会社にいるという両親の元へ着いた頃には、の胸中に在った恐怖心は姿を消していた。強く固い理性の蓋でそれを一番奥に押し込めて、無いものにしていた。
 社長室の扉のロックは指紋認証式だ。勿論、のものも登録してあり、扉は問題なく開いた。この方法以外で社長室に入るには、室内の人物に招いてもらうしかない。
 広い社長室のデスクの傍に、両親・孜郎と京子の姿を認める。
 ――お父様、お母様。
 肉親の無事を確認した途端、心の隙間を埋めるようにどっと安堵が溢れて来た。今すぐにでも二人の元へ駆け寄りたかったが、壁沿いに並ぶイノベーターらの監視がそれを許さない。屈強な体躯をした構成員たちは揃いの黒スーツに身を包んでいる。異様な圧迫感を与える彼らの中央、一歩前に、一人だけ白衣を着た男がいた。

「おやおや、久しぶりですね。お嬢様」
「あなたは……」

 その男の顔を見た途端、は凍り付いた。
 ――私は彼に会ったことがある。出来れば思い出したくない場所で。
 それが何時なのか、考えるまでもない。過去にイノベーターに捕らわれた時だ。

「覚えていてくれましたか。いやあ、あの時のあなたが残してくれたデータは役立ちましたよ。ほんの少しですが」
「少しでもお役に立てたのでしたら何よりですわ」
「随分と強気になられましたなぁ」

 まだ未熟なの強がりなど、非道の限りを尽くした相手にはお見通しだった。クツクツと喉を鳴らすような笑いをしたのち、男は眼鏡を指先で上げながら問う。

「アルテミスで“あれ”をご覧になった時も、そう強かでいられましたか?」

 男が指したものが何か。これもはすぐに思い当たった。
 ―――灰原ユウヤ。
 アルテミス決勝戦で暴走を起こした少年の姿を振り返りながら、彼女は男を睨みつけた。

「あ、あなたたちの、仕業だったのですね……!」

 震える声と揺らぐ瞳で、は男を非難した。

「よくもあんな恐ろしいことを……。彼は、ユウヤくんは無事なのですか!」
「それはあなたに関係ないでしょう。まあともかく、あなたに私たちが行った過去のアプローチは“失敗”だったと判ったおかげで、別の道を模索できたわけです。ほんの少しは役に立ったというのは、そういう訳ですよ。失敗作のお嬢様」

 失敗作。厳しいながらも、自分に相応しい言葉だとは一瞬思った。
 自分には何もない。何だかんだで両親や他者の厚意に甘え、迫る婚約という檻から目を逸らし続けているだけの現実逃避者。大好きなLBXに取り組んでもちっとも上達しない。それどころか機械の扱い自体を覚えるのも苦手で、駄目で、なかなか上達しない。でも、それでも。
 ――今の私は、前よりは少しだけ、マシになったつもり。
 LBXの技術は何もバトルだけではない。カスタマイズや装飾といった手段がある。機械の扱いも、根気よく続けてタブレット端末やパソコンを駆使してバトル動画を編集したりできるようになった。
 全ては大好きな友、大好きな人のため。
 だとしたら、向けられた“失敗作”という言葉を受け入れてしまっては、自分に対して様々な経験や感情を教えてくれたその人たちに対して顔向けできない。
 俯きかけた顔を上げ、は涙ぐみながら訴える。

「何も成功していないあなたたちに、酷いことばかりするあなたたちに、失敗だ何だと決めつけられるいわれはありません」

 それでも男は、イノベーターは飄々としていた。

「キレイな宣言はその辺にして、実のある話を致しませんか」

 自分の決心をこうも無下にされるとは思いもしていなかったのショックは相当だった。それでも必死に表情には出すまいと、ひっそり唇を噛み締めて耐える。
 の両親へと視線を映した男は、こう提案した。

「もうこの会社はイノベーターにとって不要となりました。……どういう意味か、お判りですよね」

 は、両親は、青褪めた。
 イノベーターが自分たちを見限る。それは死と同義であった。
 たとえ助かったとしても、イノベーターの工作によって会社にはあらぬ罪を着せられることになる。都合の悪い事実を抱える会社が口を開く間など与えず潰しにかかるだろう。そうなればたちは社会的に抹殺されるも同然だ。
 しかし、と男は話を区切った。

「これまであなた方が我々に協力していたのも事実です。そこで、こういうのはどうでしょうか?」

 ちらりと男はに目を向ける。眼鏡の奥でぎらつくその目が、少女が必死に抑え込んでいる恐怖心を煽る。

「お嬢様にもう一度我々へご協力していただき、ご両親と会社諸々は助ける」

 は、母が両手で顔を追うのを見た。震える母の肩を抱く父の手もまた震えていることに気付いた。
 白衣の男はまた眼鏡の位置を直しながら、絡みついてくるような声音で続ける。

「もちろん、お嬢様の命を奪うような真似は致しません。大事な研究対象のひとつですからね。この会社が用済みとはいえ、我々にとって有益な機関や繋がりを持っていることに変わりませんから」
「そんなこと――」

 同意できるものか、と孜郎が続けるより先に白衣の男が動く。彼が右手をあげると、黒スーツの男の一人が歩み出た。両手にタブレット端末を抱えており、その画面をらに見えるように翳していた。
 白衣の男がタブレット端末を操作して程なくすると、映像が映し出された。
 ……端末に映ったのはと然程歳の変わらない少年の姿だった。眩い金髪と鋭い紫の眼光。眼帯に閉ざされた右目も同じ紫なのかまでは知れない。

『やあ。こんな形で失礼するよ。。そしてそのご両親殿』

 威風堂々と、王者のような風格を持った少年の声がした。と両親を呼ぶとき、しっかりとその方角を見ながら。そこでようやくは、映像がリアルタイムで繋がっているものだと気付く。
 優雅に頬杖をつきながら、少年は笑った。

『ああ、そういえば自己紹介というものをしてなかったね。ボクは神谷コウスケ。神谷藤吾郎の息子さ』
「あなたが……神谷社長の一人息子……ですのね」
『おや? 知っていたのかい?』

 少年――神谷コウスケは、大袈裟に肩を竦めてみせる。些細な仕草ながら気品があり、並々ならぬ自信と強さに満ちていた。
 怯みかけた心を奮い立たせ、は応じる。

「勿論。海外でLBX工学について学ぶために留学しているとお聞きしました。いつ帰国なさってたんですの?」
『あいにく帰国まではもう少しかかるよ。まだ空の上さ』
「直接お会いできる時が待ち遠しいですわ」

 精一杯のの強がりに、コウスケは額を押さえて笑い始めた。

『鈍いな、君は。見た目通りだね』

 その笑いはあからさまに彼女を嘲っていた。

『データを見たけど、君はとことん争いに不向きなようだ。いずれ会社を先導すべき人間としてのスキルをちっとも持ち合わせていない。可哀想に』

 は、無駄と知りながらもコウスケを睨まずにはいられなかった。自分を通して両親や会社のことまで侮辱されているのが判った。それが許せなかった。こんな反発すら彼の筋書き通りなのかもしれない。手も足も出ないとは、このことだ。
 そんなを指差しながら、コウスケは続ける。

『そんな君が唯一会社を救うための手立てを、ボクらは提示してあげているんだよ? まさか折角のチャンスをふいにする訳ないよね。お嬢様』

 いつの間にか黒スーツの男たちは拳銃を取り出し、らへ向けていた。
 ――ここで断れば命は無いということですか。
 は静かに目を伏せた。

「……わたくしが力になることで、お父様とお母様と会社には手を出さないでくださいますのね」
……!」

 引き留めようとする母の声に、ゆっくり少女は顔を上げた。穏やかな微笑みと共に両親を振り返り、は告げる。

「今まで散々守ってもらってきました。今度は私にも、守らせてくださいな」

 正直なところ、協力したとて見逃してもらえる確率は低い。だが断れば確実に命は無い。だとしたら、僅かでも可能性のある方へと懸けてみるしかなかった。に残された選択は“協力”ただひとつ。
 両親が泣き叫ぶ中、はイノベーターに引き連れられて部屋を出た。あれやこれやと白衣の男が説明をしていたが、の頭には全く入ってこなかった。代わりに忘れたつもりだった過去の記憶がフラッシュバックする。
 たくさんの機械。
 たくさんの人たち。
 たくさんの電気。
 たくさんの――……。
 既に許容範囲を超えた心が悲鳴を上げることは無かった。昔は少しでもあの頃に触れると恐ろしくてたまらなかったのに。今は、あの頃に経験していたなら今回も何とかなる、と思えるほどだった。
 しかし、次に脳裏を駆け巡ったものは、の目頭を熱くさせる。
 友達。仲間。……バンたちの存在。
 初めてできた友達だった。敵と繋がりのあるを“仲間”として受け入れてくれた。バンたちは今頃、プラチナカプセルの情報をタイニーオービット社へ運んでいるのだろう。彼らの目的が早く達成されるように、祈るしかない。
 これから自分がイノベーターに協力することを、彼らが知ったらどう思うだろうか。裏切りだと怒られても仕方ない。だが、にとっては両親と家族が代々守って来た会社の存在も大切だった。自分なんかがいなくてもバンたちは目的を果たせるだろう。力強い仲間もいる。対して、この会社を守るための行動が出来るのは、今や自分しかいない。
 ――大好きなひともできた。
 ぽろりと涙が零れ落ちていく。は唇を噛み締めて、必死に嗚咽を堪えた。
 ――仙道くん。
 ホコ天コロシアムで別れた彼の背中を思い出すと、ますます涙が溢れてしまった。最後にあんなに格好いい彼の姿を見ることが出来て良かった。心からそう思う。まだ別れてから数時間しか経っていないはずなのに、何日も過ぎたような気分だ。
 最初は刺々しかった彼が、少しずつ柔らかな表情を見せてくれるようになった矢先だったのに。
 少しずつ、一歩ずつ、彼に近づけていると思えた矢先だったのに。
 どうして今なのだろう。
 いつか来ることは重々承知していたつもりなのに、どうしてこんなに胸が軋むのだろう。

「コウスケくんの言う通りですわ……」
「ん?」

 誰かに向けたつもりではなかったが、の呟きに白衣の男が眉を動かした。それを見て、は笑う。

「わたくしは何もかも不向きで、鈍いということを再度自覚しただけです」

 これからのことを思うと、鈍い方が――感覚を極限まで鈍らせた方が良いのかもしれない。
 はそれきり心に蓋をした。「約束通り両親と会社には手を出さないでください」再度そう頼むと、口も噤んだ。大人しく、大人に囲まれながら歩き続ける。そしてイノベーターの車へと乗せられ、何処かへと向かった。実験施設だということは判るが、一体どこかまでは判らない。場所が判ったところでどうにもならないし、聞くだけ無駄だ。
 少女は目を閉じて、車の揺れに身を任せていた。



◆◆◆



 ミソラ商店街でLBXバトルに興じていた仙道の表情は冴えなかった。ろくにジオラマ内を見ることも無く、時にはCCMの画面すら殆ど見ずに敵を打ち負かしていく。それは戦いと言うより作業化していて、仙道の力量に見合う実力者が現れる気配は一向になかった。
 ――どいつもこいつも雑魚ばかりだ。
 嘆息した彼は早々にバトルを切り上げ、店を出た。

「燃えないねぇ……」

 空を見上げ、ひとり呟く。脳裏に過ったのはアキハバラキングダムでの激闘だった。今までチームプレイというものとは全く無縁だった自分が、気に食わない相手と組まされ、共に戦いに挑む羽目になったはちゃめちゃな大会。だがしかし、その大会で感じたのは今までにない高揚感と達成感だった。ひとりでは決して味わうことのできなかった喜びがあった。
 ついでに、いつにも増してやかましい令嬢を見ることになった。
 そう言えばはどうしているだろう。仙道は気になって彼女のCCMへ電話をかけてみた。アキハバラで別れてからずっとのことが気掛かりだった。いつもと様子が違うというか、雰囲気がおかしかった。その原因を聞くのは憚られてあの時はさっさと帰ってしまったのだが、今になって酷く後悔している。もう少し突っ込んでみるべきだった、と。

「いや、待てよ……。何で俺はアイツに電話なんかかけてんだ?」

 ふと我に返って、仙道は電話を切る。当然のようにへ電話をしようとしていた自分が恥ずかしい。そこそこの時間、呼び出し音を鳴らしていたが彼女は出なかった。いつもならワンコールで出るのに変わったこともあるものだ。
 ひとりで不機嫌になりながら、仙道は片手で頭を掻きむしる。

「ったく、あの大会から全然調子が出ねぇ」

 どうしたものか、と思い悩みながらも歩き出した。
 こんな感覚と不調は初めてだった。そしてだったら、この複雑な心境を聞いてくれるのではないかと期待していた。そう、彼女に期待を込めて連絡を取ろうとしていた。その自覚は仙道に大きな衝撃をもたらした。一体自分の中でという少女は何なのか。いつだったか、妹が満面の笑みで話していたのを思い出す。

『お兄ちゃんだって私と同じで、お姉ちゃんのこと大好きだから大丈夫』

 次に思い出したのは、アキハバラキングダムに向けての特訓の最中、郷田に問われたこと。

『お前とは友達なのか?』

 常に仙道は、の存在についての答えを探していた。
 あの時はろくに返せず、はぐらかすような形で終わってしまったが、今は違う。
 とある一つの答えを認めざるを得ないほど、仙道の中でという少女の存在は強い。
 だが決してその“答え”を仙道は口にしない。いや、出来なかった。仙道もまた、彼女を待ち受ける運命を前にして挫けていたのだ。
 彼女が会社のために、より大きな会社の子息と結婚すること。
 ――仙道にも、どうしようもないことだった。
 だが、諦めきれずにへ遠回しに婚約へ対する心境を訊いたとき、決して彼女が乗り気ではないことを知った。
 瞬間、仙道は……喜んでしまった。決してその感情を表に出しはしなかったが、それとなく彼女が運命へ抗うことを応援してしまった。
 どうにかその運命が曲がることを祈ってしまった。
 その微笑みと愛情を享受する存在が、どこの誰とも知れぬ人間なんかであって欲しくなかった。
 既に当然のように馴染んでいる彼女の存在を奪われたくなかった。

「ああ、やっぱりそうか、俺は……」

 青く晴れた空を見つめながら、仙道は苦笑した。
 ――答えが出た。そして、それを押し留めようとする意地は無くなってしまった。
 何だか無性に彼女に会いたくなった。
 だが彼女は、大会のあとに両親の会社へ向かうと言っていた。恐らく急用が入ったのだ。以来、何も向こうからアクションがない。用事が済むまで、会うのは難しいだろう。電話に出られなかったのもきっとそれが原因だ。
 自身に言い聞かせながら、仙道は自宅に戻った。
 夜になってから再び電話をしてみたが、は出なかった。メールもしてみたが、返信は無い。
 難しい顔をしてCCMを弄る兄の姿をキヨカは不思議そうに見つめていた。が、すぐに興味は目の前のテレビへ映ってしまう。
 放送されていたのは変哲の無いニュース番組。いつもならば様々な話題を取り上げるところだが、今日は一つのニュースで殆ど終わってしまった。

『タイニーオービット社長・宇崎悠介氏が死去』

 それは、キヨカでも知っている有名人の訃報だった。

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