夢だ。夢だ。夢だ。
これは夢、きっと夢。
自分に強く言い聞かせる。
早く起きろ、目を覚ませ。
何度も何度も自分に向けて呼びかける。
大きな月。
たくさんの棺桶。
緑っぽく澱んだ町並。
そして――自分を追い掛けて来る、よく判らないもの。
「夢なんだから早く覚めれー!」
は叫んだ。
どれだけ走ったのか、いくら時間が経ったのか、まったく判らない。空も腕時計も携帯も、作り固めあげられた置物のようにぴくりともしないのだ。あらゆる経過を測るための手段は断たれ、判るのは現状が“異常”であることのみ。
そして尚も、危機は迫っている。
……コールタールのような色をした、質量のある怪しい生物。
世界が変じた瞬間から、その生き物は、を執拗に追い掛けてきた。
何かは判らない。だがしかし、下手に触れてはいけないものであることを直感が告げていた。
「もう来――っ、わ!」
の足からローファーが勢いよく抜けて飛んでいく。
突然のアクシデントに体は安定を失い、は思い切り転んでしまった。
べしゃりと地面に倒れ込む。それでも慌てて起き上がり靴を拾い、立ち上がる。
怪しい生物は目前まで迫っていた。
耐え続けていた涙が、一滴頬を滑る。
蠢く生物の、手らしきものが目掛けて伸びて来た。
黒くて、光もなくて、その先にあるものも同じように暗くて怖いのだろう。
――やられる。
本能が、悟った。
(――嫌だ)
どくんと、心臓が波打つ。
恐怖に対する動悸とは違う何かが、胸の奥から湧き上がってくる。
(死にたく、ない)
は、きつく目を瞑り、もう一度――ありったけの声で叫んだ。
鼓動が強まる。
「触るなああああああっ!」
自分の中の奥深いところで、何かが弾けたような気がした。
刹那。
背後から、凄まじい強風が走り抜けた。
動きのない空間において、その新鮮さは強く身に沁みた。
何事かと思ったは目を開けると――茫然とした。
「え、何?」
風が、生物を襲っていた。
全てを切り裂くような鋭い衝撃を伴った風。のそばを駆け抜けた時とは打って変わって凶悪なそれが、影を力づくで払わんと吹き荒れていた。
すぐに生物は、聞いたことのない奇声を発しながら千々に切れ、散って行った。
はうろたえながらも、風の正体を確かめようと振り返った。そしてまた、驚くことになる。
「だっ、誰!?」
薄い金色の、ゆらぐ長い髪。
ひび割れた顔。
人形のような、球体関節の体。
そしてを包むように広げられた、蝶々の羽。
何とも形容しがたい存在が、そこにはいた。
だが不思議と恐怖は感じなかった。むしろ、鏡を見ているかのような、ありふれた感情を起こす。
危険なものではないことを察し、は口を開いた。
「助けてくれて……ありが、とう…?」
人形のようなそれは、何も言わずに闇に溶けて消える。なのに、その存在はすぐそばに残っているようにも思えた。
しかしは、それ以上を考えることができなくなった。
不意に体を、とてつもない疲労感が襲ってきたのだ。何日も眠らず動き回ったかのような、耐え難い重みが体に圧し掛かってくる。
月の光が視界を刺激するのさえ辛いくらいだ。ああもう、何でいきなり?
――ざっ。
人の足音がした。
は、助けを求めるように顔を上げ、周りを見渡した。
そして見つける。
「……ああ」
棺桶がそびえる月夜の下、青く短い髪の少年が立っていた。驚くほど静かな眼差しをして、をじっと見据えている。
彼は、この不可思議な空間において、不自然なほどに“慣れた”顔をしていた。
それが当然であるかのように。
何年も親しんできたかのように。
しかし少年の服には見覚えがあった。の通う学校と同じ制服だったのだ。
「夢、覚めない……」
少年が何か言っている。それから急に、血相を変えて駆け寄って来た。
え? なんだって?
――な――。
疲労が聴覚を奪っているらしかった。
いけない、いけない。声を、拾わなきゃ。
「――危ない!」
ようやく届いた声の意味を、は、その身を持って理解した。
背後から強い衝撃に押され、体が吹っ飛ぶ。息が詰まって、頭が真っ白になった。
驚愕の後から痛みがやってきて、四肢が千切れたのではないかと言うほどにそれは増した。
このまま地面に落ちたらお終いだ。
は半泣きで覚悟した。……が、その“終わり”は、なかなか襲ってこない。
「おい、大丈夫か!?」
「ぅ、あ……?」
その代わり、おそるおそる開いた目に入ってきたのは、銀髪の少年の顔だった。先の少年とは別の人物。
だがは、この少年には見覚えがあった。
学校内で女子に対して不動の人気を誇る、真田明彦先輩だ。
「真田、せんぱ、い?」
「――っ、お前!」
「嘘、なに、これ……」
変な夢だ。
は苦痛を堪えながら思考を巡らせた。
何で真田先輩に受け止められてるんだろうか。夢って深層心理や願望が現われるって言うけれど、あれ? 俺って、真田先輩に気が合ったのかしら? いや、確かに真田先輩は格好良いけど……訳判んないや、もうどうでもいいや。痛いの早くなんとか……。
――って、待て。
「いやだ……」
「え? ……っ、どうした、!? 怪我が痛むのか!?」
「うぅ……」
痛いのに、夢、覚めない。
は何を言えば良いか困っていた。混乱していた。夢だと信じたいこの状況が、夢ではないのだと信じざるを得ない状況に追い込まれ、泣きそうになるのを頑なに堪えていた。
真田は戸惑いながらも、ぐずりそうなを抱きかかえたまま顔を上げる。
「後で手当してやる。だから、少し我慢しててくれ」
真田を見上げたは、言葉を失った。
彼が手にしていたのは銃であった。そして、その銃口を迷うこと無く自分の額に押し当て――引金を引いた。
硝子が弾けるような音がした。
淡く青色に輝く欠片が散り、人ならざる何かが浮かび上がる。
先の自分の後ろにいたもののように。
それからは、にとって理解しがたいことの連続だった。
いつの間にか、先の少年と真田の他にも人が増えていた。誰もが見覚えある学生服の人間で、やはり銀色の銃を持っていた。
そして迷うこと無く、その銃で自分の頭を打ち抜いていく。
すると奇妙な生物が現われて、怪しい生物を攻撃していった。
……疲れやショック、色々な要因に襲われ、遂には意識を手放した。
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