虚ろな目、と思っていた。
 部下へ指示する間も、たまに出た会議中も、戦闘でクインケを振るっている間も、彼の顔と眼差しは何一つ変わらず無を湛えている。その姿形が美しいからより一層、その無は不気味だった。
 これらの感情をおくびにも出さずにニコニコと笑顔で接するようには努めている。喰種捜査官随一の天才的な腕前には素直に尊敬と羨望の念を抱いていた。それだけだが、それだけが重要だった。だから当たり障りなく、少なくとも使える部下ではあろうと励み、有馬貴将の部下の一人として日々懸命に働いた。

「郡に似ているな、は」
「宇井特等に、ですか?」

 ある日、ぽつりと上司が溢した言葉。は瞬きして、自分より頭一つ分は目線の高い有馬を見上げた。ああ、と頷いて彼は言う。

「何となくそう思った」

 どういう意味か掴みあぐねたが、宇井のように有能な捜査官と“似ている”と言われて――あの有馬特等にそう言われ、正直は嬉しかった。いつもより弾んだ心で、つい子供のように「有難うございます」などと、はしゃいだ調子で頭を下げてにやけてしまう。そうしてからハッと我に返って童心をしまい込むが、何時もの如く有馬の顔色は変わらない。その眼差しも、を見ているのか別の空間を見ているのかはっきりしない。
 慌てて損した。そう思うと同時に、余計なことで焦ってしまったことに何となく苛立った。

「有馬特等、私が見えてますか?」
「……ああ。一応」
「私は特等に比べたらぐーっとチビですが、そんなぼんやりとした顔で存在を忘れられてしまうほど小さくはないはずです」

 は半ば八つ当たりで口走る。上げて落とされたような気分がしていた。いや、もしかしたら宇井に似ているというのも、一般的には褒め言葉に思えても有馬にとってはそうではないのかもしれない。だとしたらどういう意味なのだろうか。判らない。唯一無二の天才捜査官の考えることが、辛うじて天才について回って行っているだけのに判る筈もない。
 有馬はの抗議に僅かに目を見開いた。

「そういうつもりでは無かったんだが……そうか、そう思われても仕方ないな。けれどますますは郡に似ていると思ったよ」
「どういう意味なんですか、もう。その“宇井特等に似ている”というのは」
「そういうところが似ている、という意味だけれど」
「……まさか、宇井特等が有馬特等を怒ったりしてる時みたいな、そういう意味的な、似ている……ですか?」
「ああ、判り易く言うとそうなる」

 はもう一度抗議してやりたくなったが、有馬の顔を見てぐっと言葉を飲み込んだ。
 いつも通り虚ろな目、無表情。そのはずの、腕前と功績に関してだけは憧れる天才の顔。
 その顔から、何となく温もりめいたものを感じ取った。

「この歳になっても叱ってくれる人間がいるというのは有難いことだから」

 僅かに天才の唇が弧を描いたような気がした。きっとの気のせいだった。有馬が笑う姿を見たことが無いから、万が一本当に笑っていたとしてもその表情に気付ける気がしなかった。彼について行くことに必死で余裕のない現状で、ああ、この人は今笑っているのかな? なんて呑気に考える暇など無いのだ。
 それでも何か返さなくては、とは無い頭を捻る。このまま切り上げるのはしんみりとしすぎてしまうと思った。
 ようやっと苦し紛れに出て来た言葉は、

「何をお年寄りみたいなこと言ってるんですか。もっと特等は溌溂とした方が良いです!」

 なんていう、しょうもないもの。馬鹿な部下なりに、有能な上司を気遣って冗談を言ったつもりだ。
 けれど有馬はやはり然程表情を変えることは無かった。
 ――の目にも明らかに判るぐらい、頬を綻ばせてみせたこと以外は。
 何がどう彼の心の琴線に触れたのかは判らなかったが、その変化はの心にも大いに響いた。
 美しい弧を描いた唇と、常に緊迫してばかりの頬が緩んだのと、それに応じて目元にも柔らかなものが滲んだのと。
 それらはの網膜に、くっきりと焼き付いた。
 孤高の天才捜査官へ今まで彼女が抱いていた感情。尊敬や羨望、呆然、嫉妬、諦め、苛立ち、そうして一回りして尊敬。
 この中に、この瞬間、新たな熱が刻まれたのは確かだった。

「俺がお年寄りなら、もお年寄りだな」
「た、喩えですよ。私も特等もまだ年寄りではないでしょう。言ってることが年寄りくさいと本当に年寄りみたいになるって言ってるだけじゃないですか」
「でも俺はもう髪も真っ白だ」
「髪の毛なんて、そんなの個人差に左右されまくりですよ。それを言ったら私の叔父は20代で白髪どころか髪の毛半分以上消失してましたからね」
「それは……気の毒な状況……だな」
「幸い叔父はポジティブでしたから、その勢いで“どうせならスキンヘッドにしよう”って髪の毛全部剃って以来坊主のままです。特等、髪の色が気になるなら毛染めでもしたらどうですか?」
はした方が良いと思う?」

 有馬はじっとを見つめている。真剣な相談であることが言わずとも知れる声音と共に。
 どうしてそんなことを私に聞くの、と熱を胸の奥に抱えたまま、は小さく返す。

「そんなの特等がしたいようにしたら良いです。白いのも綺麗ですけどね」

 嘘ではなかった。は白が好きだった。故郷の雪、東京の空にも浮かぶ雲。様々な白が好きだった。特に彼女は、白といえばカスミソウを思い出した。花自体は小さくて、でもその花々が寄り添って咲く姿が素敵だった。よく見る花束のなかで、大抵、色とりどりの花たちにそっと寄り添うように束ねられるカスミソウ。主役の花も美しかったが、小さな小さなカスミソウの可愛らしい姿には一番目を惹かれた。
 今でこそカスミソウよりも雲や雪よりも、大好物の白米やケーキよりも、にとって馴染みある白はこの有馬貴将という人のそれになってしまったが、以前はそのぐらい無邪気で呑気な時代がにもあったのだ。それらを今でも好いているし、忘れてしまったわけではない。あまりにも有馬の印象が、日々、強烈すぎた。
 とにかくが有馬の髪の色を“綺麗だ”と思っているのは事実である。恐らく他にもそう思っている人は沢山いるだろうし、そう口にした人物はいるに違いない。それでも、彼女は。

「じゃあ、このままでいいか」

 そう呟く天才の姿に、こっそりと胸を高鳴らせていた。
 目蓋を閉じて平静を取り戻そうとしていたが、逆に焼き付いた諸々が鮮明になって逆効果だと気付くのは10分経って有馬が去った後だった。

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