それは正しく奇跡の巡り合わせ。
彼女を一目見た途端、叫ばずにはいられなかった。
「今まさに! 僕は運命の出逢いを果たした、我が女神に!」
まさかこの大学に、僕の運命の相手が降り立つとは――。
そう、僕は一人の男として、ある女性に惹かれた。惹かれてしまったのだ。降り積もったばかりの淡雪のように光り輝くその姿から漂う甘美なる香りが、彼女を“人間”だと告げている。僕は“喰種”。彼女はヒト。高き壁が二人の間には聳えている……。まるでロミオとジュリエットじゃあないか! シェイクスピアはまさか、僕のこの悲運なる出逢いを予期してあの悲劇を書き残したのだろうか?
天を仰ぎ見た。この日差しは、青空は、木々は、僕たちの出逢いを祝福している。僕の本能が彼女を見初め、運命の時は来たと告げているじゃあないか!
……――ふ、そういうことか。理解したよ。あのような悲劇を辿らぬ様にと、彼は後世の者達に訴えたかったのだ。真の愛の前には障害など無意味。諦めるなどというナンセンスな選択に逃げてはならない。僕のプライドもそう叫んでいる。“喰種”の誇り高き血が、“美食家”の誇り高き意志が、不可能をも可能にさせる。それが僕、月山習なのだ!
ひとまず彼女の名前だけでも確かめなくては。きっと女神の方も、この思し召しに戸惑っている。ここはジェントルマンとして、レディをエスコートしよう。
そう思って女神へと視線を戻した……が、彼女は何も言わずに僕の横を通り過ぎようとしていた。
「Wait、wait! 待ちたまえ!」
恥ずかしがり屋な僕の女神は、何も言わずに去って行ってしまった。ぎこちないながらも頑なな意志を感じる笑みを僕に向け、あっという間に。
Hombre、この僕が呆気に取られるなんて。僕をスルーする女性なんてこの世にいないと思っていたよ。ああ、一応リトルマウスもヒトの女性で、僕に面白い態度をとってみせることがあったかな。ん? 堀……か。
僕の眼鏡に適った女性に、堀もきっと興味を抱くだろう。もしかすれば、僕より先に彼女に目をつけているやもしれない。確かめてみようか。
颯爽と僕が向かったのは行きつけのカフェ。堀もお気に入りの場所だ。写真に夢中な堀は滅多に大学に来ない。今日も今日とて、カフェの一角でパソコンとカメラを交互に弄り回している。
僕は早速堀に、運命の出逢いについて語った。最初は興味無さげだった堀は、僕が彼女の容姿を説明し始めると「ああー」と合点がいったように笑った。
「もしかして、真戸ちゃんのこと?」
そう言って堀は、ノートパソコンをくるりと回して僕に向けた。そのビジョンに映し出されている肖像はまさしく、大学で出逢った陽彩と淡雪の女神の姿が! 流石は僕の愛しのクールビューティー、そして堀の手腕……言い値で買い取りたいほど見事な映りだ。
「That's right! そう、彼女だよ、まさしく!」
「月山くんってすごいねー。次のご飯はちゃんなの?」
「ノンノン。ミス・は僕の伴侶……妻となるために生まれた存在さ」
、そう口にするだけで僕の内で燃え盛るpassion……何と甘美なる刺激。、、ああ、ミス・! 切なく胸を締め付けられるようなこの苦しみすら愛おしい。いつまでもこの真綿の呪縛に囚われていたい……。しかし早くこの手に可憐な女神を抱き留めたい。ああ、ああ……! どうしたらいいんだ、僕は!
奮える僕に、堀は、情緒もへったくれもない調子で告げた。
「月山くんのお嫁さんになるために生まれる人なんていないでしょ。それに、ちゃんと月山くんが結婚するのは難しいんじゃないかな」
ココアを啜りながら、堀は僕の恋の行く末を案じている。無関心と関心の交互に行き交う……これが堀の憎めないところだ。だがリトルマウスの心配には及ばない。
「確かに越えられぬ血の壁はあるが、それすら僕の愛の矢が貫いてみせるよ」
「いや月山くんの恋が成就するかしないかっていうかね、」
堀は、笑った。
「ちゃん、喰種捜査官だから」
――流石の僕も、甘い情緒に酔っている場合ではなくなった。
「……笑えないジョークだね、堀」
「いや本当。たまたま大学で見かけて、こんな子いたっけ? って色々調べたんだ。そしたら大学で使ってるのは偽名。住所も適当に繕ったものみたいで。おかしいなあって更に突っ込んでみたら捜査官だったよ。一家みんな捜査官の筋金入りってやつ。なんなら証拠も見る?」
良くも悪くも堀は純粋だ。だから判る。この目は真実を語っている目だ。
そんな……ああ、damn it! よりにもよって僕のハートを射止めた女神が、“喰種”と最も相対する存在……“白鳩”だなんて。
打ちひしがれる僕に、堀は続けた。
「どうせ諦めるつもりないんでしょ、月山くんは。なら情報あった方が良いんじゃない?」
「堀……!!」
こんなにも僕を理解してくれる友に恵まれたことへ深く感謝しなくては。
そう、僕が諦めるわけにはいかない。月山家の誇りと血に懸けて、この想い、遂げて魅せよう――。
僕に迎えられることを今もなお一人で待つ、孤独な女神の為にも。
「マイベストフレンド、堀よ! 僕は必ずミス・を手に入れてみせよう!」
「んー。頑張ってね。じゃあ幾らで買う? これ」
「フッ……。少し待ちたまえ。僕の一世一代の決意表明をあっさり流すものじゃないよ」
「決意表明聞いててもお金にならないもん」
僕は堀から程々にの情報と写真を仕入れると、早速行動に移った。全ての情報を買わなかった理由? 決まっているじゃないか。あらゆる手を早々に尽くして彼女を迎え入れたいという反面、じっくり彼女というヒトを知っていきたいという欲求に駆られたからだ。そしてそんな僕の選択は間違っていなかった。
――というヒトは、実に素晴らしい。
いつも無難に僕をかわそうとするが、その瞳の奥に鋭く光るものがあった。美しい薔薇には棘がある、とはよく言ったものじゃないか。
堀から知った情報によれば、彼女は両親を“喰種”の手によって殺されている。今のにとって心許せる唯一の存在は、たったひとりの家族・双子の姉のみ。両親や姉に倣い喰種捜査官となったは、今、この大学に潜む“喰種”を突き止める潜入捜査を行っているそうだ。残念ながら彼女の探す“喰種”というのは僕ではない。女神に追われる名も無き雑魚喰種へ醜い嫉妬を抱きかけたが、これは逆に効率が良いことに気付いた。きっとその“喰種”を追うために、は出来うる限り目立たずに大学で過ごしたいはず。僕のことも、当たり障りなくかわしておきたいだろう……。逆に考えれば、強く拒絶できないということだ。そしてつまりは、僕が彼女にアピールするチャンスが存分にあるということ! 我ながらパーフェクトな計画に身震いしてしまうよ。それに、遠目から彼女を窺うというのも悪くない。付かず離れずの距離感、気が付くと僕の視界に彼女が在り、彼女の視界には僕が。……ああ、昂る。
僕を見た彼女が僅かに眉を動かした時には感動すら覚えた。あの瞬間、確実に僕は彼女の意識に存在していた。一度宿ることが叶えば、後はじっくりと積み重ねて行くのみ。
しかし僕らに許された時間は少ない。若くして優れたの手腕によって、捜査は順調に進んでいた。彼女自身は、自分を“優秀だ”とは感じていないようだったが……。
は驕らないのではなく、自分という存在へ価値を見出せていないのだ。そのキーとなるのが、彼女の双子の姉。よほど気を抜いていたか、姉が恋しくなったのか。は大学の側のカフェで、姉と電話していた。
「私なんかのことは良いさ、姉さんは姉さんのことを頑張って。もうすぐ此方は片付くよ」
盗み聞きなんて趣味が悪いが、仕方ない。“喰種”の優れた聴力ではいくら彼女が声を潜めようと無駄なのだ。まあ、麗しの女神の溢すものは何であろうと漏らさずに取り入れようと気を引き締めていたのも事実。
彼女の姉への想いは一見純粋なようで、歪んでいた。その歪みは何時生まれたのだろう? もう取り返しのつかないほどの歪な心のプリズム。ああ、早くその屈折した光を間近に観たい――。
僕が迎えに行く瞬間、彼女はどんな表情を僕に見せてくれるのだろう? 想像すらつかない。その日が待ち遠しくて、狂おしいほどに僕は彼女を欲していて、たまらなかった……。彼女が僕を見つめる回数は日毎に増していた。僕の想いにが応えつつある印。溢れんばかりの愛情でもって、僕も熱い視線を送り返し続けた。
そうして遂に、その日はやってきた。
探し求めていた“喰種”を追い詰めることに必死なとパートナーの姿を見ながら、僕は機会を窺っていた。クインケを操る彼女の戦いぶりは、ヴェールを纏い踊る舞姫のように美しい。
見惚れている間に彼女たちの対象“喰種”は死んでいた。おっといけない。この計画には少しの遅れも許されない。何事もタイミングが肝心だ。
彼らが局へと連絡を取る前に、僕は闇夜に紛れ、彼女のパートナーをカッティングした。次に驚愕に目を見開くの背後へと回り込み、その体をきつく抱きしめた。邪魔なオモチャをその手から払い落すのも忘れない。ふう……我ながら鮮やかな手前に惚れ惚れしてしまう。彼女もきっと胸を高鳴らせたに違いない。
「まだいたのか、クソ……!」
念願を果たした感慨に耽る僕の顔面に、拘束を振り解いた――といっても片腕だけだ――彼女の裏拳がクリーンヒットした。さして痛くはないが、マスクが地へと転がり落ちる。ふふ、麗しの女神はご機嫌斜めのようだ。は僕を顧みて、その瞳を大きく見開いた。
「月山、習……!」
――初めてが、僕の名を口にしてくれた。
体じゅうを駆け抜ける歓喜の雷鳴! 頭上に輝く月のスポットライトが、すっかりお似合いな僕たちを幻想的に照らしてくれている! Ah...ah...! たまらないじゃあ、ないかッ!!
当然、僕の顔も綻んでしまう。
「捕まえた」
飛び切りの僕の笑顔を見て、彼女は一滴の涙を溢した。
を眠らせた後、僕は“愛の巣”へと向かった。この日の為に、これからの僕たちの為に、屋敷に作ったスペシャルルームだ。最大の特徴は、部屋の半分以上を占める大きさの鳥籠。僕と彼女の関係性をモチーフにしてある。勿論中に入るのは、という僕だけの白き鳩。そこで美しく囀る彼女を見守るためのソファーを正面に用意し――いきなり僕が添い寝なんてしたら初心なは逆上せて死んでしまうかもしれないからね――、後は、僕の趣味嗜好と彼女に似合いそうなインテリアたちをチョイスしてみた。目覚めたがどんな風に喜んでくれるか楽しみだ。
戦いで汚れた色気のない衣服も、僕のセレクトしたドレスへと着せ替えた。それから籠の中へと横たえ、眠り姫の目覚めを静かに待つ。
程なくして彼女は意識を取り戻した。ゆるりと持ち上げられた瞼、その瞳はすぐに僕を見つける。
「気分はどうだい? ミス・」
「最悪だ」
おや、どうしてだろう。あんなに沈黙の愛を交わした間柄だというのに。
僕以上に君の価値を認め、理解している存在などありはしないのに。
だが、反抗的な方が男としても愛し甲斐がある。
「その瞳、そそるね」
「ほざけ変態」
彼女はSMプレイをご所望のようだが、僕にそんな趣味は無い。
……まさかとは思った。一応、僕はこのプランを実行する際にあらゆる可能性を考えてはいた。何せ種族も立場も違う間柄だ。の生い立ち、強い自責の念、それらを知るうちに、想像はしていた。
――彼女が僕を受け入れない、という可能性を。
急速に冷えていく僕の脳に、の声が響く。
「何をどう勘違いすれば、私がお前に好意を抱くというんだ? 私にとって貴様ら“喰種”は駆逐されるべきクズだ、それ以外の何者でもない」
彼女が、彼女自身や僕を否定するたび、僕は素早く答えを返した。深く愛を説いた。彼女の歪みに寄り添った。それでも彼女は頑なに僕を拒んだ。この僕に愛される以上の幸せが、この世にあるはずなど無いのに。
……だが僕は、今までぼんやり彼女を観察していた訳ではない。深く彼女を愛すための努力を怠らなかった。の姉どころか、自身すら自覚していない“真戸”というヒトについて、僕は丹念に調べ上げ、知り尽くしてあった。
ソファーに腰掛け、ただのアタッシュケースと化したのクインケに肘を置く。の顔付きは途端に険しくなった。ああ、絶景だ。僕はゆっくり立ち上がり、籠へと歩み寄っていく。
「君が目をつけたのが、私で良かった」
不意にが呟いた。これからどうやって心を奪おうかと楽しい考えに耽りかけた僕の意識を覚醒させるには十分すぎる響きだ。
「ああ、ようやく素直になってくれたね! 嬉しいよさん!」
「ようやくも何も私は最初から素直だ」
の顔には、笑みが滲んでいた。しかし、
「お前のような変質者が目をつけたのが、姉さんではなく私の方で良かった。姉さんを巻き込まなくて良かった。それだけだ」
それは、僕の心を不愉快なほどざわつかせるものだった。
言い捨てては、僕から顔を逸らそうとした。そんなことさせるものか。多少強引に彼女の顎を掴み、此方へ向ける。
「気に入らないな。何故君はそれほど自分を卑下するんだい?」
「何時私がそんなことをした?」
「今まさにだよ!」
どうしても彼女は自分の心を偽り通したいらしい。許さない。そんなことは。駄目だ。
これほどに僕の心を奮わせた女神が、そんな無様な姿を晒すことなど。
「君は余程双子の姉を想っているようだ。こんなTroubleに巻き込みたくはないと、その自己犠牲の心は尊い……。しかしだ!」
口調にも熱が満ち、の顎を掴む手も、怒りと悲しみと愛で震えだす。
「君は自分にはなんら価値がないと、そう思い込んでいる! 僕が認め愛するのは、君の慕う双子の姉ではなく、君なんだよ! その君自身が君の価値を認めないということは、僕の審美眼と価値をも貶めるに等しいッ!! そんなことは許されない、あってたまるものか!」
ありったけの想いを僕は彼女にぶつけた。これでもまだ足りない。僕の彼女に対する愛は、衝動は、もう、言葉にならなかった。どうしてだ、僕のボキャブラリーでも彼女へ完璧にこの感情たちを伝えることが叶わないなんて!
自分の情けなさに震えそうになる僕を、奮い立たせるものが在った。
それは――目の前にいる、。
はずっと僕を見つめていた。その表情からは剣呑とした雰囲気がごっそり抜け落ち、頑なに彼女が被り続けていた心の仮面も剥がれていた。ありのままのといううら若き乙女が、いたいけな姿でそこに存在していた。ひとりの女として初めて彼女は、自身の価値を見つめ直そうとしていた……。
この、僕の手によって。
元から罅割れて脆く不安定だった殻を、僕が愛の囁きでノックし、壊した。
僕らの間に在ったのは種族の壁などではない。彼女が彼女自身で作り上げた、この“殻”だったのだ。下手をすればきっと、中に閉じこもる彼女をも抉ってしまっていたことだろう。
「僕に見初められ、僕に愛され生き逝くことを誇りに思いたまえ。ミス・」
予定とは全く変わってしまったが、嬉しい誤算だ。傷つけることなく、歪んだ女神を手に入れることが叶った。
真っ白な顔を辛そうに顰める様すら美しいが、僕に乞う。
「姉さんにだけは、何もしないでくれ」
「君が僕の愛しいひとで在ってくれるならば、誓おう」
「ああ、私はここにいる。君に従う。だから――」
それ以上は我慢出来なかった。欲しいままに彼女の顔を近寄せ、唇を奪う。微かに震える、生温くて柔らかな感触。このままずっとこうしていたかったが、その前に改めて彼女へ告げなくてはなるまい。
名残惜しさを秘めつつ唇を離し、僕は笑う。
「改めて歓迎しよう。僕だけの可愛い小鳥……愛しい」
君の為に僕は真心を尽くすよ。あらゆる手段と力を以て。
約束しよう。
たとえ死が二人を引き裂こうとも――ずっと、ね。
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