頽れるを、レイヴンはしっかりと受け止めた。呼び掛けようとして、しかし言葉が詰まる。
 本来ならば力の入らない体というのは重たいものである。しかし彼女の体は、嘘のように軽かった。目を伏せたまま、は小さく呻く。

「煩わせて、ごめん……なさい」
「そんなこと気にしてる場合じゃないでしょうが……!」

 まるで抜け殻か何かを抱えているかのようだった。これも義眼の影響なのだろうか。絶えず輝く魔術の術式が不安定に瞬きながら、を包んでいる。呼吸は酷く浅い。やっと開かれた瞳は、視線も焦点も合っていなかった。
 幾度となく経験した記憶のある状況だ。これは――。
 このままでは危うい、と、を抱えたままレイヴンは戦線から離れる。

! 大丈夫だから……今治しますから!」

 そこへ駆け寄りながらエステルが呼び掛けた。治癒術を施そうとする彼女を、は震える手で制する。死の間際とすら思える状態にありながら、しっかりとした動きだった。

「治さないで……」
「何言ってるんですか! が、が……!」
「いい……。死には、しない」

 確かに急所は外れているようだ。だが傷は深いし、何より魔導器の暴走で消耗したの身は危うかった。止められようともエステルは治癒術を使おうとした。を助けようと強く念じる。しかし、治癒術は発動すらしなかった。「どうして!?」エステルが泣き叫ぶ。
 リタはを見つめ、顔を歪めた。

「エステルに封印魔術をかけたのね」

 サイレンス。術を封じる妨害魔術。が今までにもよく多用してきた術のひとつ。効果は長くはない。はきっと、エステルが自身の命を脅かしてでも治癒術を使うことを良しとしないのだ。だから、こんな時に、こんな術を使った。たとえこの刺し傷の治療が手遅れになろうとも。

「私、無駄に丈夫なんだよ……使うなら別の人に使って」

 リタの見解は当たっていたらしく、は笑っていた。しかし不意にその顔が歪む。彼女は水っぽい咳をした。音と共に鮮血が口から溢れる。

「アレクセイの解読、システム掌握……幾らか無駄にしてやった……。今もその、真っ只中……」
……? ちょっと見せなさい……!」

 を包む魔術の発動術式諸々を確認したリタは、息を呑んだ。

「この子……ザウデのシステムに干渉してる? ううん、アレクセイの解読したものを書き換えて無効化しようとしてるんだ……。どういう理屈か判らないけど、……あんた……」
「荒い、私の、やり方じゃ、限度がある……」

 は必死に声を絞り出した。

「私が、ザウデを、庇ってるうちに……アレクセイを、止めて」
「だよな。時間使ってる場合じゃねえ」
「ユーリ……うん……」

 が倒れた間も葛藤を堪えてアレクセイと対峙していたユーリが、たちを背に庇うように立ちながら言う。

「エステル、リタ。を頼んだ。アレクセイ潰すにゃオレらだけで十分だ」

 カロル、パティ、フレン、ジュディス、そしてラピード。彼らとての身を案じていない訳ではない。だがは自身の暴走のせいで、アレクセイを止めるどころか手助けする形になってしまったことを酷く悔いている。その為に手段も命も顧みぬ形で術を行使した。何より「死にはしない」と彼女が言ったのだ、信じるしかない。
 仲間ならば、信じて、戦い、アレクセイを止めるだけ。の後悔が杞憂であると、彼女が自分たちに刃を向けたことが何の妨害にもなっていないのだとその目に映すために。

ちゃんの攻撃なんて可愛いもんさね、団長と手合わせしたおっさんが言うんだから間違いない」

 レイヴンもそっとをエステルらに託し「嬢ちゃんたち、頼んだわよ」、戦いへと戻っていく。
 を使い捨てたアレクセイの猛攻が再開していた。剣に溜めたエアルを自在に衝撃波として放ち広範囲を攻撃してくるため、かなり厄介だ。
 リタは、の魔術の手助けをとモニターを展開させ、術式の操作を始めるが、あまりに直感的なの妨害術に密かに目をむく。
 エステルは、いくらに止められようとも治癒術が使えるようになるとすぐさま彼女を癒した。

「急所、ずれてるから、平気、だよ」
「私が平気じゃありません……!」
「ごめん……。暴走おさえて、安全に、術を使うには、コレが、一番だったの……」

 あともう治癒術は使わないで、とは言い添える。皇女の身を案じ、の意志を尊重して、リタもエステルを止めた。

「これ以上はどうしようもないわ。それにこの傷より、義眼で術使ってザウデのシステムを守ることがにとってダメージなの。あんたが癒しても、が術を止めない限り意味は無い」
「なら、。術を使ったりしないで、体のことを考えてください……!」
「私のせいで、アレクセイ、仕留めるの手こずって……。これぐらいは、しなきゃ。時間、取り返すの……」

 知識を持たないの妨害術はとても感覚的なものだった。アレクセイが解析途中でなければ、完全に後手に回るの方法は意味をなさないだろう。術発動の引き金としたナイフも、義眼の暴走が無ければもっと安全に使えるはずだった。いつまた自分が暴走下に陥るか判らない以上、こうでもして己を縛り付けなくてはならない。
 は仲間の戦いを見守りながら、ザウデのシステムを守るために術式を展開し続けた。戦いから離れたお陰では幾らかゆとりを取り戻し、エステルとリタを守るための小さな結界を張れるまで回復していた。こんな時でも仲間を守りたくて仕方が無かった。自分の負傷の為に無防備にさせてしまっているのだから、なおのこと。
 その間も攻防を繰り広げていた戦線では、ユーリの斬撃がもろにアレクセイへと入った。ふらつくアレクセイへ、ラピード、フレンの追撃。ジュディスの鋭い槍の突き、隙間を縫うように放たれたレイヴンの矢、パティの銃弾。ユーリらの決死の連撃が決まる。
 は安堵しかけ――目を見開いた。アレクセイの剣にひっそりと多量のエアルが充填されていくことに気付いた。今までで一番のそれ。仲間たちはとどめの連携に集中していて、防御術を持つエステルはここにいて。
 ――完全に無防備!
 胸のナイフを抜き捨てると、は弾かれたように駆け出した。ザウデのシステムへの干渉も中断だ。暴走防止の楔としたナイフが抜けたことで動けるようになったが出血は増してしまう。「!?」「だめです!」エステルとリタを包む結界の方はもうしばらく持つ。は狼へと変じ、アレクセイに一直線に向かっていった。

「させないっ!!」
「ぐうっ!?」

 狼が迫り来るのを見て、アレクセイは咄嗟に剣を掲げた。爪と剣がかち合い、激しい音を立てる。は剣からエアルを限界まで吸い上げた。いくら大狼の姿となったとはいえ、満身創痍の体ではそれが精一杯だった。

「化け物めが、邪魔だ!!」
「があっ!!」

 アレクセイとの競り合いに負け、薙ぎ払われる狼。しかし狼の足掻きはユーリが無駄にしなかった。
 の影となりアレクセイへ接近していた彼は、再び渾身の刃を振るう。

「食らいやがれぇっ!!」

 刃の衝撃は地を砕き、アレクセイの鎧をも割る。そしてがら空きとなった胴体目掛けて、ユーリは力の限り拳を叩き込む。ユーリは確実な手ごたえを感じた。相手の骨が折れる感覚。自分の拳も、力を限界以上に込めたせいで痛む。
 だがその甲斐あって、アレクセイがよろめきながら後退していく。がくりと膝を折り、騎士団長はユーリを睨みつけた。

「おの……れ……」
「……終わりだ、アレクセイ」

 その時初めて、ユーリたちは周囲の水の壁が無くなっていることに気付いた。エレベーターはとうに頂上へとたどり着いていたようだ。「ここは……ザウデの頂上?」エステルは辺りを見渡しながら呟く。周囲に広がるのは水ではなく空の青。そして、一行の頭上には大きな結晶が浮かんでいた。

「あれは魔核? なんて大きい」

 ジュディスの言うように、確かにそれは巨大な魔核だった。フェローを追い払う魔法陣を生んでいたあの魔核。それにしても間近で見上げるとこんなにも大きいとは。空よりも大きく視界を埋め尽くすほどだ。喘ぎながら、はゆるゆると首を上げる。

「そうだ、ザウデは……」

 彼女がはっとしたのと、アレクセイの側にモニターが現れたのは、ほぼ同時だった。アレクセイはモニターを見つめながら、不気味に笑いだす。まさか戦いながらもずっと解析を続けていたのか。の妨害していたデータは囮で、本命箇所をじっくり紐解いていたのだ。絶望がを襲う。

「ザウデの威力……共に見届けようではないか」
「止めろ!!」

 剣を構え直したアレクセイにユーリが駆け寄っていく。「馬鹿め」アレクセイの口がそう動いたのに気づいたフレンは蒼褪めた。本能が察する――友の危機。
 体は勝手に動き出していた。

「危ない、ユーリ!!」

 フレンはユーリを突き飛ばした。それから一瞬遅れてアレクセイの剣から光線が放たれた。フレンはもろに光線を食らい、ユーリより遥か遠くへと吹き飛ばされてしまう。

「うがあっ!!」
「フレン!!」

 後方に控え、ユーリらの戦いを見守っていたソディアが、取り乱しながらフレンへと駆け寄っていく。隊長、隊長、と彼女は何度もフレンへ呼びかけた。彼は光線の衝撃に顔を歪め、起き上がれずにいる。
 アレクセイの攻撃は続く。再び光線が放たれた。ユーリはその光を宙の戒典の力でもって打ち消し、アレクセイへ斬りかかった。何度目の鍔迫り合いだろう。激しい剣術のぶつかり合い。しかし、それに最初に耐え切れなくなったのは人間ではなく武器の方であった。
 アレクセイの作り出した偽の宙の戒典は、想像を絶する負荷に耐え切れず、爆発を引き起こした。「うおっ!」「ぐあっ!」爆発はユーリとアレクセイ両者を吹き飛ばす。……立ち上がりが早かったのは、ユーリであった。ふらつきながらも、宙の戒典を構えながらユーリはアレクセイへ詰め寄った。

「やはり、その剣……最後の最後で仇になったか……」

 だが、とアレクセイは野望みなぎる眼差しのまま続ける。

「見るがいい」

 ザウデの巨大な魔核が輝きだし、その上空へ向けて光を放った。遥か、はるか彼方へと。その光は真上の星へと繋がったかと思うと、一瞬、空に結界に似た光を走らせた。
 そして光は……空を裂いた。それ以外に形容する言葉を、は思いつかなかった。裂かれ、剥がれ落ちた空の奥から、黒く淀んだ禍々しい存在がぬるりと垂れ下がってくる。それはゆっくりと地上を目指して伸びていき、大きさを増していく……。
 はぞっとした。空の向こう側に、あんなおぞましいものが留められていたなんて。
 ――あれが、ザウデに触れちゃいけない理由……。
 は、あの存在を本能的に察していたのだ。ザウデの向こう側に封じられたものを。祖先が始祖の隷長との契約で得た力が察知能力を鋭敏にし、時として度を越えた直感として働く。その結果、彼女はザウデを触れてはならない存在だといち早く知ることができていた。理由が『あれ』だとまでは判らなくとも。
 他の仲間たちも、空から這い出る邪悪な何かに狼狽えていた。

「な、な、な……」
「なによ、あれ!?」
「どこか……見たことあるのじゃ」

 パティの呟きに、ジュディスははっとする。

「あれは……あれは壁画の……」
「災厄!?」
「星喰みか!」

 エステルとユーリの声は、ほとんど重なっていた。
 災厄。星喰み。
 その存在が露となったことに、一番驚いていたのは……意外なことにアレクセイであった。彼は目を見開き、空を凝視したまま動けずにいる。

「あれがザウデの力だと!? ……そんなはずは……。まさか……」
「どうなってんだ!? 星喰みって、今のでそんなにエアルを使ったのかよ?」
「……違う。災厄はずっといたのだ、すぐそこに」

 レイヴンの怒号に、立ち眩みを起こしたようにふらつきながら、アレクセイが答える。そこにいる彼に先までの戦意や野望の影は見当たらず、まるで魂の抜けた人形のような虚ろさのみがあった。
 状況を掴みあぐねるカロルが、ジュディスを見た。

「ど、どういうこと?」
「星喰みは打ち砕かれてなどいなかったんだわ……。ただ封じられていた、遠ざけられていたにすぎなかった」

 ジュディスの答えを皮切りに、アレクセイは乾いた笑い声をあげ始めた。

「そうだ、それが今、還ってきた。古代に齎すはずだった破滅を引っ提げて! よりにもよって、この私の手でか! これは傑作だ!」

 すっかり壊れたような、あまりに空虚なそれ。あれほどまでに追い求めたザウデの真相を、彼は知らなかったらしい。沢山の犠牲をザウデという野望の為だけに積み重ねてきた。きっとその心が黒く染まる前から、ずっと彼は、形は歪めども世界のために突き進んできた彼は、この現実に耐えられなかったのだろう。
 は憎しみを忘れ、彼に哀れみを抱いた。だが、哀れんだところで災厄がどうにかなる訳ではない。出血と過労のためにうまく動けない体を、必死に仲間たちの方へ動かそうと試みるが、びっくりするほど動かない。その為に、は殆ど仲間たちとは正反対の場所で、リタの動揺の声を聴くこととなった。

「今までザウデが封じてたっていうの!?」
「危ない!!」

 次いで聞こえたエステルの悲鳴。ザウデの魔核がばちばちと雷をまとい、限界を訴えて爆発を引き起こした。不安定な体構成のには大きく響く爆発だった。あれだけ起こそうにも起きなかった体が容易く爆風で吹き飛ばされ、足場のぎりぎりまで滑っていく。また何か起きたら海へ落ちかねない。
 アレクセイは空を見上げたまま笑い続けている。ひたすらに、ただひたすらに。

「我らは災厄の前で踊る虫けらに過ぎなかった。絶対的な死が来る。誰も逃れられん」

 ユーリはアレクセイを振り返った。その剣呑な眼差しと刃の切っ先をしっかりと彼に向け、

「いい加減、黙っときな」

 アレクセイを斬り付ける。
 アレクセイは避けなかった。なすがまま、あるがままを受け入れるとでも言うように。深い傷を負ったアレクセイの口元から、静かに血が伝う。

「最も愚かな…道化……それが私とは、な……」

 そして目元からは、一筋の涙が――。
 まるで時が止まったようにはその光景から目を逸らせずにいた。アレクセイに募らせていた怒りが、憎しみが、また何処かへと消えていく。
 ――本当に世界を救えるって、信じていたんだ。
 呆然とするの耳に、激しく吠えたてるラピードの声が届いた。我に返ったがラピードの方を見る。そして彼のそばへ駆け寄ろうと四肢に力を込める、が、頽れてしまう。いよいよ限界だった。思った以上に雑に刺さったナイフの傷は深い。義眼の痛みも増していく。
 ――いくら暴走で不自由だったとはいえ、我ながらとんでもないところに刺しちゃった。
 ラピードはが動けないと気付き、駆け寄ろうとした。
 もまた、ラピードに助けを求めるように口を開いた。

「ラピード、さ……」

 だが、二人の交わした視線を断つように、限界を迎えたザウデの魔核が落下してくる。その衝撃は凄まじかった。アレクセイもろとも足場を砕き、向こう側の仲間たちの姿をすっぽりと覆い隠し、の体を海へと投げ出すほどに。

「あ……」

 宙に投げ出される感覚。は何故かおかしくなった。
 ――ハルルでも、投げ飛ばされて、そこをラピードさんが見つけてくれたんだよなぁ……。
 ゆっくりと海を目指して、大狼は落下していく。向こう側の仲間とユーリが無事であることを彼女は祈った。どう足掻いても、自分は助かりそうにもなかったから。だとすれば、仲間たちの無事を祈るくらいしか、もう残されたことは無かったから。
 しかし、

「……え!?」

 やや遅れて、は信じられないものが落下していくのを見た。
 黒く長い髪、揃えたような漆黒の衣服の青年――。
 ユーリ。
 どうして自分より早く落ちていくのか、そもそもどうして彼が落ちているのか。疑問が浮かんだが、は必死に空を切った。少しでも彼に近づこうと。どうにか彼を救えないかと。満身創痍であることを忘れ、とうに死を覚悟したことすらも忘れ、は無我夢中で手を伸ばした。いつの間にか変身が解け、人の姿に戻っていることにすら気が付かない。
 遠目にもユーリは気を失っているのが判った。落下していくことに何の抵抗もしていなかった。ユーリならばもう少ししぶとく足掻くはずだ、と失礼な思い込みを働かせながら、は、血と共に声を吐き出す。

「ユー、リ! ユーリ!!」

 当然呼び声が届くことも、伸ばした手が届くこともなく、は程なくして青い海へと呑まれていった。
 着水の衝撃がまた体に響く。息が出来ない。傷に潮水がしみる。そもそも自分が泳げたかどうかすら覚えていない。
 ごぼごぼと泡を吐きながら、潮を飲みながら、の意識は、深く暗い藍に塗りつぶされていく。
 ――深く、ふかく。
 ――暗い、くらい。
 ――何よりも強く圧倒的な青たちに。
 全てが、塗りつぶされていった。

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