放課後の巌戸台商店街は、誘惑の宝庫だ。小腹が空き始めたこの時間帯、ラーメンやタコ焼きの香りが鼻孔をつくと、つい立ち寄ってしまう。
(まあ時間なんて関係ねえけどな)
荒垣は、ラーメン屋『はがくれ』の暖簾をくぐった。
店員の威勢の良い声に迎えられ、いつものようにカウンター席へと座る。
「……ん?」
厨房に、見覚えのある人影を見つけた。黒髪をひとつの団子のように纏めあげ、仕事に精を出すその姿は――だ。
「あいつ、此処でバイトしてたのか……」
じっと荒垣が見ていると、もこちらに気付いたらしい。少し汗ばんで赤い顔をしていたが、にっこりと笑ってみせた。
すぐに仕事に戻った為に、その笑顔は一瞬のものである。
しかしそれが無性に嬉しくて、恥ずかしい。
荒垣はひとり口許を押さえて俯いていた……。
◆◆◆
はバイトを終えると、マンガ喫茶へと向かった。中に入ってすぐ、荒垣の姿を認めるなり小走りで駆け寄る。
「荒垣さんっ」
「来たか。お疲れさん」
小さく微笑みながら、荒垣はの呼び掛けに答えた。
は嬉しそうに返す。
「携帯見たらメール来ててビックリした。まさか待ってるなんて」
「気が向いただけだ。大して待ってねぇしな」
「1時間もありゃ十分“大して”だと思いますよ?」
からかうような口調に反して、は嬉しそうに笑っていた。
席を立った荒垣が、の頭をひと撫でする。
「帰るか」
「はいっ」
帰路についた二人は、ぽつりぽつりと言葉を交わした。
「何時から始めたんだ?」
「今月入ってすぐ。人手が足りなくなったらしくて、一か月のお手伝いを募集してたんだ」
空を仰ぎながら、が答える。
「だから、もうちょいでオシマイだな」
「そうか。……バイトのやり過ぎでぶっ倒れたりすんなよ」
「大丈夫、そんなに脆くない」
しかし荒垣は、呟くの顔に滲む疲労の影を見逃さなかった。
「ウソつけ、顔に出てんだよ」
荒垣の指摘に、は声を詰まらせた。困ったように視線を逸らしながら、頭を下げる。
「う……、すいません。昨日タルタロスの後にバイト入ってたから……ちょっと」
「ったく、幾ら言っても聞かねぇな、お前は」
学業とタルタロス、更にバイトと、欲張り過ぎと言うか何と言うか……。
荒垣は溜息をついた。
「今日は帰ったらすぐ寝ろよ。タルタロスなんて行ったら確実に倒れる」
「……そうします」
繕うことを止めたの声には覇気が無い。空元気で振る舞う力すら無いようだ。
かなり心配である。
「……歩けるか?」
「途中で倒れたらおぶって下さい」
笑って悪戯っぽく返すを、荒垣はまだ心配そうに見つめた。
ははにかみながら視線を返す。
「大丈夫、今のは冗談。寮までしっかり歩けるって」
「バイト減らさねぇのか」
「はがくれのが終わったら、またゆったりするから」
が不意に、荒垣に手を差し出した。
意味が判らず荒垣が目だけで問い掛けると、は笑って口を開いた。
「手ー繋いで帰ろう!」
「は?」
「元気がない俺にエネルギーを分けてください。ね?」
子供のように手を差し出して訴えるに、荒垣は苦笑した。
「判った」
繋いだの手は、少しだけ冷たかった。
「ん、元気出て来たよー」
「単純な奴だな。おい」
「判ってるくせに」
――しかし。
翌日は、すっかり風邪を引いて寝込んでしまうのだった……。
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