カプワ・ノールへ近付くにつれて、空は曇っていった。晴れやかな青空が一転、鈍色に包まれる様は、一行の心にも小さな影を落とす。
 街に入ると、やはり雨が降りしきっていた。鉛よりも重たみのある雨雲は、数日間はこの辺りに張り付いているものだかと思われる。ずぶ濡れになる前に宿を探した方が懸命そうだ。
 不自然なまでの人気のなさは、港街の雰囲気をより沈ませていた。家々に明かりは灯っている。しかし何だか様子が可笑しい。雨空にしても、暗すぎる……。
 滅入る気持ちを持ち上げるように、エステルは口を開いた。

「港街は、もっと活気のある場所だと思っていました……」
「確かに、想像してたのとは全然違うな」
「でも、あんたの探してる魔核ドロボウがいそうな感じよ?」

 ユーリの返しに、リタが口を挟む。

「デデッキって奴が向かったのはトリム港の方だぞ」
「どっちも似たようなもんでしょ」

 そんなことはない、と、二人のやり取りにカロルが加わった。
 「ノール港が厄介なだけだよ」語る表情は渋い。どういうことか掴みあぐねるエステルらの視線を受け、カロルは話し始めた。

「ノール港はさぁ、帝国の圧力が――」
「金の用意が出来ないときは、お前らのガキがどうなるか判っているよな?」

 不意に響いた男の声に、カロルの話は遮られてしまった。
 反射的に一行は声のする方へと視線を向ける。

「お役人様、どうかそれだけは! 息子だけは……返してください!」

 傷だらけの男が、役人であろう男とその護衛らしき傭兵に向かって叫んでいた。傷や服に雨を染み込ませながら、土下座して必死に訴え続けている。

「ならば早く、リブガロって魔物を捕まえてこい。あいつのツノを売れば一生分の税金を納められるぜ? 前もそう言ったろう?」

 傷だらけの男の叫びは届かなかったようだ。役人たちは笑いながら去っていく。

「なに、あの野蛮人」
「今のがノール港の厄介の種か?」

 一番に不愉快そうに呟いたリタに続いて、ユーリはカロルに尋ねた。
 カロルは頷く。

「このカプワ・ノール港は帝国の威光がものすごく強いんだ。特に最近来た執政官は帝国でも結構な地位らしくて、やりたい放題って聞いたよ」
「だから、その部下の役人がいくら横暴な真似をしても、誰も文句が言えないってことね」

 リタは頷いてこそいたが、これっぽっちも納得した風では無かった。エステルに至っては、青ざめながら執政官の横暴に衝撃を受けている。横に立つユーリの目が、光を無くしたように暗く鈍いものになっていることに気付く余裕すらない。黙って皆を見る、ラピードとにはしっかりと知れていたが――。
 呆気に取られる一行の方に、男性が向かってくる。先ほどの傷を負った男性だ。その後ろから、女性が追いかけてきた。

「もうやめて、ティグル!」
「だからって俺が行かないと、うちの子はどうなるんだ、ケラス!」

 言い合いながら、涙する女性――ケラスを振り切り、傷だらけの男性――ティグルは満身創痍の体を引き摺るように駆け出した。
 ユーリはそれを見て、おもむろに足を突き出す。男性が走ってくるのを、その道を、しっかりと確認してから。エステルがあっと声を漏らす。止めようとする間も無く、ティグルはユーリの足に引っかかり、思い切り転んでしまった。
 わざとらしく突き出された足にようやく気付いたティグルは、怒り露にユーリを見上げた。

「あんた、何すんだ!」
「あ、悪い、ひっかかっちまった」
「もう、ユーリ!」

 全く悪びれないユーリに代わり、エステルはティグルの傍にしゃがみ込み、謝った。

「ごめんなさい。今、治しますから」

 エステルの治癒術式が浮かび、ティグルを包み込む。瞬間、目に見えて彼の顔に生気が戻ってきた。やはりエステルの治癒術は、他の治癒術士のそれの比ではない。魔導器で誰もが術技を使えるにしても、だ。
 これは、エステルの“力”だよね。そうは考えた。
 エステルによる一瞬の治療に、ティグルと追いついたケラスは呆気にとられていた。

「あ、あの、私たち、払える治療費が……」
「その前に言うことあんだろ」

 目を細めるユーリに、ケラスは戸惑う。合点がいかないらしい彼女に、ユーリは改めて言った。

「まったく。金と一緒に常識まで絞り取られてんのか」
「……ご、ごめんなさい。ありがとうございます」

 礼を言い、ティグルとケラスは、道を戻っていった。
 帰る二人の背からなんとなしに視線を映したとき、ユーリは瞬きした。
 見覚えある黒装束の男たちが路地へと入っていく。
 ユーリは反射的に追い掛けた。
 ひとり路地を進み、突き当たりまでやって来た。剣を振るには少し狭いだろうか。視界はことさら悪い。雨音は激しく、稲光が見える。一拍置いて、雷音が響く――。
 黒い暗殺者が襲い掛かってきたのは、それと同時だった。
 相手は三人。慣れた身のこなしで連携を組み飛び掛かってくる暗殺者たちに、ユーリは顔を歪める。
 ひとりの攻撃を刀身で受け、小さな火花がきんと鳴きながら散る。その時、背後に確かなふたつの殺意をユーリは感じた。今から身を翻して、間に合うか? いや、間に合わなくてもそれしかない――意を決した瞬間。
 二人の暗殺者は、突如現れた“第三者”によって吹き飛ばされた。

「大丈夫か、ユーリ?」

 金髪碧眼の騎士だった。騎士は気を抜くことなく暗殺者に追撃を叩き込み、ユーリの元へとやって来る。
 ユーリは目を丸めた。

「――フレン!」

 フレン・シーフォ。
 彼こそ、エステルが探していた騎士。そして、ユーリの無二の旧友であった。

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