浮上を続ける床の上で、アレクセイはモニターを操作し続けている。ただ無防備に此方へ背を向けているだけではない。操作と同時に此方への注意も忘れてはいなかった。
 弓矢に手をかけたまま、レイヴンは尋ねた。

「なあ大将。どうあっても止める気はねえの?」
「お前までがそんなことを言うのか。何故だ? お前たちの誰一人として、今の帝国を良いとは思っていないだろうに」
「目的は手段を正当化しねえよ、大将。おらぁこいつら見てて、よく判った」

 かつて彼の道具として動いていたレイヴンだからこその言葉。それでもアレクセイは大して興味も無さげにモニターを操作し続ける。いよいよ、緊迫が限界まで高まっていた。
「……痛みに満ちたあなたのやり方は、正しいとは思えません。やり方を変えられないというのなら……」武器を手に、エステルは決心を固めた。
「ギルドも帝国もいいとこだってある。それを全部壊してからやり直すなんて、ひどすぎるよ」小さくとも大きなギルドを立ち上げたカロルが訴える。
「強行な手段は必ずそれを許さないものを生む。わかるわよね?」ジュディスの静かな怒りを秘めた声。
「あんたの作る世界が、今よりマシだって保証なんてどこにもないわ!」対照的なリタの怒号。
 思い思いに、仲間たちは叫ぶ。

「僕があなたを信じたのは、人々に何かを押し付ける為じゃない。与えるためにまず奪うというのなら、僕はあなたを……倒す!」
「おまえの勝手な夢なんかに付き合うのはまっぴらなのじゃ」
「そう、これはあなたの勝手だ……。また傷つく人を生む、身勝手なだけ!」

 フレンとパティに続いて、も決意を叫んだ。ここで止められなかったら、また誰かが苦しむに違いない。力を追い求めるこの男が何をしでかすか。想像するだけでぞっとする。右目がきしりと痛んだ気がして、はそっとそこへ右手を添える。義眼が熱を持ち始めていた。……何かがおかしい。

「てめえの言い分を認めるやつはいねえよ」

 だがユーリの声で我に返った彼女は、義眼の異変を探ることを止めた。そんなことをしながら戦える相手ではない。相手はかつての騎士団長。魔導器にも術式にも精通した強敵だ。
 アレクセイは嘆息した。

「どうあっても理解しないのか。変革を恐れる小人ども。だが既に全世界のエアルは我が掌中にある。勝ち目はないぞ」
「よく言うわ。あんたそれ、まだ術式の解析中でしょ」
「え? どういうことです?」

 リタの発言にエステルが瞬きする。リタはアレクセイとモニターを見据えたまま答えた。

「こいつ、まだザウデの制御、完全には手に入れてないのよ」
「……リタ・モルディオか。なるほど、これは迂闊だったな」

 口元を吊り上げ、アレクセイはモニターを消して此方を振り返る。
 その笑みを睨みつけ、ユーリは吐き捨てた。

「小細工が過ぎるぜ。そんなんで世界を変えるなんざお笑い種だ!」
「いちいちご尤もだ。良かろう、ならばこれもまた我が覇道の試練!」

 アレクセイが剣を抜き、力を込めた。彼の作り上げた偽の宙の戒典はザウデと共鳴し、此方へ向かって強烈な衝撃波を放ってきた。かつて満月の子の力を悪用した時と同じだ。あまりの強烈さに、ユーリたちは吹き飛ばされてしまう。

「新世界の生贄にしてくれる。……来い!!」

 不敵に笑うアレクセイ。剣の魔核はエアルに満ち、揺らめくほどの光を帯びている。
 体勢を立て直しながらレイヴンはリタを顧みた。

「おいおい、完全じゃなかったんじゃないの?」
「そうよ、あれでもね」
「きっついなぁ、もう……」

 は義眼を押さえながらリタの言葉に思わず弱音を零す。
 仲間たちが衝撃波の威力にふらつく中、すんなりと立ち上がったユーリは寧ろ奮えていた。

「世界を賭けてんだろ。それぐらいの歯応えは無いとな。行くぞ!!」

 いつでも彼の言葉は、行動は、たちを勇気づけて後押ししてくれる。
 この世界を賭けた決戦であっても、それは同じだった。

「世界は生まれ変わるのだ、邪魔をするな!」
「てめぇ好みの世界なんざ生まれる必要ねぇ!!」
「あなたを倒して、あなたを信じた自分にケリをつける!」

 アレクセイに向かって、ユーリとフレンが連撃を決める。しかしアレクセイは巧みな剣術によってそれらを完全に防ぎきってみせた。ユーリとフレンが弱いのではない。アレクセイが想像以上に上手なのだ。

「揃いも揃って次元の低い……もはや誰も私に及ばぬ!」

 返すように衝撃波をまとった斬撃を繰り出すアレクセイに、今度はユーリと共にジュディスが肉薄する。

「消えるべきなの。あなたやヘルメスは」
「これで全部ケリをつける!」

 槍と剣のコンビネーションを、これまたアレクセイは捌き切ってみせた。
 その隙に迫っていたラピードの死角からの斬撃もあっさりかわされる。
 リタの魔術もかわし、カロルの重量あるハンマーの一撃すらいなす。
 レイヴンの矢の軌道を読み切って、パティの銃撃もまた同様に回避する。
 ――アレクセイ・ディノイアという騎士の強さは紛れもなく本物だ。そこに偽の宙の戒典やザウデ、聖核の力が合わさり、その強さを異常なものと変えている。
 は焦った。アレクセイの強さと、その攻撃で仲間が傷つくたびにエステルが治癒術を使っていること。エステルの命を脅かさないために託した欠片がどれほど持つか、次の瞬間には砕けてしまうのではないか、心配でたまらなかった。
 その最中、アレクセイの剣の魔核にエアルが充填されていくのに気づいて、は反射的に飛び込んでいった。

「させるか!!」

 鎌で切りかかりながら、義眼を用いて剣へと充填されたエアルを奪い、吸収する。近ければ近いほどそれはし易い。衝撃波は問答無用で此方の体勢を崩してしまう。何度も放たれてはたまったものではない。一気にエアルを横取ったがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、

「――やはり来たな」

 アレクセイがにやりと不敵に笑んだ。
「なっ……」不穏なものを察してが飛び退こうとするより早く、アレクセイは小さな魔導器を取り出し、起動させた。
 瞬間、は絶叫した。

「ぐああああああっ!!」
!?」

 誰かが名前を呼んだのは判ったが、それが誰のものか判らぬほどの異常がの体を襲っていた。
 義眼の熱は増し、もはや激痛となっていた。その熱い痛みはあらゆる方向へと突き刺さり、抉り、かき乱す。先ほど吸収したエアルが義眼からの信号で半ば暴走を起こしかけている。
 鎌を落とし、その場に頽れる
 それを見下ろしながらアレクセイは笑っていた。

「こんなこともあろうかと、お前の義眼を操作する魔導器も用意しておいた。どうだ、道具であることを思い出したか? うっかりエアルを吸収しすぎた体であること、かつて私の監視下同然だったことを忘れていたようだな」
「てめぇ!」

 ユーリはアレクセイの握る魔導器目掛けて切りかかった。アレクセイはそれを嘲笑うように後退して回避する。

「私も流石に疲れたのでな、一人役者を借りることにしよう」
「おまえに休ませなんかしないのじゃ!」

 パティが駆けていく。ゆっくり後退するアレクセイとの差は程なくして無くなる……はずだった。
 ――パティとアレクセイの間に、が飛び込みさえしなければ。
 飛び込んできたは、パティを追い払うように突き飛ばした。

「ふぎゃっ!」
「っと!」

 飛ばされたパティを、ユーリが受け止める。パティを下ろすや否や、ユーリはを睨んだ。

「何してんだ、!!」

 だが、は肩で息をし、義眼を強烈に光らせ術式を巡らせるばかりで答えない。何とかユーリたちを捉える眼差しは、虚ろで、光が無く、何処かで見た光景を思い起こさせた。
「まさか……」エステルが小さく呟いた。
 それを見て、アレクセイは微笑む。

の義眼は、かつて私が有志と開発したもの。ゆくゆくは違う形での量産も考えていたのだが……肝心のオリジナルがこれでな。協力的になってもらうためにこういう仕組みがある」

 は痛みに叫びながら、弾かれたように駆けだす。距離を計っていたいたラピードへと迫り、狼のそれへと転じた手で彼を突き飛ばした。「ギャウッ!」「ラピード!」ラピードの悲鳴が聞こえ、フレンの叫びが響く。
 かと思えば次の瞬間にはリタへと接近し、は狼の爪を彼女へ突き立てようとした。が、これはジュディスが庇いに入り槍で弾いたことで事なきを得る。
 アレクセイは、ああ、と頷いた。

「そういえば、エステリーゼ姫はその身で体感なさったのでしたな」
を、操ってるんです……!?」
「あなたが体感したあれは、もとはと言えばの実験が齎した副産物」

 アレクセイはに異常を起こした小型魔導器を握り潰した。それを壊そうと躍起になっていたユーリは目を疑った。あれを壊せばが止まるのではないのか。
 ユーリらの疑問を察したアレクセイは、冥途の土産だと言わんばかりに語り始める。

「もともとの義眼には作り手により、こうなる仕掛けが施されていた。彼女の力の主導を握り安全に行使できる仕掛けがな。私は、その仕掛けの起動方法は知っているが停止方法までは聞いていない。それだけだ」

 アレクセイの様子からして、剣のエアルを吸収させたのもこうするためだったのだろう。明らかに過剰なエアルが溢れ、しかしの体から離れようとせずにまとわりついている。
 既にの瞳は、自分たちを捉えていない。何を見ているのかなど判らない。右目の魔導器から展開した術式は、彼女の体を包み込み始めていた。ただ眺めるだけならば美しい光だというのに。あまりにおぞましい。
 その背後に立つアレクセイが、口許を吊り上げ笑っている。困惑するユーリたちを、――苦しむを。
 激しい怒りの炎がユーリの胸を焼いていた。抑えきれない激昂が、その表情に露になる。

「何が安全だ! また、オレたちの仲間を、てめぇは……」

 襲われながらもの義眼を確認したリタは、仲間に襲われた事実ではなく、義眼の術式を見て青ざめていた。

「何よ、あれ……あの術式、そんな……!」
「いけない!」

 駆け出そうとするリタの手を、傍らにいたジュディスが掴んで止めた。リタは怒りを露にジュディスを振り返り、叫ぶ。

「離しなさいよ! あのままじゃ、あの子!」
「判ってるわ」

 ジュディスの表情も、リタと同じように歪んでいた。術式が判らずとも、彼女はナギーグを通して理解していた。今のに起きている現象は一体何なのかを。
 過剰な力。衝撃。変化。再構築。揺らぐ精神のなか、薄れつつある確かな自我の欠片。
 ジュディスは伝わってきたそのままに、呟く。

「今のじゃ、自我が保てず、心も体も別のものへ作り替わって戻れなくなるかもしれない。……そうよね?」

 ジュディスが問うと、リタは暗い顔で頷いた。仲間たちは絶句した。
 の義眼とアレクセイの関わりがここになって効いてくるとは思いもしなかった。
 そしてジュディスの言葉を裏打ちするように、の変化は続いていた。手だけでなく腕全体が狼のものへと変わりつつある。

「そ、そんなのって!」

 カロルの悲痛な叫びが響く。しかしそれは、周囲を取り巻く水の壁に吸い込まれてしまう。
 ユーリたちが動揺する中でも、着々とアレクセイはザウデのシステムに手を加え続けていた。待つ訳がなかった。
 アレクセイがの体に引き起こした異変は、彼がザウデを掌握するまでの時間稼ぎに過ぎないのだ。
 またあの男は、野望のために人の命を物として扱うのか。

「――くそ!」

 ユーリは剣を掴んだ。その声が、決意の構えが、皆の意識をひとところに纏める。
 それを見たレイヴンが、静かに息を吐いた。

「……やるしかないわな」

 アレクセイと、二人の相手をすることを決心せざるを得なかった。
 痛みに叫び続けるは、血の涙を散らしながら突進してくる。
 それを止める術は誰も知らなかった。エステルの時とは違う。完全にの精神は痛みと暴走へ持っていかれて、呼びかけが通じる様子はなかった。攻撃も無闇で、乱暴で。読みやすい軌道ゆえに防ぐことは難しくなかったが、エステル以上に強烈な力で振るわれる爪の一撃は酷く重たい。
 しかし、仲間たちの姿を見つめながら、体のコントロールを失いながらも、は僅かに残った自我で戦っていたのだった。


 ……アレクセイの剣のエアルを吸収し、義眼の仕掛けを起動された時、頭の奥で、決定的なものが弾けた。ぴきぴきと、音がした。薄氷が割れていくようにささやかな、しかし確実な侵食の足音が。
 振るいたくもない爪を、体が勝手に振るい続ける。悲鳴が上がる。限界を越えた体から。耐えきれない心から。
 ――みんな、ごめん……ごめん……!
 仲間が叫んでいるのが判る。必死に、口を開いて。きっと私を呼んでくれている。呼び止めようとしてくれている――。
 なのに、声が聞こえない。大好きなみんなの声が。
 白い光が、意識を埋めていく。体が変わっていく。心が変わっていく。作り変えられていく。いっそその果ては、出来る限り醜い姿であればいい。皆が私を見限り易いように。容赦なく切り伏せてしまえるように。
 は恐れていた。このままでは、私は、ただの魔物になってしまう。本能に任せて命を食い散らかす、化け物。
 姿が変わるくらいなら、人の形を失うくらいなら構わない。そんなことは今まで経験してきたし“何時か来ると知っている”から。
 けれど、この心までは。
 霞む意識の中、は最後の抵抗を試み、踏み止まった。懐に大切にしまわれたものを、手に握りしめて。


 の更なる異変にいち早く気付いたのは、彼女への攻撃を未だ躊躇っていたエステルだった。

「――待ってください!」

 エステルの叫びに、ユーリたちは攻撃の手を止める。
 ……の様子がおかしい。動きをぴたりと止め、荒い息でこちらを見ていた。
 右目からは、魔導器による負荷とアレクセイの干渉の影響で血が伝っている。そこに灯る光の不安定な点滅が、の消耗を物語るようだった。歪んだ表情が痛々しくて、目を背けたくなった。
 彼女の顔には、失われつつある意志が宿っていた。体は未だに術式に蝕まれ続けている。それでも彼女は何かを探り、踏み止まり、戦っていた。噛み締めた唇が裂け、血がぱたりと落ちる。

、しっかりして!」

 思わずへ駆け寄っていくエステルの向こうに、きらりと光るものをユーリは見た。術式とは違う、鋭利な光だった。――何時かの日に見た、使い込まれたナイフ。
 それにエステルは気付いていない。
 背筋を冷たいものが滑り落ちていく。ユーリは叫んだ。

「エステル!」

 エステルがびくりと震え、立ち止まった。そして改めてを見据えた彼女は、息を呑んだ。あのまま近寄っていれば危なかっただろう。ユーリは安堵する。間に合った。
 しかし――。
 そのユーリの横を、レイヴンが駆け抜けていった。青ざめた顔で、レイヴンはに手を伸ばす。
 それを見てユーリははっとした。自分がとんでもない思い違いをしていたことに気付く。
 エステルの向こうの彼女を見る。目があった瞬間、確かには――笑った。両手でナイフを握り、魔力を込めた切っ先を自分に向けて。
 ユーリは言葉を失った。

!」

 代わりのように響いたレイヴンの叫びは、ほんの一瞬、遅かった。
 小さな銀色の刃を、彼女は自らの胸に突き立てる。その表情は酷く穏やかだった。絶望しきった仲間の眼差しとは、相反して。

!!」

 仲間の叫びを受けて、は笑った。大好きな皆の声が聞こえるようになったことが、ただただ嬉しかった。
 刃は彼女の胸に埋もれていく。これは再び暴走しかねない自分を止めるための楔。じわりじわりと、埋もれていく。
 鮮やかな赤が、そこから滲んでいった。
 自我を完全に失う前に。これ以上アレクセイに時間を与えてしまう前に。ザウデが“放たれてしまう”前に――。
 必死に手繰り寄せた意識で、最後の力を振り絞った。義眼の魔導器、自身の体に在る術式、それらをフルに活性化させるための術式が刻印されたナイフを自分へ突き立てて術と成す。
 不思議と痛みは無い。
 ……とうの昔から彼女は決めていた。何時でも命を差し出す覚悟を。だからこそ散々、無茶を通してきた。
 それらは生きることを諦めたのではない。生きたことを、無かったことにしないために。そのために、皆や世界に在って欲しく思うから――そうすべきだと決しただけ。
 今、ナイフを通して完成した術が、アレクセイの妨害としてしばらく機能するはず。頭の中にザウデの膨大な術式が流れ込み、それにコンタクトを図るアレクセイの操作も読み取れた。それを頼りに、アレクセイがザウデに行ったことの逆をし、無力化するだけ。その間に、ユーリたちならきっと決めてくれる。

「小癪な……」

 アレクセイの呻きを聞いては笑う。ざまあみろ、と。
 発動した術の維持を確かめながら、彼女はゆっくりと目を閉じた。

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