は、学校をサボることが少なくなってきた。
寮にいると、誰かが起こしに来る。のろのろと支度していると、面倒身の良い風花が「具合でも悪いの?」と心配してくれる。同年代男子の情け、と奏夜が来てくれたこともあった。
そして「今日は久々に巌戸台駅でサボっちゃおうかな」と思う時に限って、美鶴や真田といった有名人にひっつかまる。強制連行という形で投降することになる。
「サボりたそうな顔をしているからだ」とは、どちらの先輩に言われた台詞だったろうか。
何はともあれは、不本意ながら健全な学校生活を送っているのであった。
担任の江古田はねちっこいし、が女装しているのを覚えているのかいないのか、嫌味やお小言が多く感じる。自分がイレギュラーであることは重々承知しているが、あの担任はほぼすべての生徒に嫌われている。そういう人だ。
毎日大西先生の授業だったら良いのになあ、とは思った。
(もうすぐ七月だな……。あと一週間ないじゃん)
携帯電話の待ち受け画面で、時間とともに確認した日付を見て、その事実に嘆息する。
は六月が嫌いだった。
まず雨が苦手だ。今年のように晴れが続けば逆に水不足が心配にはなるが、それは別の話である。
何より嫌なのは、六月には目立った休日が存在しないこと。つまり学校が休めないのである。バイトどころか、ゆっくり遊ぶ機会さえとれないのだ。
そんな六月も残りわずか。そう思うと、は少し嬉しくなった。
「――くん、最近ちゃんと学校来てるよね」
放課後、の席にやってきた風花が嬉しそうに話した。
は小さく笑い返してみせる。
「ん? ああ、……何時も捕まって逃げらんないのよな」
「捕まって?」
「こっちの話」
真田や美鶴による連行のことはその一言ではぐらかして、は席を立ちながら続けた。
「今はさ、友達っていうか、知り合いが増えたから……。ちょっとは楽かなって」
「私も判るなぁ……その気持ち」
「だろ? ……ああ、夏紀ちゃん呼んでるよ」
「え?」
風花が顔を上げると、夏紀が手を振って寄って来た。「風花」親しげな呼びかけと共にを一瞥してから、夏紀は風花に話し掛ける。
「もしかしてさんと取り込み中だった? 良ければ一緒に帰ろうかなって思ったんだけど」
「え? うん、良いよ。くんはどうする?」
「自分はもう少し学校歩いてから帰るよ」
少なくとも今、友人同士水入らずな場に割って入るつもりもない。はやんわりと誘いを断った。
風花はともかく、夏紀はが男性であることを知らないだろう。それを考慮してもやはり、自分はひとりで行動していた方がいい。単独行動の方が融通もきいて気楽である。決して大勢で騒ぐのも嫌いではなかったが、今のにそんなつもりはなかった。
複雑な胸中を爽やかな笑顔で封じ込め、は二人に答えた。
「てな訳で、また今度お誘いしてね。待ってます」
「うん、判った。それじゃあね」
「また明日ー」
風花と夏紀は、と別れて教室を出た。
そこから少し歩くと、夏紀は、風花にそっと話し掛けた。
「あんたさ、さんと仲良いの? 最近よく話してんじゃん」
「この間から同じ寮にいるんだ。皆が思ってるより楽しくて良い人だよ」
「へー。風花が言うならそうなんだろうね」
夏紀は、あ、と何か閃いたように風花に向き直った。
「そ、そ! 何かさん、大西先生みたいだよね」
「え?」
「見た感じ、何かしっとりしたお嬢様かと思ってたら、結構男勝りな感じでサバサバ話してたから……意外だったよ」
風花は内心困った。
が男性であることを、夏紀は気付いていないのだ。
同時に、クラス……いや、学校の殆どの人間が、の正体を知らないことに風花は思い当たる。
どうしたものかと風花が思案するうちに二人は駅に着き、別れたのだった――。
◆◆◆
月光館学園高等部校舎1F、実習室前廊下から運動場への道。
その道の脇には草木が生い茂り、ひとつの立派な柿の木がある。過去に植えられたものらしいが詳しいことはには判らない。近いうちに木が切られてしまうと聞いて、初めてこの木の存在を知ったほどだ。
はひとり、その柿の木を眺めていた。
「切っちゃうなんて勿体ないよなぁ。柿食いたい…」
端から見れば、柿の木を見つめて物思いに耽る女子である。部活のため運動場に向かう生徒たちが、ちらちらとを見つめて行った。その視線はに、登校日数ギリギリの謎めいた女子生徒という、自分に張られたレッテルの存在を思い出させた。
「……帰るか」
あまりに視線が痛くて、は身を翻した。
校内に戻ってすぐ、見覚えある銀髪が目に入った。ブレザーを肩に引っ掛けるようにして持ち歩く、印象的な姿。校内の女子生徒に大人気な先輩・真田であった。
素通りするには不自然だったので、は気さくに声を掛けた。
「真田先輩じゃないですか」
「ん? ああ、か」
「こんちはっす」
にかっと無邪気に笑うを見て、真田は苦笑した。
「話し方はまるで順平だな」
「え。いや、それは少しショックー……」
「順平に失礼だろ?」
「本人いませんもんねー」
は周りに女子がいないことを確認しつつ話した。
順平ならいたって構わないのだが、真田明彦ファンクラブの面々にこんな現場を見つかったら天誅ものである。が男であると知らない女子を敵に回すだろうし、男だと判らせるのも面倒だし問題だ。
「今日は部活無いんですか」
「ああ。海牛に寄って帰るのみだ」
「うみうし? ああ、牛丼屋か」
「も行くか?」
「いや、結構です! ……んー」
不意には渋い顔をした。今までの歯切れのよさとは打って変わったの様子に、真田は不思議そうに目を丸めている。
はもう一度周りを確認すると、真田に向き直って、こう切り出した。
「あの、名字呼び止めてくれますか?」
「え?」
驚く真田に対して、はニコニコと人好きのする笑顔で話し始めた。まるで前から周到に用意していた台詞を読み上げるかのように、すらすらと、饒舌にまくしたてる。
「俺、名字嫌いなんです。あんま良い思い出ないんで。名前で頼んます。あ、桐条先輩にもこないだ頼んだばっかなんですよー。ドキドキしちゃった」
学校の有名人である美鶴や真田に名前で呼ばれるというのは、本来危険な橋である。大人気の先輩に声を掛けて貰うことすらできない人間が多い中、下の名前を覚えて貰いかつ呼んで貰うなど、ファン達からしてみれば激昂ものだろう。彼らに対する対策も考えなければ習い。しかしその面倒や手間以上に、は“名字”で呼ばれることが嫌だった。
そんな、細やかな葛藤を微塵も感じさせないの言葉に、真田はこっくりと頷く。
「判った。そうする」
「良かった。それじゃ先にお暇します。んじゃ、また寮で!」
はきびきびとした動作で向き直ると、玄関目掛けて駆け出していった。
真田は、遠ざかるの後ろ姿を見つめながら思った。
(……スカート、短すぎないか?)
同年代の女子に比べたら長いほうかもしれないが、十分に短いといえる。一応男子なのであれば、その布の頼りなさに何か思ったりするのではないだろうか。それすら彼は慣れているのだろうか。
というのは良く判らない人物である。
まだひと月も一緒にいた訳では無いから仕方ないだろう。しかし女装をしている人間と交流するなんて、絶対珍しい経験のはずだ。自身のコミュニケーション能力が平凡であると自覚している真田には、への上手い対応が未だに思いつかなかった。他の後輩男子と接するのと同じようにしているが、この先それだけでは駄目なこともあるだろう。
その時は美鶴でも頼ればいいか、と真田は考えをまとめた。
「天谷といい、アイツといい……今年の二年は変わってるな」
豆台風のように過ぎ去ったを思い返しながら、彼はそっと、笑みを零した。
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