帰る道を塞がれ、尚も進んでいくと思わぬことが起きた。
フィエルティア号を任せたはずの仲間たちと鉢合わせたのである。何でもアーセルム号のマストが突然倒れ、中にいるユーリたちを案じて乗り込んできたらしい。
あの衝撃の理由が判り、は内心ほっとした。しかしいざ皆が船を出ようと道を引き返したとき扉が閉ざされたのを見て、またもや不安がぶり返してしまう。
この船からは何かを感じる。
思念とでも呼べばいいのだろうか。魔物の気配とは明らかに違うものが、船じゅうで様々にひしめき合っている。長く海を漂う間に、海で散ったものたちの魂を抱え込んできたかのように……。
怯えはなくなってきたが、新たな感情が胸中に満ちてくる。深い悲しみ。無念の声。船の空気に感化されてしまったのだろうか。は必死にその波を押さえ込んだ。
どれほど長くアーセルム号が漂流してきたのかは、辿り着いた船長室に遺された日誌から判明した。
「アスール暦232年、ブルエールの月13?」
「アスール暦もブルエールの月も帝国ができる前の暦ですね」
慣れない年号に首をかしげるユーリに、エステルが説明する。帝国以前ということは千年以上昔と言うことになる。想像するだけで気の遠くなるような時間だ。
白骨化した死体のそばにあるその日誌を、エステルは読み上げ始めた。
「船が漂流して40と5日、水も食料もとうに尽きた。船員も次々と飢えに倒れる。しかし私は逝けない。ヨームゲンの街に、澄明の刻晶を届けなくては……。魔物を退ける力を持つ澄明の刻晶があれば、街は助かる。澄明の刻晶を例の紅の小箱に収めた。ユイファンにもらった大切な箱だ。彼女にもう少しで会える。みんなも救える。……でも結局、この人は街に帰れず、ここで亡くなってしまわれたんですね……」
ヨームゲン。は、心の中で街の名を復唱した。初めて聞く名では無いような気がしたのだ。遠い昔、誰かに聞かされたような……。皆の話を聞きながらも、は思考を巡らせる。
日誌にある紅の小箱は、白骨の死体が抱えていた。躊躇など一切なく朗らかささえ感じる様子でジュディスはそれを取ると、白骨の腕付きのまま、「はい」とレイヴンに差し出した。
「うひゃぁ。ジュディスちゃん、大胆だねぇ」
「呪われちゃうかしら」
微笑みながら白骨の腕を揺らしつつ掲げるジュディス。
恐る恐る箱を受け取ったレイヴンは、意を決して箱に手を掛ける。……が、その蓋はしっかりと閉ざされており、開こうとしない。
はそんなレイヴンをしばし見つめていた。――不意に、船長室に走った“気配”を悟るまでは。
「……何かいる」
「おまえのそういう勘って当たるから笑えないんだけど」
無意識に呟いていたにユーリが返す。
そしての勘は、ユーリの不安通りになってしまった。
「あ、あ、あ、あ、あれ……」
かたかたと震えながら、カロルが何かを指していた。部屋の壁に備えられた大きな鏡である。そしてその鏡の中には――大きな骸骨の騎士の姿があった。
空気に触れた血の色をしたぼろ布のマントで半身を覆い、船の碇に似た大剣を片手で引きずっている。眼球があるべき窪みに当然それはなく、しかし、強く鋭い光が代わりに灯って此方を捉えていた。
鏡から出てきた骸骨の騎士と、そのまま戦いになってしまった。幾らかゆとりはあると言えど狭い船の中。動くにも限界があり手こずったが、何とか迎撃は成功する。
赤い光を放ちながら動きを止めた騎士は、戦意を失ったのか、そのまま鏡の中へと帰っていく。
「逃げるのじゃ」
「別にあの化け物と白黒つけなきゃいけないこともないだろ」
騎士を追おうとするパティをユーリが制すると、話はまた紅の小箱――澄明の刻晶に戻った。
これをどうするか。は、エステルが日誌を読んだときから、察していた。
「わたし、その澄明の刻晶をヨームゲンに届けてあげたいです。澄明の刻晶届けをギルドの仕事に加えてもらえないでしょうか?」
エステルの願い出に、もちろん仲間たちは反対した。
「何言い出すのよ!」
「だめだよエステル。ボクたちみたいなちっちゃなギルドは、ひとつの仕事を完了するまで次の仕事は受けないんだ」
「ひとつひとつしっかり仕事していくのがギルドの信用に繋がるからなぁ」
叫ぶリタと諭すようなカロルに、うんうんとレイヴンが続く。しかしエステルが一度言い出せばなかなか聞かないことは、今までの旅で十二分に実感している。
思いやりと優しさは彼女の美点だが、行き過ぎて周りを振り回してはただの我儘だ。そしてそれを我儘だとは気づかぬまま貫くことに慣れてしまっては困る。エステルに限って、そんな風に道を違えることは無いかもしれない。
けれどエステルは、何時までも世間知らずではいられない。彼女の話を我儘ではなく優しさだと判って聞いてくれる人間が、ずっといるとは限らないのだ。
もしかしたら彼女は、皇帝になるのかもしれないのだから。
一時の思い任せに動く無責任さを、出来事のひとつひとつに過剰に反応することの脆さを、彼女は知らなくてはならない。
それでもそう在ろうとするなら――エステルは“そういう人”なのだ。
皇帝には向かないだろうけれど、大切な友達としてなら、そんなひたむきな優しさは魅力的だと思う。
まだ世の厳しさに慣れぬ彼女を、取り返しの付かぬ痛みから守ってあげなければならない。
そのためには――。
想いを何とかひとつに纏め上げ、はエステルを見た。
「エステル、何でもかんでもとりあえず言ってみてお願いするっていうのは無責任じゃない?」
上手く伝わるか不安だったが、意を決する。彼女に強くなってもらうために、あえて厳しい言葉を選ぶ。
「優しいのは判るけど、だからって毎回毎回こうされたら、みんなへばっちゃう。優しいと我儘は、違うよ」
「そうね。またこの娘の宛てもない話でギルドが右往左往するのは大変だわ」
「、ジュディス! あんたたちね、他に言い方があるんじゃないの!?」
リタの怒声には努めて平静を装う。苦虫を噛み潰し、じっくり味わっているような思いで。
自身、もっと上手にエステルを諭す言葉が欲しかった。しかし殊更話すことが下手な自分にはこれが限界だった。だから、この考えが伝わらずにただ傷付けてしまったら――。そう考えると怖くて仕方なかった。
しかし。
「リタ、待って……」
エステルには、しっかり届いたらしかった。彼女はリタを止めると、改めて話し始めた。
「ごめんなさい、、ジュディス。でも、この人の思いを届けてあげたい……。待っている人に」
「……そうなっちゃうよね」
も無意識のうちに笑いが溢れてしまった。何を言ってもこうなることは予想がついていた。恐らくそれは、他の仲間たちも同じだ。
「あたしが探す」
最初に言い出したのはリタだった。千年も前の街を探し、小箱を届けると宣言したのだ。
その言葉を待っていたかのように、カロルが手を上げる。
「じゃ、ボクもつき合うよ!」
「暇ならオレも付き合っていいぜ」
ユーリも笑って便乗した。
ギルドの仕事としては引き受けられないが、仲間として手伝うのは大丈夫。この面子らしい思考回路にまたもやは笑った。
は気を取り直すと、エステルへの詫びの意味も込めて口を開いた。
「私も手伝うから、ちょっといい?」
「あんた、あんな事言っときながらそれってどうなの?」
「私なりにあれは……うう、じゃあ良いです、黙ります」
リタの指摘はごもっともだったが、最初から手伝うつもりだったはひっそりとしょぼくれた。やはり自分は言葉の使い方が下手らしい。
「私、ヨームゲン知ってるかもしれないってだけだから」
「えっ!?」
ぽつりと溢されたの一言に、リタは顔色を変えた。
「な、なんで千年も前の街をあんたが知ってるのよ」
「この船に乗ってから色んなもの感じちゃって……そのせいみたい」
「ちゃん、霊感あんのね」
「な、何が霊感よ、バカっぽい! ……と、とりあえず話してみなさいよ、。や、役に立つかもだから」
ややずれたレイヴンの発言に声を引きつらせつつ、リタはに詰め寄った。リタがこの船の雰囲気に怯えているのは明らかだった。そんな彼女に自分の発言は堪えたのかもしれない。
申し訳なさを滲ませつつ、は答えた。
「強い日差し、一面の砂……。ヨームゲンは暑いところの街だよ」
「日差しに砂……。もしかして、砂漠でしょうか?」
「だったら、デズエール大陸にあるのかも!」
の言葉から、エステルとカロルがそう推測した。千年前はどうか知らないが、今、一面に砂があって日が照り続けるような場所は、確かにデズエール大陸くらいしかない。
ユーリはややあってから、を見た。
「……おまえの記憶が戻ったとかじゃねえのか? それ」
「判らない……。けれど、今言ったのは本当。大丈夫だって、合ってるって言われた」
「な、何に言われたってのよ……!」
先までの威勢はどこへやら、すっかり青ざめた顔でリタが言う。そんなリタには何も答えなかった。
この船のなにかがの言葉を後押ししたのは間違いない。余計なことを言わぬよう、曖昧に笑ってはぐらかす。
それが逆にリタを怯えさせていることに、は気付いていなかった……。
程なくしてフィエルティア号から魔導器が直ったことを知らせる発煙筒が上がり、一行はアーセルム号を後にした。
時間を食ってはしまったが、もうすぐ目的のノードポリカへと着くだろう。
呪いめいた難破船の導きを振り返りつつ、はそっと息を吐いた。あの船はずっと、小箱を届けてくれる誰かを求めていたのだろう。
かくして船は濃霧を抜け出した。
開けた視界には夜闇が迫り、海と空がひとつに溶けてしまったかのような錯覚を覚える。
その境界線に、ぽつりと浮かぶ光が見えた。ようやくのデズエール大陸、ノードポリカの結界魔導器のものだ。
ここからが旅の本腰となる。
様々な思いに逸る胸を押さえながら、はじっと結界の輝きを見つめていた。
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