先日不良たちに絡まれていたところを救われて以来、キヨカはにすっかり心を許していた。そして初めて出会ったその日のうちに、二人は“今度の屋敷で一緒に遊ぶ”という約束を交わしたのだ。
その約束の日が今日であった。ミソラ駅まで執事と共に車で迎えに来てくれたを見るなり、キヨカは飛びつかんばかりの勢いで彼女に駆け寄った。
「お姉ちゃん、こんにちはっ」
「こんにちは、キヨカちゃん。今日はいっぱい遊びましょうね」
「うんっ!」
そうして車に乗り込んだキヨカとはずっと、二人で話しっぱなしである。
勿論キヨカの大好きな兄も一緒だ。ただ彼は、キヨカと違って気だるそうな顔をしたまま黙り込み、車窓からの景色を眺めている。話に加わる様子はない。
何時にも増して寡黙な兄に、キヨカは首を傾げた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「まさか車酔いですか? 大丈夫? 仙道くん」
隣の妹だけでなく、助手席からも此方を振り返るのを見て、仙道は溜め息まじりに返す。
「何でもないさ。気にしないで話してな」
「なら良いんですが……何かありましたら気兼ねなく言ってくださいね?」
そう念を押したのち、は再びキヨカと話し始めた。
仙道も仙道で、物思いに耽る。
自分はついてこなくとも良かったんじゃないか? キヨカとは二人だけで随分と楽しそうだ。……というか何でこいつらは今日も今日で「お兄ちゃんはすごい」やら「仙道くんは素敵です」やら当人を前に恥ずかしげもなく熱く語れるんだよ……。
つまり彼は恥ずかしかったのだ。
◆◆◆
の屋敷に着くなり、キヨカは歓声を上げた。
「おおきい! すごい! 本当に入っていいの?」
「勿論ですわ。お友達ですもの」
「わあ!」
キヨカはくるりと兄を振り返り、駆け寄っていくと、その手を掴んだ。
「お兄ちゃん、早く!」
「そんなに騒がなくたって屋敷は逃げやしないだろ」
兄妹を微笑ましげに見つめながら、は二人を促す。
「ようこそ、わたくしのお家へ」
ヤマブキと共に、は屋敷の扉を開いた。
外観から察した通りの、まさに“お嬢様の屋敷”だ。キヨカは嬉しそうに辺りを見渡している。少女の期待に添えたことを、はひっそり安堵した。
「、お客様かい?」
ふと穏やかな男性の声が響いた。緩やかな螺旋を描く階段を降りてくるの父・孜郎のものである。その半歩後ろを、母の京子もついて来ていた。
久しぶりに屋敷で休暇を楽しむ両親に、は元気よく答える。
「はい、先日お話ししたお友達に来ていただきましたの」
「そうかい、それは良いことだ!」
「家で一緒に遊ぶお友達が出来たなんて……私たちも嬉しいわ」
「有難うございます。お父様、お母様!」
の笑顔と、それに答える彼女の両親の顔を交互に見つめた。の面差しはほぼ母親譲りのようだが、笑ったところは父親に似た雰囲気もある。
人の良さそうなの両親の微笑みと視線に、仙道はとりあえず会釈した。
「初めまして」
「あっ、はじめまして」
キヨカも慌てて兄に続く。
孜郎たちは嬉しそうに口を開いた。
「娘から話は聞いているよ。仙道ダイキ君に、キヨカちゃんだね。どうかこれからも娘と仲良くしてやってください」
「私からもお願いするわ。今日はいっぱい楽しんでいってね、二人とも」
「……はい」
「わかりました!」
兄妹の返事を確かめたのち、孜郎と京子は奥の部屋へと去っていった。「何かあったら呼んでくれ」孜郎の呼び掛けに、ヤマブキは深く頷いて返す。
そのヤマブキは主人を見送ると、仙道へ視線を移した。意味ありげな執事の眼差しに、仙道は不機嫌そうに眉を顰める。
「何か言いたいことでもあるのかい? 執事さんよ」
「いいえ。まさか仙道君の方から挨拶をして頂けるとは思わず……。意外だったもので」
先のの両親に対する仙道の反応がよほど面白かったのか、ヤマブキは笑みを滲ませている。確かに普段の仙道からは想像し難い対応だったかもしれない。
笑いを堪えるヤマブキの姿が、更に仙道の癪に障る。しかし兄が何か言うより先に、何も事情を知らないキヨカが口を開く。
「お兄ちゃん、真面目だから」
「キヨカ……」
すっかり毒気を抜かれてしまったようだ。力なく妹の名を呼んだ仙道が頭を抱えるのを見て、はひっそり笑う。
「ヤマブキさんたら。あまり仙道くんをからかわないでくださいな」
「申し訳ございません」
ヤマブキが頭を下げると、は頷き、話題を切り換えた。
「わたくし、お茶とお菓子の用意をしますわ。ヤマブキさん、仙道くんたちを私の部屋に案内して頂けます?」
「畏まりました」
促されるままに仙道とキヨカは屋敷を進む。黙々と案内をするヤマブキに、キヨカは訊ねた。
「お茶の用意、執事さんがしないの?」
「基本的に私が用意させて頂くのですが、お嬢様が“大切な友人には自分で用意したものを楽しんで貰いたい”と仰っているのです」
「お嬢さまなのに?」
ヤマブキの言葉では伝わりにくかったようだ。まだ不思議そうなキヨカを見て、仙道は執事の説明をもっと噛み砕いて伝えた。
「にとってキヨカは大切な友達だから、は自分の力で気持ちを込めて歓迎したいってこった」
「うれしいね!」
「そりゃ良かったな」
「え? お兄ちゃんったら他人事みたい」
はしゃぎながら妹は続ける。
「お姉ちゃんは、お兄ちゃんのことも大切なお友だちだって思ってるのに。なんでもっと喜ばないの?」
前方を歩くヤマブキが肩をぴくりと震わせ、笑いを堪えたのに仙道は気付いた。文句のひとつでもつけたいところだが、妹の手前、ぐっと堪える。どうせなら後々やることになるはずのLBXバトルで、執事に対する憂さ晴らしをしようと心に決めながら。
まだ「どうして?」と純粋な眼差しで見上げてくる妹の頭を、仙道はぽんと軽く叩いた。
「……色々とあるんだよ」
「ふうん、お兄ちゃんは大変だものね」
ませた妹がすんなり追求を止めてくれたことに、密かに仙道は胸を撫で下ろした。
ヤマブキに案内されたのは客間ではなかった。柔らかな色合いと香りに満たされた大きな部屋。入ってすぐに仙道は、ここがの自室であることを悟った。
動揺する兄を他所に、キヨカはまたはしゃいでいる。
「お姫様の部屋みたい……! なんだか良い香りがする」
「お嬢様が庭に咲いた花で作ったポプリのものでしょう」
「あのクローゼットもベッドも、お城のみたいでかわいい……」
「奥様の趣味で揃えられた家具ですよ。お嬢様も大層お気に入りです」
ヤマブキも次々とキヨカの疑問に答え、部屋のあちらこちらを説明して回る。のプライバシーなどあったものではない。いや、自身、そんなことを気にしないからこそ仙道たちを自室に通したのだろう。見られて困るような状態の部屋に他人を入れる人間があるものか。
(いや、みたいに間抜けな奴ならやりかねないか……)
ベッドの側で、ヤマブキが目にも止まらぬ速さで何かを隠したのに仙道は気付いた。恐らくが片付け損ねた何かがあったのだ。キヨカは気付いていない。仙道も知らんぷりを貫くことに決めた。
兄妹がソファーに腰を下ろした数分後、小さな物音が扉の向こうから響いてきた。いち早く反応したヤマブキが、部屋の扉を開く。
「お待たせしましたわ!」
爽やかな笑顔で、ようやく部屋の主であるがやって来た。
……キッチンワゴンに、4人分の紅茶と菓子を乗せながら。
「お嬢様がワゴン押してくるとかアリかよ……」
「アリですわ。わたくし、そんじょそこらのお嬢様とは違いましてよ」
仙道の指摘には何故か胸を張って答える。
ヤマブキの平静ぶりから察するに、初めからはこういった類いのことは自分でこなしてきたのだろう。自分で自分のことをするのは良いことだ。もうそれで良い。どうでもいい。
何より“彼女の立場を気にしない”と話したのは、他ならぬ仙道自身なのだ。
仙道は、これ以上言及しても無意味であると十二分に理解していた。
慣れた様子で紅茶を淹れ、菓子と一緒にテーブルへ並べていく。
その姿すら何処か優雅に思えるのは、紛れもなく彼女が令嬢である証なのだろう。幾ら中身は普通の女の子であろうと、彼女の立場上、どうしても“令嬢としての”という姿は必要になる。
しかしは自らその壁を越えて仙道に触れてきた。語りかけてきた。今でも彼はしっかり覚えている。
『私は、あなたと一緒にいられるようなお友だちになりたいんです』
アルテミスの会場で、彼女の越えてきたものがどんなに大きかったか。どんなに仙道の心に波紋を起こしたか。
そして――。
『仙道くんのことが大好きですから、もっと仲良くなりたいんです』
直向きなの言葉が、どんなに嬉しかったことか。
沈黙したままの仙道の向かい側に、テーブルを挟んでが腰を下ろす。
「いっぱい召し上がってくださいね。自分の家だと思って寛いでくださいな」
令嬢の言葉を合図に、キヨカとヤマブキは、紅茶と菓子を味わい、会話を楽しみ始めた。
真正面にあるの笑顔を見つめながら、仙道も小さく頷く。
僅かな仙道のリアクションにさえ、やはり彼女は幸せそうに笑みを深くした。
のあらゆる申し出を、今より素直に受け止めることが出来たら――。時折、そんなことを考えるようになってしまった自分の変化が腹立たしい。考えるたびに“今はそんな場合じゃない”と、仙道は自分に言い聞かせる。
例えば今なら……まずアルテミスでの雪辱を果たさなくてはならない。
ユジン。オタレッドなどとふざけた名乗りと格好をした、あの男へ。
次第に仙道の表情は険しくなっていった。
それに気付かぬほども暢気ではない。紅茶のカップを静かにソーサーへ置くと、仙道へ申し出る。
「仙道くん、少しお願いがあるのですけれど」
「……何だ?」
ぼんやりとした仙道の返しに、は席を立った。仙道たちの座るソファーの後ろに回り込み、キヨカの両肩に手を添え、再び仙道を見る。
「ちょっとだけ、キヨカちゃんを別室にお連れして大丈夫ですか? キヨカちゃんに見せたいものがありますの」
キヨカはきょとんとしてを見上げている。「良いですか?」兄妹に交互に目配せしつつ、は訊ねた。
「キヨカが構わないってんなら大丈夫だろ……」
思考を中断されたばかりの彼の返答は歯切れが悪かった。
そんな兄の素っ気なさを“いつもの調子”だとキヨカは判断した。
「うん、じゃあちょっと行ってくるね。お兄ちゃん」
「ああ」
に手を引かれながら部屋を出ていくキヨカは、大層嬉しそうだった。
部屋に残されたヤマブキと仙道の間に、気まずい沈黙が生まれる。これといった話題も無いし、正直なところ、彼はヤマブキが苦手なのだ。
今更ながらたちを送り出したことが悔やまれる。
仙道は黙々と紅茶を啜るしかなかった。
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