ユーリがエステルと出会い、巡礼の旅をするフレンを追いかけてやって来たハルルの街。しかし既にフレンの姿は街に無かった。
街の結界である樹を治すために、魔導士を探して街を旅立ったのだと言う。
凶暴な魔物が無数に彷徨くこの世界、テルカ・リュミレースでは、結界魔導器が命綱と言える。殊更最近は魔物の数や凶暴性が増し、帝国の騎士団はしょっちゅう討伐遠征に出ているという話だ。
そんな物騒な世の中である。結界があることが当然となった今、この街は生死の境にあると言えた――。
「にしても、でっけーな」
「そうですね」
ユーリとエステルは、ハルルの樹の根本に来ていた。見上げようにもハルルの樹は大きすぎて、とても視界に入りきらない。
今は枯れてしまって葉もくすんでいるが、本来は青々とした葉が茂り、もうすぐ花も咲く頃なのだと言う。
どうせなら満開の樹が見たかったな、とユーリはハルルの樹を見つめながら思った。
「……ん?」
ふとユーリは視線を落とした。周囲をくるりと伺い、軽く首をかしげる。そんなユーリの様子に、エステルもまた首をかしげた。
「どうしたんです、ユーリ?」
「ラピード、何処行った?」
「あれ? ……あ、あそこです」
きょろきょろと周りを見渡したのちエステルの指したほうには、確かにラピードの姿があった。そのラピードが、ハルルの樹の根のそばで、何かを見上げたまま止まっている。
ユーリたちが近付こうとした時、何を思ったのかラピードはむき出しの樹の根に飛び乗った。
「ラピード!」
慌ててエステルが駆け出した。根の向こうに行ったラピードを追い掛けようとする。しかし樹の根は、幹ほどではないにしろ太く大きい。華奢な彼女の力であれを乗り越えるのは無理だった。
ちょうどその時、ハルルの樹への道を歩いてくる小柄な影があった。ハルルに来る道中で知り合ったカロルである。
「はぁ…どうせボクの話なんて……」
カロルはがっくりと肩を落とし項垂れている。彼の提げる大きな鞄が僅かに引きずられ、地面に小さな跡を残していた。そのカロルが、ラピードの登った根の辺りに差し掛かる。同じタイミングで、ラピードが向こうから顔を出した。
エステルがまた叫んだ。
「ラピード!?」
ラピードが何かを銜えている。布袋かと思ったが違う。そして、なかなか大きい。
ユーリたちがそれの正体を確認する前に、ラピードは根から飛び降りてきた。着地地点は、ちょうどカロルの目の前である。
「うわああああぁっ!」
カロルが叫び、飛び跳ね、尻餅をつく。そんな彼には目もくれず、ラピードは銜えていた何かを離すと、また根を上っていってしまった。
そこに駆け寄ったエステルとユーリが、ほとんど同時に口を開く。
「人です?」
「人か?」
ラピードが持ってきた……否、連れてきたのは、人間の少女だった。
年の頃はエステルと然程変わらなそうだ。グラデーション掛かった髪の色は、夜明けの空の青さに似ている。
何より目を引いたのは、その顔だ。右目の少し下を中心にして、大きな十字の傷跡があった。顔を走るいびつなそれに、エステルが一瞬息を呑む。かわいそうに、と目が語っていた。
少女は気を失っているようだった。目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。先にハルルの街が魔物に襲われた際、とばっちりでも食ったのか、軽いものではあるが怪我をしている。
エステルは反射的に彼女へ治癒術を施した。術式が浮かび、少女を暖かな光が包み込む。
「ひゃあ!」
そんなエステルたちのそばで、カロルがまた叫ぶ。からんからんと響く金属音に一歩遅れて、ラピードがようやく根の向こうから戻ってきた。足元には鎌が転がっていた。ユーリの背丈よりもう少しありそうな、大きな鎌だ。
「その鎌、もしかしてこいつの武器か?」
「ワンッ」
柄に巻かれた布に滲む赤黒いシミや、刃についた幾つもの傷から、相当使い込んだ品であることが一目で判る。手入れはされているらしく、三日月状の刃は光を返して煌めいていた。下手に触れようものなら容易く皮膚を裂いてしまいそうだ。
鎌を拾い、ユーリはエステルと少女を振り返った。エステルは心配そうに少女の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫でしょうか」
傷のある頬にエステルが触れた瞬間、――少女が目を開いた。
エステルが安堵の笑みを浮かべる。しかしそれは一瞬だった。はっとしたように目を見開き、口許を手で覆い、言葉を無くす。
それを少女は呆然と見つめていた。ゆっくりと視線を、今度はユーリたちの方に動かす。
流石のユーリも、少女を見て、ぎょっとした。次いで、カロルが叫ぶ。
「ぶ、魔導器!?」
少女の右目は、機械的な光を放っていた。よく見る魔導器の魔核より淡い色で小さなものだが、間違いない。彼女の右目があるべき場所に右目は無く、代わりに、魔導器が填められているのだ。
対して左目はありのままの彼女のものなのだろう、紫水晶の様に穏やかな色合いの瞳がユーリたちを見据えていた。
「あ、っ」
不意に少女の顔色が変わった。
さあっと青ざめ、わたわたと手足をばたつかせ、跳ね起きる。それから慌ててユーリたちから離れると、纏うコートについているフードを深く被った。そして沈黙する。
少女とユーリたちの間には、奇妙な距離が出来上がった。
「もしかして、怯えてるんでしょうか? ……目のことが……?」
エステルが呟く。
フードの隙間から覗く少女の眼差しは潤んでいた。傷と目を隠すように被ったフードを掴む手も、僅かに震えている。エステルの予測は当たっているようだ。
そんな少女の姿にいたたまれなくなったのか、カロルがゆっくりと少女に語りかけ始めた。
「あ、あの。大丈夫?」
「……はい」
「ボクはカロル。こっちがユーリ、こっちがラピード。それから、君の怪我を治してくれた、エステル」
「はじめまして」
カロルの紹介に合わせて、エステルは律儀に頭を下げる。少女もぺこりと頭を下げ返してくれた。
「あの、ありがとう……でした、治療……」
「いいえ、そんな。当然のことですから」
エステルの微笑みに、少女は恥ずかしそうに俯く。
そういえば、とユーリは先程拾った鎌を少女に差し出した。
「お前のだよな」
「あ、ありがとう……ございます」
「礼ならラピードに言ってくれ。お前を見つけたのも、それ拾って来たのも、ラピードだからな」
ユーリから鎌を受け取りながら、少女はラピードを見た。真っ直ぐにラピードは少女を見つめ返す。青と紫、人と犬の視線が交差する。
フードの下で、少女の頬がほんのり赤く染まったことにユーリは気付いた。
少女ははっとしたように頭を下げる。
「ら、ラピードさん、でしたよね。あ、ありがとう、ござい……ます」
「ワンッ」
カロルが「ラピードさんって……?」とぼやくのを他所に、エステルは一歩進み出、少女へ話し掛けた。
「あの、お名前聞いてもいいです?」
「え? あ……」
少女は一度深呼吸した。それから、恐る恐る口を開く。
「、です」
、とエステルが復唱する。そしてエステルは、に向かって右手を差し出した。「よろしくです」と笑うエステルを見て、彼女はそっとその手を取る。
エステルはすっかり気を許しているらしい。そして、拙いながらもそれに応じる彼女は、悪いやつでは無さそうだ。
握手を交わすふたりを、ユーリは穏やかな顔で見つめていた。
「んー、はちっと長ぇから……呼び易く、、だな」
ユーリの言葉に、は不思議そうに瞬きした。
「……?」
「嫌だったか?」
「あ、いいえ……」
ゆるゆると首を振り、か細い声で彼女は言った。
「何だか、懐かしい感じがして……」
いまいち合点がいかないが、嫌では無いらしい。何処と無く眼差しが和らいだ。「そっか」とユーリは彼女の呟きに当たり障り無く返した。
そしてもといは、改まってユーリたちに面した。いつの間にか大鎌の刃は畳まれ、目立たないように背負われている。
「あ、あの……助けて貰った、お礼をしたいです……お金は無いけど……」
「そんな、お礼だなんて……」
「何か、出来ること、ありませんか」
「えっと……」
困ったようにエステルがユーリとカロルを見る。言葉は気弱ながら、は譲る気が無さそうだ。
頑なな姿に「どっかのお嬢さんみたいな奴だな」ユーリは諦めたように笑う。
「じゃあ、この街の結界治すの手伝って貰おうぜ」
ユーリの提案に、エステルの顔が輝いた。
も、その言葉に頷く。
そうしてユーリたちは気弱な少女・を交えて、ハルルの樹を治すための材料を求めてクオイの森を目指したのだった。
カロルの話す、樹を枯らす毒を癒すための薬……パナシーアボトルを作るために。
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