化け物は見た目以上の手強さを有していた。
 気味の悪い咆哮は対する者の精神力を削り、魔術も使いこなす。どういう原理かは判らないが、自身の弱点を入れ替えることも可能らしかった。
 さっきまでは効いていたはずの水属性の魔術が、次の瞬間には全く意味をなさない――。そんなやり取りを繰り返すうちに、たちの体力は消耗していき、時間を食ってしまう。
 それでも方法を変えながら諦めずに攻撃を続けていると、遂に化け物の動きが止まった。
 断末魔の咆哮を上げながら、その体が、宙に浮いたまま崩壊を始める。

「やった……?」

 化け物を形作っていた黒い澱みは、何かから解放されるかのように霧散し、広がり、宙へ溶けていく。
 はその様をじっと見つめながら、化け物を倒したことを実感した。だが同時に、どっと疲労が押し寄せてきた。
 この環境下で苦戦を強いられた一行の消耗は激しかった。

「……体が、もう……」

 視界が霞んでいる。は突き立てた鎌を支えに、必死に立っていた。
 だがすぐそばで、カロルとリタが倒れてしまうのが見えた。他の仲間達も次々に限界を迎え、耐えきれず、気を失っていく。
 ふらつくも、遂にその後に続いてしまった。手から鎌が滑り抜け、力無く倒れ込む。熱い砂に焼かれ、それでも動く力は欠片も無い。
 このまま乾いて死んでしまうのだろうか。

(みんなと一緒なら、それも怖くないかもしれないなあ……)

 縁起でもないことを考えながら、は意識を手放した。



 ――熱い砂が埋め尽くす中の、限られた水辺のそば。
 広がる砂漠の中でその場所は水の恩恵を受け、僅かながらも緑を育んでいて。
 人々は、和やかに、懸命に暮らしている。
 そんな故郷がこれからもそう在れるように、届けなくてはならないものがある――。



 胸中を過ったそれは、の感じたものであって、自身のものではなかった。
 船旅で出会ったアーセルム号の中で、彼女が感じとり、何者かと共有したものである。
 酷く懐かしくて、暖かくて、切ない憧憬の念が涙腺を緩めた。
 私にもそんな場所があったのだろうか?
 何時か思い出せることができるだろうか?
 こんなにも愛おしく思える“自分の帰る場所”があるのだろうか――?
 巡り巡る思念は遠退く代わりに、の意識を覚醒させた。

「……ここは」

 目を開くとそこは、砂漠では無かった。暑いには暑いが、耐えきれない程ではない。肌を撫でる風も何処となく涼しげで、日を遮る屋根があった。自分が居る場所は、屋内のようである。
 一体どこの?
 悩みながらもベッドから身を起こし、歩き出す。
 ここは宿屋だろうか。どこかレトロな雰囲気の漂う内装を見つめながらは考えた。

「お体は大丈夫ですか?」
「えっ……、あ、はい……」

 部屋を出ると、家の主人らしき女性が声をかけてきた。あまり見たことのない装飾の服を着ている。
 がおずおずと答えると、女性は安心したように笑った。

「あなたがたが村の入り口で倒れているときはびっくりしましたよ。皆さんご無事で何よりです」
「あ、ありがとうございます……」
「御連れ様がたは先に起きて出て行かれましたよ」
「判りました……。本当にありがとうございます」

 は右目と傷を隠し損ねて後悔したが、女性が不思議と気にせずにいてくれたことに甘え、そのままフードを被らずに外へ向かった。
 日射しが降り注いでくる。しかし砂漠の時のような厳しさは薄れていた。
 ぽつりぽつりと木造の家が並び、人々がゆったりと時間に身を委ねるように歩いている。木が茂る場所があり、畑のようなものもある。
 は、ここが人の暮らす空間であることを再確認した。

「……もしかしてここは」

 確認すると共に、は胸を押さえた。
 初めて見るはずの数々が、どうしてか懐かしいものばかりなのである。
 胸の中に、切ない思念がまた蘇ってきた。
 そして、彼女は悟った。
 この街が――あのヨームゲンであることを。
 は、感情を紛らわすように空を仰いだ。
 真っ青な空には、人の住む場所には必ず存在するはずの結界が見当たらなかった。つまりこの街には結界魔導器が無いことになる。だからといって代わりの防衛手段があるようにも思えない。
 不思議な街である。
 ゆっくり歩を進めていると、こちらに駆け寄ってくる人影があった。

ー!」

 手を振りながらやって来たのはカロルだった。

「良かったぁ、起こしに行こうとしてたところだったんだよ」
「わざわざ、ありがとうね」

 素直に礼を述べると、カロルは照れくさそうにはにかんだ。
 そしてはにかみつつも、状況を説明し始めた。

「誰かは判らないけれど、ボクらを助けてくれたみたい。あ、ライラたちの両親も無事だよ! それでね、レイヴンが街の人に聞いてきたとこによると、ここが幽霊船の日記にあったヨームゲンらしいんだ」
「なるほどなるほど」
「それで、今から澄明の刻晶の箱を街の人に見せて話を聞こうとしてたんだ。も気になってると思って……」
「うん、かなり気になってる。本当にありがとうね、カロル」

 が笑うと、カロルはやはり照れたまま笑い返したのだった。
 カロルについて行くと、すぐにユーリたちと合流できた。皆、大きな怪我や異変も無く、無事であることを改めて知ると、は胸を撫で下ろした。

「皆、大事が無くて良かった……」
「本当ですよね」

 笑って頷くエステルの手には、鳥の羽根のようなものが握られている。黄と赤のまじるそれがフェローのものであることはすぐに判った。
 どうやら砂漠で倒れた時に、襲ってきた魔物が落としていったらしい。やはりあの砂漠にフェローがいたということだろうか。
 一行の話はすぐに紅の小箱に移った。街の人ひとりひとりに、小箱を見せては訊ねる。大きくはないヨームゲンの中で、小箱を知る人物を見つけ出すまではそうそう掛らなかった。

「その箱は、ロンチーの持っていた……それをどこで?」

 海を眺めている女性だった。エステルの持つ小箱を見ると息を呑み、彼女はおそるおそるといった様子で声を発していた。
 胸の奥では何かを感じた。どうやら切ないらしい。先からの思念と言い、自分は幽霊船で何か憑けてきてしまったのだろうか?
 が他愛もないことを考えているうちに、女性はユイファンと名乗っていた。アーセルム号の日記にあった名前と同じだ。「同じ名前の子孫かの?」パティの呟きがした。子孫だとすれば、箱の話を伝え聞いていても不思議はないかもしれない。
 ユーリはユイファンに訊ねた。

「あんた、澄明の刻晶って知ってるか?」
「魔物を退けるものらしいんだけど」

 リタが言い添えると、ユイファンは頷いた。

「結界を作るために必要なものだと賢人様がおっしゃってました。ま、まさかその箱の中に?」
「はい、わたしたち届けに来たんです」
「そう、だったんですか」

 エステルの言葉に、彼女は寂しげに呟いた。何かを堪えるように目を伏せていたかと思うと、ふっと顔を上げる。
 ユイファンの手には、小さな鍵が握られていた。

「箱を貸してもらえますか」

 エステルが箱を託すと、ユイファンはゆっくりと小箱の鍵を開けた。
 ――遂に姿を現した澄明の刻晶の姿に、思わず誰もが息を呑んだ。
 大きな宝石のような結晶だった。人の顔ぐらいの大きさはある。
 この結晶が結界を作るためのものであり、かつてノードポリカでリタの術の制御を狂わせた。澄明の刻晶は心なしか淡く輝き、神秘的な雰囲気を纏っていた。何かしらの力が宿っていてもなんら不思議はなく思える。

「で、さっき言ってた賢人様って誰のことよ」

 リタがユイファンに問う声に、は我に返った。

「賢人様は、砂漠の向こうからいらしたクリティア族の偉いお方です」
「結界を作るって事は、魔導器を作るってことよね」
「ブラスティ……ア? さ、さあ……」

 は彼女が魔導器を知らなそうに答えるのが何となく気にかかったが、それを聞く間は無かった。
 魔導器を作る。今の技術では出来ないはずの業。それを為すという賢人。
 エフミドの丘や、カルボクラム、そしてラゴウの屋敷……。旅の最中に見た魔導器たちに、賢人が関わっているのだとしたら?
 私の右目のことも何か判るとしたら?
 右目が疼くような感覚をやり過ごしながら、は彼らの話を聞いていた。

「賢人様とやら、あのメチャクチャな術式の魔導器作った奴じゃないでしょうね」

 呟きながら、リタは怒りをぶり返させているようだった。と同じことを懸念しているらしい。
 そんなリタの怒気を感じとったユイファンは、ごめんなさい、と申し訳なさそうに目を伏せる。

「私よくわからないんです……。とにかく結界を作るために澄明の刻晶が必要だと賢人様がおっしゃって。それを探しにロンチーは旅に出て……。もう三年にもなります」

 三年、という言葉に、ユーリたちは顔を見合わせた。
 アーセルム号の日記は千年前のものだった。ユイファンの話と噛み合わないのである。
 だからといって彼女が嘘を吐いているようにも見えないし、吐く理由も思いつかない。
 結局ユーリたちは疑問を解決できぬまま、ユイファンに澄明の刻晶を賢人の元へ届けてくれるようにと託され、その人物が住むと言う家を目指した。
 この頃には、は、胸中に宿っていた思念がすっかり消え去っていることに気付いた。理由は何であれ、心に自分以外の何かがあったのはむず痒かった。ひっそりと胸を撫で下ろし、安堵する。

「……あそこかな、ユイファンさんの言ってた家」

 集落の奥にある、他よりも大きめの建物が賢人の家であった。
 辻褄の合わないユイファンの話も、各地の魔導器を作っているのかも、賢人に聞けばはっきりするかもしれない。
 そう思いながら家の戸を叩き、一行は中へと入る。

「邪魔するぜ」

 ユーリの声に、家の住人は振り返った。
 白銀の長い髪を風にそよがせた、端正な顔立ちの見覚えある男。
 以前見た時と同じように黒い衣装を纏い、抜き身の剣を携えている。
 は思わず声を上げた。

「――デューク、さん?」

 デュークの緋色の瞳は、静かに此方を見つめ返していた。

「お前たち……どうやってここへ来た?」

 呟くような問いかけもまた静かなものである。
 自分たちを取り巻く空気が僅かに緊迫していくのを、は感じていた。

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