森の奥には、不思議な光が灯っていた。近づくと光の正体がエアルであることに一行は気付いた。
立ち上るエアルをまじまじと見つめながら、リタは頷く。
「ヘリオードの街で見たのと同じ現象だわ」
エアルの量に差はあれど、間違いは無さそうだった。しかしじっくり観察する時間は無かった。彼らの背後に迫っていた、魔物の存在のためである。
巨大な蠍型の魔物だった。鋭い刃をそのまま繋いだようなハサミをかちかちと忙しなく鳴らし、此方を威圧している。何処と無く魔物の状態は、ダングレストを襲撃した魔物たちに似ていた。
ユーリたちは各々武器を構えると、魔物と対峙した。
「何なの、この森も、魔物も……」
「間違いないわ、あの湧き出してるエアルのせいよ!」
の呟きに返しながら、リタは火球を放つ。
ユーリとラピードが組んで前線へ向かい、その影からレイヴンも魔物を狙い射つ。カロルも己を奮わせ、戦いに加わっていった。
そしては、後衛のリタとエステルの方を何度か顧みながら、皆の援護に徹した。
戦いの間も、エアルは湧き続けていた。
――何とか魔物を退治したユーリたちは、ほっと息を吐いた。エアルにより凶暴さを増した魔物の手強さと、共に戦う存在の有り難みが身に沁みる。
「皆、回復しますね」
「待って、エステル。術を使いすぎたら身体に障るよ」
当然のように治癒術を行使しようとしたエステルを、が制した。エステルはを見た。その眼差しに宿る驚きの感情を受けて、は静かに頷く。
エステルは、術の行使に魔導器を必要としない。
はそれに気付いていた。――ユーリやリタのように。
しかし術を使うということは、エアルを用いるということ。以前からエステルがエアルの影響を強く受けやすいらしいと、は感じていた。そして、エアルがすぐそばに満ちたこの場所で術を使いすぎたら、エステルが体調を崩すのではないかとは案じていた。
「このくらいなら私の術でも、何とかなるよ……。酷いものは、エステルがみんなすぐ癒してくれたから」
エステルは何も言わず、こっくりと頷いた。の配慮にうっすら頬を染めながら。
――しかし。
魔物は一匹だけでは無かったらしかった。
「ま、また来た!」
カロルの悲鳴が鼓膜を突く。先に倒したものと同じ魔物が、次々に押し寄せてきた。疲労したユーリたちが逃げる隙など無く、魔物たちは一行を取り囲んでしまう。
ユーリは小さく舌打ちした。
互いが互いに背中を預けるように身を寄せながら、魔物を睨む。
「ああ、ここで死んじまうのか」
こんな状況においてもレイヴンの声は飄々としていた。吐いた台詞は、冗談でも聞きたくない内容だったが。
「さよなら、世界中の俺のファン……」
「世界一の軽薄男ここに眠る、って墓に彫っといてやるからな」
レイヴンに一瞥もくれずにユーリが返す。
声音は僅かに張り詰めていたが、何時もの彼の口の悪さは、緊迫する仲間たちに力を分けてくれているような気がした。
「そんなこと言わずに“一緒に生き残ろうぜ”とか言えないの!?」
剣を構え直すユーリを見て、レイヴンはわざとらしく声を上げる。
魔物たちはじわりじわりと距離を詰めに掛かっていた。誰の顔にも険しいものが滲み、戦いへと心を統一させていった。
――刹那。
魔物を挟んだ向こう側に、銀色の影が降り立った。憂いを帯びた表情の、銀髪の男である。ユーリたちが息を飲む間に、その男は手にしていた剣を掲げる。
周囲に光が立ち上り、炸裂した。
光が収束すると、あれだけいたはずの蠍の姿はすっかり消え去ってしまっていた。
「あなたは――」
は男に見覚えがあった。
白銀。黒衣。深紅の瞳。カプワ・ノールで魔物を捕まえようと入った森の中で出会った男であった。
「デューク……」
男を見て、レイヴンが呟いた。その顔に普段の飄々としたそれはなく、驚きに言葉を無くしているようだった。どうやら彼を知っているらしい。そして、あまり会いたい相手ではなさそうな反応だった。
ふとは気付いた。消えたのは魔物だけではない。背後に沸き立っていたはずのエアルも、だ。正しくは噴出が落ち着き、弱まったと言うべきだろうか。光は弱まり、比例してエアルの濃度も下がっていた。
全てが収まると、男――デュークはそのまま立ち去ろうと歩み出す。
「ちょっと待って!」
それをリタが引き留めた。
「その剣は何っ!? 見せて! 今、一体何をしたの? エアルを斬るっていうか……ううん、そんなこと無理だけど」
「知ってどうする?」
静かなデュークの声に、興奮気味だったリタは僅かに落ち着きを取り戻した。
「そりゃもちろん、いや……それがあれば、魔導器の暴走を止められるかと思って……。前にも魔導器の暴走を見たの。エアルが暴れて、どうすることもできなくて――」
「それはひずみ、当然の現象だ」
ひずみ。男の言葉にリタが動きを止めた。考え込むように押し黙る彼女に代わり、今度はエステルがデュークに話しかける。
「あ、あの、危ないところをありがとうございました」
「エアルクレーネには近付くな」
エステルは目を丸め、首を傾げた。デュークの放った単語に、リタは再度口を開く。
「エアルクレーネって何? ここのこと?」
「世界に点在するエアルの源泉、それがエアルクレーネ」
親切というわけではなく、問われたから返しただけ。デュークの語り口はそんな様子であった。
漂う妙な緊張感を破ったのは、何時もの調子を取り戻したユーリの声だった。
「あんた……。こんな場所だ、散歩道ってこともないよな?」
デュークは答えない。
「ま、お陰で助かったけど。ありがとな」
やはりデュークが答えることはなく、今度こそ本当に歩き出した。
それを見て、は焦った。
私を知っているかもしれない人が行ってしまう――!
考えるよりも先に彼女は走り出していた。
「! どこ行くの!?」
「あの人、私を知ってるかもしれないの!」
カロルの呼び声に、は振り返りながら返した。
「ちゃんとダングレストには戻るから!」
止める間もなく、木々の隙間を縫うようには駆けて行ってしまった。
不安げにたちの行った方向を見つめるカロル。同じようなエステル。そしてデュークの言葉に思考を巡らせるリタ。
皆を見ながら、ユーリはどうしたものかと考えた。ラピードを見ると、何時も通りの涼しい顔をしていた。心配しなくても大丈夫だろう、と言うように。
ユーリは相棒の判断を信じることにした。
もし仮にデュークがを知っているとしたら、どういう繋がりなのだろうか?
自身の中に至極自然な興味が沸き上がるのをユーリは感じた。そんなユーリに、ひょこひょこ近寄ってきたレイヴンが訊ねてくる。
「なぁなぁ。ちゃんったら、どーしちゃったの? あーいうのが好みなのかしら」
「おっさんは聞いてなかったんだっけ? あいつ記憶喪失なんだよ。で、あのデュークとやらが何か手掛かりになりそうってんで行っちまったらしい」
「へぇ、そう……記憶が……」
珍しくレイヴンが神妙な面持ちになる。しかし、それも一瞬のことだった。
「納得だわ~。ちゃんのあの儚そうな感じ、きっと記憶が無いからなのね」
何も返さず、ユーリはただ嘆息した。
◆◆◆
デュークがエアルクレーネを静めたお陰か、森のざわめきはすっかり落ち着いていた。
枝葉にぶつかりながらもは足を止めなかった。
「待って!」
前方にいるであろうはずのデュークに、必死に叫んでみる。すぐに追い掛けたはずなのに、その姿はちっとも見えない。
「デュークさん、待って下さい! 私と話して欲しいんです!」
がむしゃらに突き進む彼女は、不意に現れた壁にしたたか顔を打ち付けた。尚も生きる勢いに体を持っていかれ、は尻餅をつく。
痛みに目を潤ませながら、慌てて立ち上がる。の目の前にあったのは、壁ではなかった。
デュークだ。
かなりの勢いでぶつかったはずなのだが、彼の表情は何もなかったように静かだった。怪我をさせた様子もない。は内心胸を撫で下ろしながらデュークを見上げた。
「あの、ご、ごめんなさい、私、必死すぎて……ぶつかって……」
「私に何の用だ」
「あ、あの、ええと、前に森で会った時から、私のことを知っているみたいだから、聞いてみたくて、私……」
途切れ途切れの上に順序も無い言葉では訴えた。自分が記憶喪失であること、記憶を探して旅をしていること、そんな最中に出会ったデュークが意味ありげな呟きをしたこと。
必死なの話を、デュークは静かな顔で受け止めていた。
「だから、私……」
「――私に判ることは、ひとつ」
「え?」
そしてデュークは遂に、の話に応えた。
「お前には失われぬ加護がある。私に判るのはそれだけだ。お前の記憶を呼び起こす鍵にはなれまい」
の求めているような手掛かりにはならない言葉だった。そして、繰り返された“加護”という単語。
固まるが再度デュークに問おうとした時には、既に彼の姿は無かった。近くの草木を分けて見ても、すっかり気配はない。ぎぃぎぃと薄気味悪く響く鳥の鳴き声が鼓膜を刺激するばかりだった。
しかし――僅かながら、これは成果だ。
自分には過去が存在する。
ならばきっと、これからも思い出していける。
デュークの語る加護の意味も、きっと。
は深呼吸して心を整えると、踵を返した。
ユーリたち、仲間と合流するために。
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