月光館学園高等部校舎の屋上。普段は昼休みとなると数人の学生が集う場所なのだが、今日は珍しく自分以外誰もいない。
 ここで貸し切り気分を満喫しながら、は昼食を楽しんでいた。ベンチに腰掛け、自作の弁当を黙々と頬張る。
 今日も新潟の米たちは美味い。
 そしておかずたちも、我ながら良い出来ばえだ。
 祖父母が送ってくれた食材に感謝しつつ、自身の腕前を自画自賛する。そんな時、の制服ポケットでぶるぶると震えるものがあった。携帯電話である。
 弁当を一旦置くと、は携帯電話を引っ張りだした。開くとディスプレイには『着信 天谷奏夜』の文字。早速彼は電話に出た。

「もしもし、でーす」

 暢気なに、奏夜は短く返す。

、俺を助けて欲しい』
「え……?」

 低い声だった。まるでタルタロスの階層を進む際に出会す番人シャドウとの戦いに挑むかのような、真剣かつ深刻な声音。
 ただならぬものを察したは、息を呑んだ。

「俺に出来ることがあるなら協力するよ。あるとは思えんのだけど……」

 情けないが、本音であった。
 奏夜は、勉強も運動も戦いも、よりずっと上手くこなす。天性のものと思った時もあったが、一番の理由は、奏夜が何事も努力を惜しまない人間だということだ。
 しかし特別課外活動部で唯一ペルソナを自在に変えられる奏夜には、努力のみならず、特別な力の存在を感じずにはいられない。才能などという単語では説明のしようもない、自分たちとは比べ物にならない“何か”が。
 そんな奏夜が自分に助けを求めてくれることが嬉しくもあったが、心配でもある。
 ――俺が奏夜くんに協力出来そうなことって、女装か料理ぐらいしか無いんだけど。
 不安になるの心情を知ってか知らずか、奏夜は返す。

じゃないと頼めないんだ』
「え? まさかどっかに女装で潜り込むの?」
『違う、そうじゃない。とにかく今日の放課後、ポロニアンモールに来て貰えるかな』
「い、いいとも!」
『うきうきウオッチングか!』
「ごめん、そんなつもりじゃなくて! えーと、放課後にモールな。何か用意するもんとかある?」
『何時もの飄々としたテンションのまま、その身ひとつで来てくれれば良いから』

 それって軽く俺をけなしてませんか……。がぼやきを飲み込んでいるうちに、友人からの電話は切れてしまった。
 ひとりは悩んだ。
 奏夜といえば、何でもかんでもそつなくこなし、誰かに助けを求めるよりは助けに入るようなタイプだ。そんな彼が一体、なにをどうして、自分に助けを求めてきたのだろうか?
 女装でもなく料理でもない、しかし自分が奏夜より出来ることって……何だ?
 悩みに悩んだが、答えは見つからない。見つかるどころか、奏夜の超人ぶりを痛感し、不安が増し、自分が凹むだけのような気がする。
 仕方ないので、は開き直ることにした。

「奏夜くんに頼られてるなんて、俺もなかなかやるじゃーん」

 自分が作った弁当を再び食べ始め、は空を仰いだ。
 後にこの安請け合いが、運命を大きく左右することになるとは予想だにせずに。



◆◆◆



 放課後、颯爽とポロニアンモールに駆けつけた。大分急いで来たつもりであったが、噴水前には既に奏夜の姿がある。
 は慌てて彼に駆け寄った。

「おっまたせー! マジでそのまま来たけど、どうしたの?」
「実は、に会わせたい人がいる」

 奏夜はまっすぐにを見て、そう言った。
 もまっすぐに奏夜を見て、驚いていた。

「なんだ、それ……。奏夜くんったら結婚相手でも連れてきたの?」
「起きながら寝言言うなんては流石だね、目を覚まさせてやろうか」
「ごめんごめん静かに怒らないでごめんって」

 今にも固い靴の踵でこちらの爪先を踏みかねない気迫の奏夜に、は慌てて頭を下げる。
 ふざけるのはこのぐらいにしよう、と奏夜が足を引っ込めると、もホッと胸を撫で下ろす。気を取り直して、彼は奏夜に訊ねた。

「俺に会わせたい人って? 俺ご指名なの? っつうか、それが奏夜くんの“助けて”なの?」
ご指名だし、にしか頼めないの」

 奏夜は踵を返しながら言った。「ここでちょっと待ってて」は大人しく頷く。
 言いつけ通りには待った。噴水を背に、流れる水の音に耳を傾けながら、軽く目を伏せ、静かに待ち続けた。
 5分ほど経った頃だったろうか。幾つかの足音が此方に向かって近づいてきたことに気付き、は顔を上げた。

「おまたせ、

 奏夜が戻ってきた。
 呼び声に反応しては顔を上げ、口を開きかけ……固まった。
 奏夜は確かに戻ってきた。
 ――青い服を着込んだ男性と女性を連れてきて。
 奏夜を迎える言葉を発しようとしていたは、混乱した。そして代わりに、

「……どちらさま?」

 あまりにもそのままな呟きを溢した。
 すると、青服を着込んだ男性のほうが、寂しそうに柳眉を下げた。

様。私のことをお忘れですか?」
「えっ? え、あ……あああああ!」

 男性の指摘を受けて、は必死に記憶を掘り起こした。そして、すぐに思い当たった。
 夏休み中の映画祭り。
 あまりにも浮いていた青服の色男。
 映画の作法を教えてくれないかと言われ、共に映画を見た銀髪の青年――。
 人間離れした金色の瞳と、端正な顔つき。
 次々とフラッシュバックする彼の記憶が、の声を大きくさせる。

「テオドア! もといテオ! うわー久しぶりだぁ!」
「思い出して頂けましたか。ああ、良かった……」

 が思い出したのを見て、青年――テオドアはほっとしたように笑った。笑ったと言っても、の思い違いかもしれない。が名前を呼んだとき、テオドアの頬や目元が緩んだように見えただけだ。
 先にテオドアが浮かべた悲しそうな顔を思い返し、は慌てて頭を下げて謝った。

「すいません、あんまり美青年だから真夏の幻だったのかもって思いかけてて! すいません!」
「そんなにお気になさらないで下さい。様」
「ああ、なんか気ぃ遣ってもらっちゃって申し訳ねー……」

 自分の記憶力の無さを、は密かに恨んだ。
 どうしてテオドアのことを忘れかけていたのだろう? 色々なことがあったにしても、テオドアの存在とインパクトはかなり強かったはずなのに。まるで白昼夢のようにふわふわとして、今の今まで朧気であった。
 だが幾ら不思議であろうと何であろうと、忘れかけていたことは事実で、そんな自分は彼に失礼なことをしてしまったことに違いはない。

(忘れられることは誰でも嫌なのに。俺のアホ!)

 ここが人通りの多いモール内であることを、は忘れているかのようだった。
 人目もはばからず、ぺこぺこと何度もテオドアに頭を下げる彼を、奏夜と青服の女性がまじまじと見つめている。
 奏夜はを指差しながら、女性へ説明した。

「エリザベス、これがザ・日本人のスキルのひとつ。ぺこぺこと頭を下げるビジネススキルです」
「なるほど、初めて拝見致しました」
「奏夜くん、知らないお姉さんに変なこと吹き込まないで!」

 謝罪を終えたらしいががばりと奏夜を振り返った。
 奏夜はあまり悪気がなさそうな顔で「ごめんごめん」と笑っている。とても朗らかな笑みだ。
 まだ何か言いたげなの様子を、奏夜はその笑みで流しながら、話を始めた。

も知っている通り、そちらはテオドア。こちらは、テオドアの姉のエリザベス」

 奏夜が紹介すると、エリザベスは淡く微笑み会釈した。
 も会釈し返す。

「初めまして、 です。……すごいっすね、美男美女のご姉弟ですねー」
「お褒めに預かり光栄です」
「いや本当、どっちも綺麗だわー……」

 映画祭りの際にテオドアから姉がいるとは聞いていた。まさか実際に会うことになるとは思わなかったが。
 何時だったか順平が奏夜に言及していた“青服の美女”というのも、きっと彼女のことだろう。
 は惚けたようにエリザベスを見つめていた。不躾ともとられかねないの視線を、彼女は何処か楽しげに受け止めている。
 すっかりエリザベスに集中しているに、奏夜が切り出した。

、本題に入っていい?」
「え? ああ、うん。どうぞ!」

 も気を取り直したところで、奏夜は言った。

「エリザベスたちは、まだこのあたりに来たばかりで、色々と初めて触れるものが多いんだ」
「なるほどー。貴族さんみたいな話し方だし、どっかの王族さんだったりして」
「そこはいいから。……んで、二人は街を色々巡ってみたいんだって。その案内役を、にお願いしたいんだ」
「えー!? 重大任務じゃん!」

 ぎょっとしてが声を上げた。
 そんな友人をなだめるように、奏夜は再度口を開く。

「もちろんひとりに丸投げって訳じゃないから。俺はエリザベスを案内するから、はテオドアを案内してあげて」

 一緒に案内をして回れば良いようなものだが、奏夜がそう提案すると言うことは、別々の方が好都合なのだろう。もしくはエリザベスたちの希望か。
 なんにせよ、は反論するつもりが無かった。

「判った。テオの案内は俺に任せて!」
「本当にありがとう、。助かる」

 奏夜が笑った。心底ありがたそうな顔であった。
 エリザベスは一歩歩み出ると、に微笑みかける。

「弟のことを、どうかよろしくお願い致します。様」
「任せてください! エリザベスさんは奏夜くんと存分に街巡り楽しんでくださいね」
「有り難うございます」

 とエリザベスがそんなやりとりをする横で、テオドアと奏夜が言葉を交わしている。「姉のことは頼みました」「善処します……」どこか奏夜の声に覇気が無いのは気のせいだろうか。
 互いに挨拶を終えると、早速街の散策へ繰り出すこととなった。
 先に歩き出した奏夜とエリザベスを見送ってから、はテオドアを振り返る。

「じゃあ俺たちも行きますか!」
「はい、よろしくお願い致します」

 恭しく頭を下げるテオドアに、が笑って返す。

「そんなかたっくるしいのは抜きで! 気軽に行きましょうや!」

 屈託ない笑みに、テオドアは静かに頷いた。
 その頬が確かに緩み、微笑が生まれる。
 何をしても様になる端正なテオドアを見つめながら、は心底思った。
 とても同じ人間だとは思えない、と。

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