不思議に思いながらも、は答えた。
「どうしたの、ユーリ」
「いや、何かラピード持ってかれて心細そうな顔してたからよ」
「ら、ラピードさんは皆のラピードさんだし……って、もう、からかう相手探してただけ?」
「そうじゃねーよ」
こうして話していると、は、自分が変わったことをひしひしと実感した。ユーリたちと出会ったハルルの街にいた頃の自分に比べて、まるで別人のようにおしゃべりが出来る。
が笑っていると、今度がユーリが不思議がる番だった。
「何にやにやしてんだ?」
「うん、私、成長したなあって。前だったらユーリと一対一で話なんて、ロクに出来ないで口ごもってたろうなって」
「そういえばそうだな。お前、誘拐された子供か何かみたいに気が弱くてびくびくしてたもんな」
「そこまで言わなくても……。ううん、そうだね。私、すごい子供だった」
からかうようなユーリの声音には、いつでも仲間を思い遣る気持ちが詰まっている。こんな風に街での自由行動の時間が出来ると、ユーリは、さり気なく仲間の様子を見て回ることをは知っていた。
そんなユーリの“子供”という表現には、酷く納得した。
「記憶が無くて、探していて、でも、何処かですごく怖がってて、真面目に探してなかったところがあるかもしれない。……たまに思い出せる記憶が、すごく怖いことがあるから」
「記憶、思い出せてたのか」言葉だけ聞けば意外そうなふうだったが、ユーリの声音は、の状況を何となく悟っていたかのような響きを持っていた。
「すごく断片的で、少しずつで、全く繋がらないから、意味が判らないんだけれどね」
「でも判るんだな。自分の記憶だ、って」
こくりと頷き、はユーリを見上げた。
するとは何やら自分の服の中を探り始めた。何かユーリに見せたいものがあるのだろう。
待っていたユーリへが見せたのは、封筒だった。いつぞやレイヴン経由で、ドンからへ渡された手紙だ。便箋を取り出し、開いて見せながらは笑った。
「これね、多分私に凄く関わりの深かったギルドなの」
「銀雪の狼……。へぇ、なかなかイカしてんな」
「でしょう? 何でドンがこのギルドのことを教えてくれたかは判らないけれど、今まで思い出せた記憶の断片が散々だった私に、とても温かい気持ちをくれたものなの」
十年も前に無くなったギルドが自分に齎したそれは、の追い求めている記憶に感覚が近かった。
「だから私、記憶を思い出すの、もう怖くなくなった。怖い記憶がちらつくけれど、皆がいると、怖いのも怖くない。乗り越えて行けると思った。……皆と一緒にいるうちに、記憶が思い出せたらいいんだけれど」
がそう話すと、ユーリは頷いてみせた。
「そうだな。オレも何となく興味あるしな、の記憶。他の奴らも多分みんなそうだ」
「だといいなあ。……そう思うと、自分の問題はもう片付いているみたいな気分になっちゃってさ、パティとかエステルとか心配になっちゃうんだよね」
手紙をしまいながら話すに、ユーリは肩を竦めた。
「自分だ他人だって忙しない奴」
「そのままお返しします。……だって実際心配でしょ。私も聞いちゃったんだよ、フェローが“毒”だなんて言って来たの。それに……」
――私には“人間の肩を持つのか”って言って来たんだよ。
思わずそう続けそうになったのに気付いて、は口を噤んだ。
言葉を切ったに、ユーリは瞬きした。
「それに?」
「いや、なんでもない。ちょっと違う話になりそうだったから」
「……そっか」
に話す意思が無いことを、ユーリはすんなりと受け入れてくれた。
しかし、思いつめたような少女の顔を見て、彼はひっそり嘆息する。
――人の心配してられるような状態に見えねえっての。
怖くない、と口にしてはいるが、それは“怖い”ということを深く考えないようにしているだけで、実際彼女の心は不安や恐怖で押しつぶされそうなことがあるはずだ。
エステルとは似ているようで全く異質な、他者への思い遣り。
の危うさを、ユーリは確かに感じていた。
「ま、話したくなったら何時でも聞くし、それなりに相談には乗るぜ。もしくは周りに首突っ込みたがる奴らがわらわらいるから、そのどれかとかな」
「皆、ほっとけない病だもんねえ」
はくすくすと笑いながらユーリを見た。
ユーリもつられたように笑っていた。
皆、誰かが悩んでいると放っておけない。そんな仲間ばかり。レイヴンやジュディスも、少なくとも悩む仲間を無視するようなことは無い。とにかく皆、良い意味でお節介だ。
ユーリの前で笑うも。
呆れたように笑い返すユーリも。
皆、仲間思いなのだ。
「そろそろ、リタとデュークも話終わったろ」
「え?」
目を丸めるに、ユーリは言った。
「おまえもデュークに聞きたいことあったんじゃねえの?」
「何で判ったの?」
「オレ人間観察得意なの」
はぐらかすようなユーリ。
ずっと物言わぬがデュークを見ていたのを、彼が気付かないはずが無かった。
意識しているのかいないのか、やはりユーリは常に周りを見守ってくれているのである。
恥ずかしいような、嬉しいような妙な感覚に、ははにかみながら「そっかあ」小さく返す。
ユーリに促されるままに、が賢人の家のほうを向く。しかしは、改めて彼を振り返った。
「本当にユーリは男前だね」
そう笑ってから、ようやく彼女は屋敷を目指して歩き始めたのだった。
◆◆◆
が屋敷を訪れると、リタの姿はもうなかった。デュークがひとりで佇んでいる。
意を決して、は口を開いた。
「あの、デュークさんに聞きたいことがあるんです。良いでしょうか?」
が呼びかけると、デュークはゆるりと顔を上げた。その端正さゆえに、無表情の冷たさは引きたっている。少し尻込みしながらも、は彼を見つめる。
何も言わずにデュークはの方を向いた。言葉は無いが、話を聞く意思はあるようだ。
それを確かめると、は続けた。
「私も、エステルと内容は違うけど、フェローに話しかけられたんです」
「フェローがお前に?」
「は、はい。……“まだお前たちは人間の肩を持つのか”って」
誰にも言わずに来たことを打ち明けた開放感に、は深く息を吐いた。
の話に、デュークは僅かに目を見開いた。……しかし、その動揺はすぐに消える。
「その言葉のままだ。失われた記憶を想い出せば自ずと理解する」
「じゃあ、やっぱり私の記憶に関係あるんですか? それに、何で私は“お前たち”って区別されて……。お前たちっていうことは、私以外にも私みたいな人がいるということなんですか? その区別は、つまり……」
次の句を言おうとしたとき、は心が凍えそうになった。それでも、彼に問うには言わなくてはならない。
唇を噛み締め、苦いものを飲み下すかのような苦しい声音を、必死に絞り出す。
「私が、人間じゃないってことなんですか」
それは恐ろしいことだった。
自分が人間ではないのだとしたら、何なのだろう。魔物なのだろうか? それとも……。
皆とは違う。誰とも違う。
私は一体なんなのだろうか。
何処へ行けば答えが見つかるのか。
“ひと”のことすら判らないのに、“ひと”では無かったとしたら、もっと判らない。
そんな“わたし”とは、なんなのか。
思い悩んできたことを、はデュークに対する問いへ全て込めて打ち明けた。彼は明らかに“答え”を知っているはずだと。だが――。
デュークが答えてくれるとは限らないのだ。
「つまりお前は、自分自身を少なからず“人間ではない”と考えている……。そういうことか」
「……可能性は、あると思ってます」
「そうか……」
悲しい覚悟を秘めたの声に、デュークは呟くように零した。
「私は確かにお前を知っている」
は息を呑んだ。
デュークは真っ直ぐにを見つめていた。信じられないことに、彼の眼差しは酷く穏やかで、同時に、深く哀しんでいるようにも思えた。
「だが私は、お前の“記憶を取り戻す”ためには、それを語ることは出来ない」
「どういうことですか?」
「お前の心が、失われた記憶に耐えうるものとは思えないからだ」
は絶句した。
言葉を濁したのかのようで、その実、デュークは重大な事実を語っていた。
心が耐え切れない記憶――。
の記憶が失われた原因は、その記憶にこそあるということだ。
否定できずにデュークの言葉を受け入れてしまったのは、自身が“失った記憶の恐ろしさ”を感じているからだった。
かつてトリム港で立ちくらみと同時に過った、血まみれの情景。
パティを通して痛感した、近しい人の喪失と庇護の念。
カドスでプテロプスと対した時にこみ上げてきた、酷く大きな恐怖。
砂漠で見た夢の中で、獣に変わり果てた己の姿。
それら全てが、己の記憶に深く関わっていることを、は自覚していた。
青ざめて黙したままのに、デュークは、静かに告げる。
「それでも記憶を取り戻したいのであれば、やはり私が語るのではなく、自身の覚悟を貫き通して探して行くべきだろう」
覚悟。その言葉に、沈み切っていたの心は力を取り戻した。
そうだ、私、ちゃんと決めた……。
ドンからの手紙を受け取り、初めて暖かい記憶の欠片を感じた時、ラピードの傍で彼女は誓った。
――ちゃんと記憶を取り戻したい、と。
「耐え難いほどの辛い記憶があったとしても、同時に幸せなことがあったのもきっと事実です。たまに蘇る記憶はほとんどが辛いけれど、それはきっと、私が想い出さなくちゃいけないからなんだと思います。その中にだって、僅かでも幸せなことがあったと思うから……私は、全て想い出したい」
ようやくは、デュークを見つめられるほどに持ち直した。
「良く考えたら、私が人間かどうかなんて、疑問を持たせた本人……フェローに聞かなくちゃいけないですよね。デュークさんはフェローじゃないのに」
「お前もフェローに会うのだな」
「はい。エステルたちと一緒に探して、話を聞いてみたいんです」
微笑みながらデュークの言葉に頷く。「あっ、でも」と前置きしてから、彼女は続けた。
「どうしようもなく困った時にヒント貰うくらいは良いですかね……? ほら、先にデュークさんの方から、私を知っているような素振り見せたんですから」
デュークは瞬きした。の指す素振りと言うものを振り返っているらしい。
そして初対面の森の中やケーブ・モックでの対面で自身が口にした言葉を思い出した彼は、素直に謝ってきた。
「すまない、お前の記憶がないことは後から知った」
「あ、いえ、こちらこそごめんなさい……。記憶を取り戻す助けにはなれないって、ケーブ・モックで教えてくれましたもんね」
「ああ。私が知ることは殆どないと言っていい。……加護のことぐらいだろう」
「あ、そういえば! そんなこと言ってましたね」
はぽんと手を叩いて頷いた。しかしデュークに“加護”の意味を問おうとはしなかった。言葉からして悪いものではなさそうだし、記憶を思い出せは意味は自ずと判るだろう、と。
先まで蟠っていた不安はなりを潜め、の心中は晴ればれとしていた。いうなれば、開き直っていた。
動くか、動かないか。黙っていて後悔するよりは、とにかくやってみて後悔する方が良いと思えた。記憶を取り戻したいと散々誓ってきたではないか。
やるだけやってみよう。
たとえ思い出した記憶が、再びその心を砕いたとしても――。
「何だか、押しかけて色々と勝手に話してごめんなさい。でも、色々と教えてくれてありがとうございます」
「私は何もしていない。ただ知ること、思うことを呟いたまで」
「それでもありがとうございます」
は深々と頭を下げると、改めて顔を上げた。
満面の笑顔であった。
言葉よりもよほど雄弁なその表情に、デュークはひっそりと息を呑んだ。僅かに生まれた動揺を、彼は悟られる前にしまい込んだ。
「」
屋敷を出ようとする彼女を、デュークは呼び止めた。
呼ばれるままに振り返ったは、大きな瞳を更に大きく開いて、彼を見つめる。
「いずれ記憶を取り戻し、自分の在り方に悩んだならば……その時は」
そしてデュークは、彼自身でも“らしくない”と思えるほどの親切に満ちた言葉を告げた。
「お前が望むならば、助けとなろう」
予想だにしないデュークの言葉には驚いたが、すぐに嬉しそうに笑って頭を下げた。そして今度こそ本当に、は屋敷を出て行った。
しんと静まり返る屋敷で、デュークは物思いに耽った。
――告げてしまうべきだったのだろうか。
デュークは知っている。
の力を。加護の意味を。の身に起きた悲劇を。
失われた記憶とその理由を、彼はとある者を通して訊いていた。
全てを告げても構わなかっただろう。
だが再度あの少女の心が砕けるのを、自分は良しとしなかった。
(彼女はこれ以上、傷付くべきではない)
その願いも、彼女自身が記憶を求める以上、叶わぬものと知りながら。
湧きあがる思いを噛み締めるように唇を引き結び、デュークは独り、目を伏せた。
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