レイヴンに手を引かれるまま、はユニオン本部を出た。足だけは動かしながらも、ドンの言葉の色々を考え続けていた。
 ドンはただ「大丈夫」と言ってくれた。
 少しずつ落ち着きを取り戻してきた今ならば、その意味をなんとなしに予測できてきた。ドンは、フレンのことを言ってくれたのだと。
 つまり、きっと――ドンは、フレンを本当に殺すつもりなんて無かったのだろう。が行かずとも大丈夫だったのかもしれない。ドンにはあの書状の裏をかくような凄い考えがあるのかもしれない。
 何ていっても、“あの”ドンなのだから。
 裏付けも根拠も無い憶測だった。しかしそれを支えるだけのものが、ドンの言葉には溢れていた。
 一度安心すると、その間じゅう耐えていたものが一気に押し寄せてきた。
 恐かった。かくりと足から力が抜ける。
 体勢を崩したに引っ張られるように、レイヴンの足も縺れた。

「おおっとぉ!? ちゃん大丈夫?」
「す、すいません……。さっきまで無茶苦茶怖かったから……」
「だろうねぇ。でも、ああなるの予想ついたんでないの?」

 レイヴンの言う通りだった。下手をすればその場で……という気もしていた。
 思い返せば返すほど自分の行動は幼稚で、拙く、危うかった。
 しかし、それでも。
 は呟いた。

「でも……あそこで動かなきゃ、自分が駄目になっちゃいそうで」
「え?」
「私、何もないから……バカだから……エステルたちが、友達がこのままだと悲しむって思ったら、何とかしたくて……私は……」

 自分の中にある、思い出せない経験。無くした記憶。それのせいだろうか? あの時、は考えを巡らせた途端にいてもたってもいられなくなった。
 焦りすぎても、耐えすぎても、機会は失われてしまう――。誰かがそう呟き、の胸を揺さぶったのだ。
 言い表せられぬ恐れが、悲しみが込み上げた。そしてそれを“繰り返したくない”と強く思った。
 ちぐはぐな癖に強すぎる思いは上手く纏まらず、空っぽなはずのに混乱をもたらすだけ。
 は半泣きのままレイヴンを見た。

「友達が悲しいと、自分も悲しいじゃないですか……!? そういうの嫌なんです、何か理屈じゃないんです」
「そっかぁ、若いねぇ~」

 聞いているのかいないのか中途半端な答えだった。しかし、少なくともを馬鹿にしている様子はない。まるで父親のように穏やかな目が、彼女へ向けられる。
 は一瞬狼狽えた。予想しなかったレイヴンの眼差しに、何故か胸が急いてしまう。
 そんなの動揺を知ってか知らずか、レイヴンは続ける。

「でもね、無茶はしないようにね。ヒヤヒヤしたわよ。そーいう気持ちは大事だけど、あんまり気持ち任せじゃあ、肝心な時に取り返しつかなくなるから」
「すいません……」
「じいさんならちゃんと、全部判ってるしねぇ。……それはそうと、ちゃん」

 何やらレイヴンはにっこり笑うと、に改めて手を差し伸べた。

「立てないんだったら、俺様が抱っこしてったげようか?」

 は無言で立ち上がった。
 少しレイヴンを見直してしまっていた己を後悔しながら。
 「あれ、なんかいきなり元気になっちゃった? あれ?」彼がしきりに訊ねてくるのに答える気力も無い。ユーリたちと合流しよう、それだけを考えた。
 どうやらレイヴンもユーリたちを探しているらしく、自然と二人は揃って行動する形になっていた。
 程なくしてとレイヴンは、ユーリたちを見つけることができた。
 ひとつの酒場を見ながら――見張りながら、彼らは悩んでいた。酒場に〈紅の絆傭兵団〉が入っていくのを見たという会話が、歩み寄っていくらの耳に入ってきた。
 レイヴンはにっと笑うと、ユーリらと瞬く間に距離を詰めた。

「迷子のご案内よ~、お兄さんたち」

 唐突に現れたレイヴンに、ユーリたちは驚いた。レイヴンに続いてやって来たを見て、エステルが目を丸める。

! どこ行ってたんです?」
「ちょ、ちょっと余所見してはぐれちゃった……。ごめん、ね」
「いいえ、無事で何よりです。レイヴンと一緒だったんですね」
「そーそー。不安そうにきょろきょろしてるとこを俺様が保護したの」
「そうだったんです? 有り難うございました、レイヴン」
「あ、有り難う、でした」
「どういたしまして」

 エステルの笑顔に、も当たり障りのないよう笑いながら合わせる。彼女の吐いた拙い嘘に関して、レイヴンは何も言わない。二人の言葉を信じ、エステルはレイヴンに礼を述べた。
 流れを切り換えるように、ユーリがレイヴンに話しかける。

「あっち行かなくていいのかよ」
「よかないけど、青年たちが下手打たないようにちゃんと見とけってドンがさ。てな訳で、ゆっくり酒場にでも行って俺様の話聞かない?」

 軽い調子のレイヴンに、エステルは眉尻を下げる。「わたしたちに、そんなゆっくりしてる暇は……」と困る彼女に、レイヴンは尚も勧める。

「いいからいいから、騙されたと思って」
「そんなこと言われて騙される奴がいると思って……!」

 ラゴウの屋敷の件でも思い出したのか、途端にリタの顔つきが変わる。今にも掴みかかりそうな少女を、ユーリが片手で制した。彼の眼差しは、しっかりとレイヴンを捉えている。

「二度騙されるのも三度騙されるのも一緒だ。――でも、仏の顔も三度までって言葉、おっさん知ってるよな」

 剣呑さを増したユーリの眼に、レイヴンは肩を竦めた。

「そんな怖い顔しなくても判ってますって。こっちよ」

 レイヴンの案内により一行は、もうひとつの酒場へとやって来た。酒場の奥の部屋へ入った皆の目に入ったのは、隠し扉。
 その扉は、かつてこの街のギルドが帝国と戦った際に身を潜めた、地下水道へ繋がっているのだという。街の地下じゅうに張り巡らされたその水道へ入れば、〈紅の絆傭兵団〉が入っていった酒場への侵入も可能らしい。
 地下水道の存在を話した途端にそっと場を離れようとしたレイヴンをユーリが見逃す筈もなく、一行は揃って地下水道への扉を開いた。
 たまたまラピードが見つけた光照魔導器の仄かな灯りを頼りに、ユーリたちは地下の水路を辿っていった。時折住み着く魔物の襲撃を受けたものの、彼らの敵ではない。それよりも、肌に張り付く湿気の方が煩わしく感じた。
 焦りと暗がりが、時間感覚を乱していく。
 まだかまだかと言うとき、ようやくユーリたちは目的の酒場へと辿り着いたのだった。
 「ここは……」無意識のうちに声を漏らしたユーリに、レイヴンが答える。

「バルボスがアジトに使ってる街の東の酒場、つまりおたくらが忍び込もうとしてたとこよ」
「……上に行ってみるか」

 言いながら階段を指したユーリに、皆が続く。何やら言い争っているらしい声が聞こえる。覚えのある声だった。
 ――上がった二階には、バルボスとラゴウの姿があった。覚えがあって当然だ、忘れようにも忘れられない男たちなのだから。
 口喧嘩に夢中な彼等に近付きながら、ユーリが口を開く。

「悪党が揃って特等席を独占か? いいご身分だな」
「その、とっておきの舞台を邪魔する馬鹿はどこのどいつだ?」

 バルボスはゆっくりとユーリたちに目を向けた。「船で会った小僧どもか」彼方もユーリたちを覚えていたらしい。
 エステルも淑やかなその顔に怒気を滲ませながら、バルボスたちを睨んでいた。

「この一連の騒動は、あなた方の仕業だったんですね」
「それがどうした。所詮貴様らにワシを捕らえることはできまい」
「はあ? どういう理屈よ」

 尚もふてぶてしいバルボスの態度に、リタは目を細めた。
 バルボスの部下たちに取り囲まれながら、剣を抜きつつユーリは呟く。

「悪人ってのは負けることを考えてねえってことだな」
「なら、ユーリもやっぱり悪人だ」
「おう、極悪人だ」

 笑うカロルと、答えるユーリ。
 バルボスが部下たちに命令しようと手を掲げるか否かの時、酒場より遥か遠くから轟音が響いてきた。二階から見える、街の外。睨み合う騎士とギルドの大軍がある方からである。
 ギルドと騎士団の衝突が、ついに始まってしまった――。
 その様を見て、バルボスが高らかに笑う。ギルドも騎士団もぼろぼろに成り果てる、と。
 これが彼らの狙いだったのだ。
 騎士団が弱体化すれば、それに乗じてラゴウら評議会は帝国の権力を掌握できる。現ギルドユニオンが弱体化すれば、ドン率いる〈天を射る矢〉を抑え、バルボスの〈紅の絆傭兵団〉がユニオンの元首として君臨できる。ラゴウとバルボス、この奇妙な組み合わせは、全て利害の一致から成っていたらしい。
 肝心のひとりラゴウは、騒ぎに乗じて、いつの間にか姿を眩ましていた。仕留められなかったか。はひっそりと舌打ちをした。

「今更お前らが足掻いたところで、この戦いは止まらんぞ!」

 勝ち誇るバルボスの叫びに、ユーリは涼しく返す。

「それはどうかな」

 戦いの音に混じって、馬の嘶きが響いてくるのに皆は気付いた。青い甲冑に金髪の騎士が、馬で駈けながら戦場に割って入って行く。
 それは、捕らえられた筈のフレンであった。「ったく、遅刻だぜ」笑うようなユーリの呟き。どうやらユーリは全部知っていたらしい。

「止まれーっ! 双方刃を引け! 引かないか!」

 フレンが戦場の中心で何かを掲げている。あれこそが、ヨーデル殿下の本物の書状なのであろう。大軍の動きは次第に収まり、戦の炎は本格的な広がりを見せる前に静まっていった。
 しかし易々と引き下がるバルボスたちでは無かった。部下のひとりがフレンを狙い、ライフルを構える。
 すかさずそれを阻んだのは――カロルだ。少年は鞄から取り出した金槌を男目掛けて投げつけた。男を昏倒させる会心の当たりであった。

「邪魔は許さんぞ!」

 優位を引っくり返され、怒ったバルボスが巨大な銃を構える。間を置かずに放たれた衝撃は、酒場ごとユーリたちを揺らした。幸い怪我をした仲間はいない。しかし何度もかわせるものではない。
 バルボスは怒りのまま、もう一度銃の引き金に手を掛ける。その緊迫の直後。
 ――突如、竜が現れた。
 竜はバルボスを銃もろとも吹き飛ばし、叩きつける。竜の背に見えるは、白い甲冑。
 竜使いであった。

「なんだぁっ……!?」
「また出たわねバカドラ!」

 バルボスから竜使いへ、リタの敵意が移る。ユーリが宥めようとするも、魔導器を愛する少女はなかなか収まらない。
 その間、バルボスは体勢を立て直していた。魔核の填められた巨大な剣状の魔導器を掲げると、魔導器から生み出された竜巻を身に纏い、何と宙へ浮かび上がった。

「ワシの邪魔をしたこと、必ず後悔させてやるからな!」

 飛び去っていくバルボスを追い掛ける手段が、ユーリたちには無かった。バルボスが去ると、竜使いは踵を返した。
 どうやら目当てはバルボスらしい。悟ったユーリは、竜使いに駆け寄った。

「奴を追うなら一緒に頼む! 羽の生えたのがいないんでね」

 竜使いは滞空しながらユーリを振り返った。

「オレは何としても奴を捕まえなきゃなんねぇ。……頼む!」

 ユーリが竜使いに願い出ただけで仲間たちは混乱した。そして混乱は収まるどころか、更に大きくなるはめになってしまう――。
 竜使いが無言で、酒場へと竜を寄せる。

「助かる!」

 竜使いがユーリの申し出を聞き入れ、彼を乗せて飛んで行ってしまったからだ。

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