「視力下がったかなぁ……」

 呟きながらクインケを振り回して血を飛ばすを、宇井は嘆息しながら見つめていた。

「そのクセ止めろって前にも言いましたよね」
「そっちに飛ばしてないから良いじゃないですか。それにキレイにしてからしまわないと何か嫌でしょう」
「あっはっは、わからんでもないです~それ」

 に同意しながらやってきたハイルが笑いながら、クインケについた血を振って払い飛ばす。二人並んでクインケをぶんぶん振り回すさまが何だか滑稽で、宇井はもうその行動に関しての追及を止めることに決めた。がもう少し先輩らしく落ち着いてくれれば、それを目の当たりにする同性のハイルもちょっとは自身の言動を省みるとか、そういう癖が身に着くのではないか。浅はかな願いを抱いたこともあったけれど、今も抱かない訳ではないけれど、人の夢と書いて儚いと読む世界だ。考えるだけ切なくなる。
 同時にクインケをしまったとハイルがハイタッチを決めて、互いの戦果を褒め称え合っていた。
 先月パートナーを交通事故で亡くしてから、は有馬班出身のメンバーのもとを渡り歩きながら仕事に励んでいた。交通事故。とても身近な、けれど何処かで“自分には関係ない”と思いがちなこと。そんなことは無くて、いつでも誰もが加害者や被害者になりうるもの。
 捜査官として“喰種”と戦い死ぬのと、急な事故に巻き込まれて死ぬのと、どちらがマシだろう。
 ――死ぬのにマシも何も無い。
 殺した“喰種”の体からクインケを抜いて、宇井は目を伏せた。

「ハイルちゃんにもう私追い越されてる気がするなぁ、才能の差かなぁ」
「んふふ、さんのことなんてあっという間に追い越すぐらいじゃないと、有馬さんに褒めてもらえませんもん」
「有馬特等……誰かを褒めたりするの?」
「違う人にも同じこと聞かれましたけど、一番最初に褒められるのは私なんですよ」

 ハイルのいつも通りの有馬への憧れと、「頑張ってね」月並みな言葉でエールする
 宇井はまだ会話を続けそうな彼女らを制止した。

「いい加減戻りますよ。処理班も来たんですから」

 はーい、と二人は声を揃えて歩き出す宇井に続く。
 二人が有馬のことを交互に褒めちぎる会話を背に受けながら、宇井は気難しい顔のまま歩き続けていた。




 の新たなパートナーが決まり、明日から早速そのパートナーと行動開始だという頃だった。
 ふらりと彼女の元を訪れた有馬は、きょとんとするの瞳をじいっと見据えて、

「視力、下がった?」

 は何のことか判らず、しばらくぽかんと口を開けていた。が、最近かけ始めた眼鏡の存在を思い出して、ああ、と慌てて答えた。

「は、はい。ええっと……。下がりました。スマホのしすぎですかね。老眼にはまだ早いですし」
「そうか。無理はしないように」
「有難う、ございます……」

 ――私の視力の話で良かったんだよね?
 あまりに言葉が足りないのでたまに不安になるが、有馬の返答からして恐らく間違いないだろう。
 資料の紙束をたっぷり詰め込んだダンボール箱を抱えたまま、は困惑していた。
 有馬の視線はその箱へゆるりと移り、一度、もう一度と瞬きをして見せ、手を伸ばしてくる。
 の手から箱を取った彼は、そのまま歩き出した。「え、え?」訳も判らず、やり場をなくした手をおろおろと彷徨わせ、有馬の背を見つめる。
 いっこうに歩き出さない彼女を不思議に思った有馬は、立ち止まり、振り返って説明した。

「重そうだったから」
「そりゃ、紙は重いですけど、いや、そうでなくて」
「じゃあ行こう」
「え、ええ……? あの有馬特等に荷物運びさせてる部下とか、やばくないですか」
「やばくない」

 一度箱を取り返そうと試みたが、まるでかちこちに固めた石膏のように有馬の腕はびくともしなくて、は諦めるしかなかった。
 結局デスクまで荷物を運んでもらったは、有馬に深々と頭を下げて礼を述べ、有馬は何時ものほぼ無表情に近い顔で去っていったのだった。
 ……午後の小休憩に、そっと喫煙所へ立ち寄った彼女は、滅多に吸わない煙草を手にしていた。時々無性に吸いたくなるのだ。数か月前にパートナーを亡くした時もそうだった。今日はどうしてか、考えるまでも無いほど理由を自覚していたけれど、それを明確にするのは避けたくて、煙で誤魔化そうと思って。

「珍しいな」

 が煙草に火をつけた時、ふらりとやってきたのは富良だった。
 ――有馬特等と仲良しの富良上等。
 旧い付き合いだという話も聞いているため、はそう覚えている。それに心なしか、この人といる時の特等は穏やかな姿をしている気がした。

「富良さんこそ。禁煙したって聞いてたんですが」
「家では、な。まあ、お前の姿が見えたから入ってきたってのもあるんだけどよ」

 一本もらっていいか、と上司に頼まれて断る訳が無い。は煙草とライターを揃えて富良へ渡した。

「結構キツいの吸ってるんだな」
「お陰で、たまにしか吸わない身には堪えます。だからってあれこれ試す気も無くて」
「そうか。……ありがとよ」

 富良から帰ってきた煙草たちをスーツのポケットにしまって、は煙を吐いた。若干むせながら必死に煙草を吸う後輩を、富良は苦笑しながら見守っている。

「止めといた方が良いんじゃねぇか、本当に」
「良いんです。たまには憂さ晴らししなきゃ」
「もっとこう、別の方向で晴らせよ……。この頃、お前、あからさまに余裕無えぞ」
「そんなに判り易いですか……?」
「有馬班出身の割には随分とな」

 は、富良がとても思いやりに満ちた人物であることを知っていた。
 知り合ったきっかけは、の憧れる有馬だった。以後も交流が続いたのは偶然としか言いようがないが、この気さくな上司との会話はとても落ち着く。彼女がパートナーを亡くした直後もしばらく、気を遣ってもらった。
 恐らく、今も。

「お前のこと、アイツから相談されたんだよ」
「アイツ?」
「有馬だ」

 は盛大にむせて煙草を落としかけた。
 心配されているのは肌で感じていたが、その理由が、そんなところにあったなんて。
 ――どうして有馬特等が富良さんに私の相談してるの……?
 疑問には思ったが問いただす勇気もなく、痛くなるだけむせて乱れた呼吸やらを整えることに必死になった。
 そんな彼女に、富良は淡々と告げる。

「お前の新しいパートナー候補上げたのも有馬だしな。アイツなりに色々心配してるんだ。近いうち様子見に来るかもしれねえぞ」
「……今日さっき、来ましたよ。だから私はここに来ちゃったんです」

 ああ、なるほど。そう言って富良は笑っていた。
 その笑みは、の有馬への想いを察していると語っていた。少なくともはそう感じた。
 自棄になった彼女は短くなった煙草を灰皿に押し付けて、滅多に吸わない二本目へと手を伸ばす。
 笑いながら、富良はを諭す。

「程々にしとけよ」
「子供じゃないんですから、大丈夫です」
「俺からしたら子供だ」

 ぐうの音も出ないとはこのことだとは悟った。

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