朝日奈が食堂に行くと、の姿があった。テーブルのひとつを占領し、何枚もの紙を広げ、じっと向き合っている。そばにはマグカップが置いてあって、中に入っているコーヒーはすっかり冷めていた。
そんな彼の手には羽ペン。朝日奈にもが何をしているか、想像がついた。
「もしかして、曲作ってるの?」
「ああ」
「凄いねー! 私音符とか全然分かんないもん。このおたまじゃくしが綺麗な歌になるんだからビックリだよ!」
朝日奈の言葉に、は目を丸めた。しかしすぐに目元をやんわりと和ませ、そっと口を開く。
「凄くないぞ。朝日奈さんと同じようなものだ」
「へ?」
「朝日奈さんの特技が水泳、私の特技が音楽。違いはそれだけ」
「そ、そうなの?」
「水泳が出来ない私からしてみれば、朝日奈さんこそ凄い」
珍しくが笑う。
「だが……誉めてくれたのは素直に嬉しいよ。ありがとう」
本当に珍しいものを見た。普段、は必要以上に表情を見せない。表情筋が固まっているのではと思うほどだ。それが、あっさりと笑ってみせた。
何というか、ドキリとした。
恥ずかしくなって、意味も判らずに「どう致しまして!」と朝日奈は叫ぶ。
は特に不思議がることもなく笑い、また紙へと視線を落とす。
静かな食堂に彼がペンを動かす音だけが響いて、何故か此処が厳かな場所のように思えてきた。
厨房から紅茶とドーナツをいつものように確保してくると、から少し離れたテーブルに座る。
プロテイン粉末が投下された紅茶のカップをスプーンで混ぜつつ、もぐもぐとドーナツを頬張りながら、向こうにいるの横顔を見た。
普段、無気力というかぼんやりしている印象があるせいか、あんなに真剣な顔をしているのがどうも珍しい。
何だか珍しいことばっかりだ。気が付くとを見ている自分の状況も、含めて。
ごくりと紅茶でドーナツを流し込んだ時、食堂の扉が開いた。
現れたのは大神だった。
朝日奈の顔は、輝くかのようにぱあっと明るくなる。
「あっ、さくらちゃん! さくらちゃんも一緒にドーナツ食べよ?」
「ああ、頂こうか」
そうして仲良しコンビの、体育会系な話題が中心のガールズトークが始まった。
途中までは、の邪魔になるのでは……という気遣いがあったが、ヒートアップする乙女の会話はどんどんと盛り上がる。
朝日奈と大神が笑い合う横で、はひたすらに紙と向き合う。その表情は柔らかい。
(誰かの“声”があると、やっぱり調子が出るな)
の作曲には、自分の中で考える・ひらめく以外に、大事なことがあった。
自分以外の何かの“声”である。
それは今隣にある笑い声であり、時には怒鳴り声であり、木々のざわめきだったり、猫の欠伸だったり。ようはとにかく響く“音”が必要だった。
何ものであろうと存在する限りは何かを発しており、それを受け取りたいとは考える。
あいにく他人には理解してもらえない価値観ではあったが、自分が完成させた曲を聴いてくれた誰かが、何かを感じてくれたらそれで良い。
というか、自分が曲を書けてサッパリできたらそれで良い。
は、この上なく気ままだった。
「……できた」
楽譜を揃え、束ねたの顔は、満足そうな笑みが滲んでいる。
そんなに気づいたらしい朝日奈たちが、会話を止め、彼を見た。
「できたの? お疲れ様!」
「朝日奈さんと大神さんのお陰だ、ありがとう」
「我らのお陰……?」
「ああ、ふたりのお陰だ」
改めてふたりに頭を下げ、は大層機嫌良さげに去った。マグカップの片付けも忘れてはいない。
長い学生服を靡かせ歩いていったが出て行ったほうを見つめたまま、朝日奈がまたドーナツをかじる。
「不思議だよね、って」
「全くだ。……我らはただ話をしていただけだというのに、ありがとうとはな」
「何か判んないけど、良いことした後は気持ちいいね!!」
何となく的外れな、しかし屈託無い言葉で笑った親友に、大神も頷いて返したのだった。
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