ら鈴屋班の補佐に集中していたが、これからは戦力として彼らと共にすることが出来る。まだまだ微々たる力ではあるが、その事実には浮き立っていた。喜びついでに調子に乗って作った、ワンホールのチョコレートケーキの入った箱を抱え、るんるんと仕事場に向かう。

「皆さんおはよーございまー……」

 職場に入るなり、の語尾は急速に萎んでいった。
 一足踏み込んだだけで判るほど、空気が重たかったのである。まるで葬式のように静かで沈んでいた。同時に押し寄せる、息が詰まるほどの緊迫感。
 鈴屋班の面々も、その空気に押し潰されたかのように肩を落とし、俯いている。

「……ど、どうしたの? 皆さん?」

 恐る恐るが問うと、半兵衛が呟いた。

「先輩がご機嫌斜めなのです……」

 長い黒髪が無造作に垂れて憂鬱な影を落とした様は、まるで幽霊だ。覇気が無さすぎる。

「えっ!? 何でまた……」
さんのせいですよー!」

 戸惑うに、耐えかねた水郎が叫ぶ。「わ、私!?」更には動揺した。うっかり取り落としそうになったケーキの箱をテーブルに下ろし、は考える。
 ――私、何をしたの?
 必死に考えてみるが、思い当たることはない。命の恩人であり、心の底から想い慕う什造のためにと、は全身全霊で日々仕事や菓子の提供やオフでの交流に励んでいる。
 ご機嫌斜めらしい什造は、テーブルに突っ伏したまま微動だにしなかった。そしてそのまま、うー、と小さなちいさな唸り声を延々発するのみ。何時もならの挨拶にいち早く反応し、今日のおやつを確認しているところだというのに。
 これはかなり宜しくない。の額に脂汗が滲む。

「全部がさんのせいではありません。半分ぐらいですよ」

 悩むに、半井が普段より低めのトーンで言う。

「は、半分ってなかなかなんだけど……半井くん」
「事実ですから」
「今日は星の位置が悪いのもあります」
「御影くんの説明は私には難しすぎて……。星の位置って陰陽道かなにか……?」

 がいい加減に泣きたくなったとき――がばりと什造が顔を上げた。
 鈴屋班の視線が一斉に班長へ向けられた。部下たちの眼差しを受けながら、彼はゆらゆらと席を立つ。

「……チャン」

 酷く寝起きが悪いときのような什造の表情と声に、は肩を震わせる。チャン、ともう一度什造はを呼んだ。手招きつきで。
 仕方なしには頷き、意を決して什造の元に向かった。
 何をしたか判らないため、何をどう怒られるのかも予測がつかない。自分に出来る償いならば何でもやろう。彼が望むならば不眠不休で菓子を作るし、レポートの制作・整理から提出まで一手に引き受けよう。一人で囮役をしつつ“喰種”を討伐する任務に当たったっていい。什造の許しを得るために、什造に嫌われないために、何でも死力を尽くして励もう。
 ――死地に赴く、って、こんな状況のことを言うのかな。
 そう悟ったが什造の前に立った途端……

「……大好きですー!!」

 叫びながら、什造はに抱き着いた。
 呆然とする
 対して、満面の笑みな什造。

「いっぱい考えて悩んで考えてわかりました、僕やっぱりチャンと結婚するです。ずぅっと一緒にいます~!」

 唐突なプロポーズ同然の発言に、は大混乱だ。

「え、えっ!! いま私っ、すごいこと言われた!?」

 は鈴屋班の面々を振り返った。

「鈴屋先輩、なんと大胆な……」
「あれ、打ち合わせとちょっと違う?」
さんの動揺が大きくなっただけで、十分想定の範囲内だろう」
「これが金星からの重力的影響か……」

 さっきまでの重苦しさは何処へやら、明るく陽気に会話を繰り広げているではないか。表情も晴れやかで、すっかり普段の鈴屋班に戻っている。
 全く状況を理解できていないに、何時もの慎ましい調子で半兵衛は微笑んだ。

「鈴屋先輩のご提案で、三等捜査官となられたさんのお祝いサプライズをすることになったのですよ」
「え、じゃあ、さっきまでの重たい空気は……」
「演技ですよ、エ・ン・ギ!」

 水郎が笑いながら明かし、半井も頷く。

「サプライズ感を出すには、これが一番だろうということで」
「“喰種”にも自然災害にも隕石にも動じないさんを驚かせるなら、鈴屋さんに絡んだことしかないでしょう?」

 御影の言葉に、はぐうの音も出ない。確かに彼の言う通りだった。自分は鈴屋什造という人を中心とし、支えとし、生きている。ついでに昔から危機感や恐怖感に欠けている。……什造に関わることを除いて。
 そんな什造は、に抱き着いたまま話し始める。

チャンが捜査官になったことで悩んだのはホントですよ? だって僕のチャンが、今より危ない目に遭うことになるですから。……でも」

 に頬擦りしながら、什造は目を細めた。

「捜査官になった日に『これでもっと什造さんと一緒にいられる』って言ったチャンが可愛くてキレイで、ぜーんぶがフッ飛んじゃいましたぁ」

 みるみるうちにの顔が赤くなっていく。
「なんと情熱的な……」恥ずかしそうに半兵衛が背中を丸め、両手で顔を覆う。しかしちゃっかりと指の隙間から、什造たちの姿を覗き見ていた。

「それ意味ないだろう、阿原」
「見るならガッツリ見ろってな~」

 半井のもっともな指摘に、水郎もうんうんと腕組みしながら頷いている。

「鈴屋さん、そろそろさんを離してあげてください。続きは後々ごゆっくりどうぞ」
「んー、わかりましたぁ」

 マイペースな御影の言葉に、少し名残惜しげな顔をして什造は応じた。
 想い人からの熱い抱擁と告白に逆上せきったは、ぼんやりとした目をしている。

「お気を確かに、さん」
「ありがとう、半兵衛くん……」

 優しく背中を擦ってくれる半兵衛に、は深く感謝した。

「という訳でさん、ほいッス! プレゼント!」

 気を取り直したに、半井・水郎・御影の三人が“プレゼント”を差し出してみせた。彼らが器用に支えているのは、大きな紙袋だ。何が入っているのか、には見当がつかない。

「あ、ありがとう」

 三人から紙袋を受け取り、テーブルに置く。「早く開けてみてくださいよ!」と水郎に促されるまま、彼女はプレゼントの封を解いていく。
 そして、目を見開いた。

「こ、これって……鈴屋班の!」

 中身は、鈴屋班の制服と腕章だった。
 鈴屋什造が率いる捜査官のみに着用を許されたそれら。今や捜査官補佐から三等捜査官となったも、この制服と腕章を身に付ける資格を得たわけである。
 は震える両手で、制服と腕章を胸に抱いた。

「私も、みんなと一緒に……これを着て良いんですね」

 みんなと同じものを背負える。
 捜査官となった実感と感動がみるみるうちに膨らみ、は嗚咽が溢れそうになるのを我慢した。

「モチロンですよぉ」

 嬉し泣き直前のを見つめ、什造が深く頷く。
 は精一杯の笑顔を浮かべた。泣いているのか笑っているのか判断に困るくしゃくしゃの顔は、綺麗とは言い難いものだったかも知れない。だがその姿は、鈴屋班の皆の胸に暖かなものをもたらした。

「本当に、有難うございます」

 深々と頭を下げるに、什造が「どういたしまして」と頭を下げ返す。部下たちもリーダーに倣った。
 長いお辞儀の後、ようやく顔を上げたは、早速与えられた自分の制服に袖を通す。サイズも丈もぴったりで、身も心も一層引き締まる感覚がした。

「これでカンペキです~」
「わぁぁ、有難うございますっ!」

 腕章を着けてくれた什造に、は嬉しいやら申し訳ないやらで再び頭を下げる。
 什造もまた、嬉しそうにの姿を眺めていた。うんうんと頷きながらの周りを一周し、にんまりする。

「バッチリ似合ってますよ~チャン。みんなもそう思いますよね?」

 什造の問いに、班の面々は一様に頷いて答える。

「はい、とてもお似合いで」
「バッチリですよ!」
「まずまず良い感じです」
「サイズも鈴屋さんの見立て通りですね、良かった」

 什造が何時の間にどうやって服のサイズを調べたのか気になったが、は言及しないことにした。それよりも優先すべきことを、自分がテーブルに置いた箱を見て思い出したからだ。

「あ、あの。皆さんにって私、今日ケーキ作ってきたんです! 食べてください!」
「お祝いされる側のさんがケーキ用意しちゃったんスか!?」

 驚く水郎に、御影と半兵衛も苦笑している。
 だがは譲らない。

「だって、皆さんは私の先輩だし。今後のご指導宜しくお願いしますという意味も込めて! 今日はチョコレートケーキですよっ!」

 微笑みながらが、新しい制服に身を包んだままいそいそとケーキを切り分け始める。相当サプライズとプレゼントが嬉しかったのだろう、いまだかつてないほど彼女は浮かれていた。

さんらしい行動だ」

 呟きながら半井は、什造の次のポジションを確保し、ケーキが配られるのを待っている。

「いつも通り什造さんのはおっきめに切りますねぇ」
「お願いしまぁ~す」

 と什造の、新婚ラブラブ夫婦顔負けの甘ったるい声。
 手際よく彼女はあっという間に全員分のケーキの切り分けと、コーヒーの用意を済ませてみせた。

「皆さんにケーキいきましたよね? コーヒーもいきましたよね?」
「大丈夫ッス!」
さん、今日はあなたが主役なのですから座っていてくださって良かったのに」
さんの性格では座っている方が難しいんだろう」
「本人が楽しければ何よりですね。それはそうとさん、先ほど星と陰陽道の……」
「難しいお話は後でケーキ早く食べるですよ~」

 什造の号令に、一同は話を中断し、揃ってフォークを手に取る。

「じゃあ改めてチャンおめでとう! と、ケーキいただきま~す!!」

 今まで以上に明るく、一歩前進した鈴屋班の一行は、改めて団結を誓い、共にチョコレートケーキを頬張った。
 は幸せだった。
 ようやく皆と同じ場所に行くためのスタートラインに立てたこと。のステップアップを皆が祝福し、まるで自分のことのように喜んでくれたこと……。
 何もかもが幸せすぎて、ブラックコーヒーすらには甘く感じられた。



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