夏休み初日の朝。
はゆっくりとベッドから出た。
壁にかけてあるカレンダーとじっと向き合う。
書き込まれている予定はほとんどバイトについてで、しかし数は去年の半分以下である。例年通りでは身が持たないと、タルタロス探索に向けて泣く泣く削ったのだ。
今日は、久しぶりに何もない日曜日。
とりあえず食事をしようと、は一階へ向かった。
キッチンに入ると、まずゴミを整理し、まとめる。散らかっていると落ち着かない、の日課だ。
次には、冷蔵庫を見た。
「っうわ!」
扉を開けるなり、は目を剥いた。
どうしたことか、凄まじい量の豚足が並んでいたのである……。
犯人は探すまでも無い。――真田だろう。
「真田先輩って、本当に天然だよな」
こんな光景を寮の女性陣が見たら、悲鳴を上げるに違いない。
何とかしなくては。
決心したは出来る限り大きな鍋を引っ張りだし、たっぷりと水を張り、火に掛けた。
その横で違う鍋を用意し、味噌汁を作り始める。
「葱と油上げとー……。あー、ばあちゃんから梅干し届いてたんだ」
作っておけば、誰かしらが食べる。そのため、料理を多めにこしらえることは、の癖になっていた。
寮の共同冷蔵庫はかなり大きいため、余ったものは鍋ごと突っ込むこともできる。
「……ん?」
上機嫌で準備を進めていた時だった。
聞き慣れない足音が聞こえた。
が振り返ると同時に、キッチンの扉が開く。
「あっ……さん……」
天田であった。
夏休みの間、巌戸台分寮で過ごすことになった初等部の少年である。ペルソナ使いではないが、影時間への適性を持っているらしかった。
天田はを見て固まっていた。まだ顔を合わせて間もないこともあり、緊張しているらしい。
は、エプロンを翻しながら微笑んだ。
「おはよう、天田くん」
「あ、はい。おはようございます」
「もう少しで朝ご飯出来るから待っててね」
「はい……」
戸惑いながらも天田が頷いた。はまた鍋に向き合う。
不意に、天田が口を開いた。
「あの」
「ん?」
「何か、手伝えること……ありますか?」
天田の申し出に、はまた振り返り、笑った。
◆◆◆
細やかながら丁寧な食事が並ぶ。
と向き合う形で、天田は食卓についていた。
食事をまじまじと眺めた後、天田は、コンロにかかったままの鍋に目を移した。
「あの大きい鍋は何ですか?」
「豚足茹でてんの」
「と、豚足?」
「真田先輩が冷蔵庫にぶち込んでったらしくてね、酷い量なんだよ」
は度々席を立ち、鍋の様子を見ている。灰汁でもとっているようだった。
天田はまた訊ねる。
「煮たら何とかなるんですか?」
「ほぐして、テキトーに冷凍庫に突っ込む!」
「なるほど」
そうして食事を終えた天田は、丁寧に手を合わせ「ごちそうさま」と挨拶をした。
は嬉しそうに頬を緩ませて、その様子を眺めていた。
見られていることに気付いたのか、天田は、少し気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「えっと……、あの、美味しかったです……」
「そりゃぁ良かった」
は満足そうに頷いた。
まだ緊張している天田に、は気さくに続ける。
「休みとかさ、俺結構メシ作り置きしてるから。食べるもの無いなら冷蔵庫とか見たら良いよ。無いなら無いで、言ってくれたら何か作るし」
「でも、大変じゃないですか?」
「いーのいーの」
は手を振りながら笑った。
「じいちゃんばあちゃんが“お友達と食べなさい”って色々送ってくれんの! 皆が食ってくれなきゃ余しちゃうからさ」
天田はの態度に戸惑っていた。
――何で、こんなに親切なんだろう?
――それに……。
「男の人も、料理ってできるんですね……」
「料理人にも男は多いっしょ」
「そ、そういえばそうでしたね」
何よりが男であることに、天田は困っていた。
一見そこらの女性よりよっぽど女性らしい上に、手料理まで振舞われ、気を遣って貰っていて……それでもは同性なのだと言う。
『一か月も一緒にいるんだったら、知っておいた方が良いだろう。はあれでも男だからな』
昨夜、あっさり真田が言いのけた衝撃は、今でも残っている。
『ちょっ、真田先輩! また勝手にバラしたなチクショー!』
『またって何だ、またって』
『荒垣さんにも言ったろ!』
『あ? ああ、すまな――でっ!』
騒ぎ喚くと、ど突かれる真田を、天田は呆然と見つめていた。
――男の人なのに、女の人の格好するなんて、変だ。
ようやく浮かんだその思いは、決して口にはしなかった。
会って間もないながらも、を不快にさせてしまうであろうことを、天田は把握していたのだ。
それに寮の面々は、既にへのそういった違和感を覚えていなかった。の女装を受け入れる先輩たちを見て、自分の方がおかしいのかと勘違いしかけたほどだ。
考えれば考えるほど、天田の葛藤は終わりが見えなくなっていく。
(なんだか、モヤモヤしちゃうな)
天田はとの会話を早々に切り上げ、キッチンを後にした。
ラウンジに戻ると、真田がいた。朝のトレーニングを終えて、丁度帰ってきたところらしい。
「天田か。早いな、おはよう」
「おはようございます。……あ」
「ん?」
真田を見て、天田は何か思い出したように裏口――キッチンの方を振り返った。
「豚足……」
「ん? ああ、冷蔵庫のか? あれは……」
「さんが、豚足煮てました」
「なっ!?」
真田がばたばたとキッチンへ向かっていく。
「、待て、何を――!」
何か言い争っているような声が聞こえた。
ついおかしくなって、天田は小さく笑いながらラウンジを後にした。
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