遂に迎えた期末テスト当日。
 静かな教室に、リズミカルなペンシルの音が響く。澱み無く書き進む音があれば、明らかに悩んでいるような音もある。
 ささやかな音たちに耳を傾けつつ、は腕時計を見た。残り時間はあと30分といったところか。

(すげー。試験時間むちゃくちゃ余っちゃったよ)

 テスト対策勉強の最中、風花が言ってくれていた言葉が脳裏に蘇る。

くん、ちゃんと学校来て授業受けてたでしょ? きっと大丈夫だよ』
『山岸の言う通りだ』

 同じく勉強を指導してくれた真田も話していた。

『こういうのは日頃の積み重ねが物を言うからな。普通に授業を受けてれば、間違っても赤点なんて取らないさ』

 そんな二人の励ましを受け、急ごしらえながら頑張って来た。
 今日を含めてテストはあと3日ある。このままならいける。カンもいい感じだし、いけるぞ自分!
 は、今までにない確かな手応えを感じていた。そしてサボらず真面目に学校に通っていた日々に、初めて感謝していた。
 入念に答案用紙を見返し、誤字や脱字を確認し、それでも余ったこの時間は、眠りと言う名の安息に使わせて貰うことにしよう。
 悠々と頬杖をつき、はゆっくりと目を閉じたのだった。



◆◆◆



 テストが終わるや否や、は軽やかに教室を飛び出した。
 いつかの誘いを思い出し、風花や夏紀たちと帰ろうかとも考えた。しかし女同士の友情を邪魔するのは気が引けた。
 だからといってひとりでいるのは少し辛かった。そう思うようになったのは最近のことである。
 これも友達ができたから、だろうか。
 孤立する自分から目を逸らすようには歩いた。寮に帰れば、少なくとも一人では無くなる今を思えば、学校での友人関係は目をつぶっていられる。
 部活に入ろうにも、バイトがある。興味ある部活も無い。
 いっそ料理部でも立ち上げようか、などと考えながら歩いていた時だった。

「――あ、順平くん」

 たまたま順平と鉢合わせた。あちらも帰るところだったのだろう。荷物を提げ、玄関の方へと歩いている。
 が声を掛けると、順平はぎこちなく「よう」と返した。
 返事を受けて、は話題を広げようと口を開いた。

「テストも折り返しだね、長いね」
「だな。……勉強してんの?」
「風花ちゃんや真田先輩にご教授頂いてバッチリ」
「へぇ……」

 は努めて明るく振る舞う。対して順平は、いささか暗い。
 聞くまでも無く、前日の喧嘩が原因だろう。思えばあれ以来、まともにお互い口を利かずにテスト期間へと突入していた。
 流石にも徐々に困ってきた。話が広がらず、言葉に詰まる。

「あの……」
「じゃ、俺帰るから」
「お、おう……。さよなら……」

 から離れ、そそくさと順平は先に行ってしまった。
 何とも言えない空しさがの胸を埋めていく。
 ……は無言で歩き始めた。
 学校を出てから、真っ直ぐに巌戸台駅まで直行した。そこでの腹が小さな音を立てた。普段使わない頭をテストで使ったせいか、腹が空いていた。
 タコ焼きでも買って帰ろうかな、と、財布から400円を取り出し、はタコ焼き屋へと近付いていった。

「……あっ!」

 そしては思わず声を上げた。
 店の前には先客がいた。その人物には見覚えがあった。
 眼鏡をかけた、青髮の少年。以前モール内でぶつかってしまった、彼である。
 少年が振り返り、を見ると「おお」と呟いた。手にはホカホカのタコ焼きが1パック収まっている。
 どうやら少年ものことを覚えているらしい。どちらかというと友好的な少年の様子に、は何だか嬉しくなった。

「まさかまた会うとは……あ、タコ焼き1パックくださーい!」

 は素早くタコ焼きを受け取ると、そのまま少年に近付いた。

「奇遇だね、此処よく来るの? あ、馴々しくてごめん。こういう性格なの」
「平気や、構わへん」

 穏やかな少年の返事に、はまた嬉しくなった。笑顔と言葉に歯止めが利かない。

「俺、 。そちらは?」
「ジンや。よろしゅう。……て、俺?」
「ああごめん。俺、男なの」

 首をかしげたジンに、はあっさり返した。それと同時に、胸の詰め物を服の上からずらして見せる。
 ジンは「ほおー」と頷き、タコ焼きを頬張った。もぐもぐとタコ焼きを飲み込むと、「……おー?」と呟き、一時沈黙する。
 詰め物を戻すの爪先から頭の先までを一通り見渡した後、ジンは……噴き出した。

「ぶぐっ、はっ、何やて! おっ、男!? 何や、ソッチ系の人かいな!」
「中身は可愛い女の子が好きな至ってノーマルだけど」
「はぁ!? ますますなんで女装しとんねん!」

 笑いながら「もう趣味かな」とが返すと、ずれた眼鏡を直しながらジンは頷いた。

「世の中は広いなぁ……。酷いわ、こないな別嬪が男やなんて」
「ははは、ありがとう」
「褒めとらんで? わしは嘆いとるんやで?」

 じとっとを恨めしそうに見つめながら、ジンがベンチに腰を下ろす。当然のようにも隣に座った。
 テンポの良いジンとの会話に、の沈みかけていた気分は復活してきていた。

「はふっ、タコ焼き旨ーい」
「ほんまに旨いわ、癖んなってまう。……せやかて入っとるのタコと違うで」
「え!? じゃ、じゃあ、な、何なの……?」
「知らん方がええことも世の中にはあるんや」

 意味ありげに呟くジンを見て、それ以上言及しないことをは心に誓った。
 ジンだって食べているんだから、体に影響するものではないはずだ、と自分に言い聞かせる。
 それからは、気を取り直してジンに訊ねた。

「ジンくんって、関西の人なの?」
「そんなとこや。けどまぁ……人生の殆どはこの辺りで過ごしとるんやけど」
「へえー……っあつっ!」
「慌てんでもタコ焼きは逃げへんで?」

 タコ焼きの熱さに悶えたを、ジンはおかしそうに笑った。
 何故かもつられて笑う。

「っはは、何か良いな、こういうの……。ジンくん良いなぁ」
「何や、急に? わしにソッチの趣味は無いで」
「だから俺も無いってば! ちょっと久々に同年代の人とはしゃいだから嬉しいだけ!」

 が男であることを受け止めながら話してくれているジンに、は感動を覚えていた。この類いの感動は以前もあった。荒垣に、自身の女装を明かした時である。荒垣と違い、ジンのリアクションは大袈裟ではあったが、決して嫌味では無い。
 世の中は広い。広い分、自分の普通ではない振る舞いを嫌うのではなく、受け入れてくれる人物もいるのだ。
 その有難さをはしみじみと感じていた。

「あ、この間のスケッチブック大丈夫だった? 本当にごめん」
「お陰様で無事やったで。ギリ怒られずに済んだわ」
「頼まれ物だったのか?」

 ジンは頷きながら、タコ焼きをひとつ頬張った。

「まぁ、一緒に暮らしとる奴に頼まれてな。自分で買いに行こうせんのやアイツ」
「へぇ……妹さんとか?」
「妹……? まぁ、そんなと……いやアカン、無しや無し。アレが妹なんて、おっそろしいわ」
「そ、そっか」

 言いながらジンが青ざめる。何かを振り払うようにブンブンと首を振り、彼はまたタコ焼きを口に放り込む。
 その姿にほのかな申し訳なさを感じつつ、は苦笑した。
 タコ焼きを食べながら、二人はしばらく談話を楽しんでいた。
 そうしてタコ焼きを平らげると、は腰を上げた。軽く伸びをし、食べ終わったタコ焼きの容器をゴミ箱に捨てると、ジンを顧みた。

「自分はそろそろお暇しますわ! ありがとうジンくん」
「何もしとらんでわし」
「いーの、俺が勝手に感謝してんだ。受け取っといて」

 両手を大袈裟に振って、は笑った。

「じゃあ、また!」
「また?」
「ばいばーい」

 長い髪を風に遊ばせながら、は駆けて行く。
 置いてけぼりを食らったジンは、しばらく呆然としていた。
 しかし彼の思考はすぐに現実へと戻る。

(――また、なんて。あらへんわボケ)

 敵かもしれないヤツラの一人や。仲良しごっこするつもりは無い。
 の姿を思い返しながら、ジンは胸中でそう吐き捨てた。

(勝手に感謝押し付けて、ずかずか踏み込みよって。訳判らんやっちゃ)

 余っているタコ焼きを殆ど噛まずに押し込み、片付ける。
 ジンは悔しかった。何故かの強引さと気易さを、何処かで“心地よい”と感じていたのに気付いたからであった。
 妙にもやもやした気分に苦しみながらも、ジンは、足早に帰路へとついた。
 仲間がいるアジトに着いた頃には、ジンの中にあった靄は、何処かへと霧散していた。

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