炎天下を進む二つの影。とパティである。オアシスの街・マンタイクで準備を早々に済ませた二人は、コゴール砂漠へと踏み行っていた。
日差しのせいにしては暗すぎる顔のに、パティは「どうしたのじゃ」と首を傾げる。そんなパティを見て、はますます顔を歪めてしまった。
「パティは何も悪くないのに酷いでしょう、あんなの」
「なんじゃ、まだ〈天地の窖〉の奴が言ったこと気にしとったのか」
「……だって、大人げないじゃない」
うだるような暑さに耐えるの声音は、呻きのようだった。
が思い出していたのは、先に砂漠越えの準備をしたマンタイクでの一悶着であった。
ギルトに麗しの星の情報を乞うたパティに、そのギルト〈天地の窖〉の男が放った言葉が、にとっては太陽に身を焼かれるより耐え難いものだった。
最初のうちの「ギルドの義に反した者の身内にくれる情報は無いから金輪際関わるな」ぐらいだったなら、まだ我慢できたかもしれない。
ギルトの命とも呼べる義に反した裏切り者を、ギルトに生きる人間に「許せ」というのは難しい話だと何とか割り切れた。それだけ彼らがギルトとして懸命に生きていることでもある筈だからだ。
自分も彼らの立場だったら、同じように裏切り者の身内へ怒りを覚えるかもしれない。
しかし。
身勝手は承知では思った。
自分にとってパティとは、アイフリードの孫以前にただの“パティ”なのだ。血筋に関しては、同じく記憶の無い自分も胸を張れたものではない。なにせ魔導器を目にぶち込んだ女なのだ。明るい事情が有る筈は無いと、諦めではなく、割り切って考えていた。
そんな自分に比べたら、アイフリードが恨まれる存在と知りながらも健気に追うパティは――。
屈託のないパティの碧眼に、は何処か自分の境遇を重ねながら、肉親のような情を寄せていた。そして、奥底の記憶を揺さぶられ続けていた。
護らなくてはいけない、と、何時ものように響いてくる声。
だからは、パティを糾弾し、その人格を否定するような発言を黙って聞いていることができなかった。
「今回の事を逆恨みしてギルド員に手を出そうなんて考えるなよ」
「そんなことしないのじゃ!」
「どうだか。何しろ、護衛と称しながら船を襲った卑怯者の血筋が流れてるんだからな」
男の言葉に、は頭に血が昇るのが判った。
「黙れ……!」
呟くと同時に一瞬術式が浮かび、男の喉を不可視の鎖が塞ぐ。
サイレンス。が得意とする下級魔術であった。かつてハルルの街で騎士にも放ったことがある。声のみならず、この術は、対象の攻撃手段――術技を封じる力もあった。
しかし、それ以上が行動することは無かった。
ギルトの男は、不意に己の声が失われたことで相当混乱したらしい。わたわたと道を引き返して行った。戦場でこの術に掛かった敵と似たような反応だった。
その姿を見て、は自己嫌悪に陥った。自分の感情任せに、敵でもない人物に術を放ってしまったのだ。攻撃力は無いものの特異なこの魔術は、対象に大きな動揺を齎す。酷い場合は、混乱の余りに呼吸を狂わせる者もいるのだ。
そんな術を、自分は……。
「あ……」
我に返ったは、思わず声を漏らした。
この場に居たのはパティと、ギルト員だけではない。
街を回り“たまたま”通りかかった、ユーリが同席していたのだ。
咎める訳でもなく、静かにこちらを見るユーリと目が合い、は更に落ち込んだ。
どうか男が、異変の原因がである――パティと一緒にいる人間のせいだと気付いていないことを祈るしかない。
その後パティとユーリが言葉を交わすのを、は日差しに耐えながら、黙って聞き役に徹していた。
「……本当に大人げない」
は繰り返した。この言葉は、男だけではなく自分自身に向けられていた。
そんな彼女に、当のパティは気丈に笑ってみせる。
「とりあえず、がうちを大好きでたまらないという事はよくわかったのじゃ。悪い気はせんのじゃ。だからあんまり気にするな」
「ありがとう、パティ」
守るべき少女に励まされる情けなさより、単純な嬉しさからは笑い返していた。
影一つ見当たらないコゴール砂漠を、ただただ二人は歩み続ける。
まさしく砂一面。大きな動物の骨が散っていたりするぐらいで、目ぼしいものは特に見当たらなかった。前に進んでいるのかさえ怪しくなってくる。ちらりと後ろを振り返ると、吹き付ける風が足跡をさらって行ってしまうところだった。
ぽつぽつと生えるサボテンを切って水分を補給しながら、はパティと共に足を動かし続けた。歩いていると判ったが、ただ何もない砂漠という訳ではなさそうだ。魔物の縄張りや、崖などの危険から距離をとって歩むうち、通るべき道筋が何となく見えてくる。環境は変わらず厳しいが、進み具合はそれほど悲観する程ではなさそうであった。
日が僅かずつ傾き始めると、は休める場所を探し始めた。パティも同じことを考えていたようで、「良いところは無いかのう」と呟きながらきょろきょろと辺りを見渡している。
更に幾らか歩むと、岩場が見つかった。大きなヤシの木が顔を覗かせている。
自然と急ぎ足でそこに向かった二人は、思わず同時に声を上げた。
「オアシスだ!」
「水なのじゃあ!」
岩場の奥まったところから水が湧き出て、小さな泉になっている。二人は飛び込む勢いでオアシスに入ると、浴びるように水を飲んだ。砂漠に点在するサボテンの僅かな水分だけでは、とても渇きを満たせなかったのである。
存分に二人が潤った頃のことであった。
――不意に、甲高い音が響く。
「なんじゃ?」
パティは不思議そうに首を傾げていたが、隣に居るは硬い表情で空を見上げる。
甲高い音の正体は、鳥の鳴き声であった。姿は見えずとも、聞き覚えのあるそれ。
ダングレストを襲った、フェローの声である。
やっぱりここに居るんだ。
それが判って、は少し安心していた。後はただ、ユーリたちが無事にフェローと邂逅できることを祈るのみだ。
今のには、他にすべきと決めたことがある。
鳴き声はすぐに遠退き、パティも興味が無くなったのか目線を戻した。
も気を取り直して、少女を見やる。
「砂漠の夜は冷えるから、夜営の用意はしっかりしなきゃね」
「そうじゃの」
二人でテントを張り、火を囲み、失われた体力を取り戻すための食事を始める。
はもとより、幼いながら一人旅をこなすパティも、慣れた調子であった。カロルと同じ年頃に思えるが、パティは肝が据わっている。怯えや弱音を零す様子が無かったのだ。
拵えたスープを啜りつつ、はパティを見ていた。
自分が彼女を見て、思いを揺さぶられる理由を探すように。失われた記憶の糸を、そっと手繰り寄せるかのように。
「しんどかったら言ってね」
気が付くとは、そんなことを口走っていた。
もちろんパティにはしっかり聞こえている。スープの器を両手で抱えたまま、少女はの方に振り返る。
「んむ?」
「あ、いや……。暑いし疲れるでしょ? 無理しないでねって」
「それはお互い様なのじゃ。うちはタフな美少女じゃから、まだちょっとはいけるぞ!」
元気に声を張り上げてパティが右手を天高く突き上げる。片手で支える器からスープがこぼれそうになっていて、慌てては手を添えた。「すまんのじゃ」素直に謝るパティに、は笑って首を振って返す。注意力が散漫になるほどにはパティが疲れていることを、はしっかりと確認できた。
「早いとこ休もうね」
「うむ。ちょっと寝苦しそうじゃが、何とかなるかの」
「私毛皮持ってるから。しっかり被って寝てね。冬みたく寒くなるらしいから」
「心配性じゃのー」
「年上なんだから年下の子の心配するでしょ」
「そうかの」
パティは何とも言えないはにかみ顔で答える。
一人旅をしてきたパティに、のお節介はくすぐったいらしかった。
手早く食事を済ませた二人は、束の間、夜空を見上げていた。
透き通った夜空には数々の星がはっきりと浮かび上がり、宝石を散りばめたかのように美しかった。思わずため息が漏れる。しかし美しさを楽しむ余裕はすぐに無くなってしまう。
疲労と寒さに追いやられるようにして、二人はテントに入ったのだった。
身を寄せ合うようにして、小さなテントの中で横になる。昼間とは別世界のような冷たさに、動揺するのではなく、不思議と落ち着いていることには気付いた。
「……なあ」
「なあに?」
ふと呼ばれ、がゆるりと応じる。
少しパティは言い悩んでいたようだったが、さほどせずに口を開いた。
「本当にうちについてきて良かったのか?」
「どうしたの、パティ」
「……良かったのか?」
問われて、は改めて考えた。テントの天井を見上げながら、パティへの返答を整えるために。
数度会っただけの人間について行こうなんて、確かに可笑しかったかもしれない。
しかし。
「パティをほっとけないもの」
可笑しくても、変わっていても、辻褄が合わなくても、自分の気持ちを誤魔化すまでには至らなかった。
記憶の影響もあるだろう。しかし、それを差し引いてもは「パティと一緒に行こう」と思った。たとえ自分が記憶を失っていなくても、きっと一人で健気に振舞うこの子に会ったら、自分は同じ選択をしていたはずだ。
ユーリや、エステルや、皆と同じ。
ジュディスに云われたように、自分も“ほっとけない病”なのだ。
「それだけかの?」
「全部ひっくるめると、そうなるの」
「ひっくるめないとどうなのじゃ?」
「いくら強くたって、かわいい女の子の一人旅は危ないでしょ」
「そうかもしれんのじゃ」
「私、頼りないかもしれないけれど……」
はパティに向き直ると、淡く微笑んだ。
「ひとりより、ずっと良いから」
ユーリたちに出会い、打ち解け、続けてきた旅。その間にが培ってきたものは、かけがえのないものばかりだった。何より、仲間がいる心強さは、そのまま力に変わった。
ユーリたちに貰った強さを、ひとりで頑張るパティのために役立てたかった。ひとりではない故の強さを、彼女にもあげたかった。
感情はこもっているが言葉足らずなの話を、パティはまじまじと彼女を見つめ返しながら聞いていた。あどけない碧眼は、僅かに揺れているように思える。
「は、浅瀬に向かうマンボウよりも不思議さんなのじゃ」
「そ、そう?」
「じゃが、うちはそういうが嫌いじゃないぞ」
パティの比喩の方がよほど不思議な気もしたが、は何も言わない。嬉しそうなパティの笑顔に、水を差すような真似はしたくなかったからである。
着実にふたりの距離は縮まっていた。同時にの胸には暖かなものが溢れ、じわりじわりと失われた記憶の輪郭を刺激していく。未だかつて無いほど饒舌な自分の様子から、はそれを自覚していた。
「……あ」
ふと、は閃いた。
「どうしたのじゃ?」
「うん、思い出したものがあるの」
「なんじゃなんじゃ? 教えてみろなのじゃ~」
にまにまと笑うパティに、頷く。そっと目を閉じると、は代わりに口を開いた。
――穏やかな旋律が、彼女によって紡がれていく。
が思い出したのは“唄”であった。パティには聞き覚えの無い、知らない言葉で歌われている。しかし、その言葉の節々は、アーセルム号で怖さを紛らわすために彼女が歌っていたものに似ていた。ただ、あの時に比べて、この唄は随分明るい。
パティは黙って、その歌声に耳を傾けていた。
歌うの優しい顔が、視界に移る。
(まるで、お母さんみたいじゃの)
心地良いメロディに、パティはそんなことを思いながら目を閉じる。
どうして聞き慣れない言葉をが使うのか。この歌が一体何なのか。色々と聞きたいことがあったが、瞼の重みに少女は耐えきれなかった。疲れた体にこの唄だ。待っていましたと云わんばかりに強烈な睡魔がやって来ている。
(この唄はきっと、子守唄に違いないのじゃ……)
歌が終わる頃、パティはすっかり熟睡していた。
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