ソロモン一行は海と山に挟まれた小さな町、シュリエにいた。
 ――狩りを主にして栄えたシュリエでは、特に毛皮を扱った特産品が有名である。王都でもこの毛皮は重宝されており、中でも“時を超える獣”の毛皮は神聖視されていた。
“時を超える獣”は、自然を愛し、この辺りの動物たちの首領であった。この獣は、自然や自分たち動物を蔑ろにすることなく共存によってシュリエを栄えさせた領主に敬意を示し、自らの美しい毛皮を差し出したのだという。今でも獣は生き続け、シュリエの領主のもとに、変わらぬ輝きの毛皮を届けるのだそうだ……。
 シバ曰く、シュリエの商人がいつも毛皮を自慢するときに語る逸話がそれだった。
 街について店を覗くと、商人も同じ逸話をご機嫌に語ってくれた。

「長く生き続けるがゆえに、時を超えると称された獣。その“時を超える獣”が領主さまに授けてくだすったという貴重な毛皮がコチラだよ」

 意気揚々と商人が見せてくれたのは、白く美しい、輝く毛皮を用いた襟巻だった。光を返して虹色に瞬く様は美しいの一言に尽きる。ソロモンは商人に断って、そっとその襟巻に触れた。

「うわあ……何て言うんだろう。こんなに柔らかくて温かいもの、触ったことが無いよ……」

 しかし、シバの話していたようにフォトンが宿っている様子はない。彼女もフォトンが宿る毛皮を見たのは初めてらしかったから、恐らくレアなケースなのだろう。

「ホントだホントだー!」

 シャックスも手袋を外して毛皮の触り心地を堪能している。

「でもでも不思議だね? 自分で毛皮を持ってくるって、どうやってるんだろ? 時越えパワー?」
「クソが。ンなモンある訳ねぇだろ」

 容赦なしに切り捨てたのはウァプラだ。獣の毛皮、と聞いて、今回ソロモンたちに同行することを希望した。はしゃぐシャックスと冷めたウァプラの他は、バルバトス、マルコシアス。シバの女王の計らいで、王都キャラバンの護衛ということでこの面子でやって来た。

「しっかり人の手で処理されてやがる。獣が毛皮を持ってくるだ? そんな訳あるか。これは間違いなくヴィータが剥いだものだ」

 チッと舌打ちをしながらウァプラは続ける。

「ヴィータ共が街ぐるみで生態を管理し、計画的に毛皮を剥ぐだなんて……胸糞悪ィ。動物を何だと思ってんだ」

 話を聞きながらソロモンは、ウァプラが“時を超える獣”は存在せず、たまたま毛並みの美しい獣が目をつけられ、ずっと狩られているのだと考えていることを理解した。もちろんソロモンもほぼそう考えている。だがシュリエの人々が語るように、もしかしたら本当に時間を越えて生き続ける獣がここにはいるのかもしれない。あるいは、そう思われても仕方ないほど長生きの何かがいて、ソロモンたちには知りえない知識や知恵でもって毛皮を運んでいるのかもしれない。

「しかし、爪や牙ではなく、何故毛皮なのでしょうか」

 マルコシアスの疑問に、吟遊詩人らしい優雅な声でバルバトスが答える。

「自分が与えられるものの中でもっとも価値があった、とかじゃないかな」

 彼自身が長命者だからだろうか、バルバトスは“時を超える獣”の存在の可能性を捨てずにいた。

「自然の均衡を崩さずにいてくれた人々に感謝して、自分が持つ中で最大の価値があるものを永い間送り続ける、といったところかな」
「私としては爪や牙も実用性が高いと思いますが……。種族を超えて友好を築こうとするその心は正義に通ずるものがありますね」

 人と獣の絆を思って小さく笑むマルコシアス。

「クソが。鳥肌もんだぜ。自然の均衡を崩すことなんてあっちゃいけねえんだ。それに動物たちが感謝するだ? ありえん」

 だがウァプラは嫌悪感露わに愚痴る。「まあ、感謝というか、代償だったのかもしれないけれど」バルバトスが言い直すも、ヴァイガルドの自然以外に対して厳しい仲間の怒りは収まらない。

「ヴィータこそ、動植物たちが妥協してくれているからこそ生き永らえている事実に感謝すべきだ。おとぎ話なんかじゃねぇ。これはヴィータが罪悪感無く自然を脅かすために用意した、都合の良い口実でしかない」

 流石に商人の顔が曇る。
 ソロモンたちは慌ててウァプラを連れて店を離れた。自然を強く重んじるウァプラの発言はあまりに剣呑すぎる。

「わざわざシバが教えてくれたんだ。だからこそ俺たちがここに来るのを手伝ってくれた。獣についてゆっくり調べよう」

 ソロモンは目を伏せた。実に豊かな町の様子と言い伝えの毛皮を見て、なお、心のどこかに引っかかるものを感じて。

「もしウァプラの心配するように、動物が不条理に晒されて苦しいんでいるとしたら、それは見過ごしちゃならない。苦しんでいる人たちを見捨てられないのと同じように、放っておけないよ」

 街中で崇められる“時を超える獣”の存在。その真偽を確かめるべく、一行は領主の家を目指した。
 その最中も、ウァプラは件の獣について呟いていた。万が一言い伝えになるほどの獣が存在するとしたら、その存在を尊びこそすれ、毛皮を奪うなど許されない。第一、毛皮を剥がされた獣がそう生き延びられるはずがない。やはり搾取のための都合の良い言い訳に過ぎないのだ、と。
 確かにそうだ。毛皮を剥がされて無事で済む獣はいない。毛を狩るのではなく、皮ごと剥がされるのだから重傷だ。自然界に医者はいない。その傷を癒す前に息絶えるか、何とか癒したとて、定期的に街へ送られるだけの毛皮が復活するとは思えなかった。
 ――復活。
 ソロモンは少しだけ、非現実的な仮説を立てた。

 ――もし、毛皮を剥がされても復活する動物がいるとしたら。

 あくまで、仮説だった。



 の姿を見たものは、きっと同じヴィータだと思わないだろう。だからこそ彼女は見世物として、商品として成り立っていたし、そういう役割でもって捕らわれていた。
 毛皮というものがある。動物の豊かな毛並みをその皮ごと剥ぎ取ったもの。ヴィータにとって身近な防寒具のひとつであり、決して珍しくはない。そんな毛皮は、貴族の間では嗜好品としてもよく好まれた。
 嗜好品としての毛皮。が知る限り、それがまっとうな方法で得られることは少ない。執拗に獣たちの毛皮や牙を狙い、無闇に狩猟を繰り返す人々に反発した結果、彼女は囚われ、牢屋で暮らすことになった。その時、彼女は、自身のヴィータとして異質な姿を彼らに知られることになった。
 艶やかな白い毛並みの長い耳、長い尾、そして翼。が獣たちを守ろうとしたのは、ヴィータよりも彼らの方が自分と近い、という無意識のうちの感覚も強かったのだろう。
 痛めつける目的で、を捕らえた者たちは、の耳から毛皮を剥いだ。自分たちに逆らえばどうなるか知らしめる目的もあった。見境ない狩りに対して反発していたのはだけではなかったのだ。
 だが、そこで予想外のことが起こった。
 痛みにのたうち、血を滴らせながらも、は、異常な回復を見せた。彼女の耳は、剥がされた毛皮は、三日で元通りの姿に再生した。剥がされたはずの美しい毛皮が、まるで穢れたことなどなかったかのように。
 狩人たちは、雇い主の貴族は、大層驚いた。驚嘆はしかし、すぐにこう変わった。

「そんなに獣が大事ならば、代わりにおまえの毛皮を剥ぐことにしよう」

 いちヴィータのから取れる毛皮の量など知れていた。それでも彼らは、彼女から再び毛皮を剥いだ。次は翼。次は尾。ひと巡りして、再び耳。毛皮と一括りに言っても、獣の種類や部位により質が変わり価値が上がる。の毛皮は、特に上質なものに分類された。
 貴族の主人よりも妻が繊細な毛皮の美しさに魅了され、いくつもの衣装や装飾品を拵えさせた。愛しい妻が美しく着飾るのを夫は止めない。狩人の中でも毛皮の剥ぎ取り・加工に秀でたものを屋敷に住まわせ、こまめにの毛皮を処理させた。これが、妍を競う貴婦人たちにとってはひっそりと流行するほどの品となる。
 は必死に耐えた。耐えれば、一緒に囚われている者たちには手出しをしないと教えられていたからだ。それが真実かどうか確かめる術はなかったが、ひとり、放り込まれた牢の中で回復を待つ間、心の支えにするには十分な理由だった。
 彼女は誰かの為に自身を捧げたのではない。惨い仕打ちを受けるリスクに、相応のリターンがあると思うことで心を保とうとしていた。
 ……いつからか毛皮を剥ぎに来る狩人の顔が変わったことに気付いた。そのことを訊ねると、新たな狩人は眉を顰め、「親父は死んだ」と呟いた。同時にこうも言った。

「おまえは年を取らないのだな。幼いころ父に見せてもらったときと全く変わらない」

 屋敷の主人も亡くなり、息子が家督を継いだことも、はこの時知った。そして、昔から抱いていた疑問が確定的なものに変わった。

「私は……普通のヴィータと違う時計で生きている」

 その日は七日ぶりに羽の毛皮を剥がされた。



 ――シュリエの領主・カリントとは、すぐに顔を合わせることが出来た。ソロモンたちが王都からのキャラバンの護衛であると説明すると、キャラバンともども快く迎えてくれた。
 町に滞在する間、屋敷で過ごせるように手配してくれ、やはり彼も“時を超える獣”のことを誇らしげに口にする。

「その獣の出会いは、決して穏やかなものではありませんでした。密猟を繰り返す猟師を追い詰めたシュリエの初代領主と獣が、偶然にも相対したのです。獣からすれば領主も猟師も同じヴィータ。違いなどありません。獣はまず弱っていた猟師を仕留めようと動きました。
 そこに、我が先祖、シュリエ初代領主クルーガー・P・レオンバックが割って入り、何とか獣を鎮めたのです。責任もって密猟者を裁くこと、二度と同じ過ちが起きないよう取り締まることを、獣に対して誓いました。
 獣には我々同様に知性があり、また深い情がありました。我が先祖が身を挺したのは、そういった事情を知ってのことでもありました。獣は、我がレオンバック家が約束を守り続ける限り、その美しい毛並みの一部を領主へ送ることを約束しました。
 長い時を生きる獣には大地の恵みがより深く授けられており、牙や毛に宿った魔力が時に人々を癒したそうです。その魔力と引き換えに、自分たちの安寧を我々に誓わせたのですね。
 以来、代々レオンバック家では狩猟を厳しく管理し、共存を許してくれた獣を“時を超える獣”として讃え、語り継ぎ、今でも絆を保っているのです」

 カリントは胸を張っているつもりなのだろうが、胸よりも出っ張った腹の方が目立って、ソロモンは胸中で困惑した。

(けれど、大地の恵み……フォトンが宿ることがあるっていうのはシバの話と繋がる)

 王宮へ納められた毛皮の話と伝承の辻褄が合った。
 それにしても。
 今まで色んな領主と出会ってきたが、カリントは中でも「誇り」というものに拘っているように感じられた。先祖への敬意よりも、先祖の偉業とそれを継ぐ血筋を自慢としている。彼自身も狩りを経験しているらしいが、真偽のほどはその体型を見る限り怪しい。
 自慢と誇りは“毛皮”という目に見える形として、彼の屋敷の彼方此方に飾られていた。カリント自身の衣服にも使われている。当然といえば当然なのだが、ソロモンは何とも言えない心境だった。確かに美しい。誇りたくなるのも分かる。しかし。
 ウァプラでなくとも何か思うほど、領主からは獣の毛皮への執着が強く感じられた。

「その獣とはどんな姿なんですか?」

 軽やかなバルバトスの声。沈むソロモンに代わってカリントとの対話を担ってくれた。シバが言うには、シュリエの商人も知らないという獣について切り込んだ形だ。
 カリントは、ふんと小鼻を膨らませて興奮気味に語り始めた。

「この毛皮から想像がつくかと思いますが、その姿は純白の一言に尽きますな。兎のように長い耳が垂れ、背中からは柔らかく風をあおぐ翼が生え、二股の尾はやはり豊かな毛並みを持っています。人語を解し、極めて穏やかな気性で、人を傷つけたことはありません。種類が違う動物たちからも慕われ、獣の王とでも言うべきでしょうか……」
「カリントさんは――」
「オマエはその獣を知ってるんだな?」

 まだ何か語りたげな領主、口を挟もうとしたソロモンを遮り、ウァプラが身を乗り出した。その隣ではシャックスが、紅茶とクッキーを交互に啄んで頬を緩ませている。毛皮にあれほどはしゃいでいたのに、すっかり興味を失ったらしい。

「時を超える超えないはどうでもいい。オマエは自然の秩序を無視して私利私欲のために毛皮を強奪している」
「お、落ち着いてください。ウァプラ」

 マルコシアスがウァプラをなだめようと声を掛けるも、すっかり彼は火がついていた。

「王都に来る商人は、さんざ毛皮の自慢はしても肝心の獣がどんなものかすら知らないって話じゃねえか。だがオマエは知っている。つまり獣に会ったことがある。何なら、毛皮を街に供給しているのは獣というよりオマエの手によるもんだな?」

 ウァプラの言動には余計なものが一切ない。核心ともいうべき箇所へ――できればそうであって欲しくない最悪の例を持って――触れた。
 ソロモンはきっとカリントが怒ったり、慌てたりするものだと思った。険悪な状況は逃れられない。そう覚悟した。
 シャックスがクッキーを齧る音が、場の緊張とは場違いな空気を醸し出す。
 カリントの反応は意外なものだった。

「ええ、シュリエの毛皮のすべては、この屋敷で生み出されたものです」

 彼は、あっさりウァプラの推察を肯定したのだ。

「毛皮はとても貴重なものですから、全て屋敷で管理・生産しています。それらを街の商人に卸し、王都を始めとした様々な都市との交易に出しているのです」
「管理と言ったな? チッ……読み通りじゃねえか」

 あまりに意外過ぎて、理解が遅れる。すっかり戸惑ったソロモンは、青筋を浮かべる仲間へと問う。

「どういうことだ、ウァプラ?」

 聞いてて分からなかったのか、とウァプラは舌打ちした。

「コイツは“時を超える獣”とやらを飼い殺しにしてるっつってんだ!」

 ソロモン、マルコシアスは絶句し、バルバトスは顔を歪める。ようやく手を止めて仲間たちを見るシャックス。
 悪びれる様子もなくシュリェの領主は微笑をたたえる。
 怒りを込めてこぶしを握り締め、ウァプラはカリントを睨めつけた。

「しかも毛皮だけを集めるためだけにだ。一度に確保できる毛皮の量はさほど多くねえことは、流通しているもの、コイツが飾っているものや着ているものを見て想像はついた。そんなに大きな動物じゃあないんだろう。御するのも苦労しないほどにな。だとしたら屋敷の地下にでも数匹囲えるだろうよ」

 驚いた。ウァプラがそこまで観察していたこと、その観察眼の鋭さ。ソロモンは、ウァプラが同行してくれたことは正しかったと痛感した。

「地下といっても、最低限の食事は与えていますし世話係もおりますよ。まあ、抵抗されては面倒ですから、外に出しはしません。毛並みを保つ程度に、それなりにというところです」

 カリントはまるで否定しない。
 マルコシアスが口を開く。その表情は驚愕や困惑から、憤りへとシフトしつつあった。

「地下に監禁しているというのですね、そんなこと……」

 語尾を淀ませる彼女の心境を、バルバトスが汲む。

「まず間違いなく異常をきたすだろうね。稀に日に弱い個体も生まれるが、生き物は大抵、陽を浴びなくては生きていけないようになっているのだから。環境もよろしくないようだし……どうする?」

 バルバトスに問われ、ソロモンは険しい表情で叫んだ。

「放っておけない、そんなこと! 人間の勝手で動物を無闇に苦しめ続けるなんて許されないことだ」

 まあまあ、とカリントは取り乱す様子もなく言う。朗らかに微笑みすら浮かべて。
 ソロモンはぞっとした。
 ――どうしてこんなに平然としていられるんだ?
 血気盛んとなるソロモンたちに、まるで子供をなだめるような調子でカリントは語り掛けてくる。ずっと同じように、まあまあ、と手を振りながら。

「落ち着いてください、皆さん。色々と誤解を生むような表現をしてしまいました、そのことはお詫び致します。あなたがたが思うような深刻な事態ではないと証明しますよ」

 特にその言葉は、今にも武器を持ちだしそうな気迫のウァプラに向けられていた。凄むウァプラを見ても、この街の領主は慣れた様子で流す。恐らく、こうして問い詰めに来たのはソロモンたちだけではなく、今までも何度かあったのだろう。そしてその度、こうしてカリントは相手をなだめすかしてきたのだろう。
 杖を手にしたシュリエの領主は、仰々しく立ち上がった。

「特別に皆様には、獣の正体をお見せ致しましょう」

 ソロモンたちは、この提案に応じることにした。「ここのお菓子食べてていい?」と屋敷を満喫するシャックスを残して。

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