は泣きながら小さく首を振った。両の手で耳を塞ぎたかった。しかしユーリックに抱き締められて、身動きができなかった。きつく目蓋を閉じてみても意味は無かった、逆にこの現実が、より強く身に染みていく。
 身体中の全てが凍りついたように動かない。苦しい。頭は真っ白、ただでさえ浅い息が詰まる。
 結局、やり場を失ったの両手が掴んだのは、ユーリックの服だった。

……」
「止めてって言ったのに、いつも、あなたは!」

 苛立ちとは別の感情がの声を震わせていた。ユーリックにすがる手は、込められた力のあまり白くなっている。
 長年積み重ねて来た憎悪も殺意も、こんな人間ひとりの言葉で揺らいでしまうなんて。
 は叫んだ。

「馬鹿みたい、情けない、僕は、僕はっ!」

 今までの自分は、何だったんだろう。滑稽だ。これじゃあ、僕は。
 の胸中は滅茶苦茶だった。激しくて重たい感情が津波のように押し寄せて溢れて、追い詰められていたの心を強く叩いた。これ以上は持ちこたえられなかった。
 纏まらぬままの言葉を、はユーリックにぶちまける。

「ずっと、ずっと恨んで祟って来たのに! 何で、なんで人間なんだよ! どうせいなくなるなら、最初からなくて良いのに! 嫌がらせじゃないか! そっちは言うだけ言って満足だろうけど、こっちはあなたがいなくなってもずっと取り残されるんだ、僕は、綺麗な思い出だけで生きていけるような強い奴じゃない! 嫌なんだよ、寂しいんだよ、怖いんだよ! もう独りになんかなってたまるもんか、僕は……! 僕は、ずっと、ずっと縋れる何かが欲しいんだ!!」

 酷く幼稚で独り善がりな望みだった。気高い血、同族の恨み、今までが積み重ねてきたものを引っくり返しながら、自身、混乱に苦しみながら叫んでいた。叫びながら彼はユーリックの胸を叩いた。駄々を捏ねる子供のように。
 青い空に、反響する声。風は見守っているように穏やかだ。さわりと吹いて、の髪を、肌を、擽りながら過ぎていく。
 ユーリックも風に遊ばれながら、しかし何も言わずに、じっとの言葉を聞いている。

「ずっとそばにいてくれる保証もなしに、優しくしないで! 好きだなんて、言わないでよ……っ」

 果てには息を切らすの背を、ユーリックは優しく撫でた。言葉はいまだ無い。
 何回も撫でられるうちに、は落ち着きを取り戻していった。叫びは弱くなり、小さくなり、消える。荒い息継ぎの音だけがユーリックの耳に届いた。だが、の涙はまだ止まらない。
 ユーリックは申し訳無さそうに口を開いた。

「すまない、。君を泣かせたくて言ったつもりじゃなかったんだ。悪かった」

 対するは弱々しく首を振って答える。

「……僕が、我儘なだけです」
「ちょっとくらい我儘な方が可愛いさ」

 そう言い、片目を瞑って笑うユーリックに、は俯いた。長い睫毛が、滲んだ涙で濡れている。
 ――は躊躇いながら、口を開いた。怯えているようだった。

「僕は、沢山の仲間を人間に殺されました。僕も、沢山の人間を殺しました。……衝動は、今も尽きません」
「……そうか」
「ずっと、そうやって生きて来たんです。人間とは相容れないんだと、それだけで生きて来たんです」

 それでも、とは続けた。

「……あなたは、まだ馬鹿を言うんですか」

 彼らしい、少し遠回しな問い掛けだった。は返事を待った。
 遠ざける拒絶を。
 とてつもない否定を。
 諦めるための、言葉を。
 だが、ユーリックはそんなの想いを綺麗に裏切った。

「ああ、好きだ」

 ぎゅっと抱き締められて、はびくりと震えた。響いた言葉に、たまらず涙が零れる。
 もう一度は、ユーリックの服を掴んだ。

「馬鹿です、あなたは」
「馬鹿でも良いさ」
「折角、僕を拒絶する機会をあげたのに」
「今更俺が諦めると思ってたのか?」

 は小さく首を振った。

「……あなたのせいで、僕まで馬鹿になってしまった」

 呟いて顔を上げたの瞳は、まだ濡れていた。それでも今までとは違う、柔らかな光がある。
 言葉にはして貰えなかったが、ユーリックには、の想いが十分に伝わってきた。つい頬が緩む。

「ありがとう、
「お礼なんて言われたくないです」
「俺が言いたかったんだ、別に良いだろう?」
「……もう、勝手にして下さい。何を言っても聞かないんでしょうから」

 はそう言って顔を背けた。すっかり何時もの素っ気なさを取り戻したようだ。少し赤い頬が可愛らしい。
 ユーリックはの髪を撫でながら、呟いた。

「こんなの、初めてなんだ」
「え?」
「こんなに誰かを好きになるのは。ましてや、相手がドラゴンだぜ? どうしたもんかって悩んだよ」

 己の血を誇り、人を蔑む節のある気高き一族。しかしその中でもは特殊だった。
 ヒトに近い、脆い心。竜としての誇りとそれに見合う美しさ。
 惹かれたのは必然だったのかもしれない――。
 そこまで考えてユーリックは急に恥ずかしくなった。に悟られてしまう前に、誤魔化すように声を上げて笑う。

「ようやく安心したよ。も俺と一緒なんだな」
「一緒って……」
「同じ気持ちだろ?」

 子供のように無邪気な眼差しだった。
 は思わず言葉を詰まらせた。宝玉色の大きな瞳が滲み、再びその視界が霞んでいく。

「いきなり、いっぱい言われたら、困ります。また、泣いてしまう……」

 泣きたくは無かった。
 泣いてしまっては、いけないと思った。
 耐えようとして絞り出した声は、既に震えていて。
 は何とか言葉が届くようにと、一言ひとことを丁寧にゆっくりと音にした。

「一瞬でも多く、あなたのこと、この目に焼き付けておきたいのに――」

 視界が揺らいだら、出来ないじゃないですか。
 の言葉に、ユーリックはただただ微笑み、ずっとを抱き締めていた。

 たったひとり、あなただけに。
 この身を委ねて。
 ずっと、こうしていられたら。
 いつか来る別れの時まで。

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