ふわり、ふわり、ふわり。彼女の周囲の空気はまるで、彼女に纏われることを喜んでいるかのようにたおやかに揺れていた。地味臭いワンピースに包まれていてもその美貌は色あせることなく、寧ろ、煌々と輝いているように思える。
ダニエルはの美貌に未だに慣れていない。リャナンシー。妖精の恋人。そういう種族だとは理解している。しかし、こうもにこやかに微笑まれると、心臓をきゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。
「こんにちは、ダニエルさん」
「おう、こんにちは」
風変わりなライブラの中でも別ベクトルの変わり者リャナンシー。。彼女は周囲をきょろきょろと伺っては、うふふっと笑い声をあげていた。
「今日もこの街は賑やかですのね、こうしているだけで飽きません」
「そりゃあそうだろうよ。あんたみたいな箱入りには刺激が強すぎやしないかと思うがね」
「お気遣い痛み入りますわ。結構これでも柔軟に対応していますの」
ダニエルの向かいへと腰を下ろした彼女は、自慢げに言う。
「なんてったって私はリャナンシー。ふやっふやでも術は手練れですから」
そうかい、とダニエルは短く返すと、ウェイターにコーヒーを2つ注文した。程なくして運ばれてきたブラックコーヒーを互いに啜る。ダニエルにはいつも通りの味だったが、はそうではなかったらしい。「にがめっ」と眉を顰めながら少しずつここのコーヒーを味わい、洗礼を受けていた。
その子供っぽい顔に、思わずダニエルは吹き出した。
「っは! 手練れのリャナンシー様にゃ、ちぃと渋かったか? 悪いな、俺の感覚で頼んじまった」
「いいえ、いいえ。美味しいですの。ただ私、ブラックを飲む習慣がなかなかなかったんでしたわ」
強がらずに砂糖を入れればいいものを、は熱々のブラックコーヒーを決して諦めようとしなかった。
このライブラとは思えないどうしようもない間抜け加減。それすら一つの魅力として成り立たせてしまうのだから恐ろしいものだ。
ダニエルは彼女の魅了に転がり込むまいと自分に言い聞かせていた。
「にしても、どうしてまた『俺に会いたい』だなんてコンタクト取って来たんだ?」
この間の、この街ではよくあるどんちゃん騒ぎの後のことだった。いつものごとくライブラが事態を収めたところで、ふよふよが漂ってきてダニエルに耳打ちしたのである。
――今度、二人でお話してみたいです。
……と。
ダニエルには全くそういう展開になる心当たりが無かったので、大いに驚いた。しかし無下に断ることも出来ず、なあなあでこの日を迎えた形になる。
「話したいっつってもお呼びがかかれば俺はすぐさまそっちに向かうぜ? リャナンシー様のご期待に沿えるとは思わないね」
「で良いですの。リャナンシー様だなんて堅苦しいじゃありませんか」
「ああ、そうか? 悪かった」
との接触、対話は初めてではない。しかし、ダニエルは底知れぬ彼女に無意識のうちに警戒せずにはいられなかった。
「ご安心くださいな。私はみんなが大好きで愛おしいけれど、無闇に誑かすような真似は致しません」
「……その見た目がすでに誑かしに入ってんだと気づいてないのか?」
「え? 今日はかなり大人しめの格好で来ましたのに……」
「そうじゃねえ、あんた自身がそういうもんだってことだよ」
しかしダニエルに耐性が無いわけではない。ここはヘルサレムズ・ロット。以外にもそういう能力を持った異人はいくらでもいる。いちいちそれらに乗っかってしまうようではこの街で警察なんてしていられない。
ただの場合、無自覚、無邪気なのである。悪気が全く無いのである。それが僅かな戸惑いを生む。こうしてダニエルと話している間も、すれ違う人々が時折に目を奪われていく。はそういう生き物なのだ。
本来ライブラからひょっこり一人で抜け出てきて良いタイプではない。
「言っとくがトラブルアクシデント巻き込まれても責任は一切負わねぇからな」
「まあ、まあ。孫より幼い子に責任を言及しようだなんて思いません。まぁ孫たぶんいませんけど」
ようやくブラックの味に慣れてきたのか、はちまちまとコーヒーを休みなく飲んでいる。ちなみにダニエルのカップはとっくに空だ。
のペースに付き合うとしたら確実にもう一杯は必要だろう。追加の注文をしようとダニエルが手をあげたとき、向こう側の路地で大きな爆発音が響いた。大小様々なガレキや破片が散らばってこちらにもやってくる。咄嗟にダニエルは片腕を盾に掲げたが、いち早くが展開した防衛術式により事なきを得る。
「っだあ! 早速なんだ!? 完全に油断してた!」
「うふふ、大丈夫です。単なるケンカですわケンカ」
「弱っちい奴らは今の爆発で死ぬレベルの巻き込まれなんだよ……」
「大丈夫ですの」
ちょいちょい、とが指さした先では、不思議な光景が生まれていた。
ふわり、ふわり、ふわり。あちらこちらに浮かぶ人たち。ゆっくりと地面に落ちるガレキたち。尋ねるまでもなくが起因であろう様子が辺り一帯を支配していた。爆発を伴う大喧嘩をしたと思われる二名の異人も、の術式にくるまれてふわふわと浮かんでいる。
――一瞬でここまでの術を?
思わずダニエルはを見つめた。
は、まるで自分が関わっていないふうな顔をして言う。
「そろそろ皆さん下ろしても大丈夫かしら?」
*****
瞬間的なの判断によりさほど……恐らくそれほどの被害を出すことなく事態は収束した。
ダニエルが現場の指揮をする姿を、はまだ一杯目のコーヒーを啜りながら見守っていた。
がじぃっと見つめていると、あらかた指示を終えたらしいダニエルがこちらに戻ってくる。どうしたのだろうと彼女が首を傾げていると、ダニエルは軽く会釈した。
「ありがとな。死者ゼロだとよ」
「まあ、まあ! 迅速なダニエルさんのご指示の結果ですの。私はただ術を張っただけ」
「血気だった奴らをその術ですぐ拘束してくれたお陰で、二次被害も出ずに済んだ」
にっ、と歯を見せて笑うダニエルに、は嬉しくなってしまった。
ふわりと席を立つと、無防備なダニエルにひっしと抱き着いた。
「今のスマイル、とってもキュート! 思わず抱き締めたくなるぐらい!」
「既に抱き着いてんじゃねーか! お、落ち着け!」
にとって体重はあってないようなもの。抱き着かれたところでダニエルの負担はほぼゼロだ。しかし、彼の心臓がどくんどくんと脈打つのを感じて、は彼の胸元に耳を当てた。
「あらあら? ダニエルさん、鼓動が早くなってらっしゃる?」
「分かれよ!」
あたふたとを引き剥がしたダニエルは、真っ赤な顔で言った。
「そういう種族だと分かってても至上の美人にべたべたされたらそうなるだろ!」
無邪気、純粋無垢、無防備。三拍子そろったとびきりの美人が、何の下心もなく触れ合おうとしてくる。種族ならではのチャーム効果もある。
いくら耐性があるとはいえ、全く平気なわけではないことをダニエルは訴えた。
ダニエルの訴えに、はきょとんと目を丸め、
「……至上の美人だなんて、お上手なんですから……」
ほんのりと頬を赤く染めた。
その紅潮した表情もまたリャナンシーならではの艶やかさに溢れている。
ダニエルはことごとく調子を崩されていた。
「自覚はあるんだろ? あんた」
「そういう一族ですから。でも、真正面から褒められて照れないなんて、なかなかいませんの」
ダニエルの周りをくるくると回りながらは言う。そして、もう一度「えいやっ」という掛け声とともにダニエルへと抱き着いた。
当然ダニエルは「はぁ!?」と混乱する。
は、すっかりふやけた顔で言った。
「そういうダニエルさんこそ、男前ですの! 指示を飛ばしているお姿、とても凛々しかったです! ブラックコーヒーをクールに嗜むお姿もとびきり大人のオトコって感じでドキドキしましたわ! それからそれから……」
「いいから離れろって!」
「嫌ですの! もうちょっとくっ付いていたいです~!!」
リャナンシーはみんな、こんな迷惑な無邪気一族なのだろうか。恐らく他のリャナンシーに尋ねれば「一緒にしないでほしい」と苦情が出るに違いない。それほどの振る舞いは感情的で、子どものようで、こちらを大いに惑わせた。
「そもそも私がダニエルさんとお話したかったのは、そういう普段のお姿についてお聞きしたかったからなんです~! まさか目の前でばっちり目撃できるとは思わなくて今日はラッキーですの!」
そしてその後もレオが迎えに来るまで、はダニエルから離れようとしなかった……。
去り際に、はこんなことを言った。
「ダニエルさん。私にとっては『人間』こそ、絶え間ない魅力にあふれて、私たちを魅了してやまない一族なんです。つまり迎えに来てくださったレオくんも、一日付き合ってくださったダニエルさんあなたも、私たちリャナンシーの心を捉えて離さない究極の誘惑なんですの」
感想にしては複雑すぎて、褒め言葉にしては飾らなすぎる言葉。
レオと共に会釈してライブラへと帰っていく彼女を、ダニエルはぼんやりと見送った。
「……次会う時までに、もうちょっとスマートな引き剥がし方を覚えとくか」
彼女に包まれた時に感じた花のような香り。
まだその香りがあちこちに漂っている気がして、ダニエルは妙に落ち着かなかった。
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