熱い、熱い、熱い。
火の中に放り込まれたみたいに、全てが熱い。
赤い、赤い、赤い。
目の前も、先も、横も、全てが真っ赤に染まっている。
そんな中を、私は、必死に走っていた。
何かから逃げなくてはいけないと思った。
誰かへ報せなくてはいけないと思った。
何から? 誰へ?
肝心なところが思い出せないまま、それでも足だけは動き続けていた。
不意に黒い塊が私の前に現れた。
黒く蠢くそれが何なのか、やっぱり判らない。
けれどもそれは、私にとってとてもおぞましいものであることは知れた。
私は声を上げながらそれに向かっていった。
塊は暴れる私のせいで、次第に千切れ、飛び散り、小さくなっていき、遂に動かなくなった。
安堵したのも束の間だった。
更におぞましいものに、私は気付いた。
塊を引き裂いた、自分の手が視界に映る。
それは、まともな形をしていなかった。
真っ赤な血糊の下に在ったのは白い毛並。
指であろうものの先でぎらぎらと光る、鋭く大きな爪。
獣の手だった。
一連の情景が夢であることにが気付いたのは、厳しい日射しのもとに無防備な瞳を晒してからだった。
(嫌な夢だった)
疲労と暑さのせいだろうと夢見の悪さの見当をつけると、は跳ね起きた。まとわりついた砂を払い、目立った怪我がないことを確認するとすぐに動き始めた。
今は夢より何より気にすべきものがある。
パティの安否であった。
無茶な作戦のために負担をかけたであろう。しかし彼女の強運と身体能力をは信じるしかなかった。
(他にも誰かがいたら、もう少しマトモな逃げ方が出てきたかな)
今更ながらは、一人旅で培ってきた無茶な思考回路を恨んでいた。
砂だらけのこの地では、飛ばされた距離を測ろうにも目印など無い。それでもはパティを見つけ出す自信があった。
義眼の魔導器が仄かに輝く。は集中して辺りを見渡した。
自分の放った術の名残……凍気から熱へと還るエアルの動きが、まだ僅かに残っている。然程時間は経っていないらしい。次いで伝わってきた、自分の物とは別の魔導器が行使されて起きるエアルの動き。こんな砂漠にわざわざやってきて魔導器を扱う人間は限られている筈だ。
それらを結びつけ、辿ると、おおよそのパティの位置が判った。
「もう少し上、かな……? 結構近くて良かった」
かつてガスファロストへ流れるエアルの軌道を追った時の応用に近い。しかし能力と精度は、格段に上がっていた。以前よりはっきりと感じることができる。
化け物じみた進化を嘲るより、便利なものだとは開き直った。
なるべく魔物の死角を縫うように移動し、消耗は最小限に食い止める。
巨大獣との遭遇で放った大技は、想像以上に体力を持っていっていた。
心細さを振り切るように、は進んでいく。
そうしているうちに、感じたエアルの動きは近くなっていった。どうやら戦闘真っ只中らしい。
早く合流して助太刀しなくては――。
鎌を握りしめ、は駆けた。
砂の丘の先を目指して。
「パティ!」
丘を越えると同時には思わず叫んだ。そして、目を丸める。
「おぉ、!」
丘の先にいたのは、高らかに声を上げ、手を振るパティだけでは無かった。
――マンタイクで別れたはずのユーリたちと合流していたのだ。
「よう、少しぶりだな」
少し意地悪そうな笑みを浮かべて、ユーリがを見つめている。
は思わず、その場にへたり込んだ。
砂の熱さも気にならなかった。安堵からの脱力か、は立っていられなくなった。巨大獣と鉢合わせた緊張も、今更になって襲ってきたらしい。以前も似たようなことがあった気がする。
「こんなことなら、パティ引きこんで皆と来てれば良かったよ」
情けない笑顔を浮かべるに、怪我でもしたのかと心配したエステルが慌てて駆け寄って行ったのだった……。
◆◆◆
の無茶な行動をパティづてに聞いた仲間達は驚いた。中でも強く反応したのは、リタであった。
「確かにこういう厳しい環境下っていうのは、それだけエアルの働きが活発ってことよ。上手く術を選択して行使すれば普段以上の効果が期待できる。けれどそれは、あくまでその土地の環境や特性・属性を合わせたらの話! いい? 真逆の属性や特性を無理に増幅させて引きだすって事は、その分、必要以上の負荷があんたの魔導器に掛ったのよ!」
「で、でもエアルが活発なお陰で、術は上手くいったんでしょ?」
「人間吹っ飛ばすような暴発させて何が“上手くいった”よ!」
「うっ、それはそうだね……」
黙って説教を受けるの顔は、情けないほどしょぼくれている。そんなの代わりのように口を挟んだカロルは、リタに怒鳴られ、すぐ口を噤んでしまった。
面白かったのでユーリは何も言わず、リタの言いたいことが尽きるまで見守ろうかと思った。
だがユーリが放っておいても、他の仲間達がリタを止めに入っていく。見ていられなくなったエステルであった。
「リタ、も反省してますし、こうして無事なんですから……」
「エステルは甘いのよ! こういう馬鹿にはしっかり判らせないと!」
「でも、は炎の魔術が使えないんですよ?」
「あたしが怒ってるのはそこじゃなあぁぁい!」
まるで吠えるようなリタの怒号に、ユーリは嘆息した。
「こんな炎天下で随分元気だな」
「元気じゃないわよ! また疲れたわよ、もう!」
ひとしきり叫び終えたリタは、がっくりと肩を落とした。「無駄な体力使った……」恨めしそうな呟きに、は更にしょぼくれていった。
自分が行ったことがどれほど無茶なことだったのか、はきっと十分に判っている。リタとて、それを理解している筈だ。それでもリタが怒ったのは、彼女自身も気付いていない“仲間を思いやる心”からなのかもしれない。だからこそも、黙って怒られていたのだろう。
説教から解放されたは、癖なのか何なのか、とぼとぼとラピードの傍に歩み寄っていく。
「気兼ねなくお叱りください、ラピードさん……」
「ワフ……」
わざわざ叱られに言ったのか。ユーリは一人と一匹の様子を無言で見守る。
の申し出に対して、さすがのラピードも困惑気味であった。ラピードとしてはを叱る気はないらしい。リタに十分に叱られた彼女にラピードが行ったのは、現状の説明であった。
「ワンワンッ」
「あ、そうなんですか……? なるほど、それで見知らぬ方々と……」
ラピードづてに、はユーリ一行の状況を知った。
マンタイクでは最近赴任してきた執政官により騎士団が幅を利かせており、住民たちは外出を禁じられ、常に監視されていた。
騎士団がオアシスの街までやってきたのは、ノードポリカの統領・ベリウスを捕縛しようとする動きがあるためらしい。どうやらベリウスがかつて起きた“人魔戦争”の裏で糸を引いていた疑いがあるのだと。
そしてマンタイクの執政官は、街の人々を利用し、砂漠に棲むと言う鳥――フェローの調査をさせているそうだ。
よく判らないが、あまり良い状況ではないことをは察した。
「街に残る彼らの子供から、両親の捜索を……。無事に見つかって良かったですね」
「いっつも思うけど、、なんでラピードと話せるの……?」
状況を聞くにしてもなぜ相手がラピードなのか。遂に我慢できなくなったカロルが直接へ訊ねる。
は目をぱちくりさせ、それから首を傾げた。
「……何でだろう?」
「いや、ボクが聞いたんだけど……」
「愛の力です?」
エステルの横槍に、が真っ赤になる。困ったように視線を泳がせ、ついに両手で顔を覆ってしまった。
「あ、愛というか、その、判るものは判るというか……」
「動物語翻訳機能でもあるのかな、の魔導器」
「そんなんあったら見てみたいわよ」
真面目に考え込むカロルに、リタが思わず口を挟んでいた。
がラピードの言葉を理解できる原因は知れないが、会話出来ていることは違いなかった。仲間の誰もがに説明していない捜索依頼の事情を、ラピードが吠えただけで知ったのだ。本当に通じ合っているのだろう。
広い世の中、動物と会話できる人間がいたって不思議ではない。喋る魔物がいるぐらいなのだから。
ユーリはそれ以上たちの会話を気にしないことにした。
マンタイクで子供たち――アルフとライラに頼まれた両親の救出も済み、後は砂漠にいるはずのフェローに会うだけである。しかし、鳴き声は時折すれど、肝心の姿は見当たらない。
相手は空を飛ぶのだ。砂漠にずっといる訳ではないかもしれないし、本当は別の場所に住処があるのかもしれない。
考えが深みにはまりかけた時、もう一度、フェローの鳴き声が砂漠に響いた。
――近い。
鳴き声の大きさに、自然と一行の雰囲気は強張った。
この先にフェローがいるのかもしれない。
戦えない夫婦を庇いつつ、再び砂漠の奥を目指して歩き出す。
は緊張しつつも、仲間との合流に深く安堵していた。
フェローと相対して、たとえ信じれれないような話を聞かされることになっても、彼らと一緒ならば耐えられるのではないか。
そう思いながら歩んで行った先のことだ。
「――何かおかしい」
鳴き声のする場所まで来たかと思うと、不意にジュディスが呟いた。
「気をつけて」
フェローであるはずの鳴き声が次第に歪み、引き攣っていったのもほぼ同時であった。
異変を察知した一行の前で、ふと空間が歪んだ。球のように捻じれたそれはそのまま千切れ、黒い塊となって浮かび上がる。うねりながら塊は広がり、得体の知れない気配を纏いながら形をとった。
大きな一対の鰭のようなものを広げ、半透明の体は黒く澱んだ色をしている。顔らしきものは無く、透けた体の中に生物らしい内臓も見当たらない。それの中心であろう核のようなものが、やはり澱んだ輝きでひとつ収まっているだけである。
今までに見たことの無い魔物――いや、魔物でも無い――生き物なのかすら知れなかった。
化け物。そう呼ぶに相応しい。
「っ、痛……」
は思わず右目を押さえた。とうに落ち着いたはずの義眼が、化け物と相対して再び痛んだようだった。まるで動揺する心に呼応したかのように。
化け物の澱みは、に言いようのない強烈な不安を与えた。
怖い。
辛い。
苦しい。
あれを早く倒さなくちゃ。
「見ていたくない……!」
臨戦態勢へ入る仲間たちとともに、も顔を歪めながら大鎌を手にした。
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