ソロモン一行により思わぬ自由を手に入れたは、彼らと共に王都へ来た。王宮に連れていかれ、王女とも謁見し、この上ない緊張に体を硬直させながらも、調査を命じてくれた彼女へ深々と頭を下げて礼を述べた。
 その後は、村へ帰るつもりだったのだが、酷く緩やかな時を生きる彼女と、正常な流れに乗る世界との惨い時間の差を知ることになる。

「君の住んでいた村はもう……」

 バルバトスの言葉を聞くまでもなく覚悟はしていた。道すがら、は自分の特異体質について彼らへ説明もしていた。だからさほど共に混乱や動揺することはなく、ならば何処へ行くべきか? と問題を移すことが出来た。

「あの、私、ソロモンさんたちのお屋敷で働かせてもらえないでしょうか」

 彼らのアジトにとりあえず招かれたは、開口一番そう告げた。ソロモンたちは顔を見合わせて算段を始めようとしていた。その時、

「あら、良いじゃない! 女の子の為には、女の子の使用人も必要よ」

 賛同の声を上げたのはマルバスという桃色の髪の少女。愛らしい人形のような姿に、は目を奪われる。その視線に気づいたマルバスは、ふふ、と悪戯っぽい笑みを見せた。

「もう、すっかりあたしに釘付けじゃない。ちゃんとお仕事するのよ? だったっけ」
「え、あ、はい!」
「そんなに畏まらなくても大丈夫。まあ、こんなに可愛い子を前にしたら緊張しちゃうわよね、わかるわぁ」

 ふわりと髪が揺れ、フリルたっぷりの衣服が揺れ、ウインクが飛んできて。の頬がぽっと赤くなる。しばらく地下牢にいたせいで、こういった可愛らしいものへの耐性がなかった。もともと内向的な彼女に、マルバスの積極性は大いに刺激となる。
 その様子を見て、ソロモンは、ふっと破顔した。

にとっても、きっと、それが良いんだろうな」
「ではソロモン王……」
「ああ」

 マルバスに見惚れるに、ソロモンは改まって「」呼びかける。すぐに我に返った白銀の乙女はソロモンを見る。

「これからは此処がの家だ。俺たちの仲間だ。よろしくな、
「……はい! はい!!」

 はぽろぽろと涙を溢しながら、ソロモンが差し出した右手を両手で包み、何度も何度も頭を下げた。
 一般のヴィータとは異なる寿命と外見を持つだけで、中身は気弱な少女と何ら変わらない。その毛並みには確かに多くのフォトンが巡っているのをソロモンは認めたが、それだけだ。

(カリントさんたちについては、もっと色々調べなくちゃならないけれど……そのためにも、の消耗を回復しなくちゃな)

 ソロモンたちが訪れる三日前、彼女は耳の毛皮を剥がされていた。今はすっかり元通りの毛並みになっているが、相当の苦痛を強いられたことだろう。牢屋での怯えぶり、痛ましい姿を思い返して、ソロモンは目を閉じる。
 マルバスに導かれてアジトを巡り始めるの、戸惑うような、嬉しいような、曖昧な声が控えめに響いていた。



 王宮には、捕まったシタバがいた。彼自ら、進んで連行されることを望んだのだった。シュリエの街では王宮騎士の見張りをつけられたカリントの取り調べが慎重に行われている。その情報の橋渡しは、ソロモンたちの仲間である追放メギドが行っていた。
 シタバは、ぽつぽつとカリントたちの行為について語った。
 どれほど以前からかは知らないが、少なくとも祖父の代からは、の毛皮の維持と処理を任されていたこと。街が大きくなるにつれて当然の毛皮だけでは賄えなくなり、良く似た偽物の毛皮を作ることになったこと。その偽物を作るために動物を集め、様々な交配を試みたのだという。時にはと獣の交配も試したが、悉く死産となり、早々にを母体とすることは諦めたらしい。
 異なる動物たちとの掛け合わせも死産や流産となることが多かった。しかし少しずつ、の毛皮によく似た質を持つ動物が生まれ始める。しかし。

「動物同士の配合でこれ以上の再現は無理だと悟り、ご主人は幻獣との配合に手を付けた」

 幻獣を捕まえ、掛け合わせの動物との交配を試みたのだという。本来交わることのないもの同士を人為的に交える所業は、聴取を見守っていたシバやウァプラの顔を大いに歪ませていた。

「なんということを……」
「出来上がった品質に関しては申し分ないものだった。さすが幻獣だと思った。あいつらは大地の恵みをより多く得ようとするからなんだろう」

 シタバの声には今までの疲労が見えていた。それでも一気に語りきるまでは終わるまいと、彼自ら語り続けた。自分たちの所業を。その成果を。おぞましさに震えながら、シタバは口を開く。

「しかし、目に見えない特徴までは……恵みが宿るのは、の毛皮しかなかった」

 シバは王宮に献上された毛皮を彼の前に出し、「これのことじゃな?」と確認する。シタバは毛皮の裏の隅、ともすれば見逃しそうな場所にある印を指さして「この印があるなら、そうだ」呟いた。

「俺はわからないが、父は“大地の恵み”が宿っているのを見れた。老いて視力を失った目でも、恵みだけは例外らしい。ぼんやりと見えるんだと言っていた。あなたも見えるんだな?」
「うむ。今はだいぶ流れ出てしまっておるがの、この毛皮には間違いなくフォトンが宿っておった」

 取り調べを続けるシバとシタバを置いて、ウァプラは部屋を出た。聞きたいことはおおよそ聞けた。もう用はない。

「フォトンが宿るものと宿らないものがあるのは、そういうことか……」

 ウァプラはひとり、シュリエを目指すことにした。
 自然の摂理に反する生命体を探し出し、その存在を滅するために。


 連日マルバスに連れ回され、すっかりはへとへとになっていた。
 執事を名乗る追放メギド、アリトンの用意してくれた紅茶をマルバスとともに楽しみながら、失った体力を取り戻すための休息へと入る。
 何処を見ても新鮮な反応を示したのことを、マルバスはすっかり気に入っていた。

「あなた、本当に何も知らないのね。とっても案内のしがいがあったわ」
「親切にありがとう、マルバス……ちゃん」

 戸惑い、頬を赤らめながら、マルバスを見て“可愛い”という気持ちを抑えきれない眼差しを向けてくるのが特に良い。マルバスは「どういたしまして」と愛らしく微笑んだ。そうするとまた、はたまらなそうにぼんやり惚けた顔をした。
 ――心はとってもおしゃべりさんね、あなた。
 マルバスは常にの期待に応えるかのように可愛らしい仕草を振りまいた。
 ――どう? カワイイ上に愛らしくて素敵な私の姿。
 次はがどんな反応をするだろうとマルバスはわくわくした。そして、無垢な白毛の彼女は、マルバスの期待に応えるかのように口を開く。

「可愛くて、とても、頑張り屋なんだね。マルバスちゃんは」
「……え?」

 頑張る、という言葉からマルバスがすぐに思いついたのは、汗だくで泥まみれになりながらあがくような、そんな、可愛い自分とは程遠いものだった。思わず言葉に詰まった桃色の少女に、は慌てて言い直す。

「だって、その可愛い髪をセットするのも、可愛い服を着てそつなく歩けるのも、すごいと思ったの。私より年下だと思うんだけれど、こんなに広い場所を丁寧に案内してくれるほど把握してて、私はへとへとなのにマルバスちゃんは息ひとつ乱してなかった。小さくて可愛くてきれいなだけじゃなく、賢くて強いのね」

 まるで稚拙な理由。の歳に見合った感想とは言い難い。しかし彼女なりにマルバスの内面を含めて賛美する言葉だった。そしてそれらは、全て心からのものだった。
 どんなに拙くても、心がこもっていれば通うもの。
 マルバスは、ぷっと吹き出した。

「もう! ってば! 私が可愛くて最強なのは当然よ、ハルマになるメギドなんだから!」
「ハルマ? メギドでもマルバスちゃんはハルマにきっと負けないよ」
「そうね~☆ 私だもの! もっと褒めてもいいのよ?」
「マルバスちゃんはとっても可愛いよ。娘にしたい」
「私と家族になりたいなんて、ゼイタクなんだからっ」

 娘を持つにはまだ若いだろうに、とマルバスは思ってからはっとした。
 は酷く緩やかに歳を重ねているヴィータだということを。そこらの追放メギドの年齢をゆうに超えていて、明らかにおかしいのに彼女は正真正銘ヴィータなのだと。だとすれば、見た目は自分より少し年上ぐらいにしか見えなくとも、夫や子がいてもおかしくはないのだと、聡明なマルバスは考えた。

「ねえ、の家族ってどんな人たちだったの?」

 辛いなら言わなくてもいいわ、と添えてマルバスは尋ねる。アジトで受け入れると決めてから、彼女の境遇は皆に知らされていた。既に彼女の故郷は地図から消えてしまっていて、ともすれば彼女を傷つけ兼ねない問いかけだとわかりつつも、マルバスはの内情へ踏み込もうと試みた。
 そしてその試みは、成功する。

「優しい両親だったよ。随分昔のことだから曖昧だけど……。捕まっていなかったら、一緒になろうって話してくれた人もいたよ。きっと私とは別の人と幸せになったと思うな」
「どうかしら? その人もの毛並みにぞっこんだったかもしれないわ」
「そうかなあ」
「そうよ」

 マルバスは自分の髪をふわりと指先でかき上げながら、の純白の毛を見つめた。

「私の審美眼にケチをつける気? 、あなたの毛は私の髪ほどじゃないけれど綺麗よ」

 温くなり始めた紅茶のカップを抱えたまま、はマルバスの言葉に瞬きした。その視線が不意にずれる。どうしたのかしら、とマルバスは後ろを振り返ると、ネクタルの実に似た鮮やかな色の短髪の青年が立っていた。
 解剖を趣味にする風変わりな追放メギド・アンドラス。今回のシュリエの件に関して、主にの体調面でっ関わっている人物だった。

「搾取の対象にされたこととは別にして、その美しさは自信を持っていいと俺も思うよ」

 垂れ下がるの耳を片方ごく自然に手に取りながら、その毛を撫でてアンドラスは頷く。

「うん、すっかり調子も良さそうだ。環境の変化が大きいのか?」
「カワイイ話し相手が出来た、気持ちの問題じゃない?」
「ああ、ああ? ……うん、そういう考えもあるかな」

 アンドラスの曖昧な答えは少しばかりマルバスに引っかかる。そしてアンドラスが来たということは、とふたりの時間を乱されることを、この数日で少女は知っていた。

。キミが転生メギドという可能性はまだ捨てきれないけれど、今のところそれらしい兆候はない?」
「言われたようなことは、全く起きてないです」

 それからアンドラスは、マルバスを差し置いていくつもの質問をへ投げかけた。いつの間にか自分のぶんの椅子を引っ張って来て、彼女の隣を陣取り、脈なども測っている。

「……うん、ありがとう。キミの主治医になったからにはマメに様子を診ないとね」
「此方こそ、ありがとうございます」
「いやいやいや。俺としては、知的好奇心探求心も満たされてこれ以上楽しいことはないよ」

 カルテらしきものにスラスラと何やら書き込みながら、アンドラスはにこやかに笑う。

「そう言えば、シュリエの屋敷でまたキミの子供らしきものが見つかったそうだけど、話は聞いた?」

 の顔が凍った。

「ちょっと、アンドラス! あなたね!」

 思わずマルバスは立ち上がった。ばんと両手を叩きつけたテーブルでは、がしゃんとカップたちが揺れてぶつかって音が鳴る。

「大丈夫だよ、マルバスちゃん」

 きょとんとするアンドラスを横目に、は力なく笑う。

「アンドラスさん、詳しい話を聞いても良いですか?」
「ああ、俺は構わないけれど」

 ――何が構わないけれど、よ。ノリノリじゃない!
 マルバスはむすっとした顔でアンドラスを睨みつける。何故か分からないが、「シュリエの屋敷」に関わる話でが良い顔をしたことは全くなく、寧ろ傷つくことが多い気がして、マルバスはそれが嫌だった。それでもにとって屋敷の出来事は聞かなくてはならないことらしく、また内容がアンドラスの好奇心を刺激しては満たすという一種の循環になっていて、これがますますマルバスの心を乱す。
 内容にも出来る限り耳を傾けない。ただひたすら、マルバスはの様子を気にした。
 ――辛かったら止めても良いのよ。あなたが出来ないなら、いつでも私が中断してあげるんだから。
 そんなマルバスの視線を受けては、は、悲し気な笑みをより一層深めて首を振る。そうされるたび、マルバスの胸は何故かちくりと痛んだ。
 二人のやり取りに気付きながらも、アンドラスの説明は常に淀みない。

「……そして、ビフロンスがいつも通り埋葬したそうだ」
「ビフロンスさんたちには何とお礼を言ったら良いのか、本当に……」

 本当ならば、は自ら屋敷に赴いて『子供たち』の後片付けをしたいらしい。だがソロモンにきつく止められている。『子供たち』と言えば聞こえは優しいが、実際は溶液に満たされた胎児らの死体の詰め合わせなのだ。そんなものを見せて、これ以上を傷つけられないという、ソロモンの判断だった。バルバトスたちも彼の判断には賛成していた。折角助かった彼女の心を折るようなことがあってはならない。その優しさに、は胸が苦しくなるほどの感謝を覚えていた。
 だから、淡々と状況を語るアンドラスの落ち着きは、にとって有難くもあった。

「礼は要らないってさ。ただ、あのウァプラがキミに『体を労わるように』と言うぐらいだから、そうした方が良いよ。俺も彼の言葉に同意だ」

 そして、

「本来ならば、死んでもおかしくないほどの負荷が、キミには何十年と掛けられ続けていたんだから」

 こんな話をひとりで聞かずに済むよう、寄り添ってくれているマルバスの存在に、大いに助けられていた。
 アリトンがやって来てアンドラスの分の紅茶を注ぐ。彼の執事たる動きには常に乱れも無駄もない。ありがとう、とアンドラスが礼を言うと会釈したのが見えた。そのまま次の仕事へと向かうのか音もなく立ち去っていく。
 紅茶で喉を潤したアンドラスは、子供を想って目を伏せるに呼びかけた。

。キミの無限に近い再生力が、恐らく長命の大きな要因だろう。その再生力の元が、常人より膨大な量のフォトンを宿す体質。君の毛皮にはフォトンが宿り、その毛皮のフォトンは治療などに用いられた。つまり間接的にキミは、人々を癒していた。ただ捕まって悲惨な目に遭っていたわけじゃない。その毛皮に救われたものは少なからず存在する。不本意かもしれないけれどね」
「あなた、それ……のこと励ましてるつもり?」
「励ましになるのかな、これ」

 はははと笑うアンドラスに、マルバスは驚いた。間違いなく励ましていた。もしくは励ましに限りなく近い何かだ。根本的なものはズレているが、が無為に時を過ごしていたわけではないのだと、ただ意味もなく生き永らえてきたわけではないのだと、意味のある生なのだと言うような。そんなニュアンスをマルバスは感じ取っていた。
 そしては、そんなアンドラスの励ましを受けて、曖昧な笑みを浮かべている。どうしてそんなにぎこちない笑い方なのかとマルバスが注視すると、の目が大きく潤んでいたのであった。

「フォトンが見えて、フォトンを貯めるだけでも、何かの役に立つんですね」

 その潤みを、マルバスは指摘しなかった。きっと触れない方が良いのだろう。そう感じた。

「普通、ヴィータはフォトンが見えないからね」
「やっぱりもメギドなんじゃないかしら……」
「現時点では限りなく可能性は低いね! 正直俺は突然変異したヴィータという方に賭けてる」
「賭ける賭けないの話じゃないでしょ、こういうのは!」
「いやだって、抽象的な表現で申し訳ないけれど、あまりにもメギドっぽくないじゃないか」

 アンドラスの笑い声は常に一定だ。マルバスの声は様々な心情に彩られている。どちらも異なるものだったが、どちらものくたびれた心身を大いに癒してくれる。
 当たり前のように誰かと過ごす生活を取り戻したことは、いまだ彼女の中で大きな変化として胸の中にある。覚えきれないほど広い住処と、覚えきれないほど個性豊かな面々。誰もが当然のように誰かを思い、世界を思い、集っている。――一部例外はいるそうだが。
 が冷めた紅茶を飲もうとしたとき、アリトンがやって来た。

「淹れ直しましょうか? あなたにはなるべく温かなものを、とソロモン様から仰せつかっています」
「……いいえ、大丈夫です」

 アリトンの申し出を、彼女はやんわりと断った。が何かを断るのは、ここに来て初めてのことだった。
 何故かマルバスが少し怒り出してアンドラスにあれやこれやと文句を飛ばし始めた。
 アンドラスは変わらぬ調子で正論を返すので、ますます少女がむきになる。
 気が付くと、は笑っていた。

「じゅうぶん、あったかいですよ」

 アリトンは不思議そうに首を傾げていたが、は気にせず紅茶を飲み干した。

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