とてとてと覚束ない足取りで、少女が忙しなく駆けている。その覚束なさは、部屋が薄暗いせいというよりは、まだ幼い故の危なっかしさに見えた。
 少女……は駆け続ける。

「ナキのあにき、どこー」

 アオギリのアジトを彼方へ此方へと移動していく。「ナキのあにきぃ」きょろきょろと、巡る部屋1つずつをしっかり確かめながら。そうして何回目かの「どこー」が響いた時……、

「おいぃっ、!」

 ナキが何処からともなく現れた。
「ナキのあにき!」探しびとを見つけご機嫌なに対し、ナキは、子を叱る親のよう……というには些か落ち着きの無い様子で怒鳴った。

「これはな、かくれんぼなんだぞ。かくれんぼで“どこー”って聞いたら、もう、かくれんぼじゃねーだろ! 聞いた時点でヒト探しになっちまうだろーがっ」
「でも、探すときにフツーは“どこ?”って聞くでしょ? タタラさんもよく“だれだれはどこだ”って言うよ」

 ナキとの会話を聞きつけ、かくれんぼに参加していたガギとグゲも“何かあったのだろうか”とやって来る。ますますかくれんぼどころでは無くなってしまった。

「か、かくれんぼの時は違うんだよっ! あとココにダレダレなんてヤツいねーぞ」
「ごめんなさーい……」

 ナキに怒られ、はしょんぼりと項垂れる。くりくりの大きな瞳が潤み出したのを見て、ナキは「なっ!?」と慌てた。
 険しい形相から一転、焦った様子であたふたとを抱き上げる。

「ほら、泣くな! 高いの高いのだぞ、好きだろ? 高いの!」
「うーん……」
「俺はお前のチョーイクシャだからな! お前を泣かすのは良くないだろ、だから泣くんじゃねえ」
「……わかったあ」

 にぱ、とに笑顔が戻ったのを見て、ナキもほっと胸を撫で下ろした。そのままを肩車してやり、彼は歩き出す。二人の子分もゆっくり続いた。

、ちゃんとメシ食べてんのか? お前どんだけチビッコのままなんだよ」
「エトさんが“あせらなくても、すくすく大きくなる”って言ってたよ」
「空く空く……? お腹空いてんじゃねーか!? だからソデ好みしないで何でも食べなきゃ駄目なんだよ!」

 を心配するナキと、ナキとの会話がいまいち噛み合わないことに首をかしげるのそばに、ふわりと小柄な影が舞い降りた。
 アオギリの幹部、エトである。

「選り好み、ね」

 ナキの間違いをそっと訂正しながら、エトはを見た。「あとチョウイクじゃなく教育だよ」包帯だらけで顔は見えないが、は、物知りで優しいエトが好きだ。しかしの一番の『好き』は、ナキのもの。

ちゃんは本当に“ナキのあにき”が大好きね」
「うんっ!」

 は満面の笑みでナキの頭にしがみつく。「やや目の前が見えねぇ!」叫びながらもナキは、を退けるつもりは無いようだ。

はね、ナキのあにきみたいなカッコいい“コーカク”出してね、いっぱいナキのあにきの役に立つの!」
「甲赫かは判らないけど、立派な赫子が出るといいね」

 微笑ましげに語るエトに、ナキは「大丈夫だ!」と胸を張る。

「コイツは俺が立派に育てるからな! そうとなったらやっぱりちゃんと食べなきゃだぞ!」
「うん! 走ったらおなかすいた!」

 を肩車したまま走り出すナキを、「気を付けてね」とエトは見送ってやったのだった。
 ナキとの出会いは一月ほど前に遡る。白鳩に目をつけられたの両親は、自身の命と引き換えにを逃がした。ひとり生き残ったが夜の公園で泣きじゃくっているのを、通りかかったナキたちが見つけたのである。

「おいチビッコ、何してんだ?」

 不思議に思ったナキがに訊ねると、しゃくりあげながらは答えた。

「うっ、おかぁさんと、おとーさんが、おそわれて、に“にげろ”って……」
「まさか、“白鳩”か!?」
「わかんない……。男のひとたちがね、ハコから気持ちわるいの出して、おかーさんたちがっ、うぇぇ……」
「ハコからって……『くんいけ』じゃねえか! ガギ、グゲ!」

 二人の子分を振り返りながら、ナキはを小脇に抱える。「あう!?」驚くに、ナキは叫んだ。

「チビッコ、お前んちはドッチだっ!」
「あ、あっち……でもあぶないから、もどっちゃダメっておかーさんたちが……」
「うるせー!! このナキ様の目が赤くて届くうちは、“白鳩”なんかの好きにさせてたまるか!」

 戸惑うの案内と、自身の勘を頼りに、ナキたちは颯爽と現場に駆け付けた。
 目に入ったのは、倒れたままぴくりとも動かない血塗れの“喰種”の夫婦。
 抵抗すらままならない夫婦に、二人の喰種捜査官は止めを刺さんと近付いていく……。

「そーはさせっかあ!」

 叫びながらナキは自慢の赫子を振りかざし、突進していった。
 抱えられたままのは、怖さのあまり両手を握りしめる。この人も自分の両親のように酷い怪我を負ってしまうと思った。しかし――。

「よっし、完全に殺ったぜぇ!」

 そうはならなかった。ナキの甲赫は喰種捜査官を瞬きのうちに切り殺していた。
 ぽかんとするに、ナキは「チビッコ!」と呼び掛け、地面に下ろす。

「この二人が、お前のオヤジとオフクロだな!?」
「う、うん……ありがとう、おにいさん……」
「バカ! それより親と話すこととかあるだろ、二人とももうすぐ死んじまうっぽいじゃねーか!」

 何故かナキは涙ぐんでいて、は戸惑った。
 幼いにも、両親が既に助からないことは判った。ナキはわざわざ、自分と両親を会わせるために捜査官たちを倒してくれた。その理由は後で聞くことにして、は両親に駆け寄る。

「おかあさん、おとうさん……。怖いヒトは、おにいさんがいなくしてくれたよ……」
「ああ……有難う、ございます……」

 途切れ途切れに母親の方が溢す。父親は妻を庇いながら戦ったのだろう、怪我が酷く、たちを見ようとするものの、焦点が合っていない。

……無事なんだね……」
「うん、おとうさん、はヘーキだよ。だいじょうぶ、だよ」
「良かった……」

 娘の無事を確かめた父は、静かに息を引き取った。母親も長くは持たないだろう。
 の母は、ナキに願った。

「どうか、娘を……安全な、場所に……」
「……任せろ、このナキ様が、チビッコのことは引き受けた……!」
「あり、が……」

 そうして彼女は事切れた。
 動かなくなった両親を見て、は必死に嗚咽を堪えていた。
 震える少女の背中を見て、ナキはたまらず絶叫する。

「チクショオオォッ!!」

 怒りと悲しみの涙を撒き散らしながら、ナキは続けた。

「何でこんな良さげな“ふいんき”の奴らが死んで、ガキ一人にならなきゃいけねーんだっ!」

“白鳩”め許さねええ! そう叫ぶナキを見て、ガギとグゲも「ゴオオッ!」と吠える。
 は悲しかった。けれど、もう一度両親に会えたこと、自分のことのようにナキたちが泣いてくれていることが、とても嬉しかった……。
 以来、はナキを“あにき”と呼び慕い、アオギリの一員となったのである。まだ赫子も出せない『ひよっこ』だが、自分を受け入れてくれたナキとアオギリの為に、日々ナキに教えを乞い、幼いなりに努力していた。
 此処には色んな人がいる。にとっては毎日が勉強だった。

「いっただきまーす」
「おう、いただけ!」

 ナキと並んで座りながら、はしっかり挨拶をして食事を始めた。
 タタラさんはちょっとこわいけど、良いひと。ものしりでやさしくて良いひとなエトさんがそう言ってたからマチガイない。
 アヤトさんも、ことばがこわいけど、良いひと。ケンカのしかたを聞かせてくれる。
 ノロさんはしゃべらないけどいっぱい食べるし、つよい。たまにあそんでくれる。
 ガギさんグゲさんも、たかいのたかいのしてくれるし、すき。
 ……でもでもやっぱり一番は、ナキのあにき!

「動いた後のメシは最ッ高だぜー」
「うんっ!」

 新鮮な肉に齧り付きながら、は笑う。両親といた頃はひっそりと行わなければならなかった食事も、ナキと共にいるようになってからは心置きなく堪能することが出来るようになった。は生まれてからずっと、どうして自分たち“喰種”がこそこそと食事を行わなければならないのか不思議だった。人間も他の生き物を食べるのに、と思った。
 そんなもやもやとしたものたちを無くすためにアオギリが在り、ここにナキがいると聞いて、はますます彼らの力になりたいと思った。自分のように悲しい想いをする“喰種”がもういなくて良いように。優しい世界が欲しい。

(ナキのあにきにが助けてもらったみたいに、もほかのひとを助けたい)

 しかし、“喰種”の敵は人間だけではない。“喰種”同士でも争いがあるのだという。実際にナキの慕っていたヤモリという“喰種”が、他の“喰種”に殺されたとは聞いた。
 ヤモリの話をするナキは、いつも最後に泣いてしまう。ヤモリとの日々がナキにとってどんなに楽しくて幸せなものだったのか――。
 次々と零れるナキの涙をハンカチで拭いながら、幼いなりに考えた。

「ナキのあにきにとって、ヤモリの神あにきは、にとってのおかあさん、おとうさん、ナキのあにきみたいなヒトだったんだね」
「や、ややこしいな、おい。でもまあ、うん、そうだな!」
「じゃあ、ナキのあにきを、神あにきって言ったほういい?」
「バッカ! 神兄貴はヤモリさんだけのもんだ、俺がなんて恐れ多すぎだろ!」
「じゃあ、やっぱりナキのあにきだねー!」

 すっかり涙の引いたナキの顔を見上げ、は笑う。だいぶ落ち着いたナキも、頼もしい笑みと共にを見つめ返してくれていた。

「おう! 俺がお前のアニキだ! んでもって、俺やこのアオギリがお前の家族で、お家だ!」
「うん!」
「立派な“喰種”にしてやっからな!」
「うん! 戦いかたおぼえて、いつかちょうすごいゴーモンもおぼえる!」
「じゃあユウチョしてらんねーな! よし、勉強すっぞ!」

 ガギとグゲの食事も終わり、ナキはの手を引いて立ち上がった。

「映画見ようぜ映画。おつかいの仕方も教えねえとなー……」
、おつかいならやれるよ?」
「何だとッ!?」

 信じられない、といった様子でナキはを凝視した。
 は「ホントだよ」と笑う。

「おかあさんからおねがいされて、服かったり、お皿かったりとかしたよ」
「最先端すぎんだろぉ、お前……」
「サイセン……? よくわかんないけど……」

 ナキと繋いでいる手をじっと見つめて、はぼんやりとした声で呟いた。

「でも、こんな風に手をつないでいっしょにお買いものするの、一番すきだったなぁ……」

 ナキの涙腺がまた緩んだ。自分を通して両親との思い出を振り返るの笑い方が、あんまりにも寂しそうだったからだ。ナキは親の顔を知らない。だからの親に対する気持ちを理解することは自分には出来ないと思っている。だが……ひとりぼっちで寂しくて泣くことの辛さは、誰よりも共感できるつもりだ。
 そんな思いをする奴が増えちゃいけねぇ。ナキは、きつくの手を握り締めた。

「今度お出かけする時は、俺がお前の手をぎゅっと掴んどいてやるから、大丈夫だ!」
「……うんっ!」

 は嬉しそうに顔を綻ばせて、ナキを見ながら何度も頷いた。

「おとうさんにもおかあさんにも会えないのはさみしいけどね、ナキのあにきがいてくれたらはダイジョーブなんだよ。今のが一番だいっすきなのはね、ナキのあにきだから」

 屈託ない想いをぶつけられ、ナキは面食らった。
 が自分になついていることは判っていても、こうも真っ直ぐに言われたら誰だってムズムズしてしまうものだ。嫌いよりは好きの方がずっと良い。チビッコの扱い方なんて全く知らないが、ナキといるだけでは何時も楽しそうに笑っている。元気に跳ねる。ならばきっと、自分が無理にああしよう、こうしよう、などと変な気を回すことは無いのだ。
 が今のままで楽しいのならば、この状態を守ってやることがきっと一番良い。
 ――ゆっくりカイダンを踏んでってやんねーとな、チビッコに合わせてよ。
 の揺るがぬ気持ちに、ナキは決意を新たにする。
 彼はを担ぎ上げるとまた肩車をしてやった。ヒトの親子がこんなことをしているのを見たのでにもやってみたところ、大層喜ばれたのをきっかけに、しょっちゅう彼はこうしている。

「よっしゃー、ひと狩りいくぜー!」
「タタラさんたちに言わなくていいの?」
「そんなん事後広告だっ!」

 叫び、駆け出すナキにしがみつきながら、風に負けない大きな声では言った。

「コーコクじゃなくって、それはホーコクだよー!!」

 すっかり夜の闇に包まれた東京の街を、人工の光が照らしている。はその光が酷く懐かしく、異質なものに思えた。アオギリのアジトのひっそり薄暗い空間が最初は怖かったが、今ではその方が逆に落ち着く。あの街はやはり、人間の為の街であり、自分たち“喰種”の街では無いのだ……。それを幼いながらには学んだ。
 両親との思い出が詰まった街を嫌いにはなれないけれど、もうあそこにいられないのなら、そうするしかない。

、お前のオヤジとオフクロはな、体は死んじまったけど、全部が死んだわけじゃねえぞ』

 は、アオギリに来てすぐ、ナキと交わした会話を思い返していた。

『どういうこと? おにいさん』
『俺の中にいつまでもヤモリさんが神アニキとしていてくれてるようにな、お前の中にも、お前のオヤジとオフクロがずーっといんだよ。その印に、お前、親のことをずっと忘れてねえだろ?』
『……うん』
『寂しくて悲しくて涙でズタボロだけどな、死んでもずっと一緒なんだよ! それに俺もついててやっから、泣いてもいいけど、そのぶんいっぱい笑っておっきくなれよ!!』

 そう言って力任せにの頭を撫でてくれたこと。ちょっとだけ痛かったけれど、その手の優しさをは生涯忘れることが無いだろう。
 ……はナキの頭にしっかりしがみついた。

「――今日こそ、かぐねニョキッて出ないかな!」
「出ると良いな。なあ! ガギ、グゲ!」

 ナキの言葉に、ガギとグゲが唸って返す。「きっと出せる」と応援してくれているのだろう。
 ――おとうさん。おかあさん。は、ナキのあにきのおかげで、今もたのしいよ。しあわせだよ。だから、しんぱいしないでね。
 夜の空に輝く小さな星を見上げ、少女は亡き両親に祈りを捧げた。

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