※ヤンデレ・暴力注意
半井恵仁はを愛している。
振るう拳がの腹を深くえぐった。「げうっ、」潰れた声をあげては床に倒れ込んだ。彼女の顔は腫れていた。赤く腫れた頬を涙が伝っている。ぜえぜえと喘ぐを抱き起こして恵仁は瞬きした。何となくだが、触れた瞬間彼女の体は強張ったような気がした。
どうしてだろう。
もまた、半井恵仁を愛している。かつて彼女自身の口からそう聞いたのだ。間違いない。「ごめんね、ごめんね……恵仁くん」がそう言って手を伸ばしてきたのを瞬間的に恵仁は払いのけた。
「謝らなければならないようなことをしたと認めるんだな?」
「そうじゃない……そうじゃないの……違う……」
必死に首を振るの頬を平手で打った。または床に倒れる。「違うの……違うのに……」泣きじゃくりながらは呟いている。恵仁にはよく判らなかった。謝られたということは、は何か罪を犯したということだろう。それに対しての返答はあれしかない。何もしていないのに謝るような可笑しい人間はいないはずだ。
「私、あまり丈夫じゃなくてごめんねって……そう言いたかったの……」
「ならば鍛えろ。俺が幾らでも教えてやる。捜査官としてももっと強くなれるように」
「うん、うん……ありがとう……」
泣きながらが見せた奇妙な笑顔に、いまいち恵仁は釈然としなかった。
どうしてだろう。
いつからはこんな妙な笑い方しかしなくなってしまったのか。の腫れた頬をつねってぐにぐにと揉んでみたが熱を持っていることとそれなりに柔らかいことしか判らない。赤いあかい頬は、恵仁がそうした。何度も何度も彼女を殴り、殴って、殴って、殴って赤くした。顔だけではない。体の至るところ全て。この手が触れられる場所すべて。
初めてそうした時、は泣いて喚いて恵仁から逃げようとした。いや、いや、と首を振った。恵仁は愛する者からの拒絶を受けて酷く傷ついた。頭の中が真っ白になって、気が付けば拳はヒリヒリと痛みを帯び、気絶したが彼の前で倒れていた。涙まみれの美しい顔を見下ろして、恵仁は静かに拳をさすっていた。
――こうすれば良いのか。
といる時、自分がどれほどという人間を愛しているか、口下手な自分には思いつかなかった。口が下手なら、行動で示せばいいのだと気付いた瞬間だった。
殴る瞬間、大きく見開かれたの瞳を見つめるのが愛おしかった。自分だけをその視界いっぱいに映して、衝撃と共にその心身に刻むの姿を自分なりに慈しんだ。愛情はより深く相手に絡みつき、その思考を支配すること。そのために手を上げることを、恵仁は躊躇いなく行った。より強く、より厳しく、より深く、という存在の中を半井恵仁が占めるために。
少しずつは気絶しにくくなった。より一層恵仁の愛を受け止めてくれるようになった。繋がりが深まるのを感じて彼は喜んだ。喜んで、嬉しくて、何度も何度も幾度も彼女を殴る。殴り続ける。これが愛の印。愛情の印。
薄れてはならないから、毎日のように。
二人きりになれたら、愛情を確かめ合うために。
少し不器用かもしれない。少し驚かせてしまうかもしれない。それでも、絶え間なく続ける。
倒れたまま起き上がらないの上に馬乗りになって、恵仁はの頬を撫でた。心地よい熱さが伝わってくる。熱を確かめるように何度も頬を撫でていると、の目尻から涙が落ちていくのに気づいた。
「また泣いているな。」
「うん……」
はよく泣く。昔から泣き虫なのだ、彼女自身もそう言っていた、だから仕方ない。しかし誰よりも彼女を愛する恵仁にとって、彼女には出来る限り幸せな顔をしてほしかった。その為、彼の愛情表現は時折過激さを増した。が幸せな顔をしないのは、愛情が足りていないからに違いないと思ったから、たくさん、たくさん、思いを込めて彼女を殴った。こんなにも俺はお前を愛している。誰よりもお前の幸せを願っている。その証をずっとその体に刻んでいる。だから、もっともっとお前は「幸せだ」と公言していいのだと。
「、幸せか?」
「……好き、だよ、恵仁くん」
「そうじゃない。幸せか、と聞いている」
「しあわせだよ」
の視線はぼんやりと何もない空間に向けられていた。少し眠たそうだ。恵仁はの胸倉を掴んだ。眠たそうな顔が、瞬く間に引きつっていく。目が覚めたらしい。何度も瞬きして、必死に口を動かしては言った。
「本当に、幸せだよ。ずっと、好きでいた人と、恋人になれたんだから」
「そうか。俺も同じだ。お前のことが昔から今もずっと好きだ。愛している」
「うん、ありがとう、私も、あいしてるよ、本当に」
「本当に、だな?」
「嘘、つかないよ」
世間一般の恋人たちを思い返しながら、恵仁は、の言葉を受け止める。
日を浴びながら散歩する恋人たち。待ち合わせをして出かける恋人たち。二人きりの特別な場所へ向かう恋人たち。……大抵、幸せそうに笑って過ぎ行く恋人たち。
自分との間にはあの薄い微笑みが足りていないように思えた。じっくり愛を確かめ合っている二人にとって既に不要なものかもしれない。だが、恵仁も男だ。好きな女が笑っていると嬉しいのもまた事実だった。
がまるっきり笑わないわけではない。笑っても些かぎこちないだけである。まだ互いの想いを知らなかった頃はそんなことなく笑っていたはずなのに、全くもって不思議なことだった。胸倉を離してやりながら、彼なりに気を回してみる。
「……稽古も良いが、たまには二人でデートでもしてみるか。そこらの奴らのように」
「恵仁くん、あまりそういうの好きじゃないって、言ってなかった……? いいの?」
「たまにはそういうものも良いだろう。きっと普段から如何に愛情が積み重なっているか判るはずだ」
「……嬉しいなあ、楽しみ」
涙を拭いながら、は呟いた。
「周りの人たちに、恵仁くんは私の恋人だって、アピールできるね……」
「……して、どうする? それで幸せなのか?」
恵仁の問いかけに、笑おうとしていたの頬が引きつった。「え、えっとね……」は急に狼狽え始めた。両手をぎゅっと握りしめて、生唾を飲み込んで、僅かに恵仁から目を逸らす。
「ちゃんと私、恵仁くんに愛されてるって、幸せなんだって、思えるじゃない」
「普段から思っていないのか?」
「私が恵仁くんに釣り合うような立派な人間じゃないのは判ってるから、私、置いて行かれるかもって不安になることもあるんだよ」
「そういうのは杞憂と言うんだ」
女とは不安定な生き物だ、とつくづく思う。幾ら愛していると伝えても不安になるというのだから。の頬を両手で包む。かちかちと歯の根を鳴らしているのが聞こえて、塞ぐように一拍唇を重ねる。少し鉄っぽい味がした。唇を離すと、は恵仁を見つめたまま大粒の涙を零した。堪える気もないようで、いくつもの雫が彼女の頬を伝い、濡らしていく。「どうした?」恵仁が問うと、はしゃくりあげながら呟いた。
「……嬉しいけど、しみちゃって」
抱き締めてもいい? とが恐る恐る尋ねてきたので、恵仁は自分の方からを抱き締めてやった。了承と受け取ったが彼の背に腕を回し、いまだ震えながら縋りついて来た。涙は止まらない。ここのところずっとこんな調子だ。の泣き虫には拍車がかかっている。それでも泣きたいほど心細い時に頼られるのは心地よかったので、恵仁はあまり咎めなかった。
縋りながら、は言った。
「恵仁くん、お願いがあるの」
「何だ?」
「いっぱい殴ってもいいけれど、顔だけは止めて」
「どうして?」
「顔腫れてるとね、最近“喰種”退治でドジったって言っても皆が納得してくれないの」
「……新しい理由を思いつくまでは、止めよう」
ありがとう、と言い切るより先には咽び泣いてしまう。とても辛いことがあったかのように。とても苦しいことがあったかのように。
この涙は、いくら愛しても恵仁には止められない。止められた試しが無かった。
――そんなこと、あってはならないのに。
――愛し愛される仲では起きてはいけないのに。
今しがた、はっきりと彼は思った。の泣き顔を嫌悪している、と。不器用な笑みの方がまだ良かった。愛しても愛しても泣かれるだけの身になって欲しいとも考えた。
しかし、愛しいがとびきり鈍感で間抜けなことも重々承知している。
「どうしてそんなに泣いているのか」と訊いたところで答えが返ってくるはずもないと判っている。
だからこそ、悶々としながらも、彼は唯一己に出来る愛情表現を止められなかった。
拳に走る痛みと熱こそが、この感情を愛だと形作る。
この果てにの心からの笑顔を見ることは叶うのだろうか、と、的外れかつ無自覚の難題を抱えながら、その眉を一切動かすことなく彼は悩み続ける。
半井恵仁はを愛している。ずっと、ずっと。
泣き止んだの体を殴って新しい印をつけながら、釈然としない胸中の何かを振り払うように彼は繰り返した。
「愛している、」
腹部にもろに拳を受けた恋人は、今日何度目かの嘔吐をした。
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