カリント自ら先頭となり、ソロモンたちを導いて歩く。途中でカリントはひとつの部屋の戸に呼びかけた。すると中から軽装の男性が出てきた。腰に提げている古びたナイフが目に入る。彼が狩人であることを、ソロモンたちは察した。

「これが獣の世話係です」

 カリントに杖で指図され、「……シタバと申します」男はぺこりと頭を下げた。

「王都からのご客人だ。アレをご覧になりたいそうだが、今日の回復はどれほどかな?」
「ええ、はい。四日ほど経っておりますから、半分くらいといったところです。この頃調子が下がってますね」
「ふむ。医者を変えたのが良くなかったか」
「かもしれません。今しがた薬を煎じて飲ませてきたばかりなので、その、起きているかは保証しかねますが……」
「何を言っているのだ? 寝ているならば起こせばいい」

 ほれ、ほれ、とカリントはシタバに促した。シタバはソロモンたちの固い表情や空気をじっと見て何かを感じ取ったらしい。それ以上口を開くことなく、主人に命じられるままに先頭を歩き始めた。
 地下への入り口は、他の部屋の扉と変わらなかった。すっかり溶け込んでいて、まさか獣を囲う場へ通じているとは思わない。
 扉の鍵の管理も含めて、獣がらみはシタバの役割のようだった。慣れた手つきで鍵を開け、ランタンを手に部屋の中へ入っていく。

「少々暗いので、皆様、お気をつけて」

 緩やかな石の階段へとソロモンたちを促しながら、カリントは微笑んだ。

「ソロモン王、本当に大丈夫でしょうか……」

 マルコシアスは罠でもあるのではないかと気を張っている。
 ソロモンは頷いた。

「今はついていくしかない。行こう」

 それに何かあっても、この面子ならば大丈夫だ。そうソロモンは考えていた。
 地下にはいくつもの牢があった。ここは、地下室ではなく地下牢なのだ。湿った空気。かびた匂い。シタバがひとつずつ通路のランプに火を分けながら進んでいく。
 一番奥の、少し大きめの牢屋の前に来た。
 シタバが牢の中に向かって何度か呼びかけた後、首を振って主人へ向き直る。するとカリントが牢屋の前までずかずかと歩んでいき、初めて一行の前で声を荒げた。

「おい、寝たふりは止めろ。もうとっくに回復しているだろう!」

 ガンッと音がした。カリントの杖が柵を叩く音だった。
 止めに入ろうとするウァプラをソロモンは必死に制する。
 何度か策を叩いた後、ゆっくりとカリントがソロモンたちへ向き直った。牢の前から体をずらしながら、楽し気に告げる。

「さあ、これが“時を超える獣”の正体です」

 ソロモン、ウァプラ、マルコシアス、バルバトスの四名は、揃って牢の中を見た。そして。

「獣って……そんな、これは……」

 驚愕した。ソロモンは目を見開いた。
 兎のように長い耳を垂らし、背中にも力なく垂れた翼があった。牢屋の床と触れているというのに真っ白な二股の尾。確かに聞いた通りだ。毛皮に関わる点に関しては。
 ――しかし、それらを持ち合わせた生き物は、獣などではなかった。
 色白い肌のあちこちが傷つき、赤い瞳は怯えを孕んで揺れている。両手を胸の前で握り締め、牢の隅の壁へ背中をぴったりとつけて立った、その生き物は――。

「……ヴィータじゃないか!」

 声を荒げるソロモンに、檻の中のヴィータはびくりと肩を震わせた。傷ついたヴィータはすっかり怯え、萎縮していた。
 カリントは意外そうに瞬く。「おや、一目でお気づきになられましたか」此方を本当に誤魔化せるとでも思っていたのだろうか。ソロモンの中で強い怒りが込み上げてきた。
 カリントは、両手を広げて笑い声をあげる。

「さあ、どうです? 街が誇る毛皮の正体は、捕らわれた可哀相な獣などではありません。ヴィータから生まれた化け物です」
「そんな言い方ないだろう!」

 化け物、と口にしたカリントをソロモンが怒鳴りつける。
 確かに普通のヴィータとは違う。耳も翼も尻尾も、本来ヴィータには無いものだ。しかし、どう見ても檻に捕らわれているのはヴィータだった。しかも年若い女性だ。血の滲む包帯だけでは隠し切れない傷と、すっかり此方に恐怖した眼差し。

「あ……あぁ……」

 彼女の口から漏れ出る声は恐怖に凍り付いたもの。憂慮した、獣を飼い殺すという事態は避けられた。しかし今度は、ヴィータがヴィータを苦しめるという悲惨な現実を見せつけられた。恐ろしいことに、カリントにはやはり悪びれる様子が全くない。
 激流のように押し寄せる感情をソロモンが拳を握り締めて耐えていると、ウァプラが口を開いた。

「確かにヴィータだな。少し見た目が変わってるだけのヴィータだ。ヴァイガルドの動物じゃなくて安心したぜ」
「ウァプラ……」

 バルバトスの絞り出すような声に、フンと鼻を鳴らすウァプラ。

「やはり“時を超える獣”は存在しなかったわけだ。ありもしねぇ存在をあるかのように祭り上げて、紛い物を使って領民どころか王都からまで金を集めてたってことか。……下種が」

 ヴァイガルドの自然を脅かす事態ではなかったからといって、目の前に無実の命が無下にされていることは、彼の心をも大いに荒れせていたのだった。
 そのことにソロモンは一瞬安堵し、しかし檻の中のヴィータを見て再びカリントに相対する。

「ありもしない獣の存在を作り上げて周りを騙したこと、何より、他のヴィータと違うからって、彼女がこうやって迫害されるなんて、あってはならないことだ!」

 その訴えに、マルコシアス、バルバトスも続く。

「ソロモン王の言う通りです! 弱きを利用し私腹を肥やす悪党を、私も認めません!」
「流石の俺も、こんなに痛めつけられた女性を見ては、穏やかじゃいられないな」

 憤ったソロモンの叫びが地下じゅうに響く。

「カリントさん、あなたのやり方を俺は認めない。今すぐ彼女を解放するべきだ!」

 ソロモンたちの反応に、遂にカリントは薄ら笑いを消した。



 近づいてくる足音が複数であることに気付いて、は体の震えが抑えられなくなった。辛うじて寝台と呼べる場所に横たわりながら両手を握り締める。
 『見世物』としても扱われたいたときのことを思い出す。何か芸をしろと無茶な要求を受け、何も出来ず、鞭で打たれ、吐くまで腹を殴られ、ナイフで肌を撫でられたこと。獣ならば食えるだろうと死んだドブネズミや蛆のたかる餌皿に頭を突っ込まれたこと。動物とは言い難い獰猛さの獣と一緒の檻に入れられ、肉を削がれたこと。他にも。他にも。
 狩人と領主が檻の前にやって来た。縮こまるを見て、領主カリントは不機嫌そうに柵へ杖をぶつけた。

「おい、寝たふりは止めろ。もうとっくに回復しているだろう!」

 は黙って耐える。この程度ならば長いこと経験して慣れた。それより問題なのは、複数の足音の正体だった。いよいよ覚悟して体を起こす。それでも、空虚な檻の真ん中にいるのは怖くて、出来る限り奥の壁へと背を預けた。
 カリントは満足げに、客人たちがいるであろう方を見て呟いた。

「さあ、これが“時を超える獣”の正体です」

 促されて牢の前に来たのは4人。刺青をした青年、短い銀髪の眼光鋭い男、修道女の服を着た女性、美しい中性的な人物。本能的には警戒を解いていた。不思議なほど彼らから――特に、刺青をした青年から――しばらくが触れず久しい優しいものを感じ取ったのだ。
 怯えるを見て、刺青の青年は声を荒げる。

「獣って……そんな、これは……ヴィータじゃないか!」

 は驚いた。自身の異形じみた外見は重々承知している。だから、一目で自分をヴィータと言い切ってくれた青年の怒りは、とても心にしみた。
 ――私のことを、気味悪がることもないなんて。
 カリントは青年の怒りに首を傾げ、続ける。

「さあ、どうです? 街が誇る毛皮の正体は、捕らわれた可哀相な獣などではありません。ヴィータから生まれた化け物です」
「そんな言い方ないだろう!」

 青年はますます憤った。青年の仲間らしき他の三人も、口々にこの状況はあってはならないものだと否定し、怒りを露わにした。
 その姿を見て、は、自分の境遇がおかしいものであることに気付いた。随分遠い昔に捕らわれてから、いつしか自分が檻の中にいるのは当然なのだと思い込んでいた。しかし彼らはそうではないと主張している。
 ――私は、外に出て良いんだっけ。
 涙が滲む。家族は、村の皆は、他に捕らわれている人は、無事だろうか? どうしているだろうか? 遊び相手をしてくれた動物たちは? の中で久々に感情が動き出していた。
 青年の叫びに、心が呼応する。

「カリントさん、あなたのやり方を俺は認めない。今すぐ彼女を解放するべきだ!」

 ――それからは、怒涛の勢いだった。
 当然カリントは青年の言葉に従わなかった。それを、青年のそばにいた男……ウァプラが言いくるめた。彼もまたとある街の領主であるという。続いて金髪の男性バルバトスが、自分たちが王宮の王女から直々に調査を依頼されたと明かした。
 何処からかシャックスと呼ばれた少女がやって来て檻を壊し、マルコシアスという修道女風の女性に支えられながら、は檻を出た。

「もう大丈夫ですよ」

 そう微笑むマルコシアスの瞳に、懐かしい群青の青空を見た気がして、はようやっと静かに涙を溢したのだった。
 領主は苦々しい顔で床に頽れたが、狩人の青年は、どこはほっとしたような顔で彼女たちを見つめていたことへ気付いた者はいない。

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