影時間に、常識は通用しない。
いくら暑かろうと寒かろうと気温は一定だった。季節さえ呼吸を止めている。影時間は、別の次元だ。その中で当然のように過ごす自分たちも、また、別の次元の存在なのかもしれない。
全然嬉しくないけど。
は溜め息をついた。
リーダーは風花となにやらやりとりしているらしく、動かない。そして後のメンバー……天田と荒垣は黙ったきり。一言交わすどころか互いを見ることさえない。
前々から天田と荒垣の相性が良くない気はしていた。雰囲気が刺々しいのだ。
「はぁ、やりづらいなぁ……」
順平のギャグも、今ばかりは恋しいほどである。
は周囲を見渡した。
豪奢の庭・ツイア。その名に相応しい煌びやかな金色のエリア。幾つかの階層に分かれているタルタロスの中で、今の自分たちが探索できる一番高い階層だった。
満月のシャドウを倒す度に開かれる新たな階層を、終わりの見えない探索を、必死に自分たちは続けていた。
いや――“終わり”は有るはずだ。全ての満月のシャドウを倒せば終わるのだと、幾月が話してくれた。
見よう見まねで振り始めた刀の扱いにも慣れた。ペルソナを呼び出す瞬間の、胸の底を揺るがすような感覚にだって。青い硝子の散る音にも。時に弱点を突かれ、痛い思いをしようと。だいぶ慣れた。
階層ごとに立ちはだかってくるシャドウの門番が相手だろうと、恐怖よりも戦う意志のほうが勝った。さすがに満月の敵は、恐怖や意志やらという話ではないが。
以前は、怖くてたまらなかった。だから、自分の力が如何程のものかを楽しむように戦う真田の姿に怯えた時もある。しかし今の自分は……彼と大差のない状態に思えた。
特別な力を拠り所にしている気がした。
この力の“代わり”は無いと思った。
故には急いた。
はやく終わらせよう。
はやく終わらせよう、と。
でないと、この力に、固執しそうだ。
――は考えることを止めた。振り返った奏夜と目が合ったからだ。青とも灰ともとれる彼の眼差しは、揺らぎがない。
「奏夜くんの目ぇ見てると落ち着くねー」
「なにそれいきなり気持ち悪い」
「ちょ! あまりに冷た過ぎませんかソレ!」
奏夜は「が変だからだし」と笑った。それから荒垣と天田を一瞥すると、重たそうに呟く。
「まあ、気持ちも判らなくはないけど」
そういえば。は思い返した。
荒垣が仲間入りしたあの日、真田の説得を、と同じように奏夜も聞いていた。
天田を気にしている節のある、複雑なあの会話を。
事情を知らない自分たちには割って入ることもできず、後から問い掛ける気力もわかなかった。それは奏夜も同じらしく、あの時も「真田先輩に“ついて来い”って言われただけ」だという。
天田を知っているらしい荒垣と、荒垣を受け入れようとしない天田。
ふたりのぎすぎすとした関係に誰よりも困っていたのは、メンバーと一緒にいる機会が必然的に多くなるリーダー、奏夜であった。
「緩衝材になって欲しくて入れたんだけどな」
「ご期待に添えず申し訳ない。ま、その分バトルでファイトしますよ」
踵を返したが、一行よりほんの少しだけ突出する。
刹那、タルタロスを満たす闇が蠢いた。
浮かびあがる台座に座る、ヴェールをまとった女性の姿をしたシャドウ――静寂のマリアが、を見下ろしていた。
の顔から血の気が引く。
シャドウは、影のように揺らめく腕を振り抜いてきた。は反射的に刀ごと両手を眼前に掲げた。シャドウの攻撃を受け止めた両腕に、鈍く重たい衝撃が駆けていく。中途半端な防御が逆に痛みを増加させてしまったようだ。
「いっでぇ!」
「さん!」
喚くと叫ぶ天田に、いち早く行動したのは荒垣だった。手にした召喚器で、素早く己のこめかみを撃ち抜く。
「カストール!」
荒垣のペルソナは、真田のペルソナ・ポリデュークスによく似た姿をしていた。違いは重く暗い色合いと、一つ足のカラクリじみた馬に跨っているところだろうか。
課外部メンバー随一の力を誇る彼のペルソナは、呼び出されるなりシャドウへ突撃していった。もとから華奢なシャドウであったこともあり、静寂のマリアはあっさりと潰れ、霧散した。
しかしまた新たなシャドウが同じように形を持ち、襲いかかってくる。
天田のペルソナ・ネメシスの回復術によって立ち直ったは、刀を抜き、シャドウを一閃した。手応えはあった。だが浅い。次いで、ぶおん、と風が鳴る。それから間髪入れずに響いた「ぐちゃり」という生々しい音。荒垣の振り下ろした鈍器が、シャドウを潰した音だった。
「……ぼさっとしてんじゃねぇよ」
荒垣は、片膝をつくに、そう吐き捨てた。申し訳なさに目を伏せながら、は素直に頭を下げる。
「すいませんでした」
「ったく……」
その様子を見ながら、奏夜は「よし」と頷いた。改めて周囲を確認し、たちを向く。
「今日はもう引き上げよう。近くに脱出ポイントがある」
「はい、判りました」
歩き出す奏夜の後ろを、天田は少しだけ早足でついて行った。もようやく立ち上がると、天田に続こうとする。そして、荒垣を振り返った。
「荒垣さん、俺たちも行きま……」
言葉は続かなかった。
荒垣の顔は真っ青であった。床に突き立てた武器で体を支えながら、必死に立っているようである。影時間内の活動は負担が大きいにしても、異様であった。
「荒垣さん!?」
何事かと、血相を変えて駆け寄るに、荒垣は制止するように手を掲げた。
「……大したこたねぇ。たまになるだけだ」
「でも、酷い顔ですよ……」
「良いから、黙ってろ。何でもねえんだ」
額に脂汗の滲む彼の眼差しは、何時もより鋭い。細められた瞳と必死の呟きに、は戸惑いながらも頷く。そして、手を貸そうとした彼をやはり制止し、荒垣はようやく顔を上げた。
「俺たちもさっさと引き上げるぞ、……」
呆然とするの横を、武器を担いだ荒垣がゆっくりと過ぎ去る。顔色は酷いままだった。
戦闘で負傷することもなかった彼の衰弱。
には思い当たる節があった。
「薬の……副、作用……?」
急いた心臓を押さえつけるように、胸の上で手を握る。落ち着こうとして深く息を吸い込んだが、タルタロスの澱んだ空気では、焦燥感に拍車をかけるばかりだ。
違う。きっと思い違いだ。気のせいだ。俺の考えすぎだ。そんなはずない。大丈夫だ。
言い聞かせようとすればするほど、の中の動揺は大きくなっていく。
(俺、どうしてこんなに焦ってんだろ)
脱出ポイントの方から、奏夜が呼ぶ声がした。
我に返ったは、慌てて仲間たちの後を追いかけた。
焦りの収まらないまま、不安を膨らませながら、影時間はまた過ぎていく。
何か嫌な予感がする。
それは少しずつ此方に歩み寄ってきている。
避けられない何か。
そんな予感が、した。
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