ポートアイランド駅前広場の外れ――。チンピラや不良のたまり場として有名なそこに、似つかわしくない穏やかな光景がある。
一匹の野良猫と女子高生が戯れているのだ。女子高生と言うのもあくまで外見のみで中身はれっきとした男児。……であった。
「うりうり、おっきくなったなぁネコー」
人目が無いにしても大きな独り言とともに、は丹念に猫を撫でまわしていた。
猫はすっかり懐いているようで、ゴロゴロと喉が鳴りっ放しである。
動物好きであるがこの野良猫を見つけたのは、四月に入って間もないころだった。最初は痩せ衰え危うかった猫も、今ではすっかり逞しい姿となった。
出来ればこの猫を引き取り、寮で飼いたいところである。
「世話も病院連れてくのも全部やるから先輩許してくれねえかなあ……」
そんな悩めるに、忍び寄る影があった。あからさまに柄の悪い顔とだらけた服装をした、二人組の男である。ひとりは金髪、もう一人は茶髪だ。幾度とないカラーリングのために髪が傷み切っているのがには見てとれた。彼らはどうやら、この辺りを縄張りにしている不良のようである。
ついてねえ、と胸中で呟きながら、は渋い顔をした。
このまま知らん顔をしていようと思ったが、それは叶わなかった。当然のごとく彼らはに気付いてしまう。
「おいおい、お嬢さんどーしたの? こんな危ない所にひとりでさぁ」
「え? 何、あなた方どちら様ですか…?」
不穏な空気を察して黙した猫を抱きかかえ、は立ち上がった。渋い顔を尚更渋くして男たちを半ば睨みつつ、距離を測るように半歩下がった。
の威嚇に動じることなく、二人の男はニヤニヤ顔で近付いてくる。
「ったく、最近の月高の奴って何なの? こんなとこホイホイ来ちゃって」
「だな。ま、こんだけカワイけりゃ、楽しませて貰うしかねーでしょ」
「いいねー、それ」
内心自身の完全な女装ぶりを自画自賛しかけたものの、そんな余裕はすぐに霧散した。
金髪の男がの右腕を掴んで引っ張ったのだ。加減を知らない握力に、は眉を顰める。
それと同時に抱えていた猫がバランスを崩し、の腕から滑り落ちてしまった。猫は宙で体を捻って綺麗に着地すると、なんと男たちに向かって果敢にも牙をむき出し、フーッと毛を逆立てて威嚇してみせたのだ。
――駄目だ、ネコ!
思わずが青ざめて口を開こうとしたが、少し遅かった。
「邪魔くせーなコイツ」
茶髪の男が猫を蹴ったのだ。猫が悲鳴のように甲高い鳴き声を上げる。路地裏に引き込まれていたも、遂にたまらず声を荒げた。
「このブサイクがぁ!」
「ぐぶっ!?」
叫びと共に、は掴まれていない左手を拳にして突き出した。勿論猫を蹴った相手の顔面、鼻っぱしを目掛けてである。
思わぬの攻撃に、茶髪の男は盛大な尻餅をついた。
拳を握りしめたまま、怒りに震えながらは叫ぶ。
「こいつが怪我したり、死んだらどうするんだっ! ネコいじめんな! お前が蹴られて伸されろ、そしてさっさと手を離せ、不細工!」
「っ、このアマ……!」
金髪の男はの胸倉を掴むと、強く頬を叩いた。か弱い女子学生ならば既に恐れおののいて何も出来ないだろう。しかしは男である。そして……見た目によらず、喧嘩の経験が豊富であった。
そんなは負けじと、男の爪先を全力で踏みつけた。ローファーの踵が容赦ない激痛を男に齎し、の胸倉を掴む手の力を緩めさせる。隙を逃さずは拘束から逃れた。ネコの姿が無いことを確認すると、そのまま路地裏を出ようとした。
そこに、先に拳を食らってダウンしていた茶髪の男が持ち直し追い掛けてきた。
「待てやゴラァっぐぇ!」
は、それを迎え撃つ形で、男の股間に蹴りを食らわせた。男が男に食らわせるには形容しがたい反則技であった。が、か弱い猫をいじめた相手をは“男”と認めなかった。
これが弱いものを苛めた罰だ!
胸中で叫びながら、そうやって男たちを振りほどき、が路地裏から飛び出した瞬間――。
「っぶ!?」
人にぶつかってしまった。十中八九、の注意不足であった。その勢いのまま、尻餅までついてしまう。
叩かれた頬のみならず、尻まで痛めるとは……。
先までの高揚から、急激に心身が冷えていくようだった。
反省と後悔にしょぼくれながら、はゆらゆらと立ち上がった。激突した相手にひたすら深々と頭を下げ、謝罪を述べる。
「す、すみません……前見てなくって……」
「待てやぁ、このクソアマ!」
「あっ、まず……!」
ふらつくを、不良の声が追って来ていた。
このままでは更に迷惑がかかってしまう。
そう懸念したが走ろうとした時、ぶつかってしまった相手が口を開いた。
「追われてんのか」
「え?」
ニット帽を深く被り、暗く赤っぽいコートを着た男性だった。がぶつかったことに対しては彼は何も言わない。ただが追われているのかだけを問うてきた。その声の低さと鋭い眼光に、は思わず足を止め、素直に頷いてみせる。
「そうか」短く呟いた後、彼はを背にするように立つと、路地裏からやってきた不良たちと対峙した。
その不良たちは彼の顔を見るなり、瞬く間に強張った。
「げっ、荒垣……」
「何でまたお前が……」
「コイツに何か用か、お前ら」
「またお前の知り合いかよ……ったく……」
ドスのきいた声に、ぶつくさ言いながらも不良たちは去って行った。
どうやらこの人は荒垣と言い、この辺りではそれなりに名が通っている人物のようだ。
あんなに躍起になっていた男たちが、大人しく引き返すなんて。
が呆然としていると、にゃあ、と聞き覚えある声がした。ハッとは我に返ると、慌てて視線を巡らせた。
「あっ、ネコ!」
いつの間にか足元に猫がいた。見たところ怪我もなく、元気そうである。
は頬を緩めて猫を抱き上げると、ニット帽の男――荒垣に向き直った。
「ええと、荒垣、さん?」
「……んだよ」
「ありがとう、助かりました! あいつら、この子を蹴ったもんだから、カッとなっちゃって……って、待ってぇぇえ!!」
礼を言い頭を下げている間に何故か遠くにいた荒垣を、は慌てて止めた。
の叫び声に面倒くさそうかつ心外そうな顔をして荒垣が振り返る。彼は買ったばかりであろう缶ジュースを片手に戻って来た。
「もうこんな所、来るんじゃねぇぞ……、つっても意味無さそうだな」
「ネコに会いに来ますんで!」
「……はぁ、そうかよ」
荒垣は溜息ののち、缶ジュースを差し出して来た。がきょとんとしていると、焦れったそうに顔をしかめる。それでもなおが戸惑っていると、その缶をの頬に押し当ててきた。
はようやく意味を察し、慌てつつも、片手で猫を支えたまま缶を受け取った。
ぽかんとするに、荒垣は諦め顔で呟いた。
「来るなら、もっと明るいうちにしとけ」
荒垣は踵を返して、今度こそ本当に行ってしまった。
腫れた頬に冷たいジュースの缶を押し当てたまま、はずっと彼の行った方向を見ていたのだった。
◆◆◆
寮のラウンジでくつろぐの腫れあがった頬を見て、美鶴は目を丸めた。
「、どうしたんだその頬は」
「ちょっと絡まれて、でも親切な人が助けてくれました」
すっかり温くなったジュースを飲みながら、が美鶴に返す。
「いろんな意味で染みるわぁ……」穏やかに呟く後輩を見て、美鶴は眉を顰めた。少し思案した後、原因として思い当たりそうなことを彼女は口にした。
「まさかお前、ポートアイランドの……」
「ネコに会いに行ったんです」
けろっと話すに、美鶴のみならず、その場に居合わせた真田のお怒りが炸裂した。
二人の先輩は、殆ど同時に怒鳴り始める。
「馬鹿が! お前みたいなのは格好の餌食に決まってるだろう」
「何かあってからでは遅いんだぞ?」
「嫌だな先輩方ふたりしてどやさないでよー……」
親に怒られる子供の気分である。はばつが悪そうに俯いた。尚も色々と注意や叱咤を続ける二人の声を耐え切り、ジュースを飲み干し、その空き缶をテーブルに置く。
すっかり神妙な面持ちのの元に、「で、」と話を切り替えるように順平が入って来た。
「助けてくれた人って誰?」
「ニット帽でこわもてのおにーさん。荒垣とか言われてたから多分荒垣さん」
「シンジか……」
「荒垣サンかぁ!」
真田と順平の反応には首をひねった。真田は先までの怒り顔から一変して納得したふうな様子だし、順平に至っては目を輝かせながら声を上げるのだ。
どういうことだろう。合点の行かないに、順平はきらきらの瞳のまま話し始めた。
以前、順平たちもポートアイランド駅の同じポイントを訪れ――目的はとは違っていたが――、同じように不良たちに絡まれてしまい、そこを荒垣さんに助けられたのだという。
そして荒垣は、真田と友人なのだそうだ。
は納得したように頷くと、真田を仰ぎ見た。
「じゃあ真田先輩、改めて荒垣さんにお礼伝えてくれません? 助けてくれた上にジュースまで……。俺も会えたら言いますけど、会えるか判らないんで一応……」
「ああ、今度会えたら言っておこう」
一通りの叱咤と説明の後、は今日の出来事を振り返った。
ネコが無事でよかった。不良たちには少しやりすぎたかな。様々な思いが駆け巡るものの、一番に思ったのは――。
「かっこよかったなぁ……荒垣さん」
自分ひとりでは、頬の怪我くらいでは済まなかっただろう。荒垣の登場と行動は、にとってまるでヒーローのようだった。
男らしい、とはまさしく、ああいう人のことを言うのであろう。その割に、ジュースを差し出してきた時は何となく恥ずかしそうでもあった。
――またネコに会いに行ったら、会えるだろうか。
そう思いながら、は小さく微笑んでいた。
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