月明かりの差す夜空の下、は複数の男たちに取り囲まれ、組み敷かれていた。
 泣くまいと唇を噛み締める
 そんなに下卑た笑みと共に手を伸ばす男たち。
 ――私は、死ぬのかな。
 数か月前に見知らぬ集団に拐われ、今日、命からがら逃げ出した。だがすぐに追い付かれ、この様だ。非力な自分には、抵抗すらままならない。
 その時、突然男たちが吹き飛ばされた。
 男たちにも、にも、何が起きたか判らなかった。

「こっちだ!」

 聞き慣れない男性の声と共にの手が引っ張られ、よろめきながら立ち上がった。長い黒髪を揺らし、剣を片手にした青年と目が合う。僅かな月明かりのみが頼りの視界でも、彼の顔立ちの美しさがよく判る。男たちを倒してくれたのは、彼のようだ。
 半ば彼に抱えられるようにして、は路地裏に連れ込まれた。
 それから少し遅れて、張り倒された男たちが続々と起き上がる。

「くそっ、あいつは何処に行った?」
「まだ近くに入るはずだ、探せ! 最悪殺しても構わねぇ、死体でも回収さえできればいい!」
「お前らはそっちだ、俺たちはこの道を当たってみる」

 騒がしい男たちの争うような声。焦燥の表れた大きな足音。
 は声を潜めていた。否、出せなかった。きつくを抱き締めて離そうとしない青年の手によって、口を塞がれていた。
 混乱するに「静かにしてろよ」と青年が囁く。悪意が感じられない。当然のことだ。そもそもあいつらと同じくを追っているのだとしたら、を助ける理由も、声を潜める必要もない。
 ――私を助けてくれた?
 を抱きすくめたまま路地裏の壁に背中をくっ付け、彼は男たちの様子を伺っている。

「結構な数だな……。おい、大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます……」

 ようやく彼から解放され、はふうと息を吐いた。礼を述べることも忘れない。
 青年は「気にすんな」と笑ってみせるが、の表情は晴れない。もちろん青年も、周囲への警戒を怠っている訳ではなかった。通りの方を気にしながら、彼はに言う。

「オレはユーリ。厄介な奴等に追われてるアンタは?」
「は、はい。と言います」
「……訳、聞いてもいいか?」

 古びた外套を羽織り、深く被ったフードを脱ごうとしないに、ユーリは尋ねる。は、彼を巻き込んでよいものか一瞬悩んだ。しかし頑ななユーリの眼差しに宿る意志に負け、おずおずと答える。

「私は、あの男たちに拐われたんです。何だか、実験だとか言われて……。怖くて隙を見て逃げ出して、でも追い付かれて……その時、貴方に助けてもらいました」

 袖から覗いたのか細い両の手首には、荒縄で擦れたような痛々しい傷跡があった。
 じんわり血が滲むそれを何とかしてやりたいところだか、生憎自分に治癒術は使えない。ユーリは舌打ちした。

「ったく、騎士団は何やってんだ。あんな奴らのさばらせやがって」

 すっかり怯えてしまっているの背中を叩きながら、ユーリは言う。

「乗り掛かった船だ、。見過ごせるようなことじゃねえし、何とかしてやるよ」

 その言葉に、の緊迫した心は和らいだ。思わず涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、は呟いた。

「何とお礼を申したら……ありがとう、ユーリさん」
「ユーリで良いぜ。……っと」

 そこに素早く近づく影があった。人よりずっと低く、早い影。ユーリには馴染み深い顔が、間近に来ていた。

「ちょうど良いとこに来てくれたぜ、ラピード」

 ユーリの相棒犬・ラピードだ。
「わ、ワンちゃん?」突然のラピードの登場には驚いているが、怯えた様子はない。寧ろ興味ありげな視線から察するに、犬好きなのだろうか。
 ラピードはじっとユーリを見上げ、指示を待っている。

「フレンに連絡頼む。あいつなら街の見回りで外を歩いてる筈だからな。あと、カロルたちにも呼び掛けといてくれ。人手と回復役が欲しい」
「バウッ!」

 指示を受けたラピードは早速駆け出した。道すがら、彷徨く野蛮人の目を自身に引き付けることも忘れない。まんまとラピードの誘導に引っ掛かった追跡者たちが幾らが去ったのを見計らって、ユーリはの手を引いて走った。

「なんかのギルドか、あいつら?」
「わ、わかりません。でもアジトらしき場所には、しっかりした綺麗な服を来た人たちもいました」
「名も無き盗賊ギルドと雇い主の貴族か何かってとこか? ったく……ふざけんなっての」

 言うや否やユーリは抜刀し、目前に現れた追跡者を斬り伏せた。鮮やかな手際にが、わあ、と感嘆の声を漏らす。命を狙われているにしては危機感が無い。

「おまえ、さっきまでの不安感どこ行っちまったんだよ?」
「な、なんだか、ユーリが頼もしくて、安心してしまったみたいで……命を狙われてるのに、自分でも不思議……」

 ユーリは笑いそうになった。思ったよりは肝の据わった女性のようだ。だが安心するのはまだ早い。
 追跡者の攻撃は、確かに此方の命を狙っていた。を守るユーリも勿論標的に入っていた。

「痛い目見たくなきゃ、大人しくその女を寄越しな。そうすりゃ命までは奪わねえさ……」
「抵抗するってんなら、こっちもちっとばかし強引な手段に及ばざるを得ないけどな」

 そしてユーリは、容赦なく彼らを斬った。

「はいそうですか、って渡すわきゃねーだろ!」

 追跡者ひとりひとりの実力は大したことがない。最初から数で攻める作戦のようだ。逃げたを捕らえるだけなら十分だろうが、ユーリの乱入によって彼等の計算は狂った。
 不意打ちも、正面からの攻撃も、何もかもユーリには通用しない。を守りながら、ユーリは的確かつ無駄のない攻防で男たちを倒していく。

「ゆ、ユーリはまさか名の有る騎士さまなのでは?」
「オレみたいな騎士がいてたまるかっての」
「じゃあ、剣術の師範とか、騎士に並ぶぐらいの有名な剣士さま……?」
「どっちもハズレ。剣は殆ど我流、出来立てギルドの新人メンバーってとこだ」

 笑いながらユーリは語る。

「ま、長いこと旅はしてっから、無駄に場数は踏んでるな」

 としっかり手を繋いだまま、戦いを知らぬ彼女すら圧倒されるような立ち回りで彼は敵を片付けていく。時折庇う様に抱き寄せられたりして、の心臓は恐怖とは別の感情で忙しなく鼓動した。
 どの瞬間を切り取っても、ユーリという人は美しく、凛々しく、勇ましい。
 今夜、勇気を出して逃げたのは正しかった。はそう痛感していた。
 ――そうでなかったらきっと私は死んでいて、この人にも会えなかったんだ。
 切なく痛む胸をそっと押さえながら、今一度彼の手を強く握り締める。

「……心配すんな、オレに任しとけ」

 が不安がっているのだろうと思ったユーリは、そう言ってを振り返り、笑った。
 その時にのフードが風に煽られ、僅かに顔が覗く。ユーリに見惚れていたは、一瞬遅れてそれに気付き、慌てて胸を押さえていた手でフードを掴んだ。どうしてもは、フードの下に“見られたくないもの”を抱えていた。
 ――見られてしまった?
 はそっと彼の顔を窺った。ユーリは少し驚いたように目を見開いていたが、何も言及しない。
 その代わりのように、自分の手を引くユーリの手の力が強くなった。

「あいつら、叩きのめしてやんねーとな」

 の瞳に、またうっすらと涙が滲んだのを、ユーリは知らない。
 ユーリは何処かを目指しているようだ。常に淀みなく足を動かしている。先ほどのラピードとの会話から考えるに、仲間との合流地点を目指している……などだろうか。素人のには全く彼の考えが判らない。
 だが「もうすぐだぜ」とユーリが呟いたのを聞いて確信した。やはり彼は何らかの目的と意図を持って走っていたのだ。

「そこまでだぜ、お二人さん」

 しかし、ユーリとが広場に出た途端、事態は覆った。
 追跡者たちがぐるりと、二人の周囲を囲むように立ちはだかっていた。相手は此方の予想を遥かに超えた人数で街ごと包囲し、たちを追い詰めたようだ。街の住民が騒ぎを聞きつけた様子もない。追跡者も素人ではない、ということらしかった。
 は絶望に震えた。……そして、考えた。

「ゆ、ユーリ。私、あの人たちのところに戻ります……」
「何言ってんだ、?」

 ユーリの声はを咎めるようなものだった。こんな状況でも彼はの身を守ろうとしてくれているのだ。そのことだけで、は十分に嬉しかった。

「この人数じゃ、私が足を引っ張ってユーリが危険な目に遭います。私が戻れば、ユーリのこと、見逃してくれるかもしれない」

 がそう言ってユーリの手を解こうとした。だが、頑として彼は手を離さない。
 剣を構えるユーリの顔には、絶望なんて少しも浮かんでいなかった。

「おまえが死んでても生きてても構わないって連中が、大人しくオレの事を見逃すかよ。それに……」

 寧ろ、勝利を手にしたかのような、不敵な笑みを見せている。

「追い詰められたのは、あいつらの方だぜ」
「え――」

 ユーリが言うや否や、周囲を取り囲む男たちが悲鳴を上げた。「ぎゃああっ!」地面に倒れ込んだ男の肩には、矢が突き刺さっている。……一体、何処から? が疑問に思うと同時に、空の方から声が降り注いできた。

「青年ったら、こんな夜更けに逢引だなんてやるじゃないの」

 男の声は、空からではなく、建物の屋根の上からしたものだった。月を背負い、片手に弓を構えて力を抜いて立っている。

「オレをおっさんと一緒にすんなよ」
「つれないわねーもう。珍しく俺様が酒も飲まずに早寝してたのを起こしておきながら」
「おっさん起こしたのオレじゃねーし」

 素っ気ないユーリに「まぁそうだけども!」と応じながら、男性は再び矢を放つ。寸分違わず追手に的中していく矢。夜更けに不安定な高台から行われているとは思えない精密さだ。
 が呆然としていると、次は別の人影が屋根の上に現れ、叫んだ。

「おっさんがさっさと起きてりゃ、もっと早く来れたのよ! ったく!」

 声と小柄な影からして少女のようだ。彼女の周りに術式が浮かび、瞬きする間もなく魔術が放たれる。大きな火球が敵にぶつかり、爆ぜた。追跡者たちの統率は既に乱れ始めている。

「おっさんがレイヴン、今の火の玉娘がリタ」
「あ、え、うん……」

 紹介してくれるのは有難いのだが、何だか拍子抜けしてしまう。
 今度は道の向こうから素早い影と、重たいものを必死に引きずるようなとてとてとした歩みの影がやって来た。前者はラピードだとすぐ判った。判った時には銜えた短剣で敵を切り伏せていた。

「ラピード、ちょっ、早いよー!」

 後ろからやって来たのは少年だった。引きずっているように見えたのは、少年の武器のハンマーだ。その小柄な体と同じぐらいの大きさのハンマーを、少年は「えいやぁっ!」と気合と共に敵へ振り下ろす。ぐえっ、とひしゃげた悲鳴が聞こえた。見た目通り、いやそれ以上の衝撃のようだ。

「あれがカロルな。んでもって……」

 今度は別の道から、桃色の髪をした品の良さそうな少女が駆けてくる。隣には頭ひとつぶん小さい金髪の少女。

「エステルと、ちっちゃい方がパティだ」
「ユーリ! 怪我してる子はどこですか!?」
「うちがいながら隠れて逢瀬とはヒドイのじゃあ!」

 どちらも大変可愛らしい……が、桃色の少女は剣と盾、金髪の少女は銃と短剣を携えている。そして容赦なく追跡者の輪に攻撃を仕掛けていった。

「やりがいがあるわね、でも数だけのよう……」

 今度はやけに艶っぽい女性の声がした。その方向から、断末魔と共に男が吹っ飛んで来ての真横を過ぎていく。ユーリはその寸前、反射的にの肩を抱き寄せていた。そうしなくともぶつからなかっただろうが、念には念を、だ。
 の胸が高鳴っているのには気付いていないらしい。

「ジュディ、加減してやれって」
「あら? いたいけな乙女を痛めつける男に加減してあげる必要はないわ」

 言いながらジュディと呼ばれた女性は槍を振るい、また一人男を叩きのめす。

「本当はジュディスってんだけど、ジュディの方が呼びやすいだろ」
「う、うん。……と、いうか……」

 この逆転劇が凄すぎて、言葉にならない。は目が点になっていた。
 包囲網は完全に崩れ、男たちの悲鳴が次々と飛び交う。
 流石に街の人々も微睡から目覚め、家々に灯りが付き始めた時――、

「皆、あまり騒ぎを大きくさせ過ぎじゃないか!?」

 金髪の騎士隊長が、部下を引き連れて駆けつけたのだった。


◆◆◆



 男たちは金髪の騎士――フレンの指示によりすぐに捕縛された。アジトへも騎士団の捜査が入り、残りのメンバーも悉く捕縛された。……首謀者であろう研究者を除いて。
 そしては、ユーリ一行の泊まる宿屋に来ていた。

「手首の傷は、これで大丈夫です。他に痛むところはありませんか?」
「あ、ありがとう、エステルさん」

 エステルの治癒術は瞬く間に手首の傷を癒してくれた。すぐにが礼を述べると、「どういたしましてです」エステルは淡く微笑んで返す。
 は何度もユーリたちに感謝の意を伝え、頭を下げた。どうもユーリのみならず全員が“困った人は放っておけない”という性質らしく、誰も文句ひとつ言わない。それどころかの身を今も案じてくれている。

ちゃんが身寄り無いってのが困ったわねぇ」
「身寄りの無い女の子だからこそ、誘拐したところで誰も騒がない。……そういう考えだったんでしょうね」

 レイヴン、ジュディスが呟く。
 外套を脱いだの隣に陣取ったまま、リタは腕を組んでいる。

「……あたしだけでは、無理そう」

 リタが渋い顔で見つめているのは、の額。そこには小型の魔導器が取り付けられていた。これが、ただくっついている、という訳ではなく、半ば彼女の額に埋め込まれているらしいのだ。

「見たこと無い魔導器だわ。逃げた研究者は、この実験の為にを利用してたってとこかしらね。魔導器自体は何とかできても、これを綺麗に取り除ける医者がいるかどうか怪しいわ」
「そう、ですか……」

 何故かではなく、エステルが寂しそうに溢した。まるで自分のことのように思ってくれているエステルのお陰か、は然程ショックを受けずに済んでいた。“これ”を付けられた時から何となく予想はし、諦めていたのも大きいのだろう。
 命があるだけで、今は良い。は心からそう思った。

「オレにフードの中見せたくなかったのも、それが原因だったわけだな」
「は、はい。……びっくりさせてしまうと思って」

 がユーリにそう返すと、何故か彼はレイヴンを見た。他の仲間たちも、同じようにレイヴンを見ている。一斉に視線を浴びたレイヴンは、一瞬戸惑ったものの、すぐにおどけてみせた。

「まあ、ほら、旅してりゃ色々驚くこともあるから大丈夫よ、ちゃん! お嫁にいけないってんなら、そうさな……俺様で良ければ……」
「レイヴンの言う通りだよ! ボクらは全然驚いてないから安心して!!」
「ちょっ、カロルくん、おっさんのセリフを……」
「そうじゃそうじゃ。広い海原にはオデコの魔導器よりいっぱい不思議なことが盛り沢山なのじゃ。気にすることはないぞ」

 カロルとパティの励ましを受けて、は笑った。
 それを見て、ユーリも安心したように顔を綻ばせている。
 和やかなムードの中、ジュディスがに近寄っていく。彼女は何処からともなくブラシを取り出すと、微笑んで言った。

「幸い、髪型を変えたら何とか隠せそうよ。ちょっとじっとしていてね」
「は、はい……」

 言われた通り少しの間じっとしていると、ジュディスは手際よくの髪型を変え、魔導器を覆い隠してくれた。「あ、ありがとう!」何度目か判らないの感謝の言葉に、ジュディスは肩を竦める。

「このぐらいでお礼なんて良いわ。それよりも考えるべきことがあるし、ね」
のことをどうすべきか、だね」

 フレンが応じると、ジュディスが頷いた。
 途端にの表情は暗くなった。……帰る家も無い。この魔導器を取り除く方法も無い。これから自分は、どうすべきだろう。
 そんなの不安を感じ取ったユーリは、ぽつりと溢す。

「今更、旅の道連れが一人や二人増えてもどうってことねえよな」

 すると、仲間たちは顔を輝かせた。

「うん! ひとりでいるよりずっといいし、大勢の方が楽しいよね!」
「旅で世界中を巡っていれば、魔導器への対処も見つかるかもしれません」
「あたしとしても興味深いから、側で観察できたら一石二鳥だわ」
「うちが海の男流の護身術と料理を教えてやるのじゃ。案ずることはないぞ」
「何ならこのジェントルマンが、日夜問わずお守りするわよ?」
「首謀者が捕まっていないわけだし、僕たちが一緒の方が安全だろうね」
「ふふ。女の子が増えて、ますますガールズトークに事欠かさないわ」
「ワンワンッ!」

 これは、どういうことだろう。は酷く狼狽えていた。自分では予想だにしていなかった……けれどまるで夢のような展開に進んでいることを、現実だと受け止めきれずにいた。
 これは、嘘じゃない?
 不安になったは、ユーリを見た。
 ユーリは、彼女へ手を伸ばす。

「街暮らしよりは危険な旅だけどよ。じっとしてるよかはマシだぜ。……一緒に来るか、?」

 満面の笑みと、優しい言葉を伴って。
 に断る理由は無かった。こんなにあたたかな人たちと、そしてこんなに胸を高鳴らせてくれる人と、これからも一緒にいられるなんて。それ以上の選択肢など、無い。
 涙を溢しながら、は笑う。

「よろしくお願いします」

 彼の手を、両手でしっかりと掴みながら、彼女は何度も頷いた。
 少し前まで絶望しか無かった自分の胸の中に溢れる暖かなものたちを、溢すまいと必死に押さえる。
 の胸の一番奥には、希望の明星が輝いていた。

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