シバとソロモンとは、三人揃って王宮の一室にいた。部屋の中には、他の場所よりも強く濃くフォトンが漂っている。ソロモンの持ってきた携帯フォトン袋から取り出したものだ。ソロモンらの目から見てフォトンは大まかに分けて三種類ある。特に戦いの場で意識されるそれらは、一つは力、一つは技、一つは覚醒を促す。
は部屋に漂う三種のフォトンを見分け、三種の袋それぞれに導いていった。間違っても自分の毛に取り込んでしまわないよう細心の注意を払って。ひとつ、またひとつ、そうして最後のフォトン袋を満杯にすると、はふうと息を吐いた。
「ど、どうでしょうか」
見守っているシバとソロモンが揃って笑うと、彼女はようやく肩から力を抜いた。
「見事じゃ! フォトンを見分けるだけでなく吸収せず丁寧に運ぶことが出来た。これをもっと自然に行えれば、おぬしも普通のヴィータ同様、生きていけるじゃろう」
「私が普通の人よりフォトンを貯め込めるということは幻獣にも狙われやすいってことになるんですよね」
「うむ……。幻獣はフォトンに敏感じゃからの。そんなことは良いのじゃ、」
戸惑いがちにはシバを見る。
「良いんでしょうか。毛並みぐらいしか取り柄がないし、私……」
に平凡かつ平穏な生活を望むシバは、優しい笑みで言う。
「おぬしの望む“良き母親”となるため、フォトンを余計に蓄えてしまうことを防ぐ。なに、相手はきっとすぐに見つかる。おぬしの持ってきてくれたマドレーヌを食べて、わらわがそう直感したのだから間違いない。それにフォトンを宿さずとも、おぬしの毛並みはフワフワツヤツヤと素晴らしいではないか」
気兼ねなく耳や尾を露わにできる空間のお陰で、はフードを被っていない。ふわふわ揺れる耳や翼をシバは優しく撫でた。残酷な過去の原因であるそれらを、が疎むことが無いように女王は想いを込める。
「誇るが良い。この美しさを。二度と誰にも搾取されることのない、このフワフワを。癒しのフワフワじゃ!」
ふわふわ加減を強調するシバに、半眼になったソロモンが呟く。
「おいシバ、まさか触るのがクセになってるんじゃ……」
「ち、違う! 断じてそんなことは無いぞ」
「けどさ、フワフワって何回も……。はぬいぐるみじゃないんだぜ?」
「分かっておるわ、バカソロモン!」
「そこまで言う!?」
ソロモンがショックを受けているうちに、シバはコホンと咳払いをして気を取り直す。は突っ込むこともなくふたりを見つめている。
「と、ともかくじゃ。わらわたちが教えられることはもうほとんど教え切ったと思う。後はおぬし次第じゃ、」
「私次第……ですか。シバ様にそこまでおっしゃっていただけたら安心できます」
固さは抜けないが嘘偽りない眼差しを受けて「うむうむ。素直でよい」シバは頷く。
ソロモンもまた、シバに同意するように口を開いた。
「俺も、はもう大丈夫だと思うな。ちょっとフォトンを貯めやすいことは違いないけれど……前に比べたら全然だ。フォトンの輝きより、その毛並み自身の輝きだけで十分綺麗だよ」
シバが撫で続けている耳を見て、気さくに笑うソロモン。
は少し顔を紅潮させた。視線もやや下がってしまう。
「そ、そうですか。ソロモンさんにまでそう言って貰えたらますます恐縮してしまいます……」
「ソロモン、純朴なをたぶらかすでない」
「た、たぶらかしてないよ! シバと同じ意見だってこと!!」
「分かっておる分かっておる」
シバの方が一枚上手のようだ。うっと声を詰まらせるソロモン。ふたりのやり取りはとても息が合っていて、はふたりの会話を聞いているだけで楽しくなった。まだ二人が話し込みそうなので携帯フォトンを回収しようかと思った時だった。
手元にあるフォトン袋には、青いフォトンが沢山詰まっている。袋と言っても布や麻とは違う。ガラスのような材質で球体をしていた。これを金具で繋ぎ、持ち運べるようになっている。
青色。溢れんばかりに詰め込まれた青いフォトンを見つめて、はぼうっと呟いた。
「青色がいっぱい……」
「確かにそうじゃな。どうした? 何か気になることでもあるかの?」
「いえ、綺麗だなって……」
シバに問われて、無意識のうちにそう返し、はたと気付く。
は過去を思い出していた。牢屋に入れられるよりずっと前のこと。幸せに村で暮らしていた時のこと。自然に恵まれた場所だった。異質な彼女を受け入れてくれた場所だった。
「昔から、こういう青が好きでした……。空の青、水の青……。雲になったり、岩にぶつかる白波になったり、そんな気持ちになれる自分の白が……ちょっと、いいかもって思った時もありました……。それを、何となく思い出して……」
きっとそう思えたのはあの場所に生まれたから。両親と、友だちと、好いた人。幸せな縁に恵まれたから。
きっとそう思い出したのはソロモンたちに出会ったから。今は亡き両親たちと同じように、幸せな縁に再び恵まれたから。
「……確かに美しい青色じゃな。わらわにも分かる。特に青空は心地よい」
うんうんと頷き、シバは呟く。の耳を手の平に優しく乗せたまま、じっとその純白を見つめて微笑む。
「そして浮かぶ雲が自分か。何とも可愛らしい考えではないか。もっとにはそういう幸せでとりとめのないことを思い出したり、重ねて欲しいものじゃ」
耳を撫でていたシバの手が、ふと、の手をとる。
「いくらおぬしの外見の怪我が治ろうと、心の怪我まではそうは行くまい。今もかすかに震えておるのは、そういうことじゃろう? 万が一わらわに対して緊張しているのだとしたら、それは余計なものじゃ。気にせずとも良い。女の子同士仲良くしよう」
女の子同士? とは繰り返す。うむ、とシバは答える。は僅かに目を細めた。
ソロモンは、とシバのやり取りを静かに見守っている。
の手を強く握り、シバは言う。真っ直ぐに彼女の顔を見据えながら、その凛とした顔に笑みを浮かべたまま。
「。幸せになれ。幸せになれると思う生き方を選べ。進め。その為に、そういう数々の願いの為に、わらわやソロモンたちは戦っているのだから」
シバの瞳から目を逸らせずに、は震えていた。それは緊張や恐れではない。心の内から溢れる感情のためだった。安心。安堵。感動。感謝。そういったものたちだ。
「私は……私は」
深々と頭を下げ、は礼を述べる。
「ありがとうございます、シバ様……ソロモンさん」
首を垂れたまま純白のおんなは続けた。
「でも、もし私なんかの幸せも祈ってくれるのだとしたら、お二人たちにも幸せになってもらわなくちゃ、私は、いけません……」
自分を牢屋から出してくれたメギドたちの顔を思い出す。アジトで良くしてくれるメギドたちの顔を思い出す。子どものように懐いてくれるメギドたちの顔を思い出す。王宮での訓練を許してくれたハルマたちの顔を思い出す。そして……今そばにある、シバとソロモンの顔を見つめる。
「私を助けてくれたシバ様とソロモンさんたち、皆さんが幸せに生きてくれなくちゃ……」
絞り出されたか細い声に、シバは心を痛めたように目を伏せた。純朴にシバへ幸せを願う存在は決して多くない。彼女の立場がそうさせるのだろう。しかし今は、シバのいう“女の子同士”として、ただのシバへ願いを乞うているのだ。
「そうか……そうじゃな。おぬしはそういう人間じゃったな。うっかりしておった」
切なくも嬉しいその心を無下にするシバではなかった。力強く彼女は断言する。
「わらわとて、自身の幸せを捨てたわけではない! 安心するが良い! わらわもまた幸せの一つに、のような者たちの笑顔が必要なのじゃ!」
言い切った彼女はソロモンを振り返る。
「よしソロモン。おぬしも約束するのじゃ、を安心させるのじゃ。幸せを掴むと。メギドたちの分もおぬしが約束せよ」
シバ自身強引かと思いながらも、ソロモンに促す。それでもシバは今に必要なことと判断した。それはソロモンも同じだった。
「えっ? わ、分かった。俺も幸せを掴む。その為にもハルマゲドンを止めてやる! メギドの皆もきっと同じ気持ちだ!」
優しいソロモンは彼女の勢いにこそ戸惑いながらも、シバ同様、へ誓ってみせたのだった。
ふたりの誓いを聞いて、ようやくの体と心は緊張から解放された。ふわりと微笑み、ひとしずくの涙を頬に伝わせた。
……疲れたであろうに先に帰るよう促してから、シバとソロモンはふたり、部屋で話し合った。解放された直後からは随分と変わったについてだ。
ソロモンは、一つの憂いをシバに打ち明ける。
「はフォトンの許容量の話のとき、きっとこう考えたんじゃないかな。いざというとき、幻獣が現れたとき、自分にフォトンを集中させれば囮になれるって」
その言葉にシバは目を剥いた。回収しようとしていた携帯フォトンを取り損ね、床へ転がしてしまう。ガランと大きく重い音がしたが、そうそう壊れるような代物ではないのが幸いだった。
「なんじゃと!? どうしてそのようなことを……」
「だってさ、はある意味、村の人たちの囮になって捕まって生き続けてたんだ。そういう考え方がまだ染みついていると思う。あまり良いことじゃないから、少しずつ凝り固まったその考えを解せたらいいんだけど……」
シバの代わりに全てのフォトン袋を回収したソロモンは、そう言って拳を握り締めた。がいくら安堵し微笑んでも、今だその表情のどこかに憂いと陰りを見せることが気になっていたのだ。打ち明ける相手を悩みに悩み、シバを選んだのは、きっと正しかったろう。
「ならばわらわたちがその考えを無くしていけばよいだけ。実に簡単な話じゃ」
「そうだな。俺たちが取り除いてあげないと」
「絶対に取り除ける」
シバの言葉には自信が満ちていた。
「……そうだな」
ソロモンも頷く。
が自分を犠牲にしようなんて思えなくすれば良い。自分たちとの時間、街での様々なヴィータとの時間、そういったものをたくさん重ねて、命は等しく尊く、それは彼女自身にも当てはまるのだと伝えればいいだけ。実にシンプルだ。
「は『良き母親』を目指す普通のヴィータなのだから」
普通のヴィータとして、これからいくらでも彼女は生きていける。どれだけ特殊だろうと辛い過去があろうと、自分たちがそばにいるのだから。
群青のフォトンが揺れるのを見つめながら、ソロモンはふっと微笑んだ。
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