珍しくバイトのない夜のことだった。
巌戸台分寮でのんびりしていたのもとに、風花がやって来た。教科書やノートを抱えている彼女の姿に、は、勉強熱心だなあ、とぼんやり思った。
そんなに、風花が訊ねる。
「くん、勉強してる?」
「え?」
「今度の火曜から、期末テストでしょ?」
そう風花に言われて、はテストの存在を思い出した。冷や汗が額に滲むのを感じる。
は無言で思い悩んだ。
健やかなバイト生活を送るためにも、赤点……そして補習だけは避けなければいけない。放課後どころか下手をすれば長期休暇期間中にも及ぶ補習を受ける余裕など、バイトだらけのには無かった。しかし、なかなか対策勉強に取り組もうと言う気は起きない。
いつもよりのあらゆるモチベーションは低かった。
(あんな話、聞かされた後じゃあなあ……)
が滅入った原因である“あんな話”。
それを聞かされたのは、7月11日の夜のことだった……。
◆◆◆
寮の作戦室に一同が集合し、幾月に7月7日のシャドウ討伐作戦の報告をしていた時のことだった。
姿を隠しての精神攻撃など、少しずつ手強くなってきている満月のシャドウについての話を、淡々と美鶴が話している。幾月は無言でその報告に耳を傾けていた。いつものダジャレを連発する朗らかさを押し込めた真剣な表情は、まるで別人のようである。
シャドウの強さを懸念しつつも、幾月はそれを悲観していなかった。どうやら今日彼がやって来たのは、報告を聞くためだけでは無かったらしい。「悪い話ばかりじゃない」と前置きして、彼は続けた。
「実は、今日みんなに集まってもらったのは……」
「待って下さい」
しかしそんな幾月の声を遮り、ゆかりが口を開いた。
一同の視線は自然とゆかりへと注がれる。真剣を通り越して、怒っているようにすら感じられるゆかりの表情に、は瞬きした。
「この際なんで……桐条先輩に訊きたいことがあります」
「私に?」
ゆかりは力強く頷いた。真っ直ぐに美鶴を見つめ、彼女は続ける。
「ズバリ訊きますけど……先輩、私たちに、まだ何か大事なこと言ってないんじゃないですか?」
美鶴は表情を変えない。あえて変えまいと努めているのかもしれない。
鋭い眼差しで美鶴を睨みながら、ゆかりは更に言い募る。
「“影時間”や“タルタロス”のこと、わかんないみたいに言ってましたけど……あれって、10年前の“事故”と関係あるんじゃないですか?」
ゆかりが零した「事故」という単語に、奏夜が微かに目を伏せたのをは見た。もしかしたら奏夜も思うところがあったのかもしれない。もしくは事故に絡んだ何かを経験したのかもしれない。は素早くそんな憶測を繰り広げたが、すぐに止めた。今は関係ないことだと思ったし、ゆかりの話そうとしていることがにとっても重要なことである気がしたからだ。だから聞き逃すのは惜しい、そう思った。
美鶴は何も言わずに、静かにゆかりの話を聞いている。
「学園の周りで爆発があって、たくさん人が死んだ話……。当時すごいニュースになったはずですし、先輩は知ってますよね?」
「……ああ」
美鶴が短く頷く。ただ頷くだけだ。それ以上は何もない。
剣呑な雰囲気に不安を覚えた風花が、ゆかりと美鶴を見つめている。どうにかしたくても、とても口を挟める雰囲気ではなかった。
ゆかりは話し続けた。
「私、実は学園に残ってる昔の書類とか、調べたんです。幸い生徒に怪我人はいなかったみたいですけど、でも、何かヘン。ちょうど同じ頃、何十人も急に倒れて入院してるんです」
黙る美鶴に、ゆかりは尋ねた。
「似てると思いませんか? 風花をイジメてた子が、入院した時と」
美鶴は口を開かない。ゆかりの口調は、更に強いものとなる。
「ちゃんと説明して下さい! 10年前の事故……あの日、本当は何があったんですか? 学園は桐条グループが建てたんだから、先輩は知ってるはずでしょ! 私、ホントの事が知りたいんです!」
ゆかりの叫びが響いた後、少しの静寂が部屋を包む。
……美鶴はようやく、重たい口を開いた。
「隠してる訳じゃない。必要の無い事は告げてないというだけだ……」
苦しげな美鶴の答えに、幾月が無言で頷く。
美鶴は腕を組直し、伏せていた視線を上げた。決心したように彼女は、ゆかりの質問へ答えるべく、話し始めた。
「シャドウには幾つも不思議な能力がある。研究によれば、それは時間や空間にさえ干渉するものらしい」
タルタロスでシャドウと接触した際のことをは思い出した。
普段タールのように澱んでいる影は、触れた瞬間に異なる形・異なる数へと変化し、こちらに牙を剥いて来る。
あるはずのない時間“影時間”を生み出し、その時間を自由に動き回り、時に人を引きこみ喰らうおぞましいもの。
あれが時間や空間に干渉する存在だと言われれば、妙に納得がいった。
「私達は敵と思ってるからあまり意識しないが、もしそれを利用出来るとしたら…どうだ? 何か大きな力になるかも知れないと思わないか?」
「え……?」
ゆかりが首を傾げた。構わず美鶴は話し続ける。
「今から14年前、そう考えて実践に移した人物がいたんだ。桐条グループの先代、桐条鴻悦……私の祖父だ」
考えることも、実践できる余裕があったということも、スケールが大きくてついていけない。さすが桐条というべきなのだろうか?
は呆然としていた。順平も似たような顔で話を聞いている。
「祖父はシャドウの力にいたく魅せられ…それを利用して、何か途方もない物を作ろうとしていたようだ。そして実現のために、研究者を集い、シャドウを大量に集めさせた」
美鶴の話に、順平が顔をしかめた。「シャドウを集めたなんて、正気かよ」次いで彼がそうぼやいたのを聞いて、は心から同意した。
率先してあれに触れようだとか、集めようだとか、必死に戦っている身としては考えられないことだ。
「しかし10年前、計画の最終段階で暴走事故が起き、実験は失敗……。制御を失ったシャドウの力で、後には忌まわしい痕跡が残る事になってしまった」
「それって、まさか」
悟ったように呟く奏夜に、美鶴は頷いた。
「そう――影時間と、タルタロスだ」
思わずは震えた。
ひとりの人間の行動のために、あんなものが残されたのか。
初めてシャドウに襲われた時の記憶が脳裏に蘇る。おぞましいあの闇色の手が伸びてくるのや、背中を打った時の痛み。どれも未だに鮮明に思い出すことが出来た。恐怖以外の何物でもなかった。
は、影時間でもないのに、ずっしりとした疲労が体を占めていくような思いがした。
更に美鶴は語る。
記録では、集められていたシャドウは分かれて飛び散り“消失”したということ。満月の度にやって来るのは、この時のシャドウであり、いつも出現場所が判らないのもそれが理由なのだと。
「ちょっと、いいですか?」
ふと、それまで静かに話を聞いていたゆかりが、割って入った。
「今の話がホントなら、なんで学校がタルタロスに?」
言いながら、ハッとしたようにゆかりが目を見開いた。自分で疑問を呟きながら、その答えに気付いたらしかった。
「まさか……実験をやった場所って……」
「……全て、君の考えている通りだ」
美鶴の頷く姿を見て、ゆかりが青ざめた。
ここまで来るとも、他のメンバーも予測が付いていた。しかし、出来れば外れていて欲しいと思っていた。
否が応でも気付く。
桐条グループの傘下、ポートアイランド。
謎の爆発事故と同時に、怪我も無いのに入院した沢山の生徒たち。
遂に美鶴は告げた。
「実験の場所は、紛れもなく、10年前の月光館学園だ」
おぞましい、その現実を。
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