「やったー!」

 は思わず諸手を上げて顔を輝かせた。
 そのオーバーアクションと叫び声に、周囲の視線がへと集中し、突き刺さる。
 我に返りハッとしたは、そこが職員室の前であることを思い出した。先程までの勢いをなくした気まずそうな顔で、そっと腕を下ろし、そそくさと職員室前の廊下を過ぎ去っていく。
 旅行が明けた夏休み目前の登校日。今日は、先日行われた試験結果の発表日だったのである。

「やったー、やったよ風花ちゃん!!」

 放課後、は喜びを押さえ切れずにはしゃいでいた。
 そんなの姿を見て、風花がおかしそうに笑う。

「良かったね、くん」
「うん、真田先輩にもお礼メールしといた! 返信はなし! 畜生、教え子の成長を喜べよー……。お礼するからー……」
「真田先輩、早速部活に打ち込んでるんじゃない?」
「なるほどなー」

 風花の言葉にはすんなりと納得した。しかし未だに喜びを隠しきれずにふやけた頬が、風花の目に映る。
 がこんなにはしゃぐのも無理はなかった。
 今まで頑張っても平々凡々な成績しか残せなかった定期試験という悲しく辛いそれ。今回は風花と真田に教えを請うただけあり、見事は学年成績で上位に入ったのである。風花に比べれば全然低いしギリギリ上位なだけだが、にとっては奇跡とも呼べる快進撃だった。

「風花大先生ありがとうございましたっ!」
「も、もう、大袈裟だよくん……」

 両手を握られ何度も頭を下げられ、風花が照れ臭そうに頬を赤らめる。
 すると不意にの携帯電話が鳴った。どうやら真田からの返信らしい。

「おっ。“それは良かったな、おめでとう”だって」

 早速は上機嫌でメールを読み上げる。わざわざ普段より低めの声を出し、真田の声音を真似ているようだが、全然似ていない。イントネーションだけはばっちりで、風花は必死に笑いをこらえた。

「“なかなか頑張っていたようだし当然の結果とも言えるな”」
「真田先輩らしいね」
「……“礼は、海牛の牛丼で良い”……」
「さ、真田先輩らしいね」
「安上がりだな……」

 静かに呟き、携帯電話を閉じると、は風花に向き直った。

「風花ちゃんは何か食べたいものとか無い? よっぽど高くなければホイホイおごるよ。てかおごらせて!」
「え、えっ? そうだな……。私も牛丼食べたいかな。ひとりじゃああいう所、行けないし」
「オッケー!」

 びしっと親指を立て、は頷いた。
 るんるんと鼻歌交じり歩くを見て、風花は笑った。
 同じペルソナ使いとして巌戸台分寮に身を置くようになってから、は随分と変わったと風花は思う。
 出席日数をギリギリで達成するほどのサボりぶりだったのがいくらか改善され、それと同時に学校で感情を表すことが多くなっていた。
 があまり表に出さなかった“素”の顔が、最近では学校でも出ている。
 風花はそう感じていた。

さん、山岸さん、さよならー」
「うん、さよならー」
「あっ、さよなら」

 すれ違うクラスメイトと気さくに挨拶を交わす。は嬉しそうな笑顔だった。
 風花にはその気持ちがよく判る。打ち解けることのできなかったクラスメイトと、少しでも距離が縮まる嬉しさ……。
 改めてその幸せを思うと、笑みが零れる。
 と風花は他愛ない話を交わしながら、駅に向かった。



◆◆◆



 巌戸台駅で風花と別れたは、ひとりで商店街にいた。

「風花ちゃんは並盛で大丈夫だよね……」

 テイクアウトしてきた海牛の牛丼の袋をぶら下げながら、散歩する。
 今日はバイトも無い。正直暇であった。
 タルタロス探索のことを考えると、今年はバイトを増やせないだろう。それどころか減らさなくては体が持たないかもしれない。
 ふう、と息を吐き、は近くのベンチに腰掛けた。
 一人でぼんやりとするのは久しぶりな気がした。ここのところ、誰かに囲まれ、誰かと関わるのが日常になっている。
 決して悪いことではないが、いざ一人になった時に胸を過ぎる寂しさが恥ずかしい。
 とっくに一人で時間を潰すことは慣れてしまったつもりだったのに。

「今日は牛丼もあるし、帰っちゃおっかな……」

 どことなく気落ちした顔で、ゆっくりとは腰を上げる。
 帰路へつこうと、また歩き出したその時だった。
 ……何となしに過ぎたたこ焼き屋の前で、見覚えある青髪を見つけた。
 赤いランドセルを背負った少女とたこ焼きを食べているその人物は、間違いなく奏夜だった。
 どういった事情かは知らないが、少女はいたく奏夜になついているようだ。まるで兄と妹のように微笑ましい図である。
 思わず頬を緩ませたに、奏夜が気付いた。

ー」

 間延びした声でを呼びながら、彼が手招きしている。は素直に奏夜たちに近寄った。

「ちょうど舞子ちゃんが“おにいちゃんの友達が見たい”って言ってたんだ」
「舞子ちゃんって言うのか」
「うん、はじめまして!」

 活発そうで、明るい子だった。人見知りする様子もなく元気に挨拶する舞子に、は笑い返す。

「初めまして、舞子ちゃん。って言います。よろしく」
「うん、よろしくね、おねえちゃん!」

 ――おねえちゃん、か。
 は頷いて返した。ちらりと視界に入った奏夜の含み笑いは気にしないでおく。

「奏夜くん、交友関係広いね」
「うん。大事なことだから」
「そっか」

 幸せそうにたこ焼きを頬張る舞子を挟むように二人はベンチに座り、他愛の無い会話を交わした。

「奏夜くん頭良いよね、テストの結果びっくりしたよー」
「頑張ったから」
「おにいちゃんすごいねー」
「すごいよねー」

 それから二人で舞子を送り届けると、寮へ帰った。

「ただいまー」
「あ、お帰りなさい」

 いつものようにラウンジでパソコンをいじっている風花が一番に出迎えてくれる。
 はすぐさま風花に駆け寄った。パソコンから離れた場所に、袋から取り出した牛丼をそっと置く。

「はい、風花ちゃん! お礼の牛丼です」
「あ、本当に良いの? ありがとう」
「いえいえー」

 は笑って返し、今度は真田の方に駆け寄った。トレーニング上がりらしい彼もまた、ラウンジでくつろいでいるところであった。

「はいっ、先輩もありがとうございましたー」
「どう致しまして」

 そんな光景に、周りは首を傾げた。

「一体どしたん?」
「テスト勉強のお礼に牛丼献上したの」
「へー」

 の説明に、順平は合点がいったように頷いた。

「そういえば職員室前で大喜びしてたって聞いたな。一体何位だったんだよ?」
「ふふ、全体順位の前半であるとだけ言っておこう……。あとは君自身の目で確認したまえ! 俺の栄光を、職員室の前でな!」
「なんだとう!? 畜生オマエ、オレを裏切りやがったなー!」

 ふざけと本気の入り交じった表情の順平に揺さぶられながらも、は嬉しそうに笑っている。
 話を聞いていた美鶴も、感心したように頷いた。

「グッジョブ、。頑張ったじゃないか」
「へへっ、ありがとうございます」
「順平もちょっとは見習ったら?」
「そういうゆかりッチだって勉強した割には……っででで!」

 余計なことを言った順平に、ゆかりの手痛い反撃が加えられる。
 順平はその後部屋に引き籠もり、自分の危ういテスト結果をひたすら嘆き叫んでいた――。
 珍しく平穏で、なにもない、ありきたりな学生らしい時間に誰もが心を休める。

 そして、遂に、夏休みがやってきた。

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