エアルクレーネの調査のため――それはエステルと一緒にいたい為の口実にも聞こえた――リタも旅に同行することが決まり、一行は波止場へと向かった。
すると何やら、叫びながら男たちが此方に駆けてくるのが見えた。「あんなにたくさん、勘弁してくれー!」「命がいくらあっても足りねえよ!」男たちの姿は、半泣きであったり怪我をしていたり、様々である。あまりの逃げ腰ぶりに、少し情けなく思えた。
「待ちなさい! 金の分は仕事しろ! しないなら返せー!」
そんな男たちの背を、赤髪の女性の怒声が追い掛ける。しかし彼らが戻ることは無かった。女性の眉間に青筋が浮かぶのがには見えた。側近らしい男性と何やら話し込み始めた女性を、ユーリたちはじっと見つめている。知っている相手らしい。
「あの人なら、海渡る船出してくれるかもしれないよ」
何やら思い付いたらしいカロル。はとりあえず何時ものように口を挟まず、成り行きを見守ることにした。
赤髪の女性はカウフマンと言った。五大ギルドのひとつ〈幸福の市場〉を取り仕切る女社長だ。ただ大人の女性なだけではない、相当なやり手であることが会話の節々から伝わってくる。
カウフマンはユーリを知っているらしく、その腕前も見込んでいた。そのお陰かどうかは知らないが、彼女は「ギルド同士の協力」という形で一行を船に乗せることをすんなり約束してくれた。
――近海に現れる魚人を〈凛々の明星〉が追い払うことを条件に。
いささか魚人の存在は引っ掛かるものの、海を渡れる上、使った船・フィエルティア号を進呈してくれるという。五大ギルドとの繋がりを持てたこともあってか、特にカロルは嬉しそうだった。
そしても内心喜んでいた。
「わぁ、海すごいきらきらしてるー」
「あんまり乗り出したら落ちちゃうわよ」
「大丈夫ー」
甲板の手すりをしっかり掴みながら、は煌めく水面を目で追っていた。見守るジュディスの言葉にも、若干上の空である。
は船に乗ること自体は初めてではなかった。しかし周りの客に顔を見られまいと隅で縮こまったり、フードを被ってひたすら影を薄くしようとしてばかりで、船旅を楽しむと言うことは皆無だったのである。いつ来るか判らぬ魚人への警戒も兼ねつつ、は海の美しさを存分に堪能していた。
「潮の香りすごいねー」
「なんか、キャラ変わってない?」
「楽しそうでいいじゃないですか」
リタやエステルの生ぬるい眼差しも何のそのである。はずっと海面を目で追っていた。
船が進む度に起きた波が白く弾け、途方もない海面は陽光を返して輝く。果ての知れぬ水平線の向こうを思ったりなどしてみた。
そうして存分に大海を満喫したあとのこと。ふと船が大きく揺らいだ。何事かと目線を側に戻せば、黒く大きな影がこちらに向かって飛び上がってきて――。
「ぶっ!」
へと直撃した。
黒い影の正体はまさしく魚人であった。
霞み、遠ざかる視界にその姿を認めながらも、は立ち上がることが出来ない。
激突の衝撃は、瞬く間に彼女の意識を闇へ叩き落とした。
「――大丈夫?」
が目を覚ましたのは、すっかり魚人が撃退された後のことであった。
ジュディスの呼び掛けに慌てて体を起こす。船には大きな被害は見当たらない。しかしあくまで、“船には”だ。
魚人の攻撃を受けた操縦士が負傷してしまったらしい。エステルの治癒術で事なきを得たが、しばらくは安静が必要な重傷だという。
しかし、船は動いていた。操縦士がいないのにである。
「どういうこと……?」
「魚人の中から出てきた女の子が、たまたま船を操縦できたの」
「え、魚人から……?」
ジュディスの話に疑問符を立て続けに浮かべながらも、は操舵輪の方を見た。
青い海賊帽とぶかぶかのコート。そして金髪のおさげ。ラゴウ邸やケーブ・モックで出会った少女、パティである。
「何でまた……」
「良いじゃない。私たち、お陰で助かったんだから」
くすりと笑いながら、ジュディスはに返す。「鼻、まだ赤いわね」鼻先をつつかれて、は魚人の体当たりで気を失ったことを思い出した。
「役立たずで申し訳ない……」
「きっと挽回する機会はあるわよ。……それにしても」
ふっと微笑みを消し、周囲を見渡しながらジュディスは呟いた。
「霧が深くなってきたわね」
「あれ、本当だ。何でまた急に……」
少し前まで、眩い太陽が海を照らしていたというのに。太陽はその見る影もなく、分厚い鉛色の雲と、深い霧が辺りを満たしていた。そればかりではない。
「あっ、前! 前!」
珍しく急いたリタの声が響き渡る。反応した皆が視線を向けた先には、巨大な船があった。パティが必死に舵を切るが、様子がおかしい。まるで船が反応しない……!
「これは……ぶつかるわね」
静かなジュディスの呟きは現実となった。
地響きのように大きな音を立てて、フィエルティア号は前方の船と衝突してしまった。
船室からカウフマンたちも飛び出してきて、彼らは揃ってぶつかった船を見上げた。
船はぼろぼろに痛んでいた。マストは有れども帆は千切れ、僅かな布切れと化している。人気はもちろん無い。難破船だろうか。
「アーセルム号……って読むのかしら」
古びた船首に刻まれた名前をジュディスが読み取る。古代文字であろうそれをすんなり読み上げた彼女に、はひっそり感心した。
しかし異変はまだ終わらなかった。難破船――アーセルム号からフィエルティア号へと、タラップが降ろされたのだ。人影も見当たらないというのに。一体誰が、何のために……。
その間、船を動かそうと奮闘していたパティが遂に手を上げた。
「むーダメじゃの。なぜか駆動魔導器がうんともすんとも言わないのじゃ」
「え? 一体、どうなってるのよ……」
すぐさまリタが魔導器を調べ始めるが、異常らしい異常は見当たらない。ただただ、動かないのだ。
ユーリは小さく唸り、アーセルム号を見上げる。
「原因は、こいつかもな……」
「うひひひ。お化けの呪いってか?」
神妙なユーリの呟きにレイヴンが悪乗りした。明らかに顔色が悪くなるエステル、カロル、そしてリタ。
あからさまな雰囲気たっぷりの難破船を見て、ジュディスは楽しげに提案する。
「入ってみない? 面白そうよ。こういうの好きだわ、私」
「原因判んないしな。行くしかないだろ」
ユーリがさらりと提案に乗ると、カウフマンが血相を変えた。
「ちょっと! フィエルティア号をほっていくつもり!?」
「んじゃ、四人が探索に出て、残りが見張りでどうだ」
反論はない。ユーリは早速面子を選びにかかった。まずは自分。そしてラピード。残りはふたり。
「私は行きたいわ。ダメかしら?」
「判った。ジュディは決定な。あとひとりか……」
探索に乗り気なのは、どう見てもジュディスだけだ。エステルとカロルは明らかに怯んでいるし、リタに至っては駆動魔導器を見なければならないと言う名目を立てて頑として動こうとしない。レイヴンもレイヴンで、ただならぬ難破船の雰囲気に軽口も叩かずにいた。
その時、が歩み出た。
「わ、私、行くよ……! 魚人退治、できなかったから」
「名誉挽回ね」
「と、特に挽回する名誉は持ち合わせてないんだけど……い、良いよね?」
茶化すジュディスに自虐的な返答をしつつ、はユーリに確認した。ユーリは頷いた。
「決まりだな。みんな、留守番任せたぜ」
残した仲間にフィエルティア号を任せ、ユーリたちはアーセルム号の中へ向かった。
タラップを上がり、軋む甲板へ足を乗せる。きぃ、と、夜の森の獣の鳴き声に似た音が響く。相当痛んではいるが、抜け落ちたりすることはなさそうだ。
どれほどの年月を彷徨っていたのか判らないが、船内はすっかり魔物の住み処と化していた。
「あそこ……何かいるよ」
船内を進んでいると、ふとが立ち止まった。向こうの壁に貼り付けられた鏡を指差し、ユーリたちに訴える。
「ん? オレには見えねえんだけど」
「お化けかしらね」
「ううん……。お化けとは違う、あれ、魔物だ」
の指示を頼りに目を凝らすと、鏡に何かが写るのが見えた。ぼろ布の鞠のような、浮かぶもの。鏡にその姿は写り込めども、肝心の鏡の前には何もいない。
「お化けとは違うって、違いが判るのかよ」
「生きてるのと死んでるのとって違うよ……?」
「そりゃそうだけどな……」
「魔物は、頑張ると気配とかですぐ……判る」
頑張ってもすぐ判らないものが出たらお化けらしい。ユーリは言い様の無い疲労をひっそりと感じていた。しかし必死に探るということは、少なからずがこの状況に怯んでいるということでもあった。
ジュディスのように状況を楽しんでいるなら良いが、怯えて神経を尖らせるの姿には、妙な罪悪感を覚える。ラピードは、案じるような眼差しを彼女に向け続けていた。
「おっさんとか引っ張ってくりゃよかったかな……」
ぽつりとユーリは呟いた。
姿の見えない魔物も、此方に気づき、襲い掛かってくるときには実体を現した。何らかの能力で姿を隠しているだけのようだ。実際武器で倒すことが出来たし、ユーリはそう考えることにした。
しばらく進んだが、目ぼしいものはなかなか見当たらない。
「……うん?」
そしてまたもや、が歩を止めた。通路の天井を見上げたまま、首を傾げている。そのまま動かなくなった彼女を顧みながら、ジュディスが訊ねた。
「どうしたの?」
「うん、何かね、この辺り、出っ張ってて――」
の声を遮り、突如轟音が鳴り響いた。船も大きく揺れ、が見上げていた天井も震え……落ちてきた。
慌ててはジュディスたちの方に駆け寄った。がしゃん、と背後で強く響いた音に恐る恐る振り返る。そして息を呑んだ。
天井から現れた鉄格子が、彼らの来た道をしっかり塞いでしまっていた。すぐさまユーリが引っ張ったり叩いたりしてみるが、ぴったり閉まった格子はびくともしない。
「ダメだ。開かない」
「なら、先進んでみましょ。ここにいても仕方ないわ」
「だな」
朗らかに言うジュディスに、ユーリが頷く。たくましい二人を見つめながら、へたりこんでいたも必死に腰を上げたのだった。
「もう船なんてイヤだ……」
小さな小さな、弱音を溢しつつ……。
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