怒濤の期末テストは、今日を持って幕を閉じた。
今夜はテストが開けてから、初のタルタロス探索である。
そして初めての散開行動に、は内心緊張していた。他のメンバーは以前から奏夜の指示で散開することがあったらしい。まるっきり散開初心者なのはだけということである。
幾何学的な模様、己の遠近感を惑わすような空間の構造が視界を混乱させる。シャドウと出くわしたら一人で戦わなくてはならない。この階層の敵にはだいぶ慣れたし、それ自体は難しくは無い。だが影時間の疲労も相まって、不安が掻き立てられていた。
(た、楽しいこと考えよう! ほら、屋久島旅行あんじゃん! 初めての南の島じゃん!)
期末テスト前夜に寮を訪問した、幾月の言葉を振り返る。
幾月いわく、美鶴の父が屋久島で休暇を過ごすらしく、一緒に過ごしたらどうかとのことであった。
娘である美鶴はともかく、他のメンバーまで誘ってくれた幾月の計いに、は内心ガッツポーズをとった。
「どうだい? ここらで気分転換でも」そう言って屋久島旅行を提案してくれた幾月のにこやかな笑顔に、含むメンバーがどれだけ活気づいたことか。
この5日間のテストを乗り切ったのも、風花のみならず真田にまで教えを請うたのも、すべては華やかな気分転換旅行イン屋久島のためだったのである。
影時間にめげず、は気を持ち直した。
「よっしゃ!」
気合いを入れ直す掛け声を出し、刀を何時でも抜けるように構えたまま、は駆け出した。
◆◆◆
散開命令が出されてから、結構な時間が過ぎた。影時間の間は機械も動かないので、腕時計も携帯電話もあてにならない。自分の感覚だけがすべてだ。
は足を止め、ふうと息を吐いた。休憩がてら、周りをぐるっと見渡す。
めぼしいものは特に無いようだ。この階層についたとき、そういえば風花が報告していた。「シャドウが見当らない」と。
つい何時もの調子でシャドウと戦うことばかりを考えていたが、その必要は無かったのだ。
そう思って胸を撫で下ろしかけ、しかし、は息を呑んだ。
「……逆に、なにもいないっておかしくない?」
しんと静まり返った、本当に“なにもいない”空間。
普段は散らした先から沸いて来るはずのシャドウが一切いない。
獲物である人間たちがやって来ているというのに、どうして姿を見せないのだろう?
胸騒ぎがした。
『――気をつけて、“死神”タイプの反応が……あっ、くん!』
風花の声では我に返った。
じゃら、じゃら、と、金属を引き摺るような音が耳を突く。
かなり近い。
音は少しずつに近付いてきていた。背後から、確実に。
心臓が激しく脈を打つ。本能が“危険だ”と告げている。このままでは“終わる”と言っている。
どうしようもなくなったは、意を決して振り返った。
そして、凍りついた。
(何だ、これ)
血に塗れた、黒いコートを纏った化け物がいた。不自然に長い拳銃を両手に構え、体を揺らしながら化け物は近付いて来る。上体に巻き付いている鎖が、不快な金属音の正体らしかった。
“刈り取る者”。
死神のアルカナを持つ、他のシャドウとは一線を画する存在であった。
それが今、自分の目の前にいる。
「遭ってしまったら逃げろ」と、あの真田でさえ警告していた相手だ。 しかし、この至近距離で背中を見せたら、間違いなく“刈られる”だろう。
既には死神の射程に入ってしまっていた。顔らしい顔が認識できないが、明らかに相手はに気付いている。
に残された手段は、ひとつしかなかった。
どうにか相手を怯ませ、隙を突いて逃げるしかない。
「っ、ペルソナぁああ!」
召喚器の引き金を、震える手で引いた。青白く発光する硝子に似た欠片が闇に散っていく。
のペルソナ・デオンが、主の呼びかけに応じて現れた。間髪いれず、はペルソナに命じた。
「ガルーラッ!」
死神を見据えたデオンが、強烈な突風を引き起こす。しかし死神が怯んだ様子は無い。普段のシャドウであれば一撃で霧散するガルーラも、死神にとってはそよ風でしかないようだ。
死神以外のシャドウが見当らない理由をは察した。他のシャドウたちにとっても“刈り取る者”の存在は脅威なのではないか。だからなりを潜めて、こいつが何処かへ行ってくれるのを待っているのではないか、と。
『今、リーダーたちが向かってます!』風花が救援を呼ぶ声が響いた。奏夜には、戦闘から離脱するスキルを持ったペルソナがある。合流し、そのスキルを使えば死神から逃げる事が出来る筈だ。
問題は、それまでが耐えられるかどうかだった。
デオンの突撃も死神にはさほど効かない。圧倒的な力の差を、は痛いほどに感じていた。
そして間を置かない連続のペルソナ召喚は、に急激な疲労を齎した。ずきりと頭が鈍く痛み出す。その痛みに一瞬、足元がふらついた。
――死神が、笑った気がした。
瞬間、を強い冷気が取り囲んだ。氷結系の術だろうか。考える間も無しにの視界は氷で埋まり、砕けた。
冷たさを越えて、激しい痛みがの全身を駆け抜ける。喉の奥で血の味がした。術の余韻で、吐き出されずに血が凍ってしまう。息が詰まった。
(マジかよ……)
俺、死ぬのか?
漠然とした予感に、は何故か笑えてきた。といっても顔の筋肉は凍えていて、ろくに動かなかった。
頭の中は真っ白だった。それでもは、軸足に最後の力を込めて踏みとどまった。刀を床に突き刺し、ぎりぎりのところで体を支える。
朦朧とする意識の中、必死に顔を上げて死神を見た。
にとどめを刺そうと、死神は銃を構えていた。
――その時。
「ヘルメスッ!」
覚えのある声には振り返った。
そこには、血相を変えた順平が立っていた。
呼び出された彼のペルソナ・ヘルメスが宙を滑るように飛び、死神に向かって足から突撃していく。
程なくして、ゆかりと奏夜が続いてやって来た。
「、大丈夫!?」
血相を変えたゆかりが、の体を引っ張る。
その間に奏夜が、ペルソナを召喚した。
「トラフーリ!」
放ったのは、戦闘を離脱するあの技だった。
奏夜を中心に広がった光が辺りを包みこみ、一拍の間を置いて弾けていく。
の意識も、光と共に緩やかに拡散していった――。
◆◆◆
一向はエントランスへと帰っていた。
ゆかりのペルソナの回復術により意識を取り戻したを待っていたのは、鋭い目をした美鶴の説教であった。
「山岸から話は聞いた。随分と無茶をしたな?」
「……すいません」
は反省しているというよりは、疲労で言葉が詰まっている様子であった。「まったく君は……」呆れたように美鶴は溜息をつく。
そこに、風花がを庇うように話に入っていった。
「でも、あの時のくんと、死神が出現したポイントは凄く近くて……。あの距離じゃ、脱出ポイントに向かう方が大変だったと思います」
それに私がもっと早く教えてあげられなかったから……、と俯く風花に、は慌てて顔を上げた。まだまだ痛む喉から、懸命に声を絞り出す。
「風花ちゃんが気に病むことないさ。死神は神出鬼没だろ、それに……今こうして無事だしさ」
「そうだよ、風花は悪くない」
はは、と気の抜けた笑みを漏らすに、奏夜が同調するように頷く。それから彼はに向き直ると、申し訳無さそうに口を開いた。
「風花が“嫌な予感がする”って言ったのに散開させた俺が迂闊だったんだ。ごめん、」
「いーって、いーって。まさかあんなひょろっと来るとは誰も思わないよなぁ」
ひらひら手を振りながらは力無く笑う。そのままは、順平の方を見た。
「ありがとな、順平くん」
「え? いや……お互い様じゃん、あーいうのはサ」
「スライディングしてくヘルメス見た時は、もう俺“助かったぁ”って感動しちゃったよー……。ヘルメスと順平くんのかっこよさったら、半端なかったわ」
笑うの目が若干潤んでいることに、順平は気付いた。
がへたりこんだまま立てないのは、怪我や疲労のせいだけではない。未だに抜けない恐怖の大きさが一番の理由だった。
順平は無言でに歩み寄ると、肩を貸して立たせた。ふらつくを何とか支えながら、奏夜を顧みると、順平は言った。
「奏夜ー。オレ、連れて先に帰るわ」
「……うん、任せた」
美鶴がまだ何か言いたそうだったが、その前に二人はタルタロスを出て行ってしまった。
静まり返ったエントランスで、奏夜が気を取り直して言う。
「俺たちはもう少し探索しましょう」
リーダーの言葉に、残ったゆかりたちは誰からともなく頷いた。
奏夜が風花以外の三人を連れて、またタルタロス内へと入って行く。
「どうか、気をつけて」
風花の言葉に、奏夜は笑って頷いた。
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