勇み肌の巻き舌、というのは、きっと彼のような人のことを言うのだろう。
 老婆にぶつかった柄の悪い男を引き留め、老婆への謝罪を促したラウムの姿を見て、は思った。真っ直ぐ過ぎてどんな壁にぶつかっても突き破るような威勢を感じる。きつい三白眼と巻き気味の「コラァ!」という口癖には最初こそ驚いたものの、根底にある優しさが滲み出ていてすぐに慣れた。
 かつて日の下を歩くことを封じられていたは、いまだ、街中を歩くという行為に抵抗があった。それではこの先大変だろうというソロモンらの計らいにより、アジトにいる追放メギドと共に街へ出る練習を行っていた。被ったフードで耳を、裾の長い服で羽と尾をカバーしてただのヴィータにしか見えないようしっかり「おめかし」をして。フードも衣服も、マルバスが中心になって選んでくれたものだ。今日着ているものは、マルバスの親友ヴィネも絶賛してくれた自慢の衣装。これを纏うと心がほんの少し強くなれる気がした。

「そうだ、よぉ」
「はい?」

 老婆を見送ったラウムが此方を振り返る。

「今日のお洋服、とっても可愛いじゃねーかコラァ!」

 ――気付いてくれていた。
 真っ赤になっては、ありがとう、と小さく呟いた。誰かに褒められるという行為もまた、にとって遠かった。いつでも称えられるのはの“毛皮”だった。そこに彼女の意思や命は無くても構わない。今は違う。彼女個人の評価を、いつでも平等に下してくれる人々に恵まれた。ほわほわと胸が暖かくなる。そっと胸に手を当てて、は笑んだ。

「今日もお買い物、頑張ります」
「おう! でも気張り過ぎんなよコラ! そういやアンドラスはどうしたんだ?」
「一緒だと買いにくいものを買いに行く、と言ってました」

 耳をぴくりと揺らしては答えた。「きっとキミたちには刺激が強すぎるからね。三時間後に落ち合おう」と時計を彼女に預けてアンドラスは街並みに溶けて行ってしまったのである。

「近くに来たら分かるので大丈夫です。耳が覚えています」
「便利だなコラ!」
「はい、ソロモンさんとシバ様に教わりましたから」

 はフォトンを視認できる。そこでソロモンとシバは、彼女へフォトンについてより詳しく説明した。結果、彼女はその力を伸ばし、見知った人物が近づくと分かるようになった。その人物に内在するフォトンで、個人を判別できるらしい。それがソロモンやシバ、古き血筋とも違う特別なことであると、はまだ理解していない。

「習うより慣れよ。なので、励みます」
「おう!」

 ふわりと浮かびかけた彼女のフードを直しがてら、ラウムはとびきりの笑顔で頷いたのだった。
 大勢のメギドが過ごしているだけあり、消耗品は文字のごとく消えていく。こまめな補充が必要だ。最近『食』に関して厳しい仲間が増えたこともあって、生半可な料理を出すことは許されない。彼曰く、食と命は直結しているのだという。
 牢屋で重湯ばかり食べていたには沁みる言葉だった。あの頃は日差しもろくに浴びず、薄暗い牢屋で飼い殺しにされていた。食事も毛並みさえ保てれば良い、と最低限のもの。下手に力をつけて逃げられてはたまらない。生煮えの草を食むようなこともあった。
 そんな生活を余儀なくされていたからか、はアジトで使用人として出来る限りの心を尽くしていた。アリトンやアイム、フルフルにアミー……、そしてニスロク。誰かの為に何かをすることに関しては、沢山の手本となる人物ばかりがいた。元々の性に合っていることもあり、めきめき腕前は上がっている。それでも内向的な彼女は満足せず、更なる高みを目指していた。まだまだ恩を返せていないし、皆のように振る舞えないのだと悩みながら。
 気張るのガス抜き役ということで、今日はラウムが一緒だった。歯に衣着せぬ彼ならば、の努力を全面的に肯定する。彼女が満足しない一歩でも、一歩進めたことを称賛する。誰にでも彼はそうだ。「のこと頼んだよ」というソロモンからの言伝を胸に、ラウムはを見守っていた。
 メモを片手に、緊張しつつも商人から必要な物資を買い求めていく姿は、この間まで牢屋で捕らわれ怯えていたとは思えないほどに輝いている。ちなみにその事情を聞いたラウムは号泣した。二度とそんな目に遭わせてなるものかと思った。
 無事に買い物を終えて「揃いました」とが胸を張った時など、ラウムは、鼻の奥がツンとするのを感じた。

「本っ当に頑張ってんなぁ、コラァ……」
「そんな。まだまだですよ」

 慌てて首を振る彼女に、「あんまし自分を否定すんじゃねぇコラ」とラウムが返したときだった。

「待って!」

 呼び声と共に小さな影が素早く近づき、に激突する。突然の衝撃に彼女はよろめき、声の主――幼い少年は、尻餅をついた。自分にぶつかったのが子供であると気づいて、はすぐに屈んで少年の顔を覗き込む。少年は泣きかけていた。ぶつかった時に怪我したのかと思ったが、そうではないようだ。

「お姉ちゃんと間違えちゃった……ごめんなさい……」

 しょんぼりとした声音に、までしょんぼりとしそうになる。

「んん? お姉ちゃん探してんのかコラ」
「ひっ!」

 ラウムもしゃがんで少年を見た。その威圧感ある風貌に少年が肩を竦める。
 焦りながらは口を開いた。

「ねえ、甘いものは好き?」
「え?」
「クッキーあるの、食べてみて」

 後でアンドラスと三人で分けようと買ったクッキーの小袋を取り出し、は微笑んだ。察するに、少年は人込みで姉とはぐれてしまったのだろう。心細くて泣き出しそうなときに「泣かないで」というのは酷に思えた。そこで寂しさを紛らわせるように甘いものを差し出してみたのである。
 少年は戸惑いながらもクッキーを手に取る。とクッキーをしばらく交互に見てから、ようやくクッキーを齧る。……クッキーを齧りながら、少年はぽろぽろと涙を溢した。
 ラウムはハンカチを引っ張り出し、少年の頬に伝う涙をこまめに拭いてやっていた。
 ひとしきり泣いてから、少年は立ち上がった。

「ありがとう、おねえさん。おにいさん」
「どういたしまして」

 とラウムも立って、改めて少年に向き直る。は自分でも驚くほど積極的に少年へ接した。

「私は。こっちのお兄さんはラウム。……あなたのお名前、聞いても良い?」
「僕、アルフォンス」

 少年の答えにラウムが「んっ!?」と小さく唸る。どうしたのだろうと考えてから、はハッとした。
 ラウムという名前はあくまでメギドとしてのもの。彼はヴィータの両親から「アルフォンソ」と名付けられていた。とても良く似た名前だったのである。思わず反応してしまったのだろう。
 少年はすっかり気を許してくれていて、ラウムの反応をさして気にした様子はなかった。
 は少年アルフォンスに提案した。

「アルフォンスくん、だね。お姉ちゃんを探すの、良かったら手伝うよ」
「良いの? でもおねえさんたちの邪魔じゃない?」
「邪魔? 何にもだコラ! 寧ろこんな小さい子どもを一人で歩かせるわけにいかねーだろコラ!」

 買い物は済んでいた。アンドラスとの待ち合わせまではまだ時間がある。何も邪魔なことはない。
 ラウムも同意すると、少年は、ホッとしたように微笑んだ。
 荷物の大半をラウムが請け負い、はアルフォンスと手を繋いで歩くことになった。ラウムの計らいである。自分よりも姉と姿が似ていたというと一緒の方が安心するだろうし、重い荷物を自分が持つのは当然だと言って聞かなかった……とも言う。
 少年と手を繋ぎながら、少年の話を聞き、姉とはぐれたという広場に来た。人通りが激しく、それらしい人物を探すのは大変そうだ。唯一手がかりともいえるのが、と似た服を着ているということ。きっと姉も弟を探して街を歩いているだろう。……下手に歩き回るより、ここを目印に留まる方が良いかもしれない。近くのベンチに二人は腰を下ろした。ラウムは立ったまま、姉らしき人物を探して周囲を見渡している。

「アルフォンスくんは何歳なの?」

 ただ座って黙っていても不安だろうと、は精一杯話題を振る。アルフォンスは年相応の笑顔で応じてくれた。

「8歳だよ! この間誕生日になったばっかりなんだ」
「そうなんだ、おめでとうだね」
「ありがとう!」

 アルフォンスは「おねえさんは……」何か言いかけて口を閉ざした。どうしたの、とが尋ねると、少年は、「女の人にお年を聞くのは失礼だってお姉ちゃんが言ってたから、やめたの」何とも可愛らしい紳士ぶりを見せる。
 きっとこの少年は沢山愛されているのだろう。そう思うと、の胸は温かくなる。



 ――自分にももしかしたら、このぐらいの子がいてもおかしくなかったのだ。
 屋敷での生活を振り返る。知らない誰かへの被害を無くすために、彼女は様々な生き物との交配を強いられた。その相手の中にはヴィータの男性もいた。しかし、は何故か、どの場合でも死産してしまった。自分の中に胎動を感じたと思ったら、程なくして冷たくなった胎児が『出て』きてしまう。望んだ妊娠ではなくとも、宿った命を疎んだことはない。

「今度こそはどうかこの世界に来てくれますように」

 授かったからには、無事に生まれてきて欲しいといつも願っていた。

「私とは違う未来と幸せがありますように」

 叶わないと知っていても、願わずにはいられなかった。

「どうか、どうか。神様。これ以上冷たい子を抱かせないでください」

 偶然にしては多すぎる死。
 どうしてなのかと、は、牢屋の中でずっと考えていた。

「私の体では、生まれてくるまで守ってあげられないの……?」

 環境の悪さではない。
 少なくとも子を宿したと知ってからは無事に出産するための最低限の配慮がなされた。
 だとすれば。

「私がいけないの……?」

 子を死なせてしまうのはの毛が原因だろうと判断された。フォトンを宿す性質から、母体に必要な恵みさえも毛へと回してしまい、胎児を育てるだけの力を保てないのだろう、と。
 屋敷という狭い環境で下されたこの判断は、後にシバやメギドたちが調査した際、改めて「正解だった」と裏付けられた。つまりが子を育てるとしたら、最低でもフォトンのコントロールを身につけなくてはならない。ソロモンとシバが、へフォトンについて説いたのは、これが理由でもあった。
 この事実はの心を折った。自分のせいでいくつ命を無駄にさせてしまったのだろう……。
 その考えはしばらく彼女を苛んだ。

「キミは悪くない。悪いのはキミを診てきた人間だよ」

 苛む彼女を止めたのは、いつだったか、健診をしてくれたアンドラスだった。

「彼らはキミを利用したがったわりに随分頭が悪かったみたいだ。もう安心していいよ。原因が判明したんだから。失われた命も決して無駄じゃない。少なくともキミが無駄にしたわけじゃない。無駄にさせたのはキミを捕らえていたヴィータたちだ」
「アンドラスさん……」
「もっと分かりやすくしよう。キミは十分に子どもを守った。殺したのは彼らだ」

 アンドラスは少し悩みながらこう口にした。

「殺された子たちもビフロンスが中心になって丁寧に弔った。ヴァイガルドの地に還ってキミを見守ってくれていると思うよ。……はあ、慣れないことを言ったら疲れちゃったな。キミも十分に休むと良い、

 本当に慣れないことだったのだろう。彼は言葉通りベッドへ転がり、も自室へと引き返したのだった。
 アンドラスの価値観から絞り出された言葉にしては、何て曖昧で優しいものだろう。他のメギドやソロモンたちが聞いていたら驚いたに違いない。それだけが自身を責める姿は見ていられないものだったのだ。
 今でも自分を責めたくなる気持ちはある。しかしその気持ちの通りにしては、アンドラスたちの思いやりを無下にしてしまう。
 だからは、その心を抱えながらも、前を向いていくことに決めた。
 弔われた子たちが安らかに大地へ還るように。次に生まれてくるときは幸せであるように。
 そう、決心した。



 ……つい瞳を潤ませたに、アルフォンスが気づく。

「どうしたの? どこか痛い?」
「ううん、ちょっと目にゴミが入っただけ」

 目を軽くこすり、もう取れたよ、と誤魔化しては微笑んだ。

「アルフォンスくんは優しいのね。いつか私も、あなたみたいな優しい子のお母さんになりたいな」
「ありがと! おねえさんならきっといいお母さんになれるよ!」
「そうかな」

 自信なさげなへ、アルフォンスは屈託ない励ましを送る。

「そうだよ。ね、おにいさん!」

 ラウムに同意を求めながら。

「おう、は絶対に良い母親になれっぞ! 今日一日で改めて思ったぞコラ!」

 周りを見回しつつもこちらの話に耳を傾けていたらしいラウムが即答する。
 はふたりのお墨付きをもらって気恥ずかしくなった。誤魔化すようにぽつりと呟く。

「いつか子ども、授かりたいなあ」
「だって、おにいさん! おにいさんとおねえさんはいつコウノトリさんが来るの?」

 アルフォンスの質問に、ラウムはきょとんとする。も首を傾げた。すると、不思議そうに瞬きしながら、

「え? だってふたりって付き合ってるんでしょ? 二人でデートしてたんじゃないの?」

 アルフォンスはけろっと言ってのける。わくわくとした笑みと共に。

「いやいやラウムさんには私よりふさわしい人が!」
「いやいやコイツにゃ俺より良い奴がだなコラッ!」

 とラウムの反応が重なると、アルフォンスはますます笑顔になった。

「ふたりして同じこと言ってる! きっとお似合いだよ!」

 思わずふたりが顔を見合わせる。アルフォンスの言葉もあって、お互い真っ赤になってしまう。慌てては俯き、ラウムは明後日の方向を見る。
 そんな二人に、人影が近づいてきた。の耳がぴくりと反応する。

「やあ、探したよ二人とも」
「あ、アンドラスさん!」

 ネクタルの実に似た鮮やかな髪色は見間違えようがない。アンドラスだ。は反射的に彼の名を呼んでいた。

「待ち合わせの時間になっても場所に来ないから探したんだよ? まあすぐに見つかってよかった」
「おにいさんたちも迷子だったの?」
「い、いや、ちょっと違うぞコラァ……」

 アルフォンスに問われて気まずそうにするラウム。彼ももすっかりアンドラスとの約束を忘れてしまっていた。そこに、やや遅れて女性が駆け寄ってくる。のものとよく似た色合いをした、ケープ付きの衣服。違うのは、駆け寄ってきた女性がケープを被っていない普通のヴィータということ。

「アルフォンス、ここだったのね!」

 必死な様相の少女は、真っ直ぐアルフォンスへ向かってきた。

「お姉ちゃん!」

 アルフォンスもまた、立ち上がり、女性目掛けて駆け寄っていく。二人はひっしと抱き合った。確かめるまでも無く、アルフォンスの姉であった。

「お姉ちゃん、か。一緒に来て正解だった」

 アンドラスはの隣に腰を下ろし、ふうと一息ついた。浮かぶ考えを指さすように右手の人差し指をくるくるさせながら語る。

「弟を探してるっている彼女と会ってさ。もしかするとお節介な俺の仲間たちは、心細そうな子どもを放っておけなくて一緒にいるんじゃないかと思ってね。約束の時間も忘れてさ」
「す、鋭い……」
「なんも言えねえぞコラ……」

 日頃の洞察眼もさることながら、冴えているの一言に尽きるアンドラスの推察。ふたりが申し訳なさに肩を落とすのを見て、にやりとしている。
 そして無事に再会を果たした姉はというと、アルフォンスの説明ですっかり事情を理解したようだった。慌てて弟の手を引いてやって来た姉が、とラウムに向かって深々と頭を下げる。

「ありがとうございました! 弟が本当にお世話になりました」

「おにいさん、おねえさん、ありがと!!」と弟も姉に続く。

 は立ち上がって、改めてアルフォンスにこう語り掛ける。

「お姉さんが見つかって良かったね」
「もうはぐれないように気を付けろよコラ!」

 ラウムもしっかり注意をするよう言い添えた。
「うん!」姉の手をしっかりと握り締めて、アルフォンスは頷いた。
 姉に手を引かれながら、アルフォンスは三人を振り返る。精一杯にもう片手を振りながらバイバイと繰り返す。

「じゃあねー! おねえさん、いいお母さんになってね!!」

 最後にそう叫んで、アルフォンスは姉と共に人込みへと消えていった。
 ふたりが見えなくなるまで、は、ラウムと一緒に手を振り返していた……。
 しかしは、はたと気付いた。座ったままのアンドラスが、何か言いたげに顎に右手を当て、を見つめているのだ。じろじろと遠慮のない視線に、何となく居心地の悪さを感じるほどだ。
 ひとわたり彼女を見渡したアンドラスは、はてと首を傾げた。

「……キミ、いつの間に妊娠したんだい」
「誤解ですっ!」

 思いがけずは、生まれてこのかた出したことのない大声で返してしまった――。
 こうしての散歩は、一応、滞りなく終了した。
 こんな外出を何度も繰り返すうち、は他のメギドたちとも交流を深めることができ、メギドたちもという存在を受け入れていくようになった。
 ソロモンとシバの憂慮していたフォトンコントロールにも、この成果は良い効果をもたらす。
 は少しずつ、前を向いていけるようになっていた。

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