青空を仰ぎながら、は昨夜を振り返っていた。こうして歩いていると、あれは全部夢なのではないかと思えてくる。しかし。
 ――ずきり、と不意に痛んだ背中が、全ては現実なのだと告げた。背中だけでなく、体のあちこちに痛むところがある。骨を折らずに済んだのは奇跡だ。
 あの後、は、彼等が住む学生寮で一晩を過ごした。怪我の手当ても受け、無事に今日も学校に行けたのである。

『明日、学校が終わったら此処に来てくれ。詳しい話をしたい』

 昨夜の事件の後、学生寮にて桐条美鶴――我が校の生徒会長であり良家のお嬢様――直々に告げられた。「君には知る権利がある」のだと。断る余地はなかった。どうして自分があんな異常現象に立ち合う羽目になったのかは大いに気になる。
 ――実のところ、あの有無を言わせぬ気迫に負けた、というのが大部分であったが。
 ふと、は歩を止めた。
 呼び出されたは良いものの、ひとつ困ったことがある。

「……あそこまでの道、どうだったっけ」

 は、昨夜の学生寮までの道が判らなくなっていた。
 校内に戻って寮の住人を訊ねる方法もあったが、気乗りしない。
 悩んだ挙句、は決めた。
 とりあえずテキトーに行ってみよう、と。
 おぼろげな記憶を頼りに、歩きだしたその時。

さーんっ!」

 そんなを呼ぶ声がした。やけに親しげな声音に、は辺りを見回した。
 校門の脇に、帽子を被った少年が満面の笑みで立っている。こちらに向かって全力で手を振りながら。どうやら呼び声の主に違いない。
 は彼を見つめながら、記憶を巡らせた。
 ――昨日、見た人だ。

「伊織、順平くん?」
「覚えてくれてましたかー! 感激っす!」

 ニコニコと裏表の無さそうな順平の笑顔に、もつられて笑い返す。
 彼も昨夜、銃を使って不思議な生き物を出して戦っていた……。そうとは思えない軽快さに、妙な違和感を覚える。

さん、寮までの道判んないんじゃないかと思って待ってたんですよ」
「ありがたい、助かったよ! 全くその通りで困ってたんだ」
「へへっ、オレ、ケッコー気が利くタイプですから」

 の素直な感謝を受けて、順平は誇らしげに返す。
 早速、順平とは並んで歩き出した。何処か夢身心地な目の順平をが不思議そうに眺めていると、その理由を彼は自分から語り始めた。

「いやぁ、嬉しいなあ……。高嶺の花と名高いさんとこうしてお話できるなんて……」
「高嶺の花?」
「そうっすよ! 誰も話したことが無い、いや、話すのもおこがましい絶世美人。何にも属さずにひとり静かに過ごされているとか、何人もの男が言い寄っては大玉砕したとか……」

 他にも、授業を休みがちなのは、先天性の病を患っているからだとか……。
 次々と飛び出す順平の話の数々に、は思わず噴き出しそうになった。
 彼が語る噂ほど、真相はロマンチックではない。
 が何にも属さないというよりは、随分昔から、周りが匙を投げているだけだ。
 クラスでも周りと会話することはほぼ無いし、告白を断るのは自分が“男”だから。水泳や体育は、メイクを直すことや女装諸々が知られては面倒だから。
 ――は常日頃、女装をして生活しているのだ。勿論しっかり学校側の了承を得ている。駄目元で学校側に問い合わせたところ、あっさり認可された。今でも嘘なのではないかと疑うほどだ。
 そんなこんなで女装を続けてはいたが、自身は、自分を“女性”だと言ったことは無い。
 まさか知らない間に、そこまでの噂が立っていたとは。
 女装どころかすっかり“女性”と認識されていることが何だか面白かった。

「そんな、高嶺の花でもないよ。皆話したがらないだけで。影じゃあ『お高く止まっちゃって!』とか言われてるみたいだし」
「いや、オレはさんみたいな方、好きですよ! 何て言うか、自分の意思をしっかり持ってるって言うか……。それに、こんなに気さくに話して貰えるなんて……オレ、感激っすよ!」

 がひとつ話すと、順平からは倍の言葉が返ってくる。若干顔の赤い彼の一生懸命さに、ついつい頬が緩む。
 彼もが男とは知らない人間のひとりなのだ。

「ありがとう、伊織くん」
「そんな、礼には及びませんって……」

 さり気なく車道側を歩いている所も、歩くスピードを合わせてくれている所も、この年頃の男性にしては気が利き過ぎなぐらいだ。
 騙しているような申し訳なさを感じつつも、は、順平の案内で寮へと辿り着くことができた。

「遅かったな」

 寮に着くと、出迎えてくれたのは美鶴本人だった。思わず反射的にが会釈すると、ソファーに座るよう促される。は素直に指示に従った。
 寮の広いラウンジ。腰かけたソファーは案の定立派でふかふかで。
 他のソファーにも、昨夜見かけた面々が揃って座っていて、まるでを取り囲んでいるかのようである。珍しく自分が緊張していることには気付いた。

(にしても良い建物だこと……良いなぁ、住んでみたい)

 緊張を誤魔化すようにそんなことを考えつつ、改めて美鶴たちと向き合う。
 沈黙に耐えかねたは、自ら切り出した。

「話って、何でしょうか」
「ああ。昨日、君が体験した出来事についてと、それに関する頼みがある」

 美鶴は躊躇うことなく真っ直ぐにを見据え、口を開いた。

「私達が過ごす一日が、実は“24時間”ではないとしたら……君は信じられるか?」

 突拍子も無い言葉だった。
 一瞬、意味がよく判らなかった。
 しかし、あれだけ非日常的なことを見せつけられていると、今更何が起きてもおかしくなかった。
 澱んだ空、聳え立つ棺桶、暗闇色の化け物。あれら全てが、自分の知る時間から切り離された時空のものだとすれば、納得がいく。寧ろ、そのぐらいの理由が無ければならないと思った。
 夢であれ、と願うほどの、あの異常を受け入れるためには。
 ――は笑った。

「ええ、信じますよ。あんな化け物がいるくらいなんですからね」

 周りの学生たちが目を丸めるのを、はまじまじと見返していた。
 驚きたいのは、こっちの方なのである。
 何となく心外な気持ちになりながら、彼らの視線を受け止めていた。

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