クオイの森での用事を済ませ、ハルルを目指す道中でのこと。
エステルは何処と無く楽しそうに、を振り返った。はずっとフードを被り続けているが、顔が全て隠れている訳ではない。ある程度の表情は察することが出来た。
「あの、」
「はい?」
「ちょっとお話しません?」
少し間を置いて、が頷く。エステルは笑った。
「は、ひとりで旅をしてるんです?」
「うん……」
「一体何時からです? 魔物と戦い慣れてるみたいですし、随分経ちます? でも結界の外は危ないですよ? 女の子ひとりじゃあ尚更です、それに……」
「待てって、エステル」
ずいずいと勢い任せにに詰め寄るエステルを、ユーリが止める。はたと目を丸めるエステル。そして言葉もなく慌て、冷や汗を浮かべている。
ユーリは苦笑した。
「一気にいろいろ聞きすぎ。も戸惑ってんだろ」
「あ、ごめんなさい」
「お、お構い、無く……です」
はぎこちなく微笑んだ。
そんなの隣に、一行の最後尾を歩いていたラピードが並ぶ。ワン、と一鳴きして彼は少女を見上げた。もラピードに視線を落とす。白い頬をほんのり赤く染めながら。
「ら、ラピードさん……」
エステルに問い詰められた時と様子は違うが、はまた黙り込んでしまう。
今まで黙々と歩いていたカロルが、それを見て口を開いた。
「ねぇ、……何でラピード“さん”なの?」
「えっ」
「あ、わたしも気になってました。それに何だかラピードを見ると黙っちゃいますし」
「もしかして、犬苦手?」
「あのっ、そのっ、ええっと、その」
カロルの問い掛けにエステルが加わり、はどもった。つっかえながらも答えようとしているらしいが、顔を赤くするばかりで全く出来ていない。
ユーリは再度、へ助け船を出すことにした。……悪戯っぽい笑みを浮かべながら。
「二人とも野暮なこと聞いてやるなって」
「えっ?」
「野暮って?」
「そいつの反応見れば一目瞭然だろ。はラピードに惚れてんだよ」
ユーリの言葉にが息を呑んだ。今日一番の赤面ぶりであった。
カロルが呆然とを見る。エステルは驚いたまま固まっている。話題のラピードは涼しい顔のままだ。
妙な沈黙を破ったのはカロルだった。
「いや、ユーリ。は人間でラピードは犬だよ……」
「ラピードは男前だからな」
「そ、そうなんです? ?」
エステルがの顔を覗き込む。は首を縦にも横にも振らない。しかし。
「ラピードさん、格好いいですもん……」
声音はすっかり、恋する乙女のそれであった。
カロルとエステルが揃って絶句するのを、ユーリは必死に笑いを堪えながら見ていた。それから、惚けた顔のに言う。
「、もう話合わせなくて良いぜ?」
「は?」
「ラピードのことだよ」
「え?」
「えっ? いや……」
「ワン」
話の噛み合わない二人を制するようにラピードが鳴いた。ユーリを見上げて「ワン」、また鳴く。
常日頃、相棒の言わんとしていることをユーリは手に取るように理解している。仲間にラピードの意思を通訳するほどに。無論、今の声の意味も彼は把握することができた。
故に、ユーリは驚いた。
「……本気でラピードに惚れてんのな」
「……すいません」
の反応から適当に話したことが、まさか的を射ていたとは。
流石のユーリも予想外の事態であった……。
◆◆◆
ハルルに着いた頃には、すっかり日が暮れていた。
ユーリたちがハルルの樹の根本にやって来ると、街の長を初めとした住人たちが続々と集まり始めた。
樹を癒すための薬・パナシーアボトルを完成させたユーリたちの話は、既に街中に広がっているらしい。
期待に満ちた住人たちの顔を見渡してから、ユーリはカロルの背を押した。
「カロル、任せた」
「えっ、いいの?」
カロルは顔を輝かせた。大役を任された嬉しさを押さえきれないまま、少年は調合したばかりのパナシーアボトルを大事そうに抱えて、樹へと近づいていく。
そんなカロルの姿を微笑ましそうに見つめてながら、エステルがユーリに尋ねた。
「カロル、誰かにハルルの花を見せたかったんですよね?」
「多分な。ま、手遅れでなきゃいいけど」
樹の根本に、カロルは薬を満遍なくばら蒔いた。魔物の血の毒で変色していた地面が浄化され、元の土の色を取り戻していく。
その時――樹が光った。
一同が息を呑む。ひとりは目を見開き、ひとりは祈るように手を合わせた。
「樹が……」
結界の――ハルルの樹の復活を、誰もが願い、その様子を震えながら見守る。
ハルルの樹の力を信じて。
一度はまばゆい光が辺りを包んだ。しかし、次第に光は弱まり、遂には消えてしまう。
再び、光が放たれる様子は無かった。
住人たちがざわめく。樹が治るとばかり思っていた彼等の心から、希望が抜け落ちていった。「そんな……」悲痛な長の声が、エステルの耳を突いた。
カロルが樹を見上げ、顔を歪ませる。
「うそ、量が足りなかったの?」
「ううん、土は確かに浄化されてる。綺麗に戻ったもの。それに樹は応えて、光った。けれど……」
は静かに告げる。苦いものを噛み潰して味わっているような、険しい表情で。
「これ以上、願いに応える力は……残されていないのかもしれない」
「そんな、そんなのって……」
エステルの顔が悲しみに歪む。
住人たちの嘆きを背に、彼女はハルルの樹へと駆け寄った。樹を見上げながら、そっと両手を胸の前で組む。潤んだ瞳を閉じながら、静かに、しずかに祈り始める。
ふわり、と風が凪いだ。
風と共に、柔らかな光の粒子が漂っている。その中心に在るのは――エステルだ。
はエステルを見つめた。自然と右手で、右目の魔導器を押さえるように覆ってしまう。エステルの放つ光が、右目を貫くような気分だった。
このまま樹を死なせたくはない。
このままハルルの街を終わらせたくはない。
そんな強いエステルの想いに呼応するような輝きに、は無意識のうちに口を開いた。
「……癒す、の?」
光の粒子は増え、輝きも増していく。
お願い――。
エステルは強く祈った。
「咲いて」
その想いに、光が応える。
突如、ハルルの樹に閃光が走った。先とは比べ物にならない強さだ。それに伴って沢山の光の粒子が現れ、辺り一面を覆うように舞い上がった。
光の恩恵が樹を包む。
力を失っていた枝先が、活力を得たように空を向く。からからの葉が、かつての緑を取り戻す。くすんでいた蕾たちも色付いた。みるみるうちに蕾は、ひとつ、またひとつと開き、美しい花を咲かせる。優しい香りの、あたたかな桃色の花を――。
瞬く間にハルルの樹は、満開の花を咲かせていった。
結界が再生したのである。
「す、すごい……」
カロルは呆然と樹を見上げていた。カロルだけではない。住人たちも樹を見つめ、そして、エステルを見つめ、ただただ言葉を溢した。「今のは治癒術なのか?」「これは夢だろ……」「ありえない……でも」衝撃から、歓喜。次第に人々の顔に笑顔が灯る。歓声が街中に響き渡った。
そんな中、エステルはその場に座り込んだ。力を使い、疲れてしまったのだろう。
「お姉ちゃん、すごい! すごいよ!」
「ありがとう、樹を元気にしてくれて!」
「これで、この街もまだやっていけます……!」
エステルに感謝する子供たちの笑顔が眩しい。ハルルの長もまた、エステルに深々と頭を下げて言った。
しかし当のエステルは、状況が理解できていないようだった。
「わ、わたし、今何を……?」
瞬きするエステルに、ユーリたちが歩み寄る。
「すげえな、エステル。立てるか?」
「大丈夫……?」
「あ、ありがとうございます、」
の差し出した手を取りながら、エステルがゆっくりと立ち上がった。のフードの影からは、エステルを労る眼差しが覗いている。
カロルがユーリに近付く。ユーリ、とカロルが手を掲げる。二人はハイタッチを交わし、笑いあった。
「フレンの奴、戻ってきたら花が咲いてて、ビックリだろうな。……ざまあみろ」
ユーリの呟きに、エステルが首を傾げた。
「ユーリとフレンって、不思議な関係ですよね。友達じゃないんです?」
「ただの昔馴染みってだけだよ」
その時、じっとユーリたちのそばにいたラピードの目が鋭くなった。様子に気付いた一同が、ラピードの視線を辿る。
黒い装束の男と、ザギ――かつて帝都でユーリたちに襲い掛かってきた男――がいた。
住民を巻き込む前に離れようと駆け出すユーリに、エステルとラピードが付いていく。
状況を掴めずカロルとは目を丸めた。
「え? なになに、どうしたの急に!」
置き去りにされた二人は、ユーリたちを追いかけ、駆け出した。
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