ポートアイランド駅から少し外れた、路地裏。
 普段は不良のたまり場と化しているのだが、今日は珍しく誰もいない。
 ゆっくりできると、荒垣が思った瞬間、この廃れた路地裏に似つかわしくない人影が舞い込んで来た。

「よう、シンジ」

 トレーニング途中らしい真田だった。軽く手を振りながら、彼は荒垣に歩み寄ってくる。
 そんな親友の爽やかな挨拶に、荒垣は溜め息で返した。

「……んだよ」
「素っ気ないな。今日はちゃんと話があるんだ」
「また“戻って来い”ってんだろ」
「待てって。……他にもある」

 荒垣がふと歩みを止め、振り返った。
 どうやら話を聞く意思があるらしい。真田はふっと笑うと、近くの段差に腰を下ろした。首に掛けていたタオルで汗ばんだ額を拭いながら、彼は語り始める。

「前に、うちの後輩が世話になったろ? 天谷たちについで……その、髪の長い、と言う奴なんだが」
「ああ、あいつか。……妙に歯切れ悪いな、アキ」
「いや、うっかり“髪の長い女子”と言いそうになってな。は、あれでも男なんだ」

 自分でも何故こんなに言い辛いのか判らなかったが、真田はそう打ち明けた。そして打ち明けてから彼は、失言だったのではないかと気付いた。が女装をしている理由も知らない自分が、の気持ちも聞かずに女装のことを明かしても良かったのだろうか――。そう考えた。
 しかし荒垣は対して驚いた風もなく、「そうか」と頷く。まるで当たり前のことのようだった。
 それが真田には不思議だった。自分は少なくとも驚いた。の性別を確かめて再度驚いた。そのぐらい衝撃だったと言うのに。
 思わず真田は、荒垣に訊ねた。

「驚かないのか?」
「驚いてねえ訳じゃねえが、何となく違和感はあったからな」
「……凄いな」

 俺なんか初めて会った時から驚きっぱなしだし、この間の満月なんかホテルの部屋で……。
 思い出しかけた失態を、真田は慌てて記憶の奥へ押し込めた。今は関係の無いことだ。
 気を取り直して、真田は続ける。

「とりあえず、そのが“ありがとう”と言っていた。伝えておいてくれって言われたんだ。確かに伝えたぞ」
「そうか」
「あっ、おい待――」

 まだ何か言いたそうな真田を尻目に、荒垣は踵を返した。恐らくの話が終わった後、真田が話そうとしていたことを察して素早く去ったのだろう。
 つまり真田の勧誘は、またもや失敗したのである。



◆◆◆



 平日にも関わらず、今日のポロニアンモールも人で賑わっている。
 そしても、その賑わいに身を委ねていた。のんびりと一人、ウィンドウショッピングを楽しんでいるのである。買い物は、次のバイトの給料日までのお楽しみだ。

「にしても人多いなぁ」

 未だ慣れない人ごみの中、ふっと周りを見渡した瞬間だった。
 どんっ、と、肩に強い衝撃を感じた。転び掛けてぐっと踏ん張る。余所見をしていたせいで、人にぶつかってしまったようだ。
 はハッとして向き直った。前方で少年が尻餅をついている。自分とぶつかったせいだということは、考えるまでもなかった。
 慌てては叫んだ。

「あああ、ご、ごめんなさい大丈夫ですか!?」

 年齢はと同じぐらいだろう。特徴的な青い短髪と、黒縁の眼鏡が印象的な少年だ。
 より強い衝撃を受けたのか、少年はまだ立ち上がれないでいる。

「ったぁ……。はっ!? あかん、袋破けてもうたか……!」
「袋……ああああ!」

 少年はぶつかったことよりも、荷物をぶちまけてしまったことにショックを受けているらしかった。荷物は大量のスケッチブックだった。確かにこれは、汚れたら大変である。
 は慌ててしゃがみ、スケッチブックを掻き集めた。自分の服や手で汚れを払い、何度も少年に頭を下げる。

「ほんっとすいません! ごめんなさいっ!」
「ええて、ええて。わしもボケッとしとったさかい」

 流暢な関西弁だった。本場の関西弁なんだろうかと妙に感動しながら、はスケッチブックを掻き集めた。

「本当にごめんなさい」

 改めて少年と顔を合わせる。それにしてもなんて真っ青な髪だろう。奏夜とはまた違う、しかし鮮やかなその髪色を、はまじまじと見つめた。

「青春の青だ…」

 はぽつりと呟いた。しかし少年が「は?」と間の抜けた声を出したことにより、素早く我に返る。
 はカバンの中を漁った。そして大きめの袋をひとつ取り出した。何かあった時や買い物をした時のために日頃から幾つか持ち歩いているのだ。まさかこんな形で役立つとは。
 黙々とスケッチブックを袋に詰めると、は満足げに頷いた。

「……っよし! この袋結構丈夫なんで平気なはず」
「こりゃあ、おおきに。姉ちゃん親切やのう」
「いやぶつかったのコッチだしね」

 此方がぶつかったことを責めるわけでもなく、気さくで優しい少年の言葉。
 は、その親切さを噛み締めながら笑い返した。

「ほな、急いどるさかい!」
「あ、はい、お気をつけてー」

 スケッチブックを抱えた少年は、足早に立ち去った。
 破けてしまった袋を近くのゴミ箱に捨て、もまた、ウインドウショッピングの続きにと歩き出す。
 ――先に去ったはずの少年が、自分を見ていたことにも気付かずに。
 指先で眼鏡を上げ、青髪の少年……ジンは呟いた。

「あれ…… か」

 こないだの七夕んときにも確かにおった顔や。
 記憶を振り返りながら、ジンは確かめた。

「すぐ死にそうなタイプやな……」

 ああいう能天気なお人好しは馬鹿を見る。そんな考えに耽っていたが、ふとジンはハッと顔を上げた。

「あかん! 早よ戻らな、チドリがキレる……!」

 スケッチブックは全てチドリからの頼まれものなのだ。一度「自分で買いに行け」と言ったこともあったが、思い出したくもない強烈な勢いで一蹴された。以来、買い出しはジンの役目なのである。
 かさばり、重みのあるスケッチブックを抱え直し、ジンは駆け出した。

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